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ツイートまとめ テーマ:国家の中枢に巣食い内鍵を開け続ける国賊一味の正体を暴き、ロスチャイルド利権に奉仕する究極の売国政策「水道民営化」に断固反対する。

〇水道事業に関しては「民営化」ではなく「再・公営化」が「世界の流れ」。「水道民営化は世界の流れ」とか言う嘘つきメディアに注意。小泉の郵政民営化の時も「郵政民営化は世界の流れ」みたいに喧伝していたが、実際には郵便事業の民営化は世界中で失敗し再公営化の流れにあった。嘘つき売国奴だらけ。

〇国民のライフラインである水道事業は営利目的の私企業にはなじまない。中でも安全管理は運営の中核部分である。海外の事例では例えば米国アトランタ市では「配水管損傷で水が出ない」「泥水が地上に噴出」等のトラブルが続出した。「民営化=正義」「民営化=効率化」はネオリベが刷込んできたドグマ。

〇アトランタ市は水道事業を民営化したものの「配水管損傷で水が出ない」「泥水が地上に噴出」等のトラブルが続出したために再公営化した。水道事業の株式を買い戻す為に巨額の費用がかかった。勿論市民が払った税金だろう。「民営化=効率化」どころか大損だった訳である。水道民営化はろくな事が無い。

〇アメリカ・アトランタ市の事例を見ても分かるように私企業には公益性の高い水道事業の運営は困難である。水が無ければ人間は生きていけない。水道事業は「採算が取れなければ撤退すればいい」という事業ではない。恒常的・安定的に安全な水を供給し続ける必要がある。極めて公益性の高い事業である。

〇コンセッション方式=施設は公が保有し、運営は民間が担う事。引用:日本では、「水道事業は公から民の流れにある」という考え方が一般的だが、1990年代、2000年代を通じてコンセッションが成功した例はない。【必ずや失敗する「水道民営化」100兆円の水ビジネス参入】https://smart-flash.jp/sociopolitics/17619

〇極悪売国一味が水道民営化を推進する為の支援法案の提出を決めたらしい。世界ではコンセッション方式で水道民営化が成功した事例はないとの事である。「世界の流れ」が大好きな売国一味は売国に関しては「世界の流れ」に逆らう。

〇国民の生存に関わる水道事業は公営で行うべき。公金は外国にばら撒くのではなく水道の老朽化の整備等に使うべきだ。事は国民の生命に直結する事柄である。政治家は本来国民の生命財産を守るのが使命。水道という不可欠のライフラインについてコストカットばかりが優先して語られる事に違和感を覚える。

〇売国一味は「国民を守り抜く」と言いながら国民が頼んでもいない水道民営化を推進して国民の命を危険にさらしている。水道民営化は世界中で失敗している。大手マスコミはろくに報道もしないのでほとんどの国民が与り知らない内に実行しようとしている。マスコミも売国のグルである。極めて悪質である。

〇保守言論人は消費増税に反対したり、デフレの克服を主張したり、TPPに反対した(ふ)り、財務省の緊縮財政を批判したり、時には猶太の事まで指摘するが、結論は「安倍さんを支持しよう」となる。各論ではなく結論に真の意図があると考えるべき。これで大概の保守層は安倍支持に誘導される。実に巧妙。

〇民間企業の効率性は「採算が取れなければ撤退する」事も含んでいる。しかし住民の生命に直結する水道事業は採算が取れないからと言って撤退する事はできない。必ず誰かがやらなければならない公益性の高い事業である。元から民営には向かない。公営で行うべきである。効率化も公営の枠組みで図るべき。

〇水道事業は「水」という生命の維持に欠かせない資源に関わるという事を前提に考えるべき。水道事業についても経済的合理性を第一とする新自由主義的な発想で論じられる事が多くて違和感を覚える。効率性は重要でないという事ではない。「国民の命を守る」という原点に基づいて論じられるべきという事。

〇「命を守る」という事を根底に据えた上で「効率性」についても考えるべきだと思う。物事には順序や優先順位があり。ここが狂うとおかしな事になる。「効率性の為には人間を大量虐殺してもよい」という「人口削減計画」のような優生学的発想は「効率性」優先の発想の極端な形である。人の道理>効率性。

〇江戸時代の学問は人間のあり方、道理や道義を学ぶ事が中心に据えられていた。かかる原理原則があるから本末転倒することなく効率性や合理性を重んじる実学なども吸収する事ができた。ところが明治以後は功利主義的な風潮が一般的となり、特に知識人にその傾向が強い。昨今のネオリベ蔓延の土壌だろう。

〇「哲学などどうでもいい」の反対が江戸時代の学問のあり方だった。哲学を「世界をどう解釈するか」「人間どう生きるべきか」「道理とは何か」を学ぶ事だとするなら江戸時代の学問はまさに哲学が中心だったと言えよう。例えば儒学は仁義を修める学問。道理を基礎に据えた上で実学や情勢論が学ばれた。

〇江戸時代の学問は「道」(原理原則)を探求する事即ち「哲学」(西洋哲学とは異なる)が中心であった。だが、明治以後は伝統的な哲学が学問の中心命題ではなくなった結果、表では欲望を煽る功利主義思想が蔓延し裏では精神の空洞を埋めようとカルトや各種思想ツール(オカルト等)に走る者が増大した。

