ツイートまとめ テーマ:今年も「ハロウィン」が近づいた。オカルト犯罪防止月間。厳重警戒!

〇今年も不吉な時期が近づいてきた。「ハロウィン」である。毎年のようにハロウィンの前後に猟奇的な事件が起きている。昨年は神奈川県座間市で9人殺害という凄惨な事件が起きた。この事件は「白石某という異常者による単独犯行」という事にされている。今年こそ何事も起きないようにしなければならぬ。

〇「サタニストはハロウィンの一か月ほど前から儀式を行う」と元サタニストが証言する動画があった。アレイスター・クロウリーの「法の書」に「子供の血を混ぜたケーキを」云々という儀式殺人を思わせる記述がある。オカルトは思想的な危険物。そういう危ない連中がいるという事を知っておくべきである。

〇「不吉な時期」と書いて「不吉な日」と書かなかったのは、危険なのはハロウィン当日だけではないからである。ハロウィン前後の数日、ハロウィン前の一か月ほどが危ないので警戒すべきである。白石某はツイッターのDMで巧みに被害者をおびき出したと言われるが、SNSは工作員がたくさんいるので要注意。

〇座間市の事件について、儀式殺人や臓器売買の可能性について言及したら、何故か畑違いであるはずの安倍信者系アカウントが湧いてきた。安倍批判や自民党批判とは何の関係もないツイートで何故彼らが絡んできたのか今もって「謎」である。裏権力の下請けのカルト信者や工作員の連中では?と疑っている。

〇イスラエル人の臓器売買組織リーダーがキプロスで逮捕された事がある。同じく臓器売買に関与するトルコの闇医者は逃亡中の由。かかる国際的犯罪ネットワークに繋がる連中が日本にいても不思議はないと思う。【国際手配の臓器売買組織リーダー、キプロスで逮捕 コソボ警察発表】

〇「オカルティストによる儀式殺人か、密売組織による臓器売買か」という二択ではないと考える。儀式殺人を行ってから臓器を売り飛ばしている可能性もある。麻薬組織と同じで臓器売買組織が中々摘発されないのはどちらにも裏権力(儀式殺人を行うような連中)が絡んでいるからだと考えると辻褄が合う。

〇本当に残酷で酷過ぎる話。陰謀追及の対象は基本的に極悪な連中なので、対象から影響を受けて同化しないように気を付けないといけない。追及している内に裏権力の悪行に慣れて感覚がマヒしてしまわないように注意。心理的思想的に裏権力に同化してしまう追及者もいる。体と同じく心もしっかり守るべき。

〇人間は何かを感じたり考えたり即ち認識するとその対象から影響を受ける。認識すると快・不快を感じる。快に欲が、不快に怒りが生じる。これが基本。この影響を遮断するには認識している事自体を自覚し客観視する事が効果的だと考える。個人的には陰謀追及上の心得として重視している事の一つである。

〇何かを認識すると「快」「不快」「中立」のどれかを感受。快には欲が、不快には怒りが生じる。欲や怒りが増長すると執着になる。執着すると認識対象に縛り付けられて対象の影響下に置かれる。さらに対象についてあれこれ思考したり妄想すると執着が強化。快・不快を感じた段階で自覚すると遮断が容易。

〇精神的ブラクラに等しい裏権力の所業を追及する内に同化しないように要注意。心理的なメンテの方法を工夫して自分の心を守るべきである。昔の武術で、心の持ち方を「剣法」などに対して「心法」と呼んだらしいので、それを真似て陰謀追及に於ける心の持ち方の工夫を「心法」と個人的には呼んだりする。

〇心法の例。「兵法の道において、心の持様は、常の心にかはる事なかれ 常にも、兵法の時にも、少もかはらずして、心を広く直にし、きつくひっぱらず、少もたるまず、心のかたよらぬやうに、心を直中に置て、心を静にゆるがせて、其ゆるぎの刹那も、ゆるぎやまぬやうに」宮本武蔵五輪書水の巻より引用。

〇西田幾多郎が「行為的直観」と言ったが、認識はそれ自体で完結せず何らかの行為を誘発する。「行為」には微細な心の動きなども含む。謂わば「反応」である。良い方に作用すると偉大な芸術作品が作られたりするが、悪い方に作用すると人を破滅させる事もある。起点となる認識に気を付けるべきである。

〇偉大な芸術家は偉大な認識者でもあると思う。普通の人が認識しても何とも思わない対象に感動し、それが自ずと創作となる。古池に蛙が飛び込む音を聞いて「古池や蛙飛びこむ水の音」という句が出た。芭蕉が実際に音を聞いたかは分からないが、豊かな感受性で物事を認識した結果である事は疑い得ない。

〇美しいもの、善いものを認識して素晴らしい芸術作品が生まれるという事もあるが、逆もまたしかりである。裏権力のこの上なく醜い悪行ばかり見続けた為に感化され同化してしまう危険性もある。実際に「人口削減=大量殺戮やNWOは不可避」みたいに言う者もいる。認識作用に気を付けて影響を遮断すべき。

〇ストレスも認識で生じる。主に思考。考え過ぎなければよい、とはいえ「考えまい」と「考え」るとそれが逆にストレスになる。考えてしまう度に「考えている」と客観的に観察するのは効果的。脳は二つの事に同時に集中できないので「観察」に集中すると「思考」は減る道理。思考が減るとストレスも減る。


https://twitter.com/kikuchi_8/status/1042822326499213312


(了)

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# by kokusai_seikei | 2018-09-30 13:04 | ツイートまとめ | Trackback | Comments(0)

ツイートまとめ テーマ:それ、グーグルにやらせてはいけない。IOT推進はワンワールド化工作の一環。テクネトロニック工作に要注意!

