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ツイートまとめ テーマ:西洋神秘主義者(神智学徒等)の伝統思想への憑依型戦術を破る。及び洗脳に対する心理防御法について。

〇「般若」と「グノーシス」が同じく「認識」を意味するから「同じ」だというのは神道の「神」とキリスト教の「ゴッド」を同じだとするくらい粗雑な議論である。問題は「認識」の中身である。般若の認識内容な「空=実体の否定」である。グノーシスの場合は実体論が前提の霊肉二元論である。相容れない。

〇「空の認識」とは実践的に言うと「無執着」と同義である。仏教は「心から渇愛を除き苦を滅する」という事に尽きる。どこまでも現実の心のあり方がテーマである。一方のグノーシスはどこまでも形而上学である。霊肉二元論を前提に物質という「牢獄」から霊魂を解放させるという形而上学がテーマである。

〇ブッダが答えなかった形而上学的命題を「十難無記」などというが、その中に「霊魂と肉体は同じであるか。別であるか」という命題がある。グノーシス思想は明確に「霊魂と肉体は別である」という立場に立っている。これはれっきとした一つの形而上学的立場だ。仏教の無記とは相容れない事が明白である。

〇「毒矢の喩え」にあるように、仏教は「精神と肉体が同じか。別か」など形而上学的命題を考える事よりも、現実の心をどう修練して苦を滅するかという実践を重視する。ブッダは形而上学的命題には断定を下さず。「苦・苦の原因・苦の滅・苦の滅に至る道」を断定した。四諦である。全て心の問題である。

〇グノーシスは霊肉二元論という形而上学的前提に立った上で「邪悪な物質世界からの霊魂の解放」という形而上学的目標を目指すのに対し、仏教は終始現実の執著にまみれて苦しんでいる「心」を問題としており、「霊魂と物質」が云々等の形而上学的思索は思考経済の観点から深入りを避けていると思われる。

〇物質観も仏教とグノーシスでは異なる。仏教の物質観では物質は善でも悪でもなく無記(価値中立)である。善悪はあくまで心(識。厳密には識に伴う思の心所=意志による。つまり意志の善悪であり心の問題)にしか言われない。グノーシスでは物質は悪とする。だから物質から善なる霊魂を解放せんとする。

〇憑依型戦術は基本的に「嘘も百回言えば」方式で繰り返し刷込む手口である。よって憑依型戦術を破るコツは「具体的な中身や内容を検討する事」。これに尽きる。憑依型戦術では名称など表面的な類似をあげつらって同一視するやり方をする。これは少し詳しく検討すれば到底維持できる類のものではない。

〇スピリチュアル系の方から「般若とグノーシスは同じ『認識』を意味するのにスルーする」みたいなエアリプライを頂いていたようなので、その事について応答する意味を込めて、仏教とグノーシスの基本的違いについて書かせて頂いた次第である。TPPなど喫緊の問題が山積なので後回しになってしまった。

〇神智学なども到底相容れないものを混合している。ブラバッキーなどはチベットを神秘化し、そこに「グル」が存在するという設定にしていたようだが、チベットの中観哲学と神智学のベースである新プラトン主義は到底相容れないものである。「具体的な中身を検討する」。これが憑依型戦術を破る鍵である。

〇西洋人の発想の基本はキリスト教である。キリスト教を肯定するにしろ否定するにしろ彼らの判断基準はあくまでキリスト教である。従ってキリスト教を否定する立場にしろ、キリスト教以外の思想は全部同じだと見てしまう傾向がある。しかも否定しながら発想の根にキリスト教を引きずっている場合が多い。

〇グノーシス主義者が「物質は悪」とするのは、「物質」という対象への執著が生み出す「物質欲」そこから生まれる不都合=悪を己の心の外部に投影した結果であろうと思う。唯識的に言うと遍計所執性、廣松渉風に言うと「物象化的錯視」である。己の心の悪を「悪魔」として外部化するのと同じ機制である。

〇「鬼」と「悪魔」の違い。「鬼」は具体的な心や行動のあり方による。憎悪や怨念に囚われて悪行為をなすようになった者が「鬼」となったという日本の昔話は多い。逆に言えば改心すれば鬼は鬼でなくなる。一方、「悪魔」は常住不変の本体を持つ「悪」そのものとされ、改心して善になる事はないとされる。

〇原始仏典に「行為によってバラモンなのである。行為によってバラモンならざる者なのである。」(「バラモン」はここでは立派な人の意味)とある。「鬼」もこれと同じである。行為によって鬼となり、行為によって鬼ならざる者となる。「悪魔」は具体的な行為に関わらず本性として実体として悪とされる。

〇鬼と悪魔の違いは日本と西洋の悪への対処の仕方にも現れてくる。「鬼退治」は「懲らしめ」で終わる事も多いが、「悪魔退治」は「絶滅戦」「やるかやられるか」になる。「鬼」かどうかは結局「行為」によるので悪行為を止めれば退治する理由は無い。「悪魔」は絶対悪なので「絶滅するしかない」となる。

〇原始仏教の要点。①何かを認識する。②認識した対象に対して好き・嫌いの感情が生じる。③好き・嫌いが増長すると貪り・憎しみ等の執着が生じる。④貪り・憎しみ等の執着が苦を生じる。➄苦の原因である執着を制すれば苦が消える。〇どこにも神秘な所は無い。梵我一如を説くバラモン教とは全く異なる。

〇鴨長明の方丈記にある「事にふれて執心なかれとなり」はまさに「認識した対象に執着するな」という原始仏教のエッセンスの簡潔な表現。LSDの如き薬物で再現できる神秘体験などより物事に執着しない・貪らない・憎まない・動じない・冷静に対処できる・慈しみを持つ事などの方が値打ちありとする考え。

〇神智学からバラモン教など神秘思想と原始仏教の違いなどが話題になったので若干考察してみた次第である。神秘体験をしたからと言ってそれで人間的に立派になる訳ではない。ティモシー・リアリーらサイケデリックの連中が立派か。神秘体験より例えば毀誉褒貶に動じない心などの方が値打ちがあると思う。

〇特別な教義を極めたり特殊な体験をすると「自分は特別だ」という「傲り」が生じがちである。仏陀が特殊な苦行を否定した趣旨も苦行を経る事で心に傲りを生じる場合があるからだと思われる。特殊な形而上学や神秘体験、苦行等に執着すると傲りが生じる。傲りはその人を損なう。今も昔も変わらない事実。

〇原始仏教の目的は「貪欲」「憎悪」「傲慢」「嫉妬」「迷妄」等の心の働きを妨げる諸々の「煩悩」「執着」「渇愛(tanha)」を取り除く事で「苦」を滅する事である。どんなに形而上学を極めても、神秘体験や苦行を経験しても、それらに執着して煩悩が心から除去されていなければ何の意味も無いとする。

〇各種形而上学に囚われて他者と争いを起こす人は今も昔もたくさんいる。
スッタニパータ847に「想いと偏見とに固執した人々は、互いに衝突しながら、世の中をうろつく。」とあり。「想い」とは形而上学を形作る表象作用であり、「偏見」とは形而上学的断定に基づく特殊な見解を指していると思われる。

〇論争は避けられないがせめて慢心を生じないようにしたい。スッタニパータ830 心の高ぶりというものは、かれの害われる場所である。しかるにかれは慢心・増上慢心の言をなす。このことわりを見て、論争してはならない。諸々の熟達せる人々は、「それによって清浄が達成される」とは説かないからである。

〇要は「神秘体験」でも苦行でも論争でもその他諸々何かをやる事で「心の高ぶり=傲慢・高慢」が生じるなら何の意味も無い、有害だという趣旨だと思われる。特殊な形而上学やら神秘体験やらを引っ提げて好んで他者に争いを仕掛けるような行為はその人自身を害っている訳である。各種盲信者は猛省を要す。

〇印度の所謂不可触民の指導者で仏教に改宗したアンベードカルの本に「欲望を制した者が阿羅漢だ」という趣旨の定義が書いてあったと記憶する。「梵我一如は梵の存在が証明できないので無意味」とも。感情や欲望を統御し物事に動じない人間になるという趣旨だろう。武士の心にも通じる。神秘主義に非ず。

〇神秘体験などに固執する者は昔からいた事が分かる。スッタニパータ876「この世において或る賢者たちは、『霊の最上の清浄の境地はこれだけのものである』と語る。さらにかれらのうちの或る人々は断滅を説き、(精神も肉体も)残りなく消滅することのうち(最上の清浄の境地がある)と、巧みに語っている。

〇「空」の概念は基本的に主語ではなく述語である。「〇〇は空」という風に何らかの事物(主語)に関しての述定。その「何らかの事物」は「認識され(確認され)た現象」である。ここで認識論的観点が出て唯識に繋がる。唯識では空は「円成実性」と言う。大森荘蔵や廣松渉の認識論は唯識に通じると思う。

〇物凄いスピードで次々に生起する感情や雑念・妄想にその都度気づいておく事は有効な心理防御術だと思う。例えば何かを認識し「怒り」という感情が生じたら「怒りだ」と気づいている。気づいている間は「怒り」に心が占領されない。洗脳も結局は何かを認識し感情が生起する認識論的な構造は同じである。

〇「何かを認識させ影響を与える」が洗脳の基本構造である。各種思想工作、映画や音楽に埋め込まれたシンボル等も全て「五感+思考」で認識し感情を生じ深層心理に影響が刷り込まれる。「①認識→②感情の生起→③影響を残す」という順序。①と②に気づいているだけで影響を大幅に遮断できると考える。

〇プロパガンダは視覚的聴覚的な要素を多用する。ネット上の宣伝戦でも対象を醜く印象操作し見た者の感情を煽る効果が高い画像や動画などの視覚的素材が使われる。プロパガンダを認識した時に「怒り」「嫌悪」等の感情が瞬時に生起する。その瞬間的動きに気づいているだけで影響を大幅に遮断できるはず。

〇原始仏典に「煩悩の流れをせき止めるものは、気をつけることである」「見聞きしたことに汚されない」とある。つまり何かを認識して「貪り」や「怒り」等の感情が生起してもそれに気づいていれば悪影響を遮断できるし、そうやって鍛えた心は何かを認識しても悪影響を受けないという意味だと解釈できる。

〇南方仏教の「ヴィッパサナー」北方仏教の「観」も憑依型戦術の標的。マインドフルネスだ。前者から「煩悩を制する」という倫理性や平静な心境から自ずと生じる独立的思考(智慧)を抜いたもので「ストレスを軽減する事で文句を言わず命令に従うロボット」とする事が狙いの可能性あり。似て非なるもの。

〇「煩悩を制する事」を「智慧」とするのは一見論理的な連関がよく分からないが、「煩悩に惑わされない平静な心境になると自ずと明晰な思考能力が発揮される」という事だと解釈できる。欲をかいたり怒り狂っている者に冷静な独立的思考は期待できない。強い情念は思考を歪める。ごく当然の理路であった。


https://twitter.com/kikuchi_8/status/794215603615604736


(了)