〇明治のエリートは西洋の模倣を優先し「哲学(伝統的な学問)などどうでもいい」と考えた。その結果知識層から精神的「軸」が失われた。軸が失われた結果、社会進化論の如き功利主義的思想が蔓延し、一方では西洋伝来のキリスト教や社会主義等の各種イデオロギー、伝統思想を改竄したカルトが蔓延った。

〇明治以後は一見伝統的に見える思想でも西洋的に改竄されている場合が多い。神道も仏教もキリスト教や神智学と付会して改釈する者が多かったり(神道では折口信夫、仏教では鈴木大拙等)、伝統思想に立脚しているように見える思想家でも何らかの新興宗教(大本教が筆頭)の背景を持っている場合が多い。

〇明治時代は社会進化論が流行したが、今だと新自由主義(ネオリベ)である。各種カルトや思想ツールが蔓延っている状況も同じである。これは明治以後に伝統的学問を軽視し軸が失われた必然的結果だと思う。道理を軽視するから功利主義が蔓延し、伝統的学問を知らないから伝統偽装を見破る事もできない。

〇伝統的学問という「軸」が失われた結果は「功利主義の蔓延による道理と道義の失墜」と「精神の空洞化によるカルトや思想ツールの蔓延」である。これらは表裏一体。前者を受け入れるか、後者に走るか。両者が結びついている場合も多い(朝鮮カルトとネオリベ勢力は一体)。大本系ネオリベ批判者は後者。

〇伝統的学問はドグマではなくあくまで「学問」である。江戸時代には多様な学派が存在し相互の自由な討論も活発であった。「信じるか、信じないか」で最初から結論が決まっていて非常に不寛容な空気のある今の思想界との大きな違いである。これは思想界がカルトに支配されている事が関係していると思う。

〇プロの陰謀追及者や表面的には「伝統」を標榜する「保守」言論人の中で新興宗教と接点のない者を探すのは困難である。これは戦前も同じである。それ程明治以後の思想界はカルト(裏権力の走狗)の強力な影響下に置かれていると言える。江戸期の学者・思想家のように独立独歩の個である事が必要である。

〇新興宗教の影響から無縁でいられるプロの言論人は殆どいないと見ている。プロの言説は意見毎に部分的に参考にするだけでよい。全面的に信用すると誘導される可能性が高い。例えば保守言論人はどんなに反ネオリベ的な事を言っても、猶太批判すらしながらも最終的には「安倍さんを支持しよう」となる。

〇菅官房長官が産経新聞主催のシンポジウムに出席し水道民営化について「安倍内閣の考え方」を話した由。同シンポジウムには竹中平蔵も出席したようだ。ネオリベ勢力がいよいよ水道民営化に本格的に動き出したようだ。水と食料は安全保障の基本。言うまでも無く安倍一味の「日本を守り抜く」は大嘘だ。

〇水道事業は国民の生命に直結する公益性の高い事業なので「いかに安全な水を安く安定的に供給するか」を第一に考えるべきである。その上でコストや効率性を考えるというのがあるべき順序である。「国民を守り抜く」と言うなら当然の事である。水道は冷血冷酷なネオリベに最も触らせてはいけない分野だ。

〇種子法廃止と水道民営化。国民の生存に不可欠な二大要素「水」と「食料」の両方を危険にさらしている安倍一味は究極の売国奴一味。こんな連中を「愛国保守」扱いしている者は本当にどうかしている。在野のサヨクだけを叩いて溜飲を下げている間に国が内側から解体される。真のスパイは権力中枢にいる。

〇尾崎秀実の如く真のスパイは権力の中枢にいる。戦前に共産党が壊滅状態にあった時、偽装転向者は政府中枢に潜り込んでいた。国の内鍵を開け続けている安倍一味は近衛政権の昭和研究会にも匹敵する対日工作者集団であるとしか思えない。でなければ日本国民の命綱である水と食料を危険にさらす訳がない。

〇在野にも反日集団がいるが、本当に国を解体する事が出来る位置にいる反日集団は権力の中枢にいる。TPPや日欧EPAでISD条項導入を強行しようとし、種子法を廃止して食料安全保障を脅かし、目下水道民営化を推進しようとしている者達こそそれである。国家の中枢に潜り込んでいる反日集団を摘発すべきだ。

〇反日右翼は在野の反日勢力(反日左翼)を叩く事で「愛国者」と思わせて国家中枢から日本解体を策す戦術を取っている。安倍応援団の言論人もそういう線の論調を張っている。これで大抵の「保守層」が騙される。本当に日本を守り抜く為にはかかる巧妙なる術策を見破る必要がある。左右両建を見抜くべき。

〇昔コミンテルン、今CSIS。共通点は背後にロックフェラーがいる(いた)事。今も昔も対日工作の背後に国際金融資本の影あり。ソ連・コミンテルンと日米のキリスト教人脈の寄り合い所帯だったのがIPR(太平洋問題調査会)である。尾崎秀実もIPRの会合に出席していた。IPRはRIIA・CFRの太平洋支部である。

〇反日右翼が批判者に「左翼」のレッテルを貼りつつ無国境化や国家解体を推進するやり方は陸軍統制派や革新官僚らが支配する政府が共産党など在野の共産主義者を弾圧しつつもソ連の五か年計画を模倣して統制経済と計画経済を推進していた事に似ている。共産主義者を叩きつつ実はソ連の影響を受けていた。