〇何が「それ、Googleにやらせよう」だ。誰が考えたか知らないが、イラッとするキャッチコピーである。「便利」の謳い文句で日常生活へ介入。IOTを介した生活の支配。親しみやすいイメージで危険なNWO誘導。親しみやすいCMと厳しい取り立てのサラ金と同じである。テクネトロニック工作が活発化している。

〇前々からIOTを使うNWO化工作について警鐘を鳴らしてきたが、「それ、Googleにやらせよう」というキャッチコピーはそれを推進する謳い文句である。家電製品の起動など日常生活の諸々をGoogleにやらせようという訳である。ご主人様になった気で「やらせている」つもりがいつの間にか奴隷になりかねない。

〇以前CIAがIOTに接続した自動車のハッキング(事故を起こさせる暗殺手法?)について研究していた事が明らかになっていた。モノがインターネットに繋がるという事はモノをハッキングして誤作動を起こさせる事も可能という事である。家も家電もIOTに繋いで「それ、他人にやらせていいのか?」という話。

〇IOTの怖さはこれである。「便利」とはCIAやモサドの諜報暗殺にも「便利」という事。つまり裏権力支配にとっての「便利」。【「自動車をハッキングして暗殺する」「テレビで部屋の会話を録音する」などCIAの極秘諜報作戦の実態を暴露する機密資料「Vault 7」をWikiLeaksが放出】https://gigazine.net/news/20170308-wikileaks-vault-7/

〇グーグルは単なる民間企業に非ず。米国防総省などとも関係する権力組織である。軍事技術関連の開発に抗議する社員が一斉辞職していた。中国の検閲にも協力している。そのグーグルに対して「それ、やらせよう」なんて軽く言う。事の深刻さとのギャップ。だから、キャッチコピーにイラッとするのである。

〇グーグルは「Project Maven」などドローンや人工知能が関係する軍事関連技術の開発に関与し、それに抗議した社員が一斉辞職した事がある。何でグーグルに家電を操作してもらう必要が?【グーグル社員、抗議の一斉辞職「ドローン軍事利用」に反発】https://forbesjapan.com/articles/detail/21066

〇キャッチコピーは「言葉の魔術」の一種。言葉で事柄の性質を隠蔽し、実際とは異なるイメージを作り出す事が出来る。巨大企業に家庭内の家電などを操作させるなど危ない事なのに「それ、やらせよう」などとさも気軽な事のように言う訳である。FBで多くの人が「気軽に」個人情報を差し出したのと同じ。

〇分かり易く言うと「テレビやエアコンくらい自分でつけろや!」という事である。出かける時は火の元をしっかり確認する。逆にIOTになると、家電をハッキングして誤作動させた「デジタル放火」なんて事も可能に成り得る。AIが家庭内の会話を勝手に録音して外部に送信するなんて事も現実に起きている。

〇「テクネトロニック工作」と書いたが、これについて説明する。裏権力の戦略家であるブレジンスキーは高度なテクノロジーを用いたNWO体制を「テクネトロニックエージ」と言った。全人類の個人情報のデータベース化構想を中心とする。FBやマイナンバーの発想。IOTによるビッグデータ収集もしかりである。

〇「情報銀行」というNWO的商売。利と引き換えに個人情報を出させようとする。これもテクネトロニック工作の一環だろう。引用:「情報銀行」は買い物の履歴や健康データなど、本人の同意のもとで集めた情報を企業に販売し、個人には対価として金銭やサービスを提供する仕組み http://news.livedoor.com/article/detail/15347497/

〇個人情報を集めて企業に売る「情報銀行」という商売。自分の健康データをお金にしようとする人は自分の臓器を売る人みたいに相当困窮しているのではないか?弱みに付け込まれる恐れは?その内「本人の同意」の条件を外してきそうである。徐々に事を進めるのがフェビアン主義的な漸進主義の手口である。

〇「腕につけたセンサーで運動量や睡眠時間を調べるほか、自宅に専用の機器を置いて家電製品の使われ方のデータなどを集め」るとの事。IOTと連動しているのが明らか。「それ、グーグルにやらせよう」と同じで、こんなNWO事業に協力するべきではない。利で釣って「自発的」に個人情報を吐き出させる手口。

〇裏権力の戦略家ブレジンスキーが言った「テクネトロニックの時代」とは高度な情報技術を使用する全世界の個人情報の一元的管理である。情報は力。情報の集中化は力の集中と同義。つまりワンワールドである。FBで人々は「進んで」個人情報を差し出した。情報銀行は利で個人情報を差し出させようとする。

〇FB、マイナンバー、IOT、情報銀行、「それ、グーグルにやらせよう」など、あらゆる方法で個人情報を収集しようとしている。これらは全てテクネトロニック工作の一環だと見る。全人類の個人情報を収集して一元的に管理するデータベースを作る事が裏権力の最終的な狙いだと分析。協力しない事が大事。

〇案の定IOTを狙ったサイバー攻撃が増加しているそうである。IOTのプラス面ばかりが強調されるが、IOTの真の怖さはサイバー攻撃が直接リアルの空間に及ぶという事である。家電の誤作動による「デジタル放火」、自動車乗っ取りによる事故に見せかけた暗殺、などが想定される。https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180924/k10011641741000.html

〇社会の完全なIOT化は危険極まりない。モサドの如き外国諜報機関が工作を仕掛けてきても、日本の警察に取り締まる事は出来ない。政府、官僚機構の中枢は裏権力の手先だからである。インターネットに繋がった社会的インフラは常に危険な状態に晒される事になる。少なくとも家庭へのIOT導入は避けるべき。