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by kokusai_seikei | 2018-01-21 07:50 | ツイートまとめ | Trackback | Comments(0)

ツイートまとめ テーマ:「ワンワールド」と「和」の根本的な違いについての考察

あけましておめでとうございます。ブログの方も本年もどうぞよろしくお願い致しますm(_ _)m


〇国連総長が「「人権の恐ろしい侵害があり、ナショナリズムと外国人嫌いが勢いを増した」と世界情勢を憂い、「それらを解決する方法は、団結して共に取り組むことだけだ」」の述べた由。ソフトな言い方をしているが、これが「大戦から世界統一へ」という弁証法戦略である。https://www.excite.co.jp/News/world_g/20180101/Tbs_news_121090.html

〇国連総長の「新年の挨拶」が弁証法戦略の論理を示している。国際秘密力にとって「人権の恐ろしい侵害」や「(戦争を含む)ナショナリズムの衝突」という「非常事態」が頻発した方が「団結しよう→世界を一つにしよう」という方向に誘導しやすいのである。だからこそ世界を混乱状態に陥れる工作を行う。

〇「世界統一の前提として世界戦争を引き起こす」とは突飛に思えるが、実は人心誘導のプロセスとして極めて「巧妙」(勿論悪い意味で。極悪非道である。)である。世界が平和であれば誰も「世界統一」など欲しない。しかし、動乱という混沌状態を作りだして「藁にもすがる」思いになると話は別である。

〇アレイスター・クロウリーが世界大戦を「古い時代を破壊する血の洗礼」などと言ったそうだが、世界戦争惹起工作は魔術的なシンボリックな意味もあると思われる。「ISIS(イシス)の子がホルスで、ISの次に新時代を迎える」という陳腐な発想もあり得る。基本的にオカルトと洗脳科学は重なる範疇である。

〇日本的「和」と「ワンワールド」の根本的違い。前者は①互いに異なるという前提(一つにする必要などない)。②互いに凡人であるという謙虚な発想が前提。後者は①「一つにしなくてはならない」という脅迫観念が前提。②自信過剰な「知的エリート」が設計図通りに「世界秩序」を作るという傲慢な発想。

〇人はそれぞれ「こだわり」を持っており、それは環境などの諸事情からくる個性の違いによって異なり一様ではない。国や民族単位でも同じである。互いに「違う」という前提から出発し、自分と相手の事情を道理に基づいて比較考量しながらできるだけ折り合いをつけて調和せんと努力するのが「和」である。

〇一方、特定の「理念」を全人類に押し付けて画一化し全体を一握りの者が「指導」せんとするのが「ワンワールド」である。クーデンホーフ=カレルギーの「精神貴族」という理念に端的に表れている。己を「知的選良」と思い込んでいる傲慢な者達が時に「調和」を掲げつつ目指しているのは「支配」である。

〇石屋はよく「寛容」を掲げるが「寛容」と「ワンワールド」は両立しない。他者に寛容である為には「互いに凡人である」という謙虚さと自己相対化が必要だが、己を「指導者」と思い込んでいる者にはそれができない。また伝統思想を改竄して「万教帰一」を唱える横暴も「違い」が前提の寛容と相容れない。

〇領分を超えた道理に反する不当な干渉を撥ね退ける事も「和」の働きの内である。例えば豊臣秀吉は当初キリシタン宗の信仰も認めていたが、先方が領分を超えて「和」を破壊した。日本の在来の伝統と共存しようとせず神社仏閣の破壊や奴隷貿易などの不当な干渉を行なったキリシタン勢力は打ち払われた。

〇当方の対工作員対処の指針もこれと同じ。こちらから干渉する事は無いが、不当な干渉を受けると断固対処する。基本的には和を重視し「来る者拒まず」で交流させて頂いている。仕掛けられなければ誰とも争うつもりはない。キリシタン勢力は不当な行為をしなければ国防的措置を受ける事はなかったと思う。

〇老子は「戦は哀しむ者が勝つ」つまり戦いは好き好んでではなく嫌々する方が勝つと言った。これは老子が強調する謙譲の徳の一面である。「和」と「攘夷」(と仮称)の関係もこれに似ていると思う。人体は全体として調和していないと成り立たないが、人体そのものの破壊を防止する免疫作用も必要である。


〇海外から来る不当な干渉から「和」を防護する働きは国史上では主に武士が担った。武士の「武」は「矛を止める」と書くとの説は俗説とも言われるが、良い解釈だとは思う。好戦的な者は真の武士に非ず。陰謀追及は武器を用いる戦いそのものを防止する為の闘いである。世界戦争の阻止。戦わない為に闘う。

〇「和」は本来「互いに違う」が出発点であり「互いに凡人」「お互い様」という謙虚さが伴っていないと単なる同調圧力になりかねない面はある。近代以降は特にその傾向が出てきたように思われる。相手の事情を慮るという「忖度」が「権力者に媚びへつらう」という意味に改釈されてきた事も一例である。

〇「和」を単なる同調圧力に堕落させない為の条件は「それぞれが違う」(同じである必要はない)という認識と謙虚さ(謙譲。譲り合いの精神)ではなかろうか。権力者が同調圧力をかける口実としてはならない。むしろ権力者の横暴を規制する道理と捉えるべきである。横暴な輩に断固物申す事も和だと思う。

〇「領分を超えた道理に反する不当な干渉を撥ね退ける事も「和」の働きの内」と書いたが、「領分を超えた道理に反する不当な干渉」は海外からのものだけではなく国内の権力者の横暴なども含む。特に目下我が国を牛耳っているのは「国際勢力の走狗」なのでどちらの要素も含んでいる。撥ね退けるしかない。

〇「互いが凡人」という認識が前提の「和」では「他者を思い通りにしたい」という欲望や執着が幾分かでも制せられている事を意味する。逆に「ワンワールド」は「他者も同じにしたい」「他者を思い通りにしたい」という支配欲に基づいている。自らの過剰な欲望や感情を制するか否かにも大きな違いがある。

〇何故「和」について考察しているかというと、国連事務総長が新年の挨拶で弁証法戦略的にワンワールドに誘導していたので改めて「ワンワールド」思想を相対化する必要を感じたからである。その為には「ワンワールド」とは全く異なる論理を国史の中から自覚的に取り出してみるのも一法だと思うのである。

〇国連総長は「外国人嫌い」が増えたと言っていたが、無国境化や移民政策を推進してきた事が原因である。民族同士が近付き過ぎるとかえって相互の嫌悪感や紛争が増加する事は歴史が教える教訓である。移民政策を推進して民族紛争を引き起こし、それを口実にさらに無国境化を推進するというマッチポンプ。

〇シリアを侵略して大量の難民を発生させ欧州に避難せざるを得ない状況を作った事が欧州に於ける移民嫌悪の原因である。シリア難民も欧州の諸国民も被害者である。諸悪の根源はシリアを侵略したネオコンやシオニストなど欧米・イスラエルの権力集団である。国連もその片割れ。偉そうな事を言う資格無し。

〇ビザンチン帝国では西欧のような猶太人嫌悪が起きなかったらしいのは、最初から異邦人たる猶太人を行政や教育の地位に就けないようにしていたからである。かといって猶太人が不自由をしていた訳ではない。これは今で言うなら外国人参政権を禁止し二重国籍者が枢要な地位に就けないようにする事に相当。

〇「民族同士が近付き過ぎるとかえって相互の嫌悪感や紛争が増加する」と書いたが、これは「外国人を不当に優遇する」「外国人が公権力に関与する」などの無国境化政策を推進する程かえって外国人嫌悪が増すというのが具体例。その土地に住む国民を第一に考えるとかえって排外感情は起きないのである。

〇西欧ではビザンチン帝国と違い猶太人嫌悪が根強かったのは貴族や教会が猶太系金融業者を宮廷猶太人として重用したからである。我が国に於いて明治以来の権力人脈(麻生など)と結びついた朝鮮半島系人脈が要所要所を占めているのと同じである。異邦人が権力を持つから排外感情が強まるという比例関係。

〇国連事務総長が本当に「外国人嫌い」を無くしたいなら無国境化政策を停止する事である。各国の民衆が持つ素朴な祖国愛に配慮し、それぞれの国民の主権を尊重する事。これが「それぞれが違う」という前提に立つ「和」の論理である。「ワンワールド」は「支配」が目的であり「平和」は口実に過ぎない。

〇付論。中世史家によると中世の寺社は基本的に合議で事を決したらしい。例えば比叡山では「大衆僉議」という合議で行動を決めたそうだ。皇族や摂関家の子弟がなる天台座主でも独裁は不可能だった。これが世俗社会にも影響し武家社会でも合議制が重視された。日本的な民主制度はこの延長という気がする。

〇この辺りについては以前少し書いた事がある。「和」の論理を考える為の参考として再度言及してみた。
「鎌倉幕府の北条得宗家では評定所による合議で意思決定を行なったようだ。彼らが制定した「御成敗式目」は江戸期に至るまで武家法の基本を為したという。徳川幕府でも幕閣による合議制で運営された。武家社会も合議制を重視したと言える。武家も寺社も合議制。合議制の重視。これが我が国の伝統である。」https://twitter.com/kikuchi_8/status/927948863096307715


https://twitter.com/kikuchi_8/status/948220312654512129


(了)

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by kokusai_seikei | 2018-01-14 12:07 | ツイートまとめ | Trackback | Comments(0)

ツイートまとめ テーマ:偽装戦術を破る正名論及び記号操作に対する自己防御法について


〇疑問を提示したり、推測や推理、仮説を述べたりしただけで必死に「否定」しに掛かってくるという焦りや余裕の無さが見て取れる言動は「火消し」行動としか思えず、そう捉えられても仕方ない。しっかり妨害者の言動を分析する事にしている。願わくば工作員が足を踏み入れたら最後の「地雷原」たらん。

〇以前読んだ民俗学の本に「妖怪は名指しされると退散する」という俗信があったと書いてあったと記憶するが、「ネトサポ」に「ネトサポ」「工作員」に「工作員」と指摘すると消えるという生態は彼らも「妖怪」みたいなもの、という事だろうか(笑)民俗学が扱う俗信の類は人間の生態の反映かもしれない。

〇支那では名ではなく字(あざな)を用い、字で呼ぶ事が礼儀とされていたようだ。「名称」は認識対象を固定化する作用を持っている。我が国でもかつては名前そのものが呪詛の対象になると考えられていたようだ。正体を言語で明示されると動揺するという心理はかかる言語が持つ機能に依っていると思う。

龍樹ソシュールの知見を持ち出すまでもなく「名称」は人間の認識作用の中で「認識対象」そのものを作り出す機能を持っている。つまり混沌とした対象に分節線を入れる事で「個物」を作り出す。この作用がある意味人間にとっての「世界」を作り出している。それだけ「名指し」は強力なのだと言える。