〇反日右翼は反日左翼を売国奴として叩きつつも自らも国家を内側から解体しようとしている。反日左翼は総じて在野の勢力なので「外から」解体しようとしているのに対し、反日右翼は政府の中枢を占拠して国家の「内から」解体しようとしている訳である。役人の人事権を握っているので官僚も逆らえない。

〇「コミンテルン黒幕説」を唱える論者は「戦前の日本政府はソ連の影響を受けた共産主義者によって牛耳られていた」と言うが、その筆頭である革新官僚の岸信介の系譜を引く安倍晋三を熱烈に支持するという矛盾をさらしている。コミンテルンとCSISの背後者が同じである事を巧みに無視する寸止め論である。

〇かつてのコミンテルンによる日本政府への浸透工作を論じながら、革新官僚・岸信介の系譜を引く安倍一味を支持する矛盾。岸信介のソ連模倣の統制経済推進の如く政府は「Society 5.0」などと称し中国のデジタル・レーニン主義を模倣して日本を中国のような「ビッグデータ独裁」の国にしようとしている。

〇Society 5.0と類似の計画として独逸のインダストリー4.0や米国のインダストリアルインターネットというのがあるようだが、後2者は生産性の向上に特化した計画だが、Society 5.0は社会そのものを変えてしまう事を目的とする点が根本的に違う。中国にはインターネット+という計画がある。これに近い。

〇独逸のインダストリー4.0や米国のインダストリアルインターネットが生産性の向上を目的としているのに対して日本政府のSociety 5.0は社会の在り方そのものを変えてしまう事を目的としている。超監視社会「ビッグデータ独裁」を急速に発展させてきた中国のデジタル・レーニン主義に近い方向性である。

〇岸信介は若い頃に北一輝の日本改造法案を読み、その国家社会主義思想に共感したと言われるが、革新官僚としてソ連の五か年計画を模倣した統制経済・計画経済を強力に推進した。孫の安倍は中国のビッグデータを利用した社会変革→統制策に類似したSociety 5.0を推進している。やっぱりよく似ている。

〇政府と産業界が一体となって社会構造を変えてしまおうとするのは極めて社会主義的な発想と言えるだろう。新自由主義と社会主義は両建。以前書いたが、新自由主義政策によって少数の多国籍企業に生産手段が集中化する集産主義化は社会主義一歩手前の段階である。ネオリベと社会主義は実は近いのである。

〇Society 5.0はかつてのソ連の五か年計画にも類似する社会主義的な発想である。もっと言えばイルミナティ的である。歴史に由来する社会の伝来の慣習や秩序、自生的な発展を待つのではなく、設計図を描いて急速に国家社会を建設せんとする発想はイルミナティ的な理性主義の発想である。NWO計画そのもの。

〇新自由主義と集産主義体制の関係についての考察は以下のブログ記事にまとめました。【ツイートまとめ テーマ:新自由主義の帰結は巨大私企業群による集産主義体制である】
http://kokuhiken.exblog.jp/27768045/

〇安倍一味を支持する一般保守層の心理を分析するに以下のようなものだと思われる。「安倍さんがサヨクから攻撃されているのは安倍さんが愛国者だからだ。保守言論人の先生方の言説やネットで真実に目覚めた我々が愛国宰相である安倍さんを守らないといけない。安倍さんを攻撃するサヨクを叩き潰そう!」

〇しかし左翼メディアの「安倍批判」はわざと急所を外している。彼らはISD条項や種子法廃止、水道民営化等の肝心要の売国政策を批判する事は無い。ひたすら「モリカケ」等に集中して安倍の売国政策を側面擁護しているのである。「サヨクから安倍さんを守れ!」は八百長試合で一喜一憂しているに等しい。

〇サヨクは安倍の味方である。急所を外した「安倍批判」を繰り広げる事で争点を逸らし安倍一味の売国政策を援護しているのである。そんな事にも気づかずに毎度の左右両建抗争に乗せられて「安倍さんをサヨクから守ろう!」と興奮しきりなのは実に馬鹿々々しい事である。この構図にそろそろ気付くべきだ。

〇的確な情勢認識が伴わない愛国心は逆に壊国に利用される恐れがある。「愛国心」のエネルギーを浪費している自称愛国者がとても多い。プロ言論人やカルト工作員のような確信犯は別として「愛国者」を自認する一般人があらぬ方向に誘導されているとしたら実に歯がゆい事である。
「適切な情勢認識を欠いた「愛国心」は誤った方向に誘導される。誘導された愛国心は裏権力の道具。「愛国心」が国を破壊する場合もある。安倍支持の自称愛国者はその「愛国心」で持って種子法廃止、水道民営化、移民政策、TPP、RCEP、日欧EPA、FTAAPなど数々の壊国政策に加担する結果に。」https://twitter.com/kikuchi_8/status/923592655715500032

〇「『安倍さんをサヨクから守れ!』とばかりにピントも急所も外した『安倍批判』を繰り広げて争点を逸らしまくっている、本当は安倍の味方のサヨクを叩いて溜飲を下げているだけ」というのが大抵の一般保守層の姿ではないだろうか。「愛国心」を浪費しているだけの残念至極で無残な有様と言えるだろう。

