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ツイートまとめ:与野党の売国勢力の改憲工作の目的は「国防」「安全保障」に非ずして自衛隊をネオコンの基本戦略「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」に組み込む事。即ち「傭兵化」!

〇安倍は2020年に憲法改正すると言うが売国勢力による憲法改悪の行き着く先は自衛隊の傭兵化。「平成は戦争のない平和な時代だった」とは思えない。世界中で偽旗テロや戦争が拡大し自衛隊も派遣された。イラクで亡くなった自衛官の死因に「不明」というものもあった。戦死の可能性も否定できないと思う。

〇安倍一味やその他のネオリベ野党が「2020年の改憲」を狙っている。「2020年」と言えばFTAAP(TPP+RCEP)の実現が目論まれている年でもある。決して偶然ではないと思う。2030年を「ゴール」として設定するワンワールド化工作の一段階として2020年は重要な年として位置付けられているのだと推測する。

〇平成は大正に似ている気がする。大正時代は国内的には「平和」(米騒動などもあり平和とも言えないが)だったが、対外的には第一次世界大戦に派兵した。ヒルズ賊を彷彿とする「成金」が登場したのも似ている。大正は昭和の動乱を準備した時代だったと言える。「令和の動乱」を阻止しないといけない。

〇「マイケル・緑のカバン持ち」「CSISの秘蔵っ子」「将来の傀儡候補№1」小泉進次郎がCSISで講演し「日本は国際社会への関与深めるべき」と言ったとか。これはつまり「改憲して自衛隊をネオコン・シオニストの侵略戦争に投入せよ」という事だろう。改憲工作の一環と見る。https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190504/k10011904961000.html

〇小泉進次郎が属するCSISの人脈は「国際社会」ではなくロックフェラーの影響下にある狭い閉鎖的なサークルに過ぎない。「国際社会」という実体は存在せず、個々の外国やら個人、団体、ネットワーク等があるに過ぎない。CSISという一部の勢力に加担する事を「国際社会への関与」と言い換える詭弁である。

〇小泉純一郎は「自民党をぶっ壊す」と言ったが、郵政民営化を実行するなどして日本を半壊させた。息子の進次郎は日本を全壊させかねない。既に安倍一味によって我が国は破壊し尽されようとしている。裏権力派閥は色々あるが、今最も日本で力を持っているのはこの勢力である。この勢力の打倒が最優先。

〇進次郎が「傀儡候補№1」と言っても能力があるからではないだろう(マイケル・緑「日本の総理は馬〇にしかやらせない」)。代々続く傀儡の家系(祖父は東京大空襲で日本人を焼き殺したカーチス・ルメイの叙勲に動き、父は郵政民営化を実行)なので、それだけ裏権力に従順と見なされているのだろう。

〇麻生がCSISで「日本の水道を全て民営化します」と言ったように、走狗政治屋は時々CSISに行って「講演」をしたりする。そこで「売国の方針」をアピールする。CSISに気に入られようと必死なのである。CSISの“覚えめでたい”輩が権力を与えられる。「CSIS詣で」をする輩は売国者と見て差し支えないだろう。

〇小泉はCSISの講演にて自身をケネディになぞらえていたそうだが、ケネディは「猶太マフィアを取り締まろうとする」「CIAを解体しようとする」「FRBを解体しようとする」「イスラエルの核武装を阻止しようとする」等々裏権力のタブーに触れまくったと思われる。全部事実なら小泉とは真逆の政治家だろう。

〇CSIS系人脈は、自民党(安倍一味、小泉一派、麻生、石破等々)や前原ら野党のネオコン系議員、笹川一派(この勢力のハブ。日本財団、東京財団及びその系列のネオリベ系学者・言論人など)、統一協会・勝共連合(似非愛国保守の元締め)、日本会議等々の複合体である。進次郎はこの勢力の「プリンス」。

〇「CSISが韓国軍から日本人を守る。その為には改憲が必要。」とか、ツッコミどころ満載過ぎて困る。これ程の「あ〇ま悪いひと」は久々。マイケル・グリーンは韓国のテレビに出演して「慰安婦問題」で韓国を焚きつけた。つまり日韓紛争は両建抗争。違うなら日中韓FTAで韓国との経済統合を図る訳がない。