〇単に名称というラベルと貼りつけるだけで、それに相当する「実体」が存在するかのように思われてくる(形而上学の構築はまさにこの言語の機能に依る)。「グローバリスト」に「愛国保守」の名称を付与するとあたかも「愛国保守」であるかのように見えてくる場合がある。それで多くの人が騙されている。

〇逆に「グローバリスト」には「グローバリスト」、「売国者」には「売国者」、「工作員」には「工作員」と、その実態に合致する名称で呼ぶ事が裏権力及びその走狗を打ち倒す第一歩になる。孔子は子路から政治の基本を問われ「名を正さんか」と述べたが、「政」を「正」にするには「名を正す」事が重要。

〇「グローバリスト」「多国籍企業の代理人」を「愛国者」「愛国保守」などと偽装する事は「名分」を乱す事。「名を正す」事が先決であろう。論語子路第十三の三「子路が曰わく、衛の君、子を待ちて政(まつりごと)を為さば、子将(まさ)に奚(なに)をか先にせん。子曰わく、必ずや名を正さんか。

〇このように儒学では「名を正す」事を重視する。他方、仏教では唯識で「遍計所執性」と言うが、これは混沌とした対象に分節線を入れて「個物」を分節化し、その「個物」をあたかも「実体」であるかのように見なす事を指す。この考えでは「名」そのものが虚妄でありかりそめのものだと見なされている。

〇「必ずや名を正さんか」とは本当によく言ったものだと思う。憑依型戦術も愛国保守偽装戦術も全て実態とは異なる名称を貼り付ける事でなされている。これが数々の混乱を生み出している。よって「政」(まつりごと)の基本を「名を正す」事に置いた孔子の考えは極めて理に適っていると思う次第である。

〇あらゆる「存在」は名称形態又はそのどちらか片方を持っている。この「名称と形態」は執着の対象となり人間のあらゆる反応や行動を引き起こす。反応は「好き」「嫌い」「どちらでもない」が基本。前二者が執着と反応を起こす。詰まる所人間を操る者は「名称と形態」を操作する。名称と形態に注意。

〇「存在」は名称と形態(かたち)を持つ。名称のみの「存在」、形態だけで名称が無い「存在」もある。しかし人間が認識し得る対象である限り「名称」か「形態」は必ず持っている。名称も形態もなければ存在しないのと同じである。形態は視覚で捉えられる所謂「形」に限らず五感で認識される対象を含む。

〇「洗脳対策には認識された対象に気を付ける事が基本」と何度も書いているが「認識対象に気を付ける」とは「名称と形態に気を付ける」と言い換える事もできる。人間を操ろうとする者は必ず「名称」(言語)と「形態」(五感の対象)を操作する。いかに神秘的に偽装してもこのメカニズムの外には出ない。

〇「形態は視覚で捉えられる所謂「形」に限らず五感で認識される対象を含む」と書いたが、例えばゲシュタルト心理学でいう「ゲシュタルト」という概念がそれである。例えば「さくらさくら」という歌をどの歌手が歌っても「同じ歌」とされるのは声質はそれぞれ異なってもゲシュタルトが同じだからである。

人はその「行為」によって判断される。政治家なら実際の政策によって判断される。安倍一味は実際に彼らが行なっている「種子法廃止」「水道民営化」「各種自由貿易協定によるISD条項導入の推進」「高度人材永住権緩和」「毎年20万人移民を検討」などを見れば「グローバリスト」である事が明らか。

政治を含め全ての文化・文明上の活動は言語が基礎。実態に違背する名付けをするから政治が混乱する。グローバリストを愛国保守と呼ぶべからず。論語子路第十三の三「子路曰わく、衛の君、子を待ちて政(まつりごと)を為さば、子将(まさ)に奚(なに)をか先にせん。子曰わく、必ずや名を正さんか。

名称が貼りつけられる対象は「実体」(それ自体で存在する本質体)ではなく何らかの因果関係によって生じた現象である。人間で言うとその為す所の「行為」で性質が決まる。「グローバリスト」と名付けられる所以は実際にグローバル化政策を行なっているからである。これが「名を正す」事の実質である。

〇孔子は「名を正す」事を重視したが、老子は「名」そのものが存在を生み出す事まで洞察した。老子曰く「名無きは天地の始にして、名有あるは万物の母なり」。これは認識論的に解釈可能。即ち混沌たる対象を言語によって分節化する事で個物が認識に立ち現れる。丸山圭三郎氏が言う「言分け構造」である。

〇言語による分節化は必ず特定の言語体系(基本的には母国語。ラング。)に依る。特定の環境で特定の言語を習得するとその言語(ラング)は潜在的な形で深層心理に定着する。分節化はこれ基盤となっている。グローバリストを「愛国保守」と思い込むのも、特定の思想環境による刷り込みが原因と思われる。

〇「グローバリストを「愛国保守」と思い込むのも、特定の思想環境による刷り込みが原因」と書いたが、この場合の「特定の思想環境」とは右派カルトによる洗脳や保守メディアによる刷り込みだろう。自称「保守」業界はどんなに「反グローバリズム」的な事を言っても最後は「安倍さんを支持する」となる。

〇「人は行為によって判断される」と書いたが、「行為」には言葉や身体による行為のみならず心による行為(思考)も含む。例えば黒魔術の類は合理的な因果関係が証明不可なので近代的な刑法では犯罪とされないが、貪欲だったり人を呪ったりするそれなりの人間がやる事。ましてや儀式殺人は完全な犯罪だ。

〇唯識で言う「阿頼耶識縁起」とは表層意識で為した行いが深層意識に影響を与え、その影響の残滓(種子)が何かの機縁を得て再び表層意識での行為(現行)に繋がり、それがまた深層意識に影響を..というサイクルである。欲をかいたり人を呪ったりする魔術呪術の類はそれなりの人間性を形成するだろう。

〇様々な誘導情報が溢れている中で、それらの情報の真偽を見極める独立的思考が重要なのは言うまでもないが、情報に感情を煽られない事も重要である。人の認識の対象となる情報(特に誘導情報)は謂わば「感情価」を帯びている。洗脳者は「好き」「嫌い」の感情を煽る事で人々の行動を操作しようとする。

「自己を守る」とは利己ではなく自己を悪い要素と結び付けないようにする事である。感情価を帯びた情報を認識する事で喚起される悪感情から自己を切り離すイメージである。誘導情報に騙される事は勿論情報が帯びる感情価に引きずり回されて精神が疲労したり混乱している人は多いと思う。己を守るべき。

裏権力の心理情報戦に対する防御法は理性面感性面の双方を考える必要がある。理性面では独立的思考によりしっかりと情報の真偽を判断する事。感性面では情報によって感情を煽られないようにする事(感情は自然。感情を無くす事に非ずして感情を調整する事)。この二つが揃って完全な自己防御となる。

〇「感情を調整する」とは「感情を観察する」「感情を対象化する」と言い換える事もできる。感情が喚起された時、それを冷静に客観視する視点があるとそれだけ感情に飲み込まれていないという事を意味する。欲望や憎悪、嫌悪を煽る情報が溢れている。情報の洪水の中、心法を工夫して己を守るべきだろう。

丸山圭三郎氏は生物的な「欲求」と人間的な「欲望」を峻別。生物的な欲が「欲求」で「文明化」された人間の欲が「欲望」である。後者は言語即ち「記号」と深い関係を持つ。動物は生存の為に食べるが「インスタバエ」は求めない。記号が「欲望」を喚起する。記号の操作者が欲望ひいては人間を支配する。

〇情報の基礎も言語≒記号。情報を操作するとは記号を操作する事。洗脳者は記号を操る者。人間の欲望の対象が「記号」である(欲求の対象も記号化されている。「高級」料理で自己顕示等)以上、記号の操作者が人間を操り支配する。よってこれを破るには「記号」について分析し見極める事が重要となる。

〇記号の典型は言語だが、言語に限られない。裏権力が多用する各種視覚的シンボルも記号である。記号とは他の何かを代理して示す媒体である。一方、記号そのものが対象を作り出す場合もある。記号の塊である形而上学などが典型である。記号が無ければいかなる形而上学的実在もイメージする事はできない。

〇結局何が言いたいかと言うと他の生物と違って言語を持つ生物である人間の欲は「欲求」に非ずして「欲望」であり、欲望の対象は大部分が「記号」だという事。記号によって欲望や憎悪など感情の対象が作られる。記号を操作すれば無限に対象を作り出せるので記号を操る者が人間を支配する事に。要注意。

〇言語能力を中核とするシンボル化能力(ソシュールの言う「ランガージュ」)が「欲望」を作り出すという丸山圭三郎氏の考察は、「プラパンチャ=言葉の広がり=戯論」が概念的思考=分別を生じ、分別が煩悩を生じるとした龍樹の考察と重なっていると言える。良くも悪くも記号こそが人間を左右している。

〇言語を持つ人間の欲が生物的な「欲求」に非ずして記号又は記号化されたモノを対象とする「欲望」だとしたら記号を操作すれば幾らでも欲望の対象を作り出せるので記号を操る者が思いのままに人間の欲望を操り、ひいては人間そのものを操る事に。裏権力が好むシンボリズムはまさに記号操作の最たるもの。

〇記号は言語に限らず視覚的イメージなども含む。「名称と形態」の全てが記号たり得る。記号が人間の欲望(マイナスの欲望=憎悪も含む)の対象となる。欲望が人間を動かす。よって欲望を喚起する対象を作り出す者が人間を動かす。裏権力の不気味なシンボルは支配を目的とした記号操作と考えるのが妥当。

〇人間は質料性のある具体的なモノすら言葉を介して概念的に認識する。目の前のごつごつしたそれを「石」として認識する等。人間の認識対象はある意味全てが記号である。よって認識された対象は全てが人間の反応を誘因し得る。やはり「認識・認識した対象に気を付ける」が対洗脳防御の基本的指針となる。

〇「記号」が人間の欲望を喚起し欲望の対象となると仮定する。「記号」は組み合わせによって無限に作り出せるので、ありとあらゆる欲望の対象を創出する事が可能となる。つまり人間を動かす対象を無限に作り出せるという事が最大の注意点。しかし「無限」と言っても基本原理「対象を認識する」は単純。

〇確かに記号の組み合わせで「無限」に欲望の対象を作りだす事は出来る。裏権力が次から次に実行する情報宣伝工作を見ると分かる。だが、対象は「無限」と言っても、それらは「認識対象」だという点では皆同じである。従って「認識に気を付ける」というたった一つの心得で全て無効化する事も可能である。

〇要するに幾ら対象が無限でも我々認識主体に認識されないと無きに等しいのである。たとえ認識したとしてもそこで「好き」「嫌い」の感情を煽られなければ何という事は無い。洗脳者の独り相撲に終るのである。まさに「取り付く島もない」である。多様な現象に一貫する単純な原理を見抜く事が重要である。