〇「真実」はネットにそのまま転がっている訳ではないし、プロの言論人の「先生方」には大抵紐がついている。ネットや言論人の言説を参考にしても結局自分で考えて咀嚼しないと「真実」は見つからない。そしてその「真実」が正しい保証もない。だから常に自己懐疑心を持って考え続ける事が重要だと思う。

〇ヴェオリアはロスチャイルド系の多国籍企業と言われているが、水道料金の徴収業務を各自治体から請け負うようになっている。ロスチャイルドも含む宮廷猶太人は西欧の王侯貴族から徴税権を獲得する事から台頭していった。料金徴収から徐々に食い込んでいくやり方はそれを彷彿とさせる。要注意である。

〇「下請け業務くらい外資に任せても問題ない」というのは甘いと思う。そこから外資が徐々に我が国の公益事業に食い込んでくる可能性がある。水と食料は日本国民の生存と独立の為の生命線である。食料自給率をできる限り上げて外国への依存度を減らし水道事業には外資の手を触れさせない事が重要である。

〇売国勢力は水道民営化を「効率化」という言葉で正当化するが、誰にとっての効率化かが重要である。多国籍企業にとっては掛かるコストに見合うように料金を上げる事が「効率的」で「合理的」な事である。水道運営は独占事業なので住民は値上げされたら払うしかない。住民にとっては非効率そのものだ。

〇水道民営化しても公的独占が私的独占に変わるだけの事なので当然「市場原理」など働かない。つまり「この水道運営会社の料金は高いから他社と契約しよう」とはいかない。一方、生命維持に欠かせない水を握っている私企業は自由に料金を値上げする事ができる。住民にとっては非効率非合理そのものだ。

〇「水道民営化は効率的で合理的だ」は国民の視点ではなく多国籍企業の視点に立った主張である。一端水道事業の運営権を獲得すれば独占事業なので水道料金を高めに設定しても顧客(住民)は逃げないので競争にさらされる事無く儲ける事が可能。確かに多国籍企業にとっては「効率的」な(悪どい)儲け話。

〇水道事業は「住民に恒常的に安定的に安全な質の良い安い水を供給する」という公益性の高い事業なので営利企業には向かない。ネオリベは何でもかんでも市場原理を導入すればいいと思い込んでいるが、市場原理に馴染まない分野もある。そもそも水道事業は民営化しても市場原理が働かない可能性が高い。

〇「市場原理主義」は多国籍企業群が市場をこじ開ける為の方便に過ぎず、彼らが本当に好んでいるのは「競争」ではなく「独占」である。新自由主義の推進で世界中の資産や生産手段が少数の独占企業に集中する(集産主義化)。その独占企業群が「世界政府」を作るとそのまま「世界社会主義体制」になる。

〇「新自由主義がそのまま社会主義に転化する」という逆説である。ロックフェラー1世が「競争は悪だ」と言ったそうだが、国際金融資本家が国際共産主義運動を支援したのは「独占」が目的だと見る。ある国を社会主義化しその地の財産を国有化すると、自動的に政府を裏で支配する金融資本家の所有になる。

〇水道法改正案が再提出される模様である。法案では水道事業者に施設の維持・修繕の実施を例外なく義務付けるとの事である。老朽化が進んでいる以上、維持・修繕には莫大な費用がかかると思われる。営利企業である以上、そのコストは水道料金に転嫁されるのではないか。https://www.decn.co.jp/?p=97018

〇水道法改正案が水道事業者に施設の維持・修繕を「例外なく」義務付ける事の意味。営利事業である以上維持費は水道料金に転嫁される可能性大。施設の維持について「例外なく」義務付けるが「水道料金の設定は自由」という事では。「安く安全な水」を供給しなくてはならない水道事業は公が担うべきだ。

〇維持・修繕を「例外なく」義務付ける、と言ってもそれが実行されるかどうかは別の話である。営利企業である以上義務を履行できない場合もあり得る。現に米国アトランタ市の場合は民間企業に任せた結果「配水管損傷で水が出ない」などのトラブルが続出し結局莫大な公費で運営権を買い戻したそうである。

〇アトランタ市はスエズの子会社UWS社とコンセッション契約を締結したが、トラブル続出で上手くいかなかった。UWS社は「アトランタ市が施設の現状を十分に情報開示しなかったため、想定外の作業負担を強いられた」などと主張したらしい。そして市が運営権を買い戻した。結局公費で決着をつける結果に。

〇全国の水道施設の「老朽化がどの程度進んでおり維持・修繕の費用はどのくらいかかるのか」を正確に把握した上で水道事業者に「施設の維持・修繕を例外なく義務付ける」水道法改正案を作ったとは思えない。「現状を十分に情報開示しなかったため、想定外の作業負担を強いられた」というトラブルは必至。

〇水道施設の老朽化の程度が正確に分からない状態で水道事業の運営権を民間に売却し事業者に「施設の維持・修繕を例外なく義務付ける」とは行政の責任放棄に等しいと言えよう。いくら罰則を設けても義務を履行できなければ同じ事である。国民にとっては「安く安全な水」が供給される事が第一なのである。

〇ヴェオリアと言い、ユナイテッド・ウオーター・サービス(UWS)社と言い、水ビジネスはロスチャイルドの利権だと思われる。ロスチャイルドの傀儡である英国首相ベンジャミン・ディズレーリがスエズ運河会社の株式を買収した。UWSはスエズ運河会社とリヨン水道が合併してできたスエズ社の子会社である。