〇社会が完全にIOT化すると、裏権力の工作員はサイバー攻撃のみならずネットを介して現実の偽旗テロや暗殺も起こし得る事になる。ターゲットの家の家電などをハッキングして放火したり、自動車を乗っ取って事故に見せかけて暗殺するなどである。現にCIAがそういう「研究」をしている事が暴露されていた。

〇他の方が指摘しておられたが、自動車を乗っ取ってテロを起こす事も考えられる。欧州では近年は「自動車が群集に突っ込む」というテロが多発している。全ての自動車がネットに繋がるIOT社会になると、政治アクターを使わなくても、ハッキングで自動車を乗っ取り偽旗テロを起こす事が可能になり得る。

〇国産携帯電話を「ガラケー」と馬鹿にする風潮やOSの強制アップデートなどは一見無関係に見えるが同一線上にある現象だと分析する。個人情報収集に都合が良いツールを人々に浸透させる事でビッグデータを効率的に集めるのが狙いと推測する。巨大企業が「使って」と執拗に勧めるツールは疑った方が良い。

〇ビッグデータを収集して全世界のネットユーザーの知識や経験を集積する事で「全知全能の神」を作るという錬金術的野望を裏権力が持っている可能性はある。囲碁や将棋で一流棋士も勝てないような人工知能が出来てしまっているが、より汎用性が高い万能の人工知能を作ろうとしている可能性はあると思う。

〇錬金術では卑金属を製錬して貴金属を生成しようとする。石屋など西洋秘密結社はこれを思想的に解し「人間が神に生成する」というグノーシス主義的な神秘思想と重ね合わせた。錬金術が近代化学の元になったようにオカルトと近代科学は連続する。万能の人工知能=神を作ろうという発想は錬金術的である。

〇グーグルの元社員が人工知能を「神」とする新興宗教を作った。最先端の人工知能研究者は錬金術師や錬金術的発想をする神秘主義者に似ている。人工知能を進化させて最終的に「全知全能の神」を作り出さんとする人工知能研究者はある意味「現代の錬金術師」である。科学とオカルトは実は近い距離にある。


https://twitter.com/kikuchi_8/status/1036296234674180097


(了)


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# by kokusai_seikei | 2018-09-30 12:30 | ツイートまとめ | Trackback | Comments(0)

ツイートまとめ テーマ:「安倍VS石破」両建茶番の陰で進行する水道私営化工作。「国際闇金」の邪悪な野望を打ち砕く!!

〇自称保守は自民と組む公明党を表面的には批判するが、「是々非々」論が公明党とそっくりである。創価信者が保守を名乗って安倍を支持しているのではないか?と思える程である。公明党を自民党のストッパーみたいに言う自称リベラル派もいるが、幻想である。水道私営化は公明党の方がより積極的である。

〇「水道私営化は公明党の方がより積極的」と書いたが、具体的には公明党は大阪北部地震に乗じて「緊急性が高まった」として水道私営化を煽った。水道法改悪も公明党が主導して推し進めている。自公(日本会議・統一・創価の連合)は一心同体である。https://www.nikkei.com/article/DGKKZO32251490W8A620C1PP8000/
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/232199

〇地震で水道管が破損している状況で水道事業を私企業(特に外資)に渡す事のどこに「緊急性」があるのか。前提と結論が全く結び付いておらず、論理が破綻している。むしろ逆に住民の生命に直結する水道事業のような公共インフラは公共団体が責任を持って管理・運営しなければならない事が再確認された。

〇水道私営化したフィリピンのマニラやボリビアのコチャバンバの水道運営権を握ったのはあの「ベクテル」だった。ベクテルはロックフェラー系のCIA関連企業と言われている。そんな組織に命の源の水を明け渡すなど自殺行為に等しい。水道私営化論者は全員純度100%の売国奴だ。https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/232199/2

〇フィリピン・マニラ、ボリビア・コチャバンバ、フランス・パリ、アメリカ・アトランタなど水道私営化は世界中で失敗。水道料金が上がったり、水道設備が損傷してもコストカットの為に修復しなかったりする問題が起きた。パリでは日本で企むコンセッション方式で水道料金が倍増し、結局再公営化した。

〇売国奴は「コンセッション方式では設備の所有権は行政に残すので民営化ではない」などと詭弁を弄するが、運営権を私企業に渡すので完全に「私営化」である。「営」とは「運営」の「営」である。仏蘭西のパリではまさにコンセッション方式で水道事業を私営化した結果、料金が倍増し、結局再公営化した。

〇パリではコンセッション方式で水道料金が倍増しているので、「コンセッション方式だから民営化ではないので問題はない」という論理は通用しない。パリではまさにコンセッション方式で問題が起きて再公営化しているのである。地震に付け込んで水道私営化を煽るのは火事場泥棒と言うべき卑しさである。

〇アメリカのアトランタ市の事例では、排水管が損傷したり、泥水が噴出したりするなどのトラブルが起きたが、コストカットの為に技術者が不足していた為に迅速に修復できなかった模様である。結果、再公営化。「地震で水道管破裂だから民営化の緊急性が高まった」という主張が如何に論理破綻かが分かる。

〇アトランタ市で水道設備が損傷するなどトラブルが起きているのにコストカットによる技術者不足の為に対応できなかったという事情はコストカットによる職員不足の為に治安が悪化した米国の民間刑務所と似ている。公的なインフラに関わる事業は営利を第一とする私企業には向かないという事を示している。