〇「日本は日本人が守るべき」と言いながら小泉進次郎を支持するのだとしたらあ〇まがどうかしているとしか思えない。安倍一味以外だと小泉ほどのCSISの忠実な走狗、グローバリストはいない。CSISを知らずして日本の政治は分からない。的確な情勢認識の伴わない「愛国心」は逆に国を破壊する事が多い。

〇我が国が変えるべきは日米合同委員会をはじめとする「事実上の対日支配システム」である。これを変えなければいくら法律の条文をいじっても日本が独立する事は出来ないし、それどころか逆に隷属の度合いを増す事になる。「金だけではなく血をも出せ」が裏権力及びその走狗の改憲工作の目的と見るべき。

〇戦後日本はロックフェラー、CFR、CSIS、CIAなど裏権力に従属する構造が出来上がっている。これは憲法や法律の条文には表れない事実上のシステムである。事実上のシステムを打破するには一人でも多くの国民がこの事を知り、裏権力及びその走狗の権力を失墜させるという事実の上での変革が必要である。

〇安全保障と言うと兵器ばかり言われるが「兵站」「糧道」が非常に重要である。戦国時代に於いては城を囲んで糧道を断つという戦法が使われた。だが、今改憲を狙っているのは「水や食料をグローバル企業に握らせてもよい」と思っている連中。これだけで彼らの改憲の目的が安全保障ではない事が分かる。

〇今国会で改憲を狙っているのは水道民営化(私的独占化)や種子法廃止を推進・支持してきたネオリベ系政党が中心である。これだけで「ヤバい」事が分かる。「グローバル企業が日本の水と食料を担うのが日本の為」などと思っている連中である(日本の為ではない事を知りつつ叩き売っているのだろうが)。

〇憲法学では憲法を「形式的意味の憲法」と「実質的意味の憲法」に分類しているそうである。前者は「日本国憲法」のように文字に書かれた所謂憲法である。後者は「立憲的意味の憲法」と「固有の意味の憲法」に分かれる。前者は立憲国家の仕組みで、後者は全ての国家社会に存在する統治の仕組みとされる。

〇「形式的意味の憲法」「実質的意味の憲法」「立憲的意味の憲法」「固有の意味の憲法」という「憲法」の分類が憲法問題を考えるのに参考になった。多少意味は相違するかもしれぬが、戦後の「対米(裏権力)従属構造」は「固有の意味の憲法」に相当するとすれば、変えるべきはこれである。条文ではない。

〇謂わば「憲法改正」が必要なのは「形式的意味の憲法」や「立憲的意味の憲法」ではなく「実質的意味の憲法」の中でも「固有の意味の憲法」である。戦後日本の「固有の意味の憲法」とは日米合同委員会、与野党両建、警察検察、電通、宗教法人法で保護されたカルト等が構成する実質的な支配構造だと見る。

〇「我が国が変えるべきは日米合同委員会をはじめとする「事実上の対日支配システム」」と書いたが、「事実上の対日支配システム」こそが「実質的意味の憲法」の中でも「固有の意味の憲法」に相当すると考える。これを変える事が日本独立の道。概念整理をすると今何をすべきなのかが明晰に見えてくる。

〇実質的な支配構造を無視して憲法の条文だけ変えれば日本の独立を達成できるという議論に騙されてはならない。改憲しても実質的な支配構造(固有の意味の憲法)は何も変わらない。むしろ、実質的な支配構造により適した憲法にしようというのが裏権力及びその走狗の改憲工作の狙いだと見るべきであろう。

〇「実質的意味の憲法」の中でも「固有の意味の憲法」は独裁国家を含む全ての国に存在するとされるので、いかに不当なものでも「統治構造」「支配構造」がある所には必ず存在するものである。よって「憲法」と表記されても正当なものとは限らない。そこがこの憲法学上の概念を用いる際の注意点であろう。