〇歴史的経緯から見てもスエズ社はロスチャイルド系である。その子会社がアトランタ市で水道運営を行なったUWS社。水利権はロスチャイルドが押さえている。引用:イギリスのディズレーリ首相は、急きょロスチャイルド家から融資を受けてスエズ運河会社株の買収に踏み切った http://www.y-history.net/appendix/wh1202-068.html


https://twitter.com/kikuchi_8/status/950036061660463104


(了)

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by kokusai_seikei | 2018-01-21 07:55 | ツイートまとめ | Trackback | Comments(0)

ツイートまとめ テーマ:西洋神秘主義者(神智学徒等)の伝統思想への憑依型戦術を破る。及び洗脳に対する心理防御法について。

〇「般若」と「グノーシス」が同じく「認識」を意味するから「同じ」だというのは神道の「神」とキリスト教の「ゴッド」を同じだとするくらい粗雑な議論である。問題は「認識」の中身である。般若の認識内容な「空=実体の否定」である。グノーシスの場合は実体論が前提の霊肉二元論である。相容れない。

〇「空の認識」とは実践的に言うと「無執着」と同義である。仏教は「心から渇愛を除き苦を滅する」という事に尽きる。どこまでも現実の心のあり方がテーマである。一方のグノーシスはどこまでも形而上学である。霊肉二元論を前提に物質という「牢獄」から霊魂を解放させるという形而上学がテーマである。

〇ブッダが答えなかった形而上学的命題を「十難無記」などというが、その中に「霊魂と肉体は同じであるか。別であるか」という命題がある。グノーシス思想は明確に「霊魂と肉体は別である」という立場に立っている。これはれっきとした一つの形而上学的立場だ。仏教の無記とは相容れない事が明白である。

〇「毒矢の喩え」にあるように、仏教は「精神と肉体が同じか。別か」など形而上学的命題を考える事よりも、現実の心をどう修練して苦を滅するかという実践を重視する。ブッダは形而上学的命題には断定を下さず。「苦・苦の原因・苦の滅・苦の滅に至る道」を断定した。四諦である。全て心の問題である。

〇グノーシスは霊肉二元論という形而上学的前提に立った上で「邪悪な物質世界からの霊魂の解放」という形而上学的目標を目指すのに対し、仏教は終始現実の執著にまみれて苦しんでいる「心」を問題としており、「霊魂と物質」が云々等の形而上学的思索は思考経済の観点から深入りを避けていると思われる。

〇物質観も仏教とグノーシスでは異なる。仏教の物質観では物質は善でも悪でもなく無記(価値中立)である。善悪はあくまで心(識。厳密には識に伴う思の心所=意志による。つまり意志の善悪であり心の問題)にしか言われない。グノーシスでは物質は悪とする。だから物質から善なる霊魂を解放せんとする。

〇憑依型戦術は基本的に「嘘も百回言えば」方式で繰り返し刷込む手口である。よって憑依型戦術を破るコツは「具体的な中身や内容を検討する事」。これに尽きる。憑依型戦術では名称など表面的な類似をあげつらって同一視するやり方をする。これは少し詳しく検討すれば到底維持できる類のものではない。

〇スピリチュアル系の方から「般若とグノーシスは同じ『認識』を意味するのにスルーする」みたいなエアリプライを頂いていたようなので、その事について応答する意味を込めて、仏教とグノーシスの基本的違いについて書かせて頂いた次第である。TPPなど喫緊の問題が山積なので後回しになってしまった。

〇神智学なども到底相容れないものを混合している。ブラバッキーなどはチベットを神秘化し、そこに「グル」が存在するという設定にしていたようだが、チベットの中観哲学と神智学のベースである新プラトン主義は到底相容れないものである。「具体的な中身を検討する」。これが憑依型戦術を破る鍵である。

〇西洋人の発想の基本はキリスト教である。キリスト教を肯定するにしろ否定するにしろ彼らの判断基準はあくまでキリスト教である。従ってキリスト教を否定する立場にしろ、キリスト教以外の思想は全部同じだと見てしまう傾向がある。しかも否定しながら発想の根にキリスト教を引きずっている場合が多い。

〇グノーシス主義者が「物質は悪」とするのは、「物質」という対象への執著が生み出す「物質欲」そこから生まれる不都合=悪を己の心の外部に投影した結果であろうと思う。唯識的に言うと遍計所執性、廣松渉風に言うと「物象化的錯視」である。己の心の悪を「悪魔」として外部化するのと同じ機制である。

〇「鬼」と「悪魔」の違い。「鬼」は具体的な心や行動のあり方による。憎悪や怨念に囚われて悪行為をなすようになった者が「鬼」となったという日本の昔話は多い。逆に言えば改心すれば鬼は鬼でなくなる。一方、「悪魔」は常住不変の本体を持つ「悪」そのものとされ、改心して善になる事はないとされる。

〇原始仏典に「行為によってバラモンなのである。行為によってバラモンならざる者なのである。」(「バラモン」はここでは立派な人の意味)とある。「鬼」もこれと同じである。行為によって鬼となり、行為によって鬼ならざる者となる。「悪魔」は具体的な行為に関わらず本性として実体として悪とされる。