〇私企業だからできるだけコストカットを図ろうとする。コストカットして技術者などが不足している状態で災害が起きて水道設備が破壊されたら、どういう状況になるかは明らかである。アトランタ市のように平時のトラブルですら対応できないのに、ましてや大規模災害など危機の際に対応できるはずもない。

〇災害に付け込んで「水道民営化の緊急性が高まった」と煽る論法は完全に論理が破綻している。「災害で水道管破裂」という前提と「民営化が必要」という結論が全く論理的に結びついていない。むしろ、前提が「水道事業は公共が担わないといけない」という「民営化」とは正反対の結論を導き出している。

〇「民間にできる事は民間に」がネオリベ連中の口癖だが、実際は「民間にできない事も民間に」である。水道事業はまさにそれであろう。刑務所もそうである。軍事の民営化=傭兵会社というのもある。究極的には「全てを民間(巨大私企業)の手に(NWO)」である。ISD条項などはその為に強力な手段である。

〇「民営化」「民間にできる事は民間に」という場合も「民」とは「民衆」「国民」「住民」の「民」ではなく、「巨大民間企業」の「民」である。ベクテルやヴェオリアなどの超巨大私企業群は「民間企業」と言っても、一政府を屈服させる程の力を持っている。「民」という語感に騙されないように要注意。

〇「水道民営化」の「民」は「超巨大私企業」の事である。具体的には、仏蘭西のスエズ、ヴェオリア、英国のテムズウォーターが「水メジャー」「ウォーターバロン」と言われている。バロン=男爵。「民」に「民衆」の意味は皆無。2000年頃にはこれら三社で世界の「民営化」した水道の7割を占めていた由。

〇スエズやヴェオリアは歴史的経緯から見てロスチャイルド系である。テムズウォーターも恐らくロス系だと推測する。ロスチャイルド家は英国の男爵(バロン)の爵位を持っているので、「水男爵(ウォーターバロン)」とは言い得て妙である。「水道民営化」と言うが「猶太国際金融貴族」のどこが「民」か?

〇国際金融資本の利益代理機関であるIMFや世界銀行は発展途上国に対し融資の条件として「水道の民営化」を突きつけた。その結果、水道が民営化(私営化)した典型がボリビアである。結果、水道料金が高騰し貧困層は水を飲めなくなった。コチャバンバで暴動が起きて死傷者が出た。IMFも世銀も国際闇金だ。

〇世界の水市場を牛耳っているのは「水メジャー」「ウォーターバロン」と呼ばれる主にロスチャイルド系の巨大私企業である。「水道民営化」の「民」とは実は「バロン(男爵)」だという皮肉。実際にロスは英国では男爵。くれぐれも「民営化」の「民」の語感に騙されませぬように。連中は政府より強い。

〇水道私営化の動きは英国のサッチャー政権が採用した新自由主義政策を発端とするが、これが世界中に広められたのはIMFと世界銀行が「ワシントンコンセンサス」(国営企業の民営化などを主張する新自由主義的な政策合意)に基づいて発展途上国に融資の条件として水道民営化を要求した事が背景をなす由。

〇つまり分かり易く言うと「IMF、世界銀行という国際闇金融が、オーナーのヤクザ資本家の利益の為に、発展途上国の足元を見て『水道事業を渡さんと金を貸さんぞ』と要求した」という事である。売国奴は「水道民営化が世界の潮流」みたいに言うのを常とするが、その「潮流」は人為的に作られたのである。

〇「水道民営化すると競争原理が導入されてサービスが向上する」なんて事はない。水道私営化すると一地域の水道事業を一企業が独占する。当然「競争原理」など働くはずがない。だからサービスが低下しても料金を値上げしても同業他社に脅かされない。「水道民営化」とは公営から私的独占への移行である。

〇IMFや世界銀行は「国際的な闇金業者」だと思っているが、初代ロスチャイルドのマイヤー・アムシェルはフランクフルトの街金業者だった。だが、貴族(独逸選帝侯のヘッセン=カッセル方伯)に金を貸す事で大きくなった。彼らの利益代理機関がIMFや世銀。規模が大きくなっても金貸しとしての体質は不変。

〇IMFや世界銀行がボリビアなどにした事は、相手の足元を見て「金を借りたければ水道を寄越せ!」という事である。悪辣な金貸しの手口そのものではないか。「ワシントンコンセンサス」などと格好を付けているが、要するに「発展途上国の弱みに付け込んで借金のカタに国有資産を奪うぞ」という事である。

〇一方の我が国は世界一、二を争う債権国でありながら水道を私営化しようとしている。本来IMFやら世界銀行やらにとやかく言われる筋合いはない。この点で弱みに付け込まれて水道事業を明け渡したボリビアなどとは事情が違う。進んで国の内鍵を開けようとする売国集団が権力を握っている事が問題である。

〇あまりコメントする気にもなれないが、「安倍VS石破」は安倍の勝利に終わった。だが、石破に結構党員票が入り「善戦した」と言われている。小泉は石破に投票したと。これは「当分安倍に任せるが、安倍の次はこいつらを傀儡にする」というジャパンハンドラーズの思惑を反映した結果、と見る事ができる。

〇水道法改悪が目論まれている秋の臨時国会前に水道私営化の是非が争点にならない時点で両建茶番と分かり切っていた「自民党総裁選挙」。安倍はTPP、種子法廃止等々の「売国実績」が歴代総理の中でもトップクラスであり、石破は「緊急事態条項」というそれだけでアウトな政策を主張する危険人物である。

〇マスコミ報道ではやはり「石破氏が大善戦」という事が強調されている。今回の自民総裁選挙の結果はジャパンハンドラーズによる「ポスト安倍=石破」とする布石という読みは的外れでもないようだ。【自民党総裁選、満面の笑みの石破氏、顔面蒼白の甘利氏、無表情の進次郎氏】https://hbol.jp/175323




(了)

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# by kokusai_seikei | 2018-09-30 12:10 | ツイートまとめ | Trackback | Comments(0)

「安倍VS石破」という両建茶番。虚妄な「是々非々」論法を斬る!