〇「世界を支配する」という欲望はシンボル化能力(=ランガージュ。言語能力が中核)がないと成立し得ない。人間が五感によって知覚的に認識し得る認識世界を超えて「全世界」を把握するには「世界」という概念が必要。「世界」という概念があってはじめて「世界」に対する欲望も生じるという因果関係。

〇一見陰謀追及と関係なさそうな迂遠で小賢しい理屈の話をしていると思われるかもしれないが、「陰謀」を根源的次元から解体するには迂遠に見えても原理的な解析が不可欠だと考える者である。「陰謀」とは表面的な社会的事象に限らず、人々の認識を根底から規定する枠組みにまで影響を及ぼす企みである。

陰謀は宙に浮いている訳ではなく、何らかの効果が人々の経験可能領域に到達してはじめて現実の効力を持つ。例えばシンボルは誰も見なければ何の効果もない。個々人にとって現実の現象が起こる場は認識される領域である。だからここに気を付ける事が自らに降りかかる陰謀を阻止する第一歩だと考える。

〇以前述べた正名論について補足する。正名論とは事物の実態に適合する名称を与えるべきという儒家の論説だが、西洋的に「実体」と名称が一対一で正確に対応していると考えるべきではない。事物事象の実態をきちんと反映し、言語交通上相互に意味が伝わるのであればどんな名称を使うかは幅があってよい。

〇例えばグローバル化推進者について「グローバリスト」「無国境主義者」「NWO主義者」「ワンワールド主義者」などどんな呼称でも意味が通ればよい。使う文脈や名称のニュアンスの浸透度合いを勘案して柔軟に使い分けるのもよい。ただ「愛国保守」は明らかに実態に反するので使うべきではないという事。

〇実体又は本質と名称が一対一に厳密に対応すると考えると不合理な結果になる。例えば諸子百家の一つである論理学派の公孫竜は「白馬は馬に非ず」と言った。「白」と「馬」は別の概念だから「白い馬」は「馬」とは違う概念だとしたのである。これは概念相互の包摂関係・類種関係を無視した詭弁である。

〇儒家の正名論は名を正す事で社会を正す事を意図する常識的な考えだったが、公孫竜の正名論は純論理学的な関心が強く、かえって詭弁に陥った。「白」は色の概念、「馬」は形の概念なので、それらが合成された「白馬」という概念は「馬」とは違う、としたのである。実体主義的思考に陥った結果である。

〇確かに「白」という概念と「馬」という概念それぞれに一対一で対応する実体があるとすると「白」と「馬」の概念の合成である「白馬」には二つの実体があるという不合理な結論になる。龍樹は言葉の背後に実体を想定すると「歩く者が歩く」という命題には「歩く」という二つの実体がある事になるとした。

言葉が指し示す対象はあくまでも現象的な「実態」であり、形而上学的な「実体」ではない。現象としての事物事象のあり方に即した名称を与える事で人間同士の言語交通上意味が伝わるのであれば極端な話どのような名称でも構わない。名称は実体ではなく共同主観的な約束事だと考える方が合理的だと思う。

〇ちなみに印度のヴァイシェーシカ学派のような哲学学派では「白馬」は「馬」という実体に「白」という属性が付属していると考えるようだ。公孫竜よりは論理的整合性があると思うが、不合理だと思う。この考えだと実体と属性は別なので如何なる「色」(無色透明も含む)も持たない「馬」がいる事になる。

〇結局、「白馬」という「現象」は形と色が相互依存しつつ成立していると考えるのが合理的だと考える。人間が視覚的に捉える事ができる対象という前提なら、如何なる「色」も持たない「形」は現実的に存在し得ないし、如何なる形とも離れた端的な「色」自体を把握する事もできない(色は常に何かの色)。

〇「正名論」と言うと「名称と実体が一対一に対応する」という考えを前提にしていると誤解される恐れがあるので、以上のような補足説明をさせて頂いた次第である。正名論は「名称とは仮のもの」という前提で活用するのがよいと考える。そうでないと公孫竜のような実体論的思考に陥らないとも限らない。


https://twitter.com/kikuchi_8/status/926105807975940096


(了)


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by kokusai_seikei | 2017-11-12 09:27 | ツイートまとめ | Trackback | Comments(0)

ツイートまとめ テーマ:「ハロウィン」当日に発覚した座間市の大量死体遺棄事件について

神奈川県座間市の痛ましい事件で被害に遭われた方々に対し謹んで心よりお悔やみを申し上げます。
一刻も早い真相の解明とこのような残虐な事件の根絶を望みます。


〇神奈川県座間市のアパートから頭部が切断された複数の遺体が見つかった由。ハロウィンの儀式殺人の可能性は?亡くなられた方に哀悼の意を表します。http://www.sankei.com/affairs/news/171031/afr1710310002-n1.html

〇毎年「ハロウィン」の時期になると儀式殺人を疑われる何らかの猟奇的な事件・事故が発生しているが、今年も異様な猟奇的事件が起きてしまった。座間市での9人死体遺棄事件である。犯罪史上異例の事件と言われている。被害に遭われた方々に心よりお悔やみを申し上げます。

〇「可能性は?」と疑問を提示しただけでこの反応は異様過ぎるのでは。「全く関係ない」といういきなりの断定に始まり、「今ある証拠と事実で現実を認識されて頂きたい。さもなければ、このような凶悪事件は続きますよ。」とは。「現実」自体が定かでないのに「さもなければ」と「脅迫」。尋常ではない。

https://pbs.twimg.com/media/DNeeLYnVwAAacNI.jpg

〇報道によると容疑者はツイッターで自殺志願者を誘い出したらしい。死体を遺棄していたアパートには2か月前に引っ越した由。2か月の間に9人を殺害し遺体をそのままアパートの部屋に置いて共に暮らしていた事になる。人を殺害し遺棄する為に部屋を借りたかのようだ。何から何まで異様な事件である。

〇儀式殺人撲滅の為に警鐘を鳴らしていると「今ある証拠で現実を認識せよ」と来る。「証拠」も「現実」自体も定かではないから分析し検証し警鐘を鳴らそうとしているのにその「現実」とは何なのか。「儀式殺人などあり得ない。そんな疑問を持つならかえって凶悪事件が続くぞ。」という脅しとも読める。

〇一般論として言うが疑問を提示したり仮説を述べたりしただけでどこからともなく湧いてきていきなり断定口調で否定しにかかる(この時点で異様)火消し工作員がいる。気象操作関連での出現率が高いが儀式殺人関連でもいるのかもしれない。その都度言動を精読・分析しデータとして記憶する事にしている。

〇フォロワーの方々が指摘しておられたように座間市の事件はかの切り裂きジャック事件と共通点が多い。①遺体を切り刻む。②被害者は若い女性。③容疑者が売春組織に関与(切り裂きジャック事件の被害者は売春婦)。などの諸点である。

〇容疑者は金目当てだったと供述しているそうだが遺体を部屋に放置したのは何故なのか。2か月も死体と共に暮らすとは尋常ではない。単なる盗み目的とは思えない異常な事件である。以前フォロワーの方に教えて頂いた元悪魔崇拝者のインタビューではハロウィンの一か月程前から儀式を行うと証言していた。

〇「可能性」への言及や「仮説」の提示に対して「あり得ない」といきなり否定しに掛かってくる、という反応に何度遭遇した事か。その異様に必死な反応に違和感を持ちつつ「裏権力側はどこに触れて欲しくないと思っているのか」を見極める為の参考資料の一つとしてデータとして記憶する事にしている。

〇「関係ないね」(断定)→「筈です」(憶測)→「勝手に妄想を膨らませる」(決めつけ)→「頂きたい」(要求)→「さもなければ」(脅し?)と目まぐるしく趣旨が変化する支離滅裂な文章。しかし「疑問を持つな」という「要求」だけは一貫している。

https://pbs.twimg.com/media/DNeeLYnVwAAacNI.jpg

〇以前フォロワーの方に教えて頂いたハロウィンに関する元サタニストのインタビュー動画。この中でこの人物は「私が鮮明に憶えている儀式は9月下旬に始まります」「虐待はその時期に集中していました」と言っている。儀式はハロウィン当日とは限らない。


〇サタニストの儀式が9月下旬に始まるとしたらハロウィン当日である10月31日からすると一ヵ月より少し前から始まるという事になる。「ハロウィン当日」でないから「儀式殺人ではない」と断定する事はできない。座間市の事件ではハロウィン前の2か月間の間に殺害したと言われている。この点は符合。

〇普通はそう思うでしょうね。しかし過去ハロウィン前後に不可解な事件が起きていますし、欧米ではハロウィンは悪魔主義者の一大イベントであり儀式殺人の噂や証言が絶えません。それより何でこの話題でネトサポの皆様が絡んでくるのか不思議に思います。
「座間の事件とハロウィンを結び付けてる人がいるけど完全に頭おかしいw」

〇「第四次安倍内閣」が発足したと言うに、何故ネトサポが安倍批判に対してではなく儀式殺人に関する言及で絡んでくるのか?不可解な現象に遭遇する度にデータとして記憶する事にしている。じっくり観察する事とする。

〇ハロウィンを楽しんでいる一般人や商売人、オカルティストが「ハロウィンを貶めるな!」と言って絡んでくる事は想像できるが、「安倍擁護」が「本務」のはずのネトサポが儀式殺人関連の話題で絡んでくる動機は何なのか。しかも、安倍や自民党をボロクソに批判しても今まで絡んでこなかった面子である。

〇白石容疑者は「金と性的暴行が目的」と強調して印象付けようとしているように見える。表のマスコミですらそれを鵜呑みにする事はできない旨のコメントが出ている。それ程不可解で謎が多い事件である。容疑者はスカウトとして歌舞伎町に出入りしていた由。裏社会と接点がある人物なのではないだろうか。

〇複数犯の可能性は?2か月間も遺体と共に暮らす事ができるのだろうか。急いで部屋を借りたとの事だが、あたかも死体を置く為に借りたかのようである。複数犯だとすると下請けとして特定の「役割」を担わされたという可能性は?「裏権力のオカルティスト→裏社会→下請け犯罪者」という指揮系統を妄想。

〇「トリック・オア・トリート」(お菓子をくれないといたずらするぞ)は極論すれば「従うか。死ぬか。」という西洋覇道の論理である。欧米の「ハロウィン」は西洋覇道の論理を幼少期から刷込む洗脳教育と見る事もできる。西洋覇道は欲望の無際限な拡大、支配欲、従わぬ者を抹殺する暴力性を特質とする。

〇ネトサポは狭義の「ネトサポクラブ会員」より広く「志願兵」「工作員」をも含む意味で使っている。つまり、右派カルト信者なども含む(勿論ネトサポ会員で右派カルト信者もいるだろう)。右派カルトは裏権力の有力な走狗なのでカルト工作員だったら儀式殺人疑惑の火消しをする動機はあると推測できる。