〇鬼と悪魔の違いは日本と西洋の悪への対処の仕方にも現れてくる。「鬼退治」は「懲らしめ」で終わる事も多いが、「悪魔退治」は「絶滅戦」「やるかやられるか」になる。「鬼」かどうかは結局「行為」によるので悪行為を止めれば退治する理由は無い。「悪魔」は絶対悪なので「絶滅するしかない」となる。

〇原始仏教の要点。①何かを認識する。②認識した対象に対して好き・嫌いの感情が生じる。③好き・嫌いが増長すると貪り・憎しみ等の執着が生じる。④貪り・憎しみ等の執着が苦を生じる。➄苦の原因である執着を制すれば苦が消える。〇どこにも神秘な所は無い。梵我一如を説くバラモン教とは全く異なる。

〇鴨長明の方丈記にある「事にふれて執心なかれとなり」はまさに「認識した対象に執着するな」という原始仏教のエッセンスの簡潔な表現。LSDの如き薬物で再現できる神秘体験などより物事に執着しない・貪らない・憎まない・動じない・冷静に対処できる・慈しみを持つ事などの方が値打ちありとする考え。

〇神智学からバラモン教など神秘思想と原始仏教の違いなどが話題になったので若干考察してみた次第である。神秘体験をしたからと言ってそれで人間的に立派になる訳ではない。ティモシー・リアリーらサイケデリックの連中が立派か。神秘体験より例えば毀誉褒貶に動じない心などの方が値打ちがあると思う。

〇特別な教義を極めたり特殊な体験をすると「自分は特別だ」という「傲り」が生じがちである。仏陀が特殊な苦行を否定した趣旨も苦行を経る事で心に傲りを生じる場合があるからだと思われる。特殊な形而上学や神秘体験、苦行等に執着すると傲りが生じる。傲りはその人を損なう。今も昔も変わらない事実。

〇原始仏教の目的は「貪欲」「憎悪」「傲慢」「嫉妬」「迷妄」等の心の働きを妨げる諸々の「煩悩」「執着」「渇愛(tanha)」を取り除く事で「苦」を滅する事である。どんなに形而上学を極めても、神秘体験や苦行を経験しても、それらに執着して煩悩が心から除去されていなければ何の意味も無いとする。

〇各種形而上学に囚われて他者と争いを起こす人は今も昔もたくさんいる。
スッタニパータ847に「想いと偏見とに固執した人々は、互いに衝突しながら、世の中をうろつく。」とあり。「想い」とは形而上学を形作る表象作用であり、「偏見」とは形而上学的断定に基づく特殊な見解を指していると思われる。

〇論争は避けられないがせめて慢心を生じないようにしたい。スッタニパータ830 心の高ぶりというものは、かれの害われる場所である。しかるにかれは慢心・増上慢心の言をなす。このことわりを見て、論争してはならない。諸々の熟達せる人々は、「それによって清浄が達成される」とは説かないからである。

〇要は「神秘体験」でも苦行でも論争でもその他諸々何かをやる事で「心の高ぶり=傲慢・高慢」が生じるなら何の意味も無い、有害だという趣旨だと思われる。特殊な形而上学やら神秘体験やらを引っ提げて好んで他者に争いを仕掛けるような行為はその人自身を害っている訳である。各種盲信者は猛省を要す。

〇印度の所謂不可触民の指導者で仏教に改宗したアンベードカルの本に「欲望を制した者が阿羅漢だ」という趣旨の定義が書いてあったと記憶する。「梵我一如は梵の存在が証明できないので無意味」とも。感情や欲望を統御し物事に動じない人間になるという趣旨だろう。武士の心にも通じる。神秘主義に非ず。

〇神秘体験などに固執する者は昔からいた事が分かる。スッタニパータ876「この世において或る賢者たちは、『霊の最上の清浄の境地はこれだけのものである』と語る。さらにかれらのうちの或る人々は断滅を説き、(精神も肉体も)残りなく消滅することのうち(最上の清浄の境地がある)と、巧みに語っている。

〇「空」の概念は基本的に主語ではなく述語である。「〇〇は空」という風に何らかの事物(主語)に関しての述定。その「何らかの事物」は「認識され(確認され)た現象」である。ここで認識論的観点が出て唯識に繋がる。唯識では空は「円成実性」と言う。大森荘蔵や廣松渉の認識論は唯識に通じると思う。

〇物凄いスピードで次々に生起する感情や雑念・妄想にその都度気づいておく事は有効な心理防御術だと思う。例えば何かを認識し「怒り」という感情が生じたら「怒りだ」と気づいている。気づいている間は「怒り」に心が占領されない。洗脳も結局は何かを認識し感情が生起する認識論的な構造は同じである。

〇「何かを認識させ影響を与える」が洗脳の基本構造である。各種思想工作、映画や音楽に埋め込まれたシンボル等も全て「五感+思考」で認識し感情を生じ深層心理に影響が刷り込まれる。「①認識→②感情の生起→③影響を残す」という順序。①と②に気づいているだけで影響を大幅に遮断できると考える。

〇プロパガンダは視覚的聴覚的な要素を多用する。ネット上の宣伝戦でも対象を醜く印象操作し見た者の感情を煽る効果が高い画像や動画などの視覚的素材が使われる。プロパガンダを認識した時に「怒り」「嫌悪」等の感情が瞬時に生起する。その瞬間的動きに気づいているだけで影響を大幅に遮断できるはず。