〇「安倍VS石破」抗争はTPP、水道私営化、種子法廃止等々の国の存亡に関わる最重要問題の是非は一切争点にならない白々しい両建茶番である。両建抗争は「どちらに転んでも裏権力の利益」になる仕掛けになっている。安倍「政権」が続くのも、石破が「緊急事態条項」「日本版FEMA」を作るのも御免蒙る。

〇安倍支持の自称保守と石破支持の自称リベラルの論法は酷似。「悪い所もあるが、ベターだから支持する」という「是々非々論」である。しかし、安倍はTPP、種子法廃止等々一つでもやるとアウトな事を多数やり、石破は「緊急事態条項」というそれ一つだけでアウトな事を主張している。「非」でしかない。

〇「安倍VS石破」抗争はどちらが勝ってもろくな事にならないのでコメントのしようがない。だから最近は政治情勢より哲学・理論的な事ばかりを書いていた面がある。安倍「政権」が続いて壊国政策が続くか、石破「政権」誕生で「緊急事態条項」「日本版FEMA」が出来るか、の「二択」など選びようがない。

〇「是々非々」論は旧民社党のサルまね論法と断じる。政権に食い込む公明党の政界遊泳術そのものでもある。公明党も自称保守も「安倍政権の悪い所は正す」みたいに言いながら、丸ごと賛同する。自称保守は統一系、公明は創価。「是々非々」論は自公政権の母体である統一創価人脈が得意とする論法と推測。

〇自称保守は自民と組む公明党を表面的には批判するが、「是々非々」論が公明党とそっくりである。創価信者が保守を名乗って安倍を支持しているのではないか?と思える程である。公明党を自民党のストッパーみたいに言う自称リベラル派もいるが、幻想である。水道私営化は公明党の方がより積極的である。

〇「是々非々」論は鵺的な気持ち悪さがある。「悪い部分は批判する」と言いながら結局丸ごと賛同。多少問題はあっても総体的に見て日本国民の為になっているなら「是々非々」と言うのもよかろうが、TPP、種子法廃止、水道私営化の企みなど一つでもアウトなものを多数実行しているので「非」でしかない。

〇「公明党は自民党のストッパー」と言うのは「安倍昭恵は家庭内野党として安倍晋三のストッパーになっている」と言うのと同じくらい愚かである。「安倍政権の悪い部分は批判する」と言いながら、TPPも種子法廃止も水道私営化も事実上「賛同」している自称保守派の「是々非々」論はこれと同じである。

〇「是々非々」論法は「変だな、気持ち悪いな」(稲川淳二さんではないが)と思っていたが、よくよく考えると旧民社党や公明党とそっくりの論法だという事に気付いた次第である。公明党は創価学会だが、旧民社党は統一協会と近い関係にあった。「その筋」の者達が得意とするレトリックでは?という仮説。

〇「是々非々」論法は大勢力に食い込んで権力に与ろうとする少数勢力がよく用いる論法である。旧民社党も公明党もそういう立ち位置にある。「是々非々」と言いながら安倍を熱烈に支持する者達の母体もそういった「大勢力に食い込んで権力に与ろうとする少数勢力」ではという推測は的外れでもないだろう。


https://twitter.com/kikuchi_8/status/1040979387301031936


(了)

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# by kokusai_seikei | 2018-09-30 11:50 | ツイートまとめ | Trackback | Comments(0)

ツイートまとめ テーマ:「両建」を破る為の「中道」という思考方法についての認識論を中心とする理論的考察。

〇中道は中道主義に非ず。「安倍を擁護も批判もしない」「中立」「ニュートラル」というものではない。今現在の日本にとっての本質的な問題を見抜き、国民に害を及ぼす壊国政策を徹底批判する事である。「賛成でも反対でもない」ではない。「本質を突いた徹底的な批判」こそがこの場合の「中道」である。

〇中道で大切なのは事実に拠る事。工作員が「安倍さんは愛国保守」と言っても鵜呑みにしない。安倍一味がしている事を具体的に確かめ、それらの総体の評価で是非を判断する。TPP、種子法廃止、水道私営化などはどれか一つでもアウト。よって安倍一味は総体として「非」である。「是々非々」ではない。

〇具体的な事実に基づかず右とか左とか言うイデオロギーだけで判断すると両建に嵌められる。原発にしろTPPにしろ、国民生活に直結する重要問題が単なる左右のイデオロギー闘争にすり替えられる、というパターンが繰り返されている。中道は事実の観察の重視と特定の思想的見解に執着し過ぎない事も含む。

〇両建に嵌められる原因は現実の具体的な事実を見ずにイデオロギーなどの観念やイメージだけで判断する事だと考える。中道主義も「主義」なので例外ではない。「中道主義VS非中道主義」両建もあり得る。それに対して「中道」は具体的状況に応じてなす中正な判断。つまり「主義」ではなく思考方法である。

〇「中道主義」は思考の結果生み出された固定化した一つのドグマである。「中道」は主義などの「思考の結果」ではなく「思考」そのものについての方法論である。中道は中道主義よりメタな次元に関わる。主義ではなく方法論だから万人が活用可能。何が中正かは個々人の経験や見識に拠って判断すべき事。