〇他の方々が指摘しておられるが座間市の事件は闇社会が絡む臓器売買が目的という可能性も考えられる。仮に儀式殺人だった場合でも遺体から奪った臓器を闇社会に流すという可能性も否定できない。ユースタス・マリンズら海外の論者の説によると儀式殺人では血を完全に抜き儀式殺人者が血を飲むとされる。

〇容疑者はツイッターで自殺志願の女性を引き入れていたとの事。人の弱みに付け込む卑劣極まりない手口であり絶対に許しがたい。悪意のある情報を見たり聞いたりする内に知らず知らずに感情を煽られたり洗脳されてしまう事もあり得る。ネット上には悪意を持った有象無象が潜んでいるので注意されたし。


https://twitter.com/kikuchi_8/status/925041268509380608


(了)


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by kokusai_seikei | 2017-11-12 09:22 | ツイートまとめ | Trackback | Comments(0)

ツイートまとめ テーマ:サタニズムについて分析する


〇煎じ詰めると裏権力の根本的ドグマ(「信条」というにはあまりにおぞまし過ぎる)は「弱肉強食」だと分析する。「従うか。死ぬか。」の二択を強要する。儀式殺人はこの教義を確認するのが目的だと推測する。弱肉強食を肯定する新自由主義は本来オカルトと密接なこのドグマが世俗化したものだと思う。

〇無抵抗な人間を虐待する儀式殺人は究極のサディズムである。このおぞましき「儀式」に裏権力集団の本質が凝縮している。弱いものいじめを好む新自由主義者は裏権力集団のサディズムを世俗化した形で実行するエピゴーネンと言える。「情」の欠如。サイコパスである事が裏権力「エリート」の条件らしい。

人や動物、植物、さらには無機物に対してさえ持つ温かみのある心情が日本文化の根底にあると思っているので冷酷無残な裏権力の手先である新自由主義者らが「伝統」を騙る事に非常に違和感を感じる。戦前にはファシズム・ナチズムが流行したようだが、今はネオリベ。伝統を騙る西洋かぶれの似非愛国者。

〇「人工透析者は殺せ」など新自由主義者は何故こうも可虐的なのか。裏権力集団が弱肉強食のドグマを象徴すると思われる儀式殺人を行う事で「力」を得ると錯覚しているように、その世俗版のネオリベは弱い立場の人を痛めつける事で強者たりうると思い込んでいるのでは、というのが一つの説明になりうる。

弱いものいじめをすると強くなったと錯覚する幼稚な心理が儀式殺人の根底にあると言えるだろう。他者に危害を加えんとする害意や憎悪を制する事が東洋において古来考えられてきた「強さ」の定義だと思うが、儀式殺人に表れる裏権力集団の思想言動は醜い邪悪な欲望に身を任せる事であるから真逆である。

プロテスタンティズムが世俗化したものが近代資本主義の論理だという分析があるように、オカルト儀式殺人の論理と新自由主義には発想的に通底するものがある
のではないか。弱者を痛めつける事で「力」を得るという発想である。儀式殺人を行うようなサイコパス性が裏権力「エリート」の条件でもある。

オカルト儀式殺人の論理とは「生贄」の思想である。権力者でもない特定の人間を血祭りに上げて溜飲を下げるという風潮があると思うが、これもある意味「生贄」の発想であろう。プロテスタントの世俗内禁欲と近代資本主義の関係と同じく現代のいじめと新自由主義と「生贄」思想は相関性ありと見ている。

儀式殺人の撲滅の為には儀式殺人という事象そのものについて警鐘を鳴らすだけではなく、その蛮行の根底にある論理を分析する事も重要だと考える。儀式殺人は国際秘密力そのものを象徴する事象なので、儀式殺人の解明は国際秘密力の正体を暴く事に直結する。この点を踏まえて今後とも追及して参りたい。

悪魔崇拝=サタニズム有神論的サタニズム無神論的サタニズムの二種類があるらしい。前者の方が古く、後者はアントン・ラヴェイ以来の新しい一派のようだ。聖書宗教の枠組みに留まる本来のサタニズムは前者で後者はニューエイジに近い一派と言える。https://ja.wikipedia.org/wiki/有神論的サタニズム

〇よく言及されるアルバート・パイクの「世界統一計画」では最終的にキリスト教と無神論を共に破壊して「ルシファー」を唯一神とする宗教を全人類に押し付けるとしているので、国際秘密力の思想としては無神論的サタニズムより有神論的サタニズムの方が時代的にも古くより根本的なのだと推測される。

〇一方の無神論的サタニズムはニューエイジと近い関係にあると見ている。以前横文字左翼周辺にいるオカルト人脈について言及したら「サタン」のシンボルとされる「逆五芒星」をアイコンとするニューエイジャーが絡んできた事がある。ニューエイジ系のラヴェイ派サタニストだったのかもしれない。

〇儀式殺人の背景にある思想の分析としてサタニズムについて若干考察した。有神論的サタニズムと無神論的サタニズムは両建同根と見るべきだろう。聖書宗教的な枠組みのサタニストにしろ、ニューエイジ的なサタニストにしろ「ワンワールド」志向という点では何ら変わらない。ハロウィンは彼らの「狂宴」。

〇続サタニズムの考察。サタニズムは大きく有神論的サタニズムと無神論的サタニズムに分かれるようだが、前者の中でもアブラハム宗教つまり聖書宗教の枠組みに留まるタイプと聖書宗教と異なる多神教と習合したタイプがあるらしい。その多神教とは古代バビロニアやペルシャなど主に中東の古代宗教である。

〇とは言え、聖書宗教自体がペルシャのゾロアスター教の二元論の影響を受けて形成された訳で(ゾロアスター教の悪神アーリマン→悪魔)、元を辿れば「アブラハム宗教」もその他の中東古代宗教も根は同じと言える。というよりアブラハム宗教自体が他の中東古代宗教の影響下で作られたと考えるのが妥当。

〇古代宗教に着目する視点を猶太教黒幕説や基督教黒幕説に対する「第三局」みたいな扱いをする者達がいたが、全くの見当違いである。猶太教や基督教が形成された起源まで遡ってより根源的に追及しようという視点である。寸止めせずに国際秘密力の思想を系譜学的に徹底的に解明するべきという考えである。

〇石屋はピラミッドホルスの目オベリスク黄金の牛など古代エジプト宗教のシンボルを多用するが、あれは中東古代宗教と習合したタイプのサタニズムと分析できる。基督教の枠組みの中にある聖書宗教の一つとしてのサタニズムもあるようだ。後者は猶太教・基督教・回教と並ぶ聖書宗教と見る事が可能。

〇中東古代宗教に着目する視点は猶太教黒幕説とも基督教黒幕説とも矛盾せず、それらをより深化させる視点であるが、「寸止め」をしたい論者からは敵視される傾向がある。猶太を追及するなら猶太教がシュメール、バビロニア、エジプト、ペルシャの諸宗教諸神話の剽窃で成り立っている事まで追及すべきだ。

〇「寸止め」猶太陰謀論者が何故猶太の根源を追及する事を嫌うのか。それは基督教徒(特に白人基督教徒)寄りの立場に立っているからだろう。要するに舶来の「直訳陰謀論」なのだ。猶太の根源を追及すれば同時に基督教の根源の追及に直結する。それはまずいので寸止め猶太批判に終始するのだと思われる。

本来日本人は猶太にも耶蘇にもしがらみがない。この立場をフルに活かすべきだ。舶来の直訳陰謀論には白人基督教徒、ネオナチ、神智学徒、ニューエイジャー等の視点が染みついている。日本人による日本人の為の国際秘密力研究の確立が必要な所以である。

〇「陰謀論」は元々国際秘密力の本拠地である西洋から来た研究分野である。よって舶来「陰謀論」には西洋人の視点(特にキリスト教や神智学、戦前ではナチズムやファシズム、戦後はニューエイジも)が染み付いている。日本人による日本人の為の国際秘密力研究の確立が必要である事は今も昔も変わらない。

〇結局、国際秘密力のカルト宗教は一言で言うと古代宗教の「良いとこ取り」ならぬ「悪いとこ取り」である。排他独善性、極端な二元論、選民思想、閉鎖的な秘密結社性(密儀宗教的)、生贄思想(儀式殺人)、奇怪な淫祠邪教的要素など古代宗教の「悪い所」を集積した如きグロテスクな産物となっている。

〇国際秘密力のカルト宗教を「古代宗教の悪いとこ取り」と考えると説明のつく事が多い。先述の範囲では排他独善性は聖書宗教、二元論はゾロアスター教、選民思想は猶太教、秘密結社性はオルフェウス教等の古代密儀宗教、生贄思想はモレク崇拝など古代中東の人身供犠、淫祠邪教的要素はタントラ密教など。


https://twitter.com/kikuchi_8/status/923215079436206081


(了)


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by kokusai_seikei | 2017-11-12 09:06 | ツイートまとめ | Trackback | Comments(0)

ツイートまとめ テーマ:トランプ来日。日米FTAとTPPで二択を迫る両建戦術に注意!

〇トランプが来日する。当然日米FTAを要求してくる事が予想されるが、安倍一味側はあくまでTPPを重視する姿勢。これも両建である。日米FTAでもTPPでもISDSで主権が制限される結果となる。現実に韓国は米韓FTAでそうなった。「日米FTAかTPPか」という二択に騙されてはならない。

〇「日米FTAかTPPか」で二択を迫り(まさに両建戦術)、「日米FTAよりTPPの方がマシ」と印象操作してTPPへの賛同を得ようとする誘導に注意。FTAもTPPも本質は同じである。「国家VS国家」の問題ではなく「国家VS多国籍企業」の問題である。この本質を押えていないと騙される。

〇統一協会の文鮮明の息子達がトランプを応援していた。勿論「反グローバリズム」の観点ではあり得ず両建戦術としてのテコ入れだろう。安倍一味のグローバル化政策に賛同しつつ、「反グローバリズム」と見られているトランプへの支持を表明しているネトサポは統一協会系工作員の可能性が高いと見ている。

〇「両建主義」とは「どちらに転んでも同じ結論に至る」という選択肢をいくつも用意して人々に選ばせる事。日米FTAとTPPもそれである。他にはRCEP、日欧EPA、FTAAPなどがある。これらは全て「経済統合」という名の多国籍企業群による国家に対する支配=ワンワールドを目指している。

〇安倍一味がトランプ陣営を向こうに回してTPPを推進できるのは彼らの後ろ盾が「米国」という国家に非ざる国際金融資本及び多国籍企業群だからである。事ある毎に政治に口を出す経団連はグローバル資本の日本側走狗団体。裏権力上の序列は自民党清和会より上だろう。主権を売り渡そうとする売国勢力。

〇「グローバリズムVS反グローバリズム」とは「多国籍企業群が主体の政治か国民が主体の政治か」という問いでもある。安倍一味の支持者の大半は多国籍企業群のカテゴリには入らないと思われるが嬉々として支持している。国家主権を制限して喜ぶのは多国籍企業群を支配する極一握りの人脈=裏権力のみ。