〇原始仏典に「煩悩の流れをせき止めるものは、気をつけることである」「見聞きしたことに汚されない」とある。つまり何かを認識して「貪り」や「怒り」等の感情が生起してもそれに気づいていれば悪影響を遮断できるし、そうやって鍛えた心は何かを認識しても悪影響を受けないという意味だと解釈できる。

〇南方仏教の「ヴィッパサナー」北方仏教の「観」も憑依型戦術の標的。マインドフルネスだ。前者から「煩悩を制する」という倫理性や平静な心境から自ずと生じる独立的思考(智慧)を抜いたもので「ストレスを軽減する事で文句を言わず命令に従うロボット」とする事が狙いの可能性あり。似て非なるもの。

〇「煩悩を制する事」を「智慧」とするのは一見論理的な連関がよく分からないが、「煩悩に惑わされない平静な心境になると自ずと明晰な思考能力が発揮される」という事だと解釈できる。欲をかいたり怒り狂っている者に冷静な独立的思考は期待できない。強い情念は思考を歪める。ごく当然の理路であった。


https://twitter.com/kikuchi_8/status/794215603615604736


(了)

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by kokusai_seikei | 2018-01-21 07:50 | ツイートまとめ | Trackback | Comments(0)

ツイートまとめ テーマ:「ワンワールド」と「和」の根本的な違いについての考察

あけましておめでとうございます。ブログの方も本年もどうぞよろしくお願い致しますm(_ _)m


〇国連総長が「「人権の恐ろしい侵害があり、ナショナリズムと外国人嫌いが勢いを増した」と世界情勢を憂い、「それらを解決する方法は、団結して共に取り組むことだけだ」」の述べた由。ソフトな言い方をしているが、これが「大戦から世界統一へ」という弁証法戦略である。https://www.excite.co.jp/News/world_g/20180101/Tbs_news_121090.html

〇国連総長の「新年の挨拶」が弁証法戦略の論理を示している。国際秘密力にとって「人権の恐ろしい侵害」や「(戦争を含む)ナショナリズムの衝突」という「非常事態」が頻発した方が「団結しよう→世界を一つにしよう」という方向に誘導しやすいのである。だからこそ世界を混乱状態に陥れる工作を行う。

〇「世界統一の前提として世界戦争を引き起こす」とは突飛に思えるが、実は人心誘導のプロセスとして極めて「巧妙」(勿論悪い意味で。極悪非道である。)である。世界が平和であれば誰も「世界統一」など欲しない。しかし、動乱という混沌状態を作りだして「藁にもすがる」思いになると話は別である。

〇アレイスター・クロウリーが世界大戦を「古い時代を破壊する血の洗礼」などと言ったそうだが、世界戦争惹起工作は魔術的なシンボリックな意味もあると思われる。「ISIS(イシス)の子がホルスで、ISの次に新時代を迎える」という陳腐な発想もあり得る。基本的にオカルトと洗脳科学は重なる範疇である。

〇日本的「和」と「ワンワールド」の根本的違い。前者は①互いに異なるという前提(一つにする必要などない)。②互いに凡人であるという謙虚な発想が前提。後者は①「一つにしなくてはならない」という脅迫観念が前提。②自信過剰な「知的エリート」が設計図通りに「世界秩序」を作るという傲慢な発想。

〇人はそれぞれ「こだわり」を持っており、それは環境などの諸事情からくる個性の違いによって異なり一様ではない。国や民族単位でも同じである。互いに「違う」という前提から出発し、自分と相手の事情を道理に基づいて比較考量しながらできるだけ折り合いをつけて調和せんと努力するのが「和」である。

〇一方、特定の「理念」を全人類に押し付けて画一化し全体を一握りの者が「指導」せんとするのが「ワンワールド」である。クーデンホーフ=カレルギーの「精神貴族」という理念に端的に表れている。己を「知的選良」と思い込んでいる傲慢な者達が時に「調和」を掲げつつ目指しているのは「支配」である。

〇石屋はよく「寛容」を掲げるが「寛容」と「ワンワールド」は両立しない。他者に寛容である為には「互いに凡人である」という謙虚さと自己相対化が必要だが、己を「指導者」と思い込んでいる者にはそれができない。また伝統思想を改竄して「万教帰一」を唱える横暴も「違い」が前提の寛容と相容れない。

〇領分を超えた道理に反する不当な干渉を撥ね退ける事も「和」の働きの内である。例えば豊臣秀吉は当初キリシタン宗の信仰も認めていたが、先方が領分を超えて「和」を破壊した。日本の在来の伝統と共存しようとせず神社仏閣の破壊や奴隷貿易などの不当な干渉を行なったキリシタン勢力は打ち払われた。

〇当方の対工作員対処の指針もこれと同じ。こちらから干渉する事は無いが、不当な干渉を受けると断固対処する。基本的には和を重視し「来る者拒まず」で交流させて頂いている。仕掛けられなければ誰とも争うつもりはない。キリシタン勢力は不当な行為をしなければ国防的措置を受ける事はなかったと思う。

〇老子は「戦は哀しむ者が勝つ」つまり戦いは好き好んでではなく嫌々する方が勝つと言った。これは老子が強調する謙譲の徳の一面である。「和」と「攘夷」(と仮称)の関係もこれに似ていると思う。人体は全体として調和していないと成り立たないが、人体そのものの破壊を防止する免疫作用も必要である。