〇中道主義は思考の結果生み出された一つの判断である。それに対し中道は「如何に思考するか」そのものについての方法論である。思考に関する方法論なので、万人が道具として用いる事ができる。何が中正・適正かは個々人の判断である。その判断が独善的にならない為には他者との議論・対話も大事である。

〇「中道とは事実・道理に適合する中正な判断」である。何が事実・道理に適合するかは「事実の観察」「事実の観察に基づく推論」「経験則」「良識」等々に基づいて判断する。だが、その判断を絶対視して独善的にならないように注意すべきである。そこで必要なのが他者の意見を聞く事、熟議する事である。

〇両建に嵌められると、具体的な問題を具体的に論じるのではなく、抽象的なイデオロギー争いにすり替えられる。TPP問題の議論を左右両建抗争にすり替えるのが典型である。工作員が「TPP反対派はサヨク」などという馬鹿げた宣伝をしていた。TPPは右左ではなくISDS等で国家主権の存亡に関わる問題である。

〇「具体的な認識主観のあり方を離れて絶対的な客観・中立(ニュートラル)な見方が成立する」というのは認識論的な幻想である。例えばコップの形は上から見ると丸いが、横から見ると正方形である。丸に見えるのも正方形に見えるのも客観的な事実だが、認識者の空間的な配置で見える形が決まるのである。

〇TPP問題も「日本国民である」という具体的な状況を背負う者にとっての「多国籍企業に国家主権を奪われる」事の是非が問われている。日本人なら「非」の一択しかないと考えるものである。「賛成でも反対でもない」という「中立」は頭の中でしか成り立たず、日本国民なら確実に影響を受けるのである。

〇「中立(ニュートラル)」は世界を超然と眺める超越論的主観の立場だと言える。西洋近代科学はこのパラダイムに拠っている。この立場に立つ西洋近代の理性主義では自然も人間も操作の対象になる。一方の「中道」は人間が具体的状況に置かれている事を前提に、その状況の中で中正な判断をする事である。

〇予め実体として成立している主観が同じく実体である客観を認識する、というのが西洋近代の認識論の骨子である。「中立」を想定する見方はこれに通じる。一方の「中道」は「具体的な状況下での中正な判断」なので「客観と主観が相互依存的に協働して認識が成立する」とする関係論的認識論の方が合う。

〇認識対象の具体的な姿・形は認識主体との関係に入って初めて確定する。例えばコップを上から見るか、横から見るか。「認識対象自体」が仮にあるとしても認識されない。「コップの形」を上から見るか、横から見るか、下から見るか、斜め上から...という認識主体のあり方を離れて認識する事はできない。

〇「コップの形はこうだ」と言えるのは「上から見るか」「横から見るか」等の具体的な状況によって決まる。それと同じく、中道=中正な判断も、具体的な状況によって中身が決まる。だから予め内容が固定されている「主義」「イデオロギー」とは違うのである。中道は思考方法であり、中道「主義」に非ず。

〇大抵のコップは縦長なので、「正方形」ではなく「長方形」と書いた方がよかったかもしれない。細かい事を申し訳ない^^;
「「具体的な認識主観のあり方を離れて絶対的な客観・中立(ニュートラル)な見方が成立する」というのは認識論的な幻想である。例えばコップの形は上から見ると丸いが、横から見ると正方形である。丸に見えるのも正方形に見えるのも客観的な事実だが、認識者の空間的な配置で見える形が決…」

〇「「コップの形はこうだ」と言えるのは「上から見るか」~云々」と書いたが、「コップの視覚像=姿・形は「上から見るか」「横から見るか」等の具体的な状況によって決まる」とした方が正確である。無数の知覚像から帰納して総体を直接知覚できない「円筒形」という「形」を観念的に構成するは出来る。

〇哲学者の大森荘蔵氏が「知覚像の無限集合」と書いていたと記憶する。上から見ると円、横から見ると長方形云々という無限にある知覚像が集合すると「円筒形」という観念が得られるという考え方である。しかし、「円筒形」を直接知覚はできない。直接知覚できるのは「上から見ると丸い」等だけである。

〇この考え方を参考にすると次の事が言える。具体的な状況の中で中正な判断をする事を措いて「国を守る」も「民主主義を守る」も無い。ISD条項などによる国家主権喪失の危機の時に、それを無視して「国を守れ」「民主主義を守れ」と言うのは空虚。具体的な知覚像を離れて「形」を云々しているに等しい。

〇認識論などを絡めて分析すると何かと嫌われやすい。衒学臭いと思われるのであろう。だが、そんなつもりはない。具体的な物事の分析から帰納的に論理や法則性を抽出しておくと多様な現象の分析に応用できるからである。あまり理解が得られなくても書いておけば誰かの参考になるかもしれないという思い。

〇先人達は現象(事=こと)と法則(理=ことわり)の両面から物事を探求した。江戸時代の儒者などは「気」と「理」で世界を解釈した。それ以前の仏者は「事」と「理」というカテゴリを用いた。これらの思考方法は現代でも活用できるものである。個別の現象とそこに通底する法則性の両面から探求すべき。

〇日本の伝統的な知の方法を用いているつもりである。TPPなどの個別の現象の探求は「事」に関わり、「両建の破り方」などは「理」に関わる。個別の「事」を離れた「理」は空虚であり「理」を無視した「事」の探求では物事の本質を見抜けない恐れ。「両建」を知るだけであらゆる政治的現象を分析できる。