〇「安倍一味がトランプ陣営を向こうに回してTPPを推進できるのは彼らの後ろ盾が「米国」という国家に非ざる国際金融資本及び多国籍企業群だから」と書いたが、「国際金融資本及び多国籍企業群」の利益を集約して政治に反映させる直接の機関は「民間シンクタンク」である。具体的にはCSISである。

〇走狗がTPPや水道民営化など裏権力の重要案件の実行を目論む場合訪米して「宣言」「報告」等を行なう場は米国の議会や政府機関ではなくCSISである。「安倍一味が多国籍企業群に従う」とは具体的にはCSISに従うという事である。そしてCSISの日本操り担当者がジャパンハンドラーズである。

〇安倍一味はトランプにも一応媚び諂ってはいるが、彼らが真に従っているのはCSIS及びその背後にいる国際金融資本と考えるのが妥当である。仕える主人をCSISからトランプ陣営に鞍替えしたのならあれほどTPPに執着するはずがない。トランプはトランプで日米FTAを要求してくる。所詮は両建。


https://twitter.com/kikuchi_8/status/926853983993393152


(了)

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by kokusai_seikei | 2017-11-11 00:28 | ツイートまとめ | Trackback | Comments(0)

ツイートまとめ テーマ:オカルト的狂宴「ハロウィン」について警鐘を鳴らす


【ツイートまとめ テーマ:ハロウィン前後はオカルト犯罪者に要警戒! 】
http://kokuhiken.exblog.jp/26097640/
の続きです。


〇ハロウィン問題と麻薬問題は似ている。麻薬事件では警察は末端の購入者や売人は捕まえるが、流通製造元は放置する。ハロウィンでも末端の暴徒は取り締まるが、儀式殺人などをするオカルト犯罪者は放置・隠蔽する疑い(東京都日野市の事件では自殺として処理)。麻薬もオカルト犯罪も裏権力が関与。

〇ハロウィンは元々はケルト民族の習俗だったのかもしれないが、今や国際秘密力のオカルト犯罪者の狂宴=オルギアとなっているのだろう。一般人向けには単なる乱痴気騒ぎとして喧伝するのは常套手段である。対抗文化・ニューエイジ系のオカルト左翼は「イニシエーション」をエンタメとして普及している。

〇オカルト犯罪者の蛮行も「不発」になれ。それにしても、一般人の盛下がりと裏腹に何故マスゴミはこうも「ハロウィン」を喧伝したがるのか?電通の指示か?【渋谷ハロウィン「不発」にテレビ局も空振り 金曜夜、冷たい雨の中待ちぼうけの人たち】https://www.j-cast.com/2016/10/29282115.html?p=all

電通「戦略」十訓 
1 もっと使わせろ
2 捨てさせろ
3 無駄使いさせろ
4 季節を忘れさせろ
5 贈り物をさせろ
6 組み合わせで買わせろ
7 きっかけを投じろ
8 流行遅れにさせろ
9 気安く買わせろ
10混乱をつくり出せ


この中でも10が一番タヴィストック的である。

〇「電通戦略十訓」は1970年代に打ち出されたそうだが、1~9までは高度経済成長期らしく消費を煽る戦略のようだが、10は異質である。タヴィストックに「社会混乱理論」というのがあるらしい。混乱状況では人は判断能力が低下し操作誘導されやすくなる心理的傾向があるという研究に基づくようだ。

〇今やデフレ推進が蔓延している状況なので、「使わせろ」「モノを買え」戦略の逆で「緊縮・増税しろ」「マネーゲームに金を突っ込め」を喧伝していると言える。しかし「電通戦略十訓」の10は一貫して生きている。次々に新奇な流行を作り出し、人心をかき乱し、麻痺させ、操作・誘導し続けている。

〇ハロウィンなどを流行らせようとするのも、「電通戦略十訓」の10に関係があると分析する。非日常的空間を作り出す事で混乱状況を作り出す。混乱状況では人は思考能力・判断能力が低下し、操作・誘導に脆弱となる。息もつかせず新奇の流行・行事を浴びせ続ける事はこの状況を永続させる事を意味する。

シオンの議定書にある「芸能・スポーツ・クイズを流行らせる」という戦略も同じである。議定書自体は誰が書いたかは不明ながら、この心理操作手法自体は国際秘密力が実際に使用している洗脳技術そのものではなかろうか。人心を酔わせ、麻痺させる一種の阿片である。自律的思考力を奪うのが目的だろう。

〇「洗脳科学」とは基本的に、人の心が持つシンプルな法則を発見し、操作・誘導・支配に応用する技術だと言える。シンプルな法則とはタヴィストックの主要研究者のクルト・レヴィンの研究に基づきソ連の学者が発見した「ツァイガルニク効果」(未完了の課題ほど記憶に残りやすい現象)などである。

〇TV番組などで「次回が見たくなるような中途半端な所で終わらせる」やり方などが「ツァイガルニク効果」の応用である。人間の心理法則を応用して「次を見させる」という誘導目的を達成しているのである。これは心理操作そのもの。「己の意志を強制する技術=魔術」とするなら洗脳科学は魔術と言える。

〇「社会混乱理論」の「混乱」を具体的に言うと感覚的刺激によって心が乱されるという事だろう。つまり眼耳鼻舌身意が色声香味触法に接する事で乱される。逆に「混乱しない」とは感覚的刺激に気を付けて心を乱されない事である。誘導防止には新奇の流行の喧伝は冷ややかに斜めに見るくらいで丁度よい。

〇それにしても「電通戦略十訓」の「〇〇させろ」という部分に彼らの大衆蔑視の態度を見る事が出来る。庶民を心理操作の対象としか見ていない。完全に国際秘密力連中の態度と同質だ。かかる傲慢な姿勢でマスコミを支配し情報操作してきた。電通は東京地検特捜部と両輪をなす国際秘密力の対日侵略の手先。

〇現代資本主義の特徴は供給者がコマーシャリズムを駆使して自ら人々の欲望を作り出す事であろう。「人々が欲しい物」ではなく「欲しい」自体を作り出すのである。電通の「使わせろ」戦略はまさにそれである。分析的に言うと、眼耳鼻舌身意を惹きつける魅惑的な色声香味触法を意図的に作り出す訳である。

〇人は感官(眼根耳根鼻根舌根身根意根)と対象(色声香味触法)の接触が作り出す認識世界(眼識耳識鼻識舌識身識意識)を生きている。人の「世界」とは実質的には認識された世界。対象を作りだすと「認識≒世界」自体を動かす事に。心理操作の危険性を認識論的に分析するとそういう事が言えると思う。

〇「ハロウィン」は過ぎたが、島根女子大生死体遺棄事件で遺体が発見されたのは11月になってからだったので油断はならない。オカルト犯罪への警鐘乱打を継続する。【島根女子大生死体遺棄事件】https://ja.wikipedia.org/wiki/島根女子大生死体遺棄事件

〇オカルト狂宴「ハロウィン」の「トリック オア トリート」はある意味「西洋覇道」の論理を子供風にオブラートに包んだものと言える。西洋覇道の論理を突き詰めると「よこせ。さもなくば死ね」と要約する事が出来る。中南米侵略など西洋が歩んできた歴史を振る変えるならばこの事実が明らかである。

〇儀式殺人に関してハロウィン前から警鐘ツイートを繰り返してきた。儀式殺人を「オカルト犯罪者やその手先が目星をつけた人をさらう→野蛮な儀式を実行」というイメージだけで捉えるのは不十分だと痛感する。ケネディ暗殺がそうだったように、思いもよらない形で公開儀式殺人を起こす場合もありうる。

〇子供がジャングルジムで焼死した事件。「ウィッカーマン」に似ているという指摘がある。ウィッカーマンとは編み細工でできた人形の中に人間や動物を閉じ込めて燃やすドルイド教の供儀である。【ウィッカーマン】https://ja.wikipedia.org/wiki/ウィッカーマン

〇ハロウィンもウィッカーマンと同じく元々は古代ケルト民族のドルイド教の祭りである。ウィンストン・チャーチルがドルイド教の神官みたいな格好をした者達と一緒にに写っている写真があるが、国際秘密力の連中は古代エジプト宗教、古代ギリシャ密儀宗教などと並びドルイド教にも傾倒している。

https://pbs.twimg.com/media/Cwlv9TJVEAATv2y.jpg

国際秘密力のオカルト思想は様々な要素を混合したごった煮的産物。神智学に端的に現れているように、古代の印度やイランの思想、新プラトン主義グノーシスなど神秘思想、古代エジプト宗教、古代ギリシャ密儀宗教、猶太密教=カバラ、ドルイド教、北欧神話及び宗教など雑多な要素を詰め込んでいる。

〇11月6日にジャングルジムでの子供の焼死事件が起きたが、島根女子大生遺体遺棄事件で遺体が発見されたのも11月6日だった。引用:島根女子大生死体遺棄事件とは、2009年(平成21年)11月6日に発覚した死体遺棄事件である。https://ja.wikipedia.org/wiki/島根女子大生死体遺棄事件

〇秘密力がオカルトに固執する理由を分析。密儀宗教は「支配」に適した構造。密儀集団の「支配」メカニズム①「究極の実在」を設定する②「究極の実在」に至る「狭き道」を設定する③「狭き道」を独占するのが己らだと設定する④究極実在と民衆を仲介する唯一の集団として強固なヒエラルキー支配を完成。

〇「密儀集団」と一般的に書いたが、歴史的な具体例で言うとこれはカトリック教会が権力を獲得した方法そのものである。

〇今年も「ハロウィン」という名の「コスプレ・チンドン屋祭り」が近づいてきた。しかし裏権力の連中にとっては「ハロウィン」は単なる「コスプレチンドン屋フェス」ではなくオカルト的な「狂宴」である。ハロウィン前後は裏権力連中による儀式殺人の類を厳重警戒すべきである。儀式殺人防止月間である。

〇ハロウィン前後は不可解な猟奇的事件や「事故」が起きる事が多いので要警戒。島根女子大生殺害事件(結局真相は解明されず容疑者死亡で終結させられた)、東京都日野市の小学生エクストリーム自殺事件(警察がすぐに自殺と断定)、燃えやすい木製ジャングルジムで遊んでいた子供の死亡事故などである。

〇毎年儀式殺人と疑われる何かしらの事件・事故が起きている。これ以上犠牲者を出さないように警鐘乱打して何も起きない(起こさせない)ようにすべきである。「妄想」で結構である。陰謀計画の先読み暴露と同じで陰謀を阻止する事で「妄想」にすべきである。何も起きずに無事に経過する事が重要である。

〇「ハロウィン=(商業的には)コスプレ・チンドン屋祭り=(裏権力的には)オカルト的狂宴」が終わるまでは「儀式殺人に対する防犯活動」として定期的にRTして参ろうと思います。