〇日米合同委員会とは日米同盟及び日米地位協定の運用機関とされる。米軍関係者と日本政府の官僚が構成する。ここで秘密裏に決められた事が憲法や法律に優先する。この「超憲法的支配」こそが日本国憲法という「形式的意味の憲法」を超える「実質的意味の憲法」となっている。変えるべきはこれである。

〇単に在日米軍関連の事項だけではなく、様々な「政策」がここで決められているのではないか。ここで何を「協議」し「決定」しているのかは非公開だからである。日米の裏権力走狗が秘密裏に談合する場としてはこれ以上に適した場はないだろう。在日米軍基地の会議に統一協会の幹部が参加していたりする。

〇日米合同委員会に属した官僚は出世コースに乗るらしい。法務官僚は検察トップまで行く。検察はかかる人事によって日米合同委員会を筆頭とする裏権力の対日支配システムの一部に組み込まれている。検察、特に東京地検特捜部は裏権力及びその走狗にとって不都合な人物を社会的に抹殺する「役割」を持つ。

〇「在日米軍に守ってもらっているから文句は言えない」みたいに言われるが、在日米軍は米国の裏権力中枢の世界戦略上必要だから置いているのであって別にボランティアで日本を守る為に置いている訳ではない。米国務省が中国の国共内戦で国民党軍への支援を打ち切ったように世界戦略上の都合次第である。

〇例えばベトナム戦争時も佐世保や沖縄から出撃したし、アフガン戦争やイラク戦争の時もそうである。あれらは別に米国という国や米国民の為に行われたものですらない。ネオコンやシオニスト、国際金融資本というごく一握りの裏権力者の為に行われた私戦みたいなものである。米軍は彼らのコマでしかない。

〇米海兵隊で「英雄」とされたスメドリー・バトラーという将軍は「戦争はいかがわしい商売」であり、米軍は資本家の用心棒に過ぎないと述べている。だから米国の愛国的な勢力はむしろ米軍の世界展開には消極的である。彼らの支持を受けるトランプが米軍の撤兵に積極的な姿勢を見せるのもその為であろう。

〇米国が日米同盟によって日本を守っている事になっているが、米国が中国に軍事援助をしていた事をハドソン研究所の中国専門家が暴露していた。米国の最大の同盟国であるイスラエルは長年中国と軍事的な協力関係を続けている(イスラエルは日本とは準軍事同盟を締結)。このような両建構造が背景にある。

〇「在日米軍に守ってもらっているから文句は言えない」とか「ボランティアで日本を守ってくれている」とはある意味自己中心的な発想である。戦前の日本中心主義を自虐的に裏返したものだと言える。米軍は我が国の為に動いているのではない。米国民の為ですらない。一握りの裏権力者の都合で動いている。

〇米軍が世界戦略の上で動いているという事を考慮に入れず、只々日本国内の情勢だけで米軍の動きを推し量ると、かえって自虐的で卑屈な発想に堕する。これは実は自尊的なナショナリズムと表裏一体で、裏返しと言ってよい。なぜなら「日本国内の都合だけで国際情勢が動いている」という発想だからである。

〇極端な自尊と極端な自虐は表裏一体でありいつでも反転する。戦中に「鬼畜米英」を叫んでいた軍人や右翼の中には戦後に米軍が進駐してくると喜んでその手先となった者が数多くいた。戦後の日本の裏権力支配を担ったのは主にこの者達である。自民党清和会以下今の日本を牛耳っているのもこの系列である。

〇「極端な自尊と極端な自虐は表裏一体でありいつでも反転する」事が極端な日本中心主義者が極端な従米主義者に変身した心理的機制(カラクリ)だと分析する。的確な情勢認識を伴わぬ愛国心は逆に壊国に作用する事が多い。逆に大なり小なり日本を取り巻く権力構造を見抜いた愛国者は歴史から消された。

〇「表権力」と「裏権力」を定義すると「表権力」とは各国の首相や大統領など公職の地位にある権力者を指す。普通はこれらの者達が世の中を動かしていると思われている。それに対して「裏権力」とは前者の周辺又は背後にあって本当の決定権を持つ勢力の事である。米国だと資本家・財団やシンクタンク等。