〇現象=事=コト。法則=理=コトワリ。「理」を「コトワリ」と言う。事=コトを割る=コトワリ。「割る」とは言葉によって物事を分節化して分別・判断する事。謂わば言語機能による識別である。つまり「理」とは現象を言葉で分節(=割る)して抽出された現象に表れている法則性や性質の事であろう。

〇「事を割って」即ち「現象を言語で分節して」認識された現象の法則性を理(コトワリ)と申す。だが、現実に知覚経験できるのは事(コト)のみ。事のあり方・筋道が理。この理を事から引き離して自存視・実体視するところから様々な形而上学が生じる。理は事に即して理解しないと形而上学化する恐れ。

〇倶舎論は「分別」を3つに分けているそうである。① 自性分別。知覚などの直観的作用。② 計度分別。言語を用いた推理・判断作用。③随念分別。過去の経験を記憶として想起する表象作用。この分類で言うと、事は①で、理は②で認識される。だが、知覚などにも②が同時に働いている場合が殆どである。

〇日本の知の伝統、古い学問という事で倶舎論を取り上げたが「自性分別・計度分別・随念分別」という認識作用の分類は現代から見ても中々理に適った分類だと思う。廣松哲学の関係論的認識論(四肢的構造連関)だと①と②は二元的に分けられず同時に機能すると見るだろう。認識対象の二肢的二重性である。

〇目の前にコップがあるとして、それは単なる円筒形の視覚像だけではなく「コップ」として認識されているはずである。これが対象の二肢的二重性である。人間の認識は常に「知覚等の所与+概念(言葉)」が機能しているという見方である。倶舎論で言うと自性分別と計度分別が同時に機能している訳である。

〇随念分別、即ち過去を思い出すなどの表象作用も同様に計度分別と同時に働く二肢的二重性がある。例えばAさんという人物を思い出す場合、Aさんの顔や姿・形などをイメージするだけでなく、「Aさん」という言葉も同時に機能している。知覚像のみならず、心の中で思い浮かべる表象にも言葉が同時に働く。

〇「事」は認識論的に言うと「人間の認識可能領域」である。「理を事に即して理解する」とは「認識可能領域で理解する」の云いである。認識可能領域外に想定される「理」は形而上学的概念である。こうなると客観的に認識・検証できる現象の法則性ではない。認識可能領域外は無記=判断停止が合理的態度。

〇自分の顔を自分で直接見る事は出来ないが、別に実体ではない。顔は年齢で変化するし、傷を負う事もある。実体は変化しないのでそういう事はない。認識主体・主観もそういうものかもしれない訳である。認識対象・客観がある以上、認識主体・主観もあるが、それを「実体」と断定する事は誰にもできない。

〇唯識だと主観を見分、客観を相分と言う。心を主観と客観が相互依存的に相依って成り立っていると見るので、心を「依他起」と呼ぶ。依他起=縁起=無実体=空だとする。これを「円成実性」と呼ぶ。廣松渉の四肢的構造連関はこれを精緻化した趣である。主観・客観を実体視しない認識論はこのようなもの。

〇「顔は年齢で変化するし、傷を負う事もある。実体は変化しないのでそういう事はない。認識主体・主観もそういうものかもしれない」と書いたが、実際に主観は変化する。時間が経ち経験を積む事で思考は変わる。住んでいる国や地域の言語・文化の影響でものの考え方が違ってくる。後者は共同主観と言う。

〇アーガマ経典の中でサーリプッタは「識」(主観・認識主体)と「名色」(客観・認識対象)は藁の束のように相互依存関係にあると言っている。唯識の見分と相分の相互依存関係(依他起性)と同じと見てよいであろう。認識対象がある時には認識主体があるし、逆もまたしかりである。実体は得られない。

〇仏教の哲学では「名色(名称と形態)」は普通は「心と身体」と解釈するようだが、認識論的観点からすると文字通り「名称と形態」と解釈する方が優れた見方だと思う。何故なら人間の認識対象は全て名称と形態又はそのどちらかを必ず持っているからである。後者の解釈だと名色は「認識対象一般」となる。

〇「名色」を「認識対象一般」と解釈すると「識と名色は藁の束のように相互に依存し合う」としたサーリプッタの見解は大変優れた認識論的見解だと言える。まさに関係論的認識論である。廣松渉の事的世界観・四肢的構造連関は謂わばサーリプッタの藁の束の認識論を精緻化したものである。発想が通底する。

〇藁と藁が依存しあって「藁束」になるように主観(識)と客観(名色)が依存し合って認識が成立するというのがサーリプッタの見解である(実際にサーリプッタが言った事でなくても、これを書いた人物の見識が優れているのは確かである)。唯識の見分・相分・依他起性等はこの発想を継いだものであろう。

〇サーリプッタの藁束認識論は主観と客観が藁のように相互に依存し合うとするが、四肢的構造連関もこれと発想を同じくする。だが、後者では主観を能知と能識、客観を所与と所識に分けて、合計で四つの項が関係し合って認識を構成すると考える。それぞれの項は関係の項としてのみ存在し自存しないとする。

〇前述の「能知」「能識」「所与」「所識」を説明する。能知は私やあなた、Aさん、Bさんなど個別具体的な認識主体の事。能識は特個的認識主体が自己形成を遂げた「日本語話者」等の一般的抽象的な認識主体である。所与とは知覚像等の現に認識される対象。所識は所与を「〇〇として」理解する概念である。

〇「能知」「能識」「所与」「所識」が関係の項として依存し合いながら認識を構成すると考えるのが四肢的構造連関である。それぞれの項は実体ではなく、全体の関係の項としてのみ存在する。謂わば縁起・無自性・空である。四肢的構造連関はサーリプッタの藁束認識論や唯識の認識論の精緻化と解釈できる。