〇海外から来る不当な干渉から「和」を防護する働きは国史上では主に武士が担った。武士の「武」は「矛を止める」と書くとの説は俗説とも言われるが、良い解釈だとは思う。好戦的な者は真の武士に非ず。陰謀追及は武器を用いる戦いそのものを防止する為の闘いである。世界戦争の阻止。戦わない為に闘う。

〇「和」は本来「互いに違う」が出発点であり「互いに凡人」「お互い様」という謙虚さが伴っていないと単なる同調圧力になりかねない面はある。近代以降は特にその傾向が出てきたように思われる。相手の事情を慮るという「忖度」が「権力者に媚びへつらう」という意味に改釈されてきた事も一例である。

〇「和」を単なる同調圧力に堕落させない為の条件は「それぞれが違う」(同じである必要はない)という認識と謙虚さ(謙譲。譲り合いの精神)ではなかろうか。権力者が同調圧力をかける口実としてはならない。むしろ権力者の横暴を規制する道理と捉えるべきである。横暴な輩に断固物申す事も和だと思う。

〇「領分を超えた道理に反する不当な干渉を撥ね退ける事も「和」の働きの内」と書いたが、「領分を超えた道理に反する不当な干渉」は海外からのものだけではなく国内の権力者の横暴なども含む。特に目下我が国を牛耳っているのは「国際勢力の走狗」なのでどちらの要素も含んでいる。撥ね退けるしかない。

〇「互いが凡人」という認識が前提の「和」では「他者を思い通りにしたい」という欲望や執着が幾分かでも制せられている事を意味する。逆に「ワンワールド」は「他者も同じにしたい」「他者を思い通りにしたい」という支配欲に基づいている。自らの過剰な欲望や感情を制するか否かにも大きな違いがある。

〇何故「和」について考察しているかというと、国連事務総長が新年の挨拶で弁証法戦略的にワンワールドに誘導していたので改めて「ワンワールド」思想を相対化する必要を感じたからである。その為には「ワンワールド」とは全く異なる論理を国史の中から自覚的に取り出してみるのも一法だと思うのである。

〇国連総長は「外国人嫌い」が増えたと言っていたが、無国境化や移民政策を推進してきた事が原因である。民族同士が近付き過ぎるとかえって相互の嫌悪感や紛争が増加する事は歴史が教える教訓である。移民政策を推進して民族紛争を引き起こし、それを口実にさらに無国境化を推進するというマッチポンプ。

〇シリアを侵略して大量の難民を発生させ欧州に避難せざるを得ない状況を作った事が欧州に於ける移民嫌悪の原因である。シリア難民も欧州の諸国民も被害者である。諸悪の根源はシリアを侵略したネオコンやシオニストなど欧米・イスラエルの権力集団である。国連もその片割れ。偉そうな事を言う資格無し。

〇ビザンチン帝国では西欧のような猶太人嫌悪が起きなかったらしいのは、最初から異邦人たる猶太人を行政や教育の地位に就けないようにしていたからである。かといって猶太人が不自由をしていた訳ではない。これは今で言うなら外国人参政権を禁止し二重国籍者が枢要な地位に就けないようにする事に相当。

〇「民族同士が近付き過ぎるとかえって相互の嫌悪感や紛争が増加する」と書いたが、これは「外国人を不当に優遇する」「外国人が公権力に関与する」などの無国境化政策を推進する程かえって外国人嫌悪が増すというのが具体例。その土地に住む国民を第一に考えるとかえって排外感情は起きないのである。

〇西欧ではビザンチン帝国と違い猶太人嫌悪が根強かったのは貴族や教会が猶太系金融業者を宮廷猶太人として重用したからである。我が国に於いて明治以来の権力人脈(麻生など)と結びついた朝鮮半島系人脈が要所要所を占めているのと同じである。異邦人が権力を持つから排外感情が強まるという比例関係。

〇国連事務総長が本当に「外国人嫌い」を無くしたいなら無国境化政策を停止する事である。各国の民衆が持つ素朴な祖国愛に配慮し、それぞれの国民の主権を尊重する事。これが「それぞれが違う」という前提に立つ「和」の論理である。「ワンワールド」は「支配」が目的であり「平和」は口実に過ぎない。

〇付論。中世史家によると中世の寺社は基本的に合議で事を決したらしい。例えば比叡山では「大衆僉議」という合議で行動を決めたそうだ。皇族や摂関家の子弟がなる天台座主でも独裁は不可能だった。これが世俗社会にも影響し武家社会でも合議制が重視された。日本的な民主制度はこの延長という気がする。

〇この辺りについては以前少し書いた事がある。「和」の論理を考える為の参考として再度言及してみた。
「鎌倉幕府の北条得宗家では評定所による合議で意思決定を行なったようだ。彼らが制定した「御成敗式目」は江戸期に至るまで武家法の基本を為したという。徳川幕府でも幕閣による合議制で運営された。武家社会も合議制を重視したと言える。武家も寺社も合議制。合議制の重視。これが我が国の伝統である。」https://twitter.com/kikuchi_8/status/927948863096307715


https://twitter.com/kikuchi_8/status/948220312654512129


(了)

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by kokusai_seikei | 2018-01-14 12:07 | ツイートまとめ | Trackback | Comments(0)