〇米国の猟官制(スポイルズ・システム)だと大統領が代わるごとに政府のスタッフも一斉入れ替えとなる。そこに大企業やシンクタンクなど民間から滑り込む事が多い。それらのスタッフは財閥の影響下にある組織から直接送り込まれているので、一応「公職」には就いているが、彼らも「裏権力」と定義する。

〇大統領のスタッフは一応「公職」(「なんとか担当大統領補佐官」「なんとか次官補」など)にあるが、実質的な政策決定権を持つコントロール要員としてシンクタンクなどから送り込まれていると思われるので、表向きの決定権を持つのが大統領とされている以上、そういう意味でも「裏権力」と定義出来る。

〇このように定義した上で「米軍は裏権力者の都合で動いている事」の具体例を挙げる。イラク戦争は、子ブッシュはあ〇ま空っぽの傀儡に過ぎず、ポール・ウォルフォウィッツやリチャード・パールらネオコンが主導した。ウォルフォウィッツは既に1990年代初頭にイラクやイランを攻撃する計画を立てていた。

〇ウォルフォウィッツはイラク滞在中に近くにロケット弾か何かがさく裂して腰を抜かした、みたいなエピソードを何かで読んだ記憶がある。さもありなん。自分は血を流す覚悟のない、こういう裏権力者が考えた「計画」を実行する為の手足となって動いているのが米軍。命を落とした米兵も犠牲者だと言える。

〇米国の権力構造は「財閥→シンクタンク→連邦政府」という指揮系統だと分析する。ロックフェラーなど財閥の影響下にあるCFRやCSISという「シンクタンク」から連邦政府に人材を送り込みコントロールする仕組み。米国のシンクタンクは権力組織。対日操作班のジャパンハンドラーズはシンクタンクの所属。

〇今米国がベネズエラに対して取っている介入政策もトランプの意思というよりはジョン・ボルトン(イラク戦争の推進者だった)ら周辺のネオコン系スタッフの主導と見るのが妥当であろう。根が商売人であるトランプは「民主主義の輸出」などというネオコン的な思想にはあまり関心が無い人物だと思われる。

〇先述したリチャード・パールは「暗黒王子(The Prince of Darkness)」という異名を持つシオニスト猶太人である。ネオコン系のシンクタンク「アメリカ新世紀プロジェクト(PNAC) 」のメンバーであり、イスラエルに長く滞在し、右派政党のリクードを支持する。米軍はこういう連中の手足になっている。

〇このネオコン系人脈が米軍を使役。その下請けがイラン・コントラ事件でも暗躍した統一協会。その統一と密接な関係にあるのが与野党の偽装保守勢力という構図。よってこの勢力が企む改憲の目的が米軍と同様に自衛隊をネオコンの手足、傭兵とする事なのは明らかだろう。くどい説明でこれが言いたかった。

〇ネオコンのポール・ウォルフォウィッツが国防次官だった1992年に作成した「ウォルフォウィッツ・ドクトリン=DPG(国防計画指針)」が今に至るまでのネオコンの基本戦略となっている。米国を「唯一の超大国」と位置付けて潜在的な敵対勢力を打倒するというものである。https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201505150000/

〇1992年にウォルフォウィッツ・ドクトリンが作られた後、2000年にネオコン系シンクタンク「アメリカ新世紀プロジェクト(PNAC)」が「アメリカ防衛再建計画」という軍事改革案を作った。その中で「真珠湾攻撃のような破滅的出来事抜きには再建には長期間を要する」と述べ、その1年後に911事件が起きた。

〇ブッシュ、オバマ、トランプと米国の政権は変遷したが、米国の軍事外交政策の基本はウォルフォウィッツ・ドクトリンに沿っていると見られる。この間、アフガン侵攻、イラク侵攻、リビア侵攻、ウクライナのネオナチクーデター、シリア介入等様々な侵略が行われたが、全てDPGに沿う動きと言えるだろう。

〇「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」は米国を唯一の超大国として世界制覇を実現するというワンワールド妄想の一種である。ワンワールド妄想の中でもネオコン・シオニスト系人脈が推進するワンワールド化工作である。目下行われている米国の対イラン強硬政策や対ベネズエラ介入工作もそこから出たもの。