〇ちなみにサーリプッタとはモッガラーナ(目連)と並ぶ仏陀の高弟である舎利弗の事である。「智慧第一」と称される。南方の上座部仏教の諸国で非常に尊敬されている由。「藁束」の巧みな例えで関係主義的(縁起論的)な認識論を語ったとするならば、まことに「智慧第一」の名は伊達ではないと思わせる。


〇西洋近代哲学の認識論は実体としての主観と客観を立てる主客二元論が基本なので「それ自体で独存する実体としての主観が同じく実体としての客観を如何に認識するのか」という難問に陥った。それを超克する答えの一つが四肢的構造連関である。サーリプッタの藁束認識論は端から軽々と超えていたと思う。

〇初期仏教で十二支縁起(無明→行→識→名色→六処→触→受→愛→取→有→生→老死)という縁起論があるが、十二支縁起の各項同士は基本的に「これあればかれあり」という不可逆の継時的因果関係になっているが、「識」と「名色」は相互依存関係で説かれる場合がある。これが先述の藁束認識論である。

〇この「識」と「名色」が丁度、主観と客観に相当する。サーリプッタは「二つの藁束は相依って立つであろう」「名色によって識があるのであり、識によって名色があるのである」と言っている。藁束の喩えでもって主観と客観の相互依存性を述べている。主客の相互連関を説く四肢的構造連関とほぼ同趣旨。

〇「「事を割って」即ち「現象を言語で分節して」認識された現象の法則性を理(コトワリ)と申す」と書いたが、この仕組みは法則性の認識だけではなく、「このコップ」「あの車」など現象的な個物の識別でも同じである。モノに対する執着は対象を概念的に識別する事が前提。理に対しても同じ事が言える。

〇つまり何が言いたいかというと、モノに対する執着と同様に物事の法則性や原理即ち「理」も執着の対象になるという事である。理が現象=事に即して捉えられているならよいが、現象から遊離して形而上学的な原理を設定すると経験的に検証できないだけに執着が余計に増幅しやすい。そして争いが起きる。

〇鈴木正三がキリシタン批判書「破吉利支丹」の中で述べた「実有の見を専らとして、念慮識情を増長し」とは形而上学的な実体を設定して、それに執着するので妄想的思考や執着心が増長するという認識論的な分析である。龍樹は煩悩の原因を人間の言語機能や概念的思考と見ているが、それと同じ分析である。

〇世の中の思想的な争いは実体を設定する思考が原因との分析は妥当と考える。現象に実体を設定する場合はまだよい。現象は認識可能で検証できるからである。学問的な論争などはこれ。一方、認識可能領域外に実体を設定する論は検証不能なので収拾がつかなくなる。これで歴史上無数に殺戮が繰り返された。

〇①実体を設定する→②想定された実体に対する執着心が増大する→③その裏返しとしてその実体(「デウス」など)を否定する者への憎悪も増大する→④争いが起る。という順序である。歴史上の具体例を挙げると、江戸初期に長崎のキリシタンが論争を挑んできた道智という僧の寺に報復として放火を行った。

〇論争で負けた仕返しに放火するなど最低の行いである。歴史的に見て、実体観に執着する者は往々にして論争から暴力に走る傾向がある。キリシタンは「絶対の自存体・生みも生まれもせず、万物を創り、主宰するデウス」なる実体観を持っていた。執着する信者が論争の仕返しに寺に放火するという挙に出た。

〇伴天連追放令から20年近く経っても長崎はキリシタン全盛で論争を挑む者に対しては暴力で報復するという状態であった。道智の寺は長崎で二番目に古い寺だそうである。それ以前の寺は悉く破却されていた。思想戦で破っても暴力で報復してくるので、幕府が力で抑えるしかなかったのも無理はない面がある。

〇論争・議論は万人が納得できる客観的な証拠・根拠を挙げて論じなければならない。検証し得ない形而上学的な実体に執着すると暴力的な争いが起きる場合が多い。いくら論理的に「破キリシタン」しても暴力で報復してくるようなキリシタン勢力に対しては力で対応するしかなかったという悲しい歴史である。

〇「実体はある」と断定するのも独断であるが、論証抜きに「何が何でも実体はない」とする独断もまた前者と同じく形而上学的な態度である。釈迦が「色は無我である。受は無我である..」としたように、認識可能領域の現象を着実に検証する事によって「これは実体ではない」と確認していく姿勢が望ましい。

〇何故これほど実体観の分析に拘るかと言うと裏権力の思想は一神教でも神秘主義でも理性主義でも全て実体観に基づいているからである。だから実体観を分析すると彼らの思想の構造が全て明らかになると考えているのである。かといって実体観に非実体観を対置させて同じ土俵に立とうとしているのではない。

〇古代印度や古代ギリシャが生み出した実体観に基づく思想哲学も人類の貴重な文化遺産だと思う。それらを破壊すべきと言っているのではない。だが、対日思想侵略に於いては伝統思想に西洋の実体観を混入するという手法が中心なので、思想工作を防止する為には実体観の批判がどうしても不可欠なのである。

〇裏権力の手先として意図してやったのかは知らないが、平田篤胤がキリシタンの「デウス」観念を神道に持ち込んで、「天御中主神」を「天地の創造主」に妄構したのが最初の実例だと言える。明治以後には神智学に影響を受けた仏教関係者が多かった。神智学は実体観の一つである西洋神秘主義の流れである。


https://twitter.com/kikuchi_8/status/1034474684216004609


(了)

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# by kokusai_seikei | 2018-09-02 13:02 | ツイートまとめ | Trackback | Comments(0)