〇欧米ではハロウィン前後になると多くの子供が行方不明になっているそうだ。儀式殺人の犠牲になっている可能性がある。このような欧米の闇に巣食う悪習を我が国に絶対に入れてはならない。欧米文化の闇は想像以上に深い。経済効果も上がる楽しいイベントをやりたいならばオカルト絡みである必要はない。

〇裏権力はエジプトやメソポタミア、ギリシャ、ローマ、古代ヨーロッパなど中東以西のあらゆる地域の習俗や宗教を剽窃して混合したグロテスクなオカルト的嗜好を持っていると思われる。その一つが「ハロウィン」。ハロウィンは元々は古代欧州に広く分布したケルト民族が信仰するドルイド教の祭儀だった。

西洋では基督教と悪魔教は表裏一体である。つまり両建である。基督教が「異教」として排斥した要素を悪魔教が取り入れるという構造。だから悪魔主義者が「異教」たるドルイド教のハロウィンで騒いだりする。裏権力や結社の「異教」趣味は必然的に悪魔教という形態を取る。悪魔教は基督教文化圏の産物。

〇基督教と悪魔教は二つで一つの文化として見ないと西洋文化の構造が見えてこない。猶太教がゾロアスター教の善神と悪神の二元論を取り入れて後期猶太教が成立し、これが基督教に繋がる。一神教なので悪神はあり得ないので悪魔とした。この「悪魔」というカテゴリにあらゆる「異教」的要素を放り込んだ。

裏権力が信奉するオカルト思想が分かりにくいのはあらゆる古代の宗教や神秘思想をごちゃ混ぜにしているからである。ハロウィンはドルイド教だが、彼らはドルイド教だけでなくエジプトやメソポタミア、ペルシャ、ギリシャ・ローマなど地中海・オリエントを主としてあらゆる古代思想の影響を受けている。

悪魔教については以前分析した。
https://twitter.com/kikuchi_8/status/844683408764628992


https://twitter.com/kikuchi_8/status/792037110119182336


(了)

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by kokusai_seikei | 2017-10-23 23:03 | ツイートまとめ | Trackback | Comments(0)

ツイートまとめ テーマ:「思考」を思考する


〇「思考」についての注意点。思考は思考作用と思考対象から成るが、この両者は不可分一体である。つまり思考は感覚と同じで必ず「対象」を持つという事。感覚でも思考でも対象を認識すれば何らかの「感情」が生じる。不快な事を考えれば不快になり、愉快な事を考えると愉快になる、というように。

〇好ましい認識対象には「好き」の感情が、好ましくない認識対象には「嫌い」の感情が生じる。この「好き」「嫌い」の感情が持続すると「執着」になる。心が執着に纏わりつかれると明晰で冷静な判断力が失われる。冷静な思考の為には思考が感情を生じさせる機制を自覚して気を付ける事が重要だと考える。

〇思考が人間を悩ませる一面がある。嫌いな人が目の前にいなくてもあれこれ嫌いな人間の事を考えて不快になるなど。不快な対象をわざわざ思い浮かべてあれこれ悩むのは自縄自縛である。なんらかの対象を認識したら感情が生じるというメカニズムを自覚すれば自縄自縛が緩和し思考が明晰化すると思われる。

〇「無相」とは「対象が無い事」であり、「無想」とは「対象を思い浮かべる表象作用がない事」である。つまり神秘的な用語ではなく認識論的な用語と言える。対象を認識すると感情が生じるので、対象を認識した所で止めて(過剰な)感情を生じさせないように気を付ける。これで明晰な思考の条件が整う。

〇無相=対象が無い事。無想=対象を思い浮かべる表象作用がない事。確かに論理的に言って何も対象がなければ感情も生じないので平静である。だが思考する以上必ず思考対象を伴う。よって冷静な思考の為には無相や無想より「対象認識に止めて感情を生じさせないように気を付ける」事の方が重要であろう。

〇「無相」で言う「相」とは「認識対象」の意である。たとえば唯識では認識対象=客観を「相分」とし、認識主体=主観を「見分」として両者は一体(見分・相分は自体分=自証分から分かれたとする)とする。同じく主観客観を一体と考える廣松哲学で言うと「所与・所識」成態が唯識の「相分」に相当する。

〇対象を認識すると「好き」「嫌い」の感情が出る(勿論好きでも嫌いでもない対象もある)→「好き」「嫌い」の感情が持続すると「執着」になる→その結果、対象認識が歪められる→歪められた認識対象によってさらに執着が増す→さらに対象認識を歪める、という悪循環。これでは到底冷静な分析は不可能。

〇陰謀追及においても分析対象に対する好悪がもろに出て認識を歪めている場合が多々あると思われる。根底に義憤を秘めながらも対象を正確に認識した上で冷静な分析をする事が本当の意味で強力な追及になると考える。事実に基づいた冷静な分析であれば言い逃れもできないし否定しようもないからである。

〇感情を無くしてしまう事はできないので、分析の際にはできるだけ感情に自覚的である事が重要であろう。自覚的であるとは感情をカッコに入れて第三者的に見る事=対象化する事。対象化できている分感情に飲み込まれてはおらず、その分だけ冷静という事になる。感情の滅尽ではなく統御又は調整である。

〇同じ「感情」と言っても世の為人の為を思う公共心に基づく義憤と個人的なルサンチマンでは全く異なる。後者は対象認識を歪める原因になるが、前者は陰謀追及に欠かせない原動力である。ただ「正義」という観念に固執し過ぎると排他独善的になって逆に不正義に転じる危険性もある。やはり中庸が必要。

〇己の心を適切に調整・統御する事で感情の豊かさと思考の冷静さのバランスを保つ。ここでもやはり中道(道に中る(あたる)=適切)・中庸(常に偏らず中正な事)が必要である。
「以前「破両建の極意は中道」と書いたが、そもそも東洋における「中道」又は「中庸」の本来の意味とは。中道とは「道に中る(あたる)=適切」の意。中庸は「中」と「庸」に分けられる。「中」は「偏らない」という意味で「庸」は「常」「平常」という意味である。つまり「中庸=常に偏らない事」の意。」
https://twitter.com/kikuchi_8/status/915261437592793088

〇西洋の合理主義思想では感情を軽視又は無視して理性だけを働かせる事を「合理的」とするが、人間の感情を無視して尊厳を踏みにじるような事は到底「合理的」とは言えない。イルミニズムなどに見られる理性主義は往々にしてそういう道を辿る。合理とは理に合致する事。理には「道理」が含まれるべきだ。


https://twitter.com/kikuchi_8/status/917038719659470848


(了)

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by kokusai_seikei | 2017-10-15 09:27 | ツイートまとめ | Trackback | Comments(0)

ツイートまとめ テーマ:「中道」「中庸」についての考察。※「武士道」についても


〇以前「破両建の極意は中道」と書いたが、そもそも東洋における「中道」又は「中庸」の本来の意味とは。中道とは「道に中る(あたる)=適切」の意。中庸は「中」と「庸」に分けられる。「中」は「偏らない」という意味で「庸」は「常」「平常」という意味である。つまり「中庸=常に偏らない事」の意。

〇中道とは「偏りなく、こだわらず、適切な行為を為す事」だとすれば無執着の実践と同義。無執着は生存への執着(有愛)と生存の断滅への執着(無有愛)を共に断つ事なので虚無にあらずしてまさに中道。「常住死身」で為す事を為すという古武士の生き様はまさにこれであろう。「死の賛美」などではない。

〇「武士道とは死ぬ事と見つけたり」は「死の賛美」などではなく「生死に囚われず為すべき事を為す」という意味だと思われる。原始仏教では死への願望は「無有愛」(虚無への執着)として否定される。江戸時代に儒学的な「士道」が成立する前の「武士道」は戦場を往来した武士の死生観そのものであった。

〇巷でよく語れる「武士道」は「士道」である場合が多い。新渡戸稲造の「武士道」もその類である。戦国武士道は生々しい武士の生き様そのもの。そもそも「武士道」なる語の文献的初出は甲陽軍鑑のようである。甲陽軍鑑は武田家の遺臣で兵学者であった小幡景憲が編纂した武田家の事績を記した書物である。

〇甲陽軍鑑が「武士道」という言葉の初出という事は「武士道」という言葉は戦乱の時代から平和な時代への過渡期に成立した事を意味する。つまり戦国武士の生き様を戦のない時代に伝える言葉だったと言える。「武士道」を持て囃す立場もくさす立場もあるが、かかる成立の由来を踏まえていない議論が殆ど。

〇「武士道」を新渡戸稲造の解釈で理解するのは偏っている。一方、フリーメイソンでクェーカー教徒の新渡戸の著「武士道」があまりにも有名になり過ぎた為に「武士道」なる語自体を明治以後の捏造とするのも誤解である。他の日本の精神文化と同じで「武士道」も憑依型戦術を受けたと考えるべきであろう。

〇「中道」から「武士道」に話が飛んでしまった。次に「中庸」について。中庸は先に述べたように、「常に」「偏らない」という意味だと解釈できる。人間の心は波があるので時にはバランスを崩して偏ってしまいがちである。だからこそ儒学では「常に偏らない事=中庸」を最高の徳と考えたのだろう。

〇中道は「道に中る=適切である」だが、中庸は「中=偏らない」に加え「庸=常に」という時間的意味合いを含むのが特徴である。常日頃偏らず適正な判断を下す事の重要性を教えている。このように中道・中庸は両建を破する極意にもなり得る。両建に嵌る事は「偏り」「適切ではない」状態だからである。

〇中道は縁起=関係的成立とも同義とされる。これを陰謀追及に応用すると中道とは「両建の背後関係を見抜き、事態の本質を適切に判断する事」と定義できる。例えば右派と左派があるとして、その背後関係(背後の関係性=縁起)を見抜き全体の構図の中で各派閥がどのような位置を占めているかを把握する。

〇明治以後西洋に改竄された文化を無条件に礼賛する立場もそれを奇貨として日本文化を全否定する立場も偏っている。この両者は両建。ある文化が成立するに至った因果関係・原因条件関係(縁起)を冷静に辿っていくと公正な見方=中道に到達すると考える。即ち縁起=中道である。偏りのない中庸。無執着。

〇中道とは理論的認識では「因果関係・原因条件関係を辿る事」であり、実践的認識では「執着しない事」だと言える。総合すれば「適正適切に判断し行動する事」である。中庸は「常に偏らない判断を下す事」である。何が適切かはその時々の状況に依る。固定したドグマの如き固執を持たない事が重要である。

「AかBか」というあらゆる二元相対論は突き詰めると「有か無か」の対立である。しかるに「縁起=自性(実体)が無いから有ではなく、他に依って有るから無ではない=非有非無=中道」。つまり有無の対立は縁起=中道という見方で解消する。縁起や中道とはあくまで「ものの見方」に関わる概念である。

あらゆる二元相対論の根底にある「有か無か」の対立論は中道によって解消する。これを応用すれば「右翼か左翼か」「猶太か耶蘇か」「安倍一味か小泉一派か」などのあらゆる両建的対立論も両者が形成された歴史的な因縁(縁起)を分析し解明すると解消すると思われる。中道というものの見方は役に立つ。