〇かかる全体の構図を頭に入れた上で「改憲工作の狙いは自衛隊をウォルフォウィッツ・ドクトリンに組み込む事」と言えば一瞬で本質が分かる。改憲工作の本質は国内の事情だけでは分からない。ネオコンは経済ではネオリベ。両者は表裏一体。という事はネオリベ系与野党が狙う改憲の目的は明らかだろう。

〇このように我が国の自衛隊をネオコンの基本戦略「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」の枠組みに完全に取り込んで傭兵化する事が改憲の目的だと分析する。「改憲で対米自立どころか増々隷属化」とはこういう事である。米軍もネオコンの傭兵なので「米軍の傭兵」化というより「米軍の下請け」化である。

〇「傭兵化」とは郵政を民営化してゴールドマン・サックスに差し出すのと同じで自衛隊をネオコンのドクトリンの実行の為のコマとして差し出す、謂わば「金だけではなく血をも差し出す」という事。経済と安保で分野は違うが本質は一緒。水道民営化など推進する連中が日本の安全保障など考えるはずもない。

〇「改憲によって自衛隊をネオコンのウォルフォウィッツ・ドクトリンに組み込めば中国に対抗できる」という事は無い。ネオコンと一体のイスラエルは数十年前から中国と軍事協力関係にあるので、ネオコンの下請けとして世界で軍事展開しても中国に対抗する所以にはならない。只の両建に嵌められるだけだ。

〇猶太人が中心のネオコンは米国ではなくイスラエルに忠誠心がある(二重国籍者の「二重忠誠心」と言うが、彼らが唯一忠誠を誓う『国家』はイスラエルのみと見るべき)。そのイスラエルが中国と軍事協力関係にある以上、ネオコンの傭兵化しても自称保守派のロジックの如き「中国への対抗」にはならない。

〇小泉政権時代の町村信孝外務大臣がイスラエルに「東アジア」(中国だろう)への武器輸出をやめるよう申し入れた記録が外務省のHPの資料に載っている。公式記録に載っている訳である。とはいえ、はっきり「中国」あるいは「北朝鮮」と書かれない辺りは外務省の「忖度」だろう。https://www.mofa.go.jp/mofaj/kaidan/g_machimura/rip_05/i_p_gh.html

〇極悪売国政権だった小泉政権の外相ですらイスラエルに「東アジアへの武器輸出」を止めるように申し入れていたのに、今の安倍一味はイスラエルとの準軍事同盟(日本・イスラエル共同声明)を結んでしまい、サイバーセキュリティでイスラエルの技術導入を図る始末。我が国は完全に両建に嵌められている。

〇2000年代に入ってからの森政権、小泉政権以来、我が国はネオリベ・ネオコンの支配が続いているが、軍事政策に於けるウォルフォウィッツ・ドクトリンへの組み込まれの度合いは時を追うごとに深化している。安倍はイスラエルと準軍事同盟すら結んだ。改憲がトドメになる。絶対に阻止しなくてはならない!

〇裏権力派閥の中でもネオコン派と世界連邦派は対立しているように見えるが所詮は両建で「ワンワールド」という最終目標は同じである。ネオコンは主に軍事侵攻で実現を図り、世界連邦派はEUの如き広域共同体(東亜共同体もその一つ)を作る事で実現しようとする。手段や路線が違うだけで最終目的は同じ。

〇安倍はいつの間にかイスラエルと「日本・イスラエル共同声明」という「準軍事同盟」を締結していた。殆どの国民が知らないのではあるまいか?マスコミはこんな重大な事を知らせない。「不作為のフェイクニュース」とはこういう事である。【日本・イスラエル共同声明(骨子) 】https://www.mofa.go.jp/mofaj/files/000038437.pdf

〇日本・イスラエル共同声明の中に「防衛協力の重要性と閣僚級を含む防衛当局間の交流拡大で一致。自衛隊幹部のイスラエル訪問で一致」という項目がある。イスラエルと中国の軍事協力はこの程度ではない。人民解放軍の参謀総長がイスラエルを訪問している。まさに日中への両建戦術以外の何物でもない。

〇国会にて「改憲の是非」ではなく「憲法改正国民投票のCM規制の在り方をめぐり」議論している。改憲ありきの思考誘導でしかない。マスコミもグルなのは言うまでもない。https://www.jiji.com/jc/article?k=2019050901177&g=pol

〇衆議院で憲法審査会が開かれ、何を議論しているかと思えば「憲法改正国民投票のCM規制の在り方」である。これは端から改憲が大前提の茶番劇である。人工芝運動の目的の一つと見られるのも国民投票への誘導である。国民投票が不正なしに行われる保証はない。国民投票への誘導自体が罠である。要注意。

〇「傭兵化」とは自衛隊が改憲によりウォルフォウィッツ・ドクトリンに組み込まれて日本国民の為ではなくネオコンという私的な集団の為に使役される事態の表現だが、実際の傭兵の場合の如く連中がお金を払う訳ではない。それどころか日本国民の税金で賄う。「金だけでなく血をも出せ」がその本質である。



by kokusai_seikei | 2019-05-19 12:30 | ツイートまとめ | Trackback | Comments(0)

ツイートまとめ:「WTO改革」の為に動き出した各国の裏権力走狗。彼らが2030年に想定するWTO再編こそ「ワンワールド」。断固阻止あるのみ!

〇安倍一味は日中韓FTA即ち中国や韓国との経済統合を推進している。最近の日韓紛争は只の両建抗争だと分かる。この期に及んで安倍一味を「反中国」「嫌韓国」と思い込んでいる人は「あ〇ま悪いひと」と言わざるを得ない。【日中韓FTA、首席代表会合始まる】https://www.sankeibiz.jp/macro/news/190409/mca1904091831011-n1.htm

〇自分であ〇ま悪いひとと名乗っている奇特な人もいるが、安倍信者はそう名乗らない。だがRCEPや日中韓FTAなど安倍一味の具体的な外交政策を客観的に観察せずに「安倍総理は中韓に対抗する愛国者」と思い込んでいる以上立派なあ〇ま悪いひとである。安倍は反中韓どころか中韓と経済統合したがっている。

〇安倍一味は日中韓FTAの推進の一方でRCEPの年内妥結を狙っている。そんな中世耕が訪中し「WTO改革で日中が連携」する事を「確認」した。WTO再編=世界市場統一こそがTPPなど各メガFTAの最終目標である。つまり日中のグローバリストによるワンワールド化工作の推進宣言に等しい。https://www.jiji.com/jc/article?k=2019041500807&g=pol

〇経団連の資料に徴するに「WTO改革」とは「新WTO=世界市場の統一=経済ワンワールド」であろう。これがTPPや日欧EPA、RCEP等の先に想定されている。したがって「WTO改革の為に日中が連携する」とは日中のグローバリストが連携して世界市場の統一を推進するという事だろう。今後の動きに要警戒である。


〇中国との経済統合を図り、中国と連携して「WTO改革」をやろうとしている安倍一味が「反中国」でない事は明白。この期に及んで安倍を反中国と思い込んでいる者は「あ〇ま悪すぎるひと」だ。かといって安倍は「親中国」でもない。グローバル資本の走狗、グローバリストであるに過ぎない。只の売国者。

〇安倍一味はついに「WTO改革=新WTO=世界市場統一」に向けて露骨に動き出した。これこそがグローバリストらがTPPや日欧EPA、RCEPなどの先に想定する真の目標である。RCEPを推進する中国のグローバリストと連携してこの目標を達成しようと目論んでいる。日本VS中国ではなく国民VSグローバリストの構図。

〇だが、何度も言っているようにTPPが「入口」である。TPPが無ければ論理必然的に新WTO=世界市場統一もない。よってTPPを脱退すれば「WTO改革」も頓挫する。TPP脱退は主権を守る事だけではなく経済ワンワールドの阻止にも繋がる。何が何でも脱退しなければならない!TPP脱退を言い続ける所存である。