〇両建戦術も弁証法戦略も西洋の知の枠組みで考え出されたものなので西洋の知的枠組みの中にいてはこれを相対化し超克する事はできない。我々日本人は本来西洋の圏外にいるのだから、日本や東洋の伝統知を参考にするのがよいと考える。「中道」「中庸」「縁起」などは非常に役に立つものの見方である。

〇縁起・中道などの概念は知覚経験及び知覚経験に基づく推理によって認識された領域即ち「現象」のみに妥当する。それを超えた領域(が仮にあるとして)については判断停止=無記が無難。断定できる事は断定し断定できない事は断定しない。物事の探求に際してはこの着実な経験主義的な姿勢が重要と思う。

〇東洋の合理思想を抽出した哲学者・末木剛博氏が言うように「縁起」「空」という概念はあくまで述語であって主語にはならない。主語にする事は実体化するという事である。現実に存在する現象を主語とし、その主語に関する述語として「縁起」「空」等の「理」が語られる。ここが西洋思想との違いである。

〇東洋思想で語られる「理」(法則)は西洋で「ゴッド」「一者」「イデア」「自我」「理性」「物質」等々の語で語られる形而上学的存在ではなく、現実の現象に即した「あり方」を意味する。東洋的思考では事(現象)から離れた理(法則)は存在し得ないと考える。朱子学ですら理は気=現象を離れない。

〇東洋における経験主義は例えば南方仏教の「無我相経」という経典に典型的に表れている。この中で仏陀は「全ての存在は無常である」という証明抜きの形而上学的な説き方はしない。認識し得る色・受・想・行・識(五蘊=人間存在の構成要素)の一々について「常か無常か」と着実に確認していくのである。

〇「我々日本人は本来西洋の圏外にいるのだから」と書いたが、西洋文明の源泉は地中海・オリエント世界である。地中海沿岸地域及び中近東を指す。地中海・オリエント的思考の枠組みからも離れて俯瞰する必要があると思う。石屋の憧れ「偉大なる東方=グラントリアン」とは地中海・オリエントの事である。


https://twitter.com/kikuchi_8/status/915261437592793088


(了)

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by kokusai_seikei | 2017-10-06 00:17 | ツイートまとめ | Trackback | Comments(0)

ツイートまとめ テーマ:新自由主義の帰結は巨大私企業群による集産主義体制である

〇昔の社会主義思想では巨大資本による寡占化が進んだ資本主義は社会主義の前段階と捉えられていた。つまり「生産力に見合った生産諸関係の再編=社会主義革命」直前の段階と見られていた訳である。無論その予想は外れたが、生産手段がごく少数の多国籍企業に寡占される状況は実は社会主義的だと言える。

〇巨大資本による寡占化を肯定する新自由主義は社会主義と対立するように見えて「生産手段の独占」を肯定する点で実は昔の社会主義に近い思想なのではないか。社会主義政府は本当は資本家の所有物だったので社会主義政府による生産手段の所有は資本家が所有するのも同然だった。ネオリベと同じ帰結だ。

〇ネオリベはネオリベ批判者を社会主義者扱いする事があるが、実は「少数者による寡頭独占」を肯定する点でネオリベこそ社会主義者に近いと言える。昔の社会主義者は資本の所有と経営が分離し寡占化が進んだ資本主義を社会主義に近い段階だと見ていた。その状況を肯定するのがネオリベ。同根だと思う。

〇唯物史観のおかしい所は歴史の動因とする「生産力」を実体的に捉えている所だろう。「生産力」は科学の発展による。科学の発展は人間の精神活動による。つまり生産力の発展は人間の精神活動に依存する。であるから「上部構造」が「下部構造」の核である生産力を規定する側面があるとも言える訳である。

〇唯物史観もプラトン以来の西洋哲学史の伝統を色濃く受け継いでいると言える。プラトンが「イデア」、ヘーゲルが「絶対精神」としたものを唯物史観では「生産力」とする訳である。「究極の実体」「究極の動員」みたいなものを想定する発想がプラトニズムの公式なのである。唯物史観も西洋の伝統に忠実。

〇森嶋通夫が言うように唯物史観は産業革命期の英国の状況を説明するのには適している面があった。しかし、「18世紀の英国」という時間的空間的限定を離れて世界の歴史全般に当てはめる事は無理である。前にも書いたが歴史(観)とは一つの解釈である。歴史観を絶対のドグマにする事は傲慢なのである。

〇唯物史観の公式を日本史に当てはめてあれこれ論争する「日本資本主義論争」というのがあった。共産党系の講座派と無産政党系の労農派の対立である。唯物史観の公式は産業革命期の英国の説明であり、それとは全く事情が異なる我が国の歴史に適用する事はできない。特定の歴史観をドグマ化するのは愚か。

〇皮肉にもロシア革命の史実が唯物史観の公式を否定。当時のロシアは資本主義は未発達だった。唯物史観では生産力の発達が生産諸関係と矛盾する事で革命に至るとするが、当時のロシアにはその条件が欠けていた。それでも「革命」は起った。人工芝革命は歴史の必然ではなく資本家が人為的に引き起こす。

〇過去の歴史は現代を考える鑑になる。TPPや日欧EPA、TiSA、水道民営化等の「グローバル化」やジョージ・ソロスらが世界中で引き起こしている人工芝革命つまりはNWO征略は「歴史の必然」ではなく特定の集団の意志と計画、組織的動員によって引き起こされている純然たる人為的な現象である。

〇旧ソ連のような社会主義国家では生産手段を「共有」ではなく政府を牛耳る集団(「共産貴族」等の特権階級のみならず背後の国際金融資本家を含む)が「独占」した。新自由主義では「多国籍企業群が(ISD条項等によって)政府を支配し生産手段を独占する事」を狙う。実質的には同じ事だと言ってよい。

〇簡単に言うと新自由主義もかつてのソ連型社会主義も「富と権力の寡頭独占支配」が現実の帰結である。ネオリベが論敵を「社会主義者」呼ばわりするのは、己自身が社会主義者と同じだからこそ誤魔化しているのであろう。裏権力の影響下にあるイデオロギーはどれも「富と権力の独占」という帰結になる。

〇社会主義者は現代のような寡占化が進んだ資本主義を「社会主義化の前段階」としてある意味肯定した。新自由主義者も同じくこのような資本主義を肯定する。寡頭独占資本家は実は「競争」が大嫌い。ロックフェラー1世は「競争は悪だ」と言った。競争に脅かされる事無く富を独占するのが彼らの「理想」。

〇競争を嫌う寡頭独占資本家が「自由競争」を強調するのは市場をこじ開けようとする時である。例えばEUは日欧EPAなどで我が国に対して「非関税障壁の撤廃」を要求している。法律を制定したり、独自の規制を行なったりする事は国家主権の一部である。これを撤廃する事は外国資本への屈服を意味する。

〇寡頭独占資本家が「自由競争」を主張するのは市場をこじ開けたり「競争」すれば(実は競争になってないが)必ず勝てる時だけである。かつての社会主義者は寡頭独占状態の資本主義を社会主義一歩手前としてある意味肯定した。寡頭独占を肯定する点でネオリベも同じである。経済思想における左右両建だ。

〇経済決定論に立つ主流の社会主義者はヒューマニスト=人道主義者ではない。彼らは人間の意志を超越した「歴史の法則」を想定するので寡占状態の資本主義がどんなに非人道的でも社会主義の前段階と考えある意味で「歓迎」する。同じく新自由主義者も「市場原理」という法則を信奉し寡頭独占を肯定する。

〇社会主義者と新自由主義者は実は似ている。個々の人間の意志を超越した社会的な意味での「法則」を信じ、社会的経済的な現象は「法則」が決定する必然だと考える。寡頭独占資本主義について社会主義者は「社会主義の前段階」として「歓迎」し、新自由主義者は「市場原理」の当然の帰結として肯定する。

〇巨大企業を批判すると「社会主義者」みたいなレッテル貼りをされる場合があるが、実は巨大企業による寡頭独占を肯定する方が社会主義者に近い。マックス・ウェーバーが言うように巨大化した近代の企業体は官僚制と同質である。生産手段を独占する巨大な私企業群を「政府」にすれば社会主義体制になる。

〇「生産手段を独占する巨大な私企業群を「政府」にすれば社会主義体制になる」と書いたが、昨今の「自由貿易協定」に盛り込まれているISD条項はこれを実質的に実現する為の毒素条項である。ISD条項によって巨大私企業が実質的に政府を支配下に置き、政策や立法を左右する事ができるからである。

〇「NWOは世界社会主義体制」と言われる事があるが、「生産手段を寡占ないし独占する巨大私企業群が全世界の政府を支配する」事は確かに実質的に社会主義体制と同じである。新自由主義・市場原理主義の行きつく所は実は社会主義体制だという逆説である。これも弁証法戦略から導き出される陰謀だろう。

〇新自由主義・市場原理主義の「役割」とは、巨大私企業の横暴を許し、寡占状態を増々進展させる為の「露払い」と考えると辻褄が合う。そして生産手段を含むあらゆる財を独占する巨大私企業群がISD条項などで政府を支配下におけば、それは実質的に社会主義体制である。社会主義実現の為の新自由主義?

〇仏蘭西では社会主義を「集産主義=コレクティビズム」と呼ぶらしい。生産手段の集中化を唱える主義である。この定義からすると、国際金融資本家が支配する巨大私企業群があらゆる富を独占(集中化)し、なおかつISD条項で政府機関をも支配下に置くなら、それは実質的に集産主義体制の完成である。

〇市場原理主義の行きつく先。実は集産主義体制に向かっている。新自由主義・市場原理主義が導く所は一見それらの主義とは真逆に見える集産主義体制である。規制を撤廃していけば巨大企業の独り勝ちになり、生産手段をはじめとする財の集中化が進むのは必定である。ネオリベ政策→寡占化→集産主義体制。

〇ネオコンの正体はトロツキー主義者だが、ネオリベの正体は寡頭独占を肯定する集産主義者だと分析する。もう一度整理する。①ネオリベ政策で規制を撤廃する②巨大企業の独り勝ちが進む③巨大私企業群に富が集中する(集産化)④ISD条項などで政府を支配下に置く➄集産主義(社会主義)体制の完成。

〇ネオリベが論敵を「社会主義者」呼ばわりするのは、ネット右翼が論敵を「サヨク」呼ばわりするのと同じである。ネオリベが導く所は集産主義であり、ネット右翼が信奉する清和会一味はネオコン=偽装転向トロツキスト=サヨクである。つまり、他者に自己投影しているだけである。左右両建に過ぎない。


https://twitter.com/kikuchi_8/status/897495108299309056


(了)

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by kokusai_seikei | 2017-09-29 00:18 | ツイートまとめ | Trackback | Comments(0)