〇WTOの訴訟で日本政府が韓国政府に「敗訴」したのは「WTO改革」の為の布石だろうか?以下は読み。①WTOで日本政府を敗訴にする。②安倍一味は「WTO改革」を主張する。③「韓国憎し」の自称保守派が「WTO改革」を支持する。④中国のグローバリストと連携して「WTO改革」を推進する。こんな所だろうか。

〇自称保守派が「WTO改革」を支持する光景が目に浮かぶ。グローバリストのコマになりながら、それが「愛国」と信じ込んでいるという見飽きた毎度のパターンである。プロは確信犯だが。「韓国憎し」でWTO改革を支持するだろうが、安倍一味は日中韓FTAで韓国と経済統合したがっているのだから完全に両建。

〇「日本政府のWTO訴訟敗訴」は安倍一味への「発破掛け」と見る事が出来る。敗訴によって安倍一味は「WTOは不公正だ。改革が必要だ」と主張できるし、おまけに嫌韓国の自称保守派を「WTO改革」に向けて動員する事も出来る。本当に韓国が嫌いなら日中韓FTAもRCEPもFTAAPも不参加を表明し破棄すればよい。

〇もう一つ重要な事がある。「日本が負けた、韓国が勝った」とやっている土俵そのものはWTOである。WTOなる国際機関が国家間の紛争を裁き、政策の妥当性を判定する権威を認める(即ち主権侵害の容認)事を前提にしている。つまり暗黙の内に「世界政府」の如きものを認めるような刷り込みがなされている。

〇国家の政策がWTOの判断次第で撤回させられるなら、WTOに主権を超える権威を認めているに等しい。この点ではISDSと同質である。ISDSは「企業VS国家」の構図でもっと酷い。ISDSは世界銀行の投資紛争解決国際センターが担当する。世銀やWTOという「国際機関」が国の主権を超えて介入する点では全く同じ。

〇「日本VS韓国」の紛争という構図に釘付けにされている間に、「世界政府の雛型と」も言える「国際機関」に主権を超える権威を認めるという、ワンワールドの刷り込みが徐々に進行している。裏権力にとっては韓国は只の「ダシ」に過ぎない。もっと大きな視点で構図を理解しないと両建に嵌められてしまう。

〇例えば日中韓FTAやRCEPなどで韓国と経済統合を図りつつ日韓両建抗争をダシにWTO改革=経済ワンワールドを訴える両建である。「親韓国」で韓国との経済統合を進めても、「嫌韓国」で「WTO改革」を進めても、結局は「経済ワンワールド」に行き着く。日中韓FTAは新WTOの一部なので結局は両建なのである。

〇米中両建抗争を行うトランプ政権がWTO改革を主張するのもその一環だと見る。中国に高度な半導体技術を伝授したのはクアルコムという米国の半導体メーカーで、それを手引きしたのがキッシンジャー・アソシエイツと言われている。トランプはそのキッシンジャーを私的外交顧問としている。まさに両建。

〇TPPや日欧EPAと並び日中韓FTAは2030年に計画される新WTOの一部として設定されている。恐らくRCEPの東亜ブロックが日中韓FTAなのだろう。そして2020年にTPPとRCEPを合してFTAAPにする狙い。親韓国で日中韓FTAを進めても嫌韓国で一足飛びに「WTO改革」を訴えても結論は同じ。両建に騙されてはならない!

〇いまだに「TAG交渉」と誤魔化す日米FTA交渉で安倍一味がTPP以上の譲歩をする可能性があるので要注意。TPP自体が包括的奴隷条約なので「TPP並み」でもダメだ。「TPP並みの譲歩なら外交的勝利」などと言う詭弁に騙されてはならない。包括的奴隷条約に入る事自体が敗北である。真の勝利とは脱退以外ない。

〇日米FTAと並び今最も気を付けなければならないのが2020年に目論まれているFTAAPである。これはTPPとRCEPを合わせたもの。FTAAPには米国も含まれる。よって、日米FTAからの米国のTPP復帰や、年内のRCEP妥結、来年のFTAAP妥結へという目論見を警戒すべきである。包括的奴隷条約は脱退と阻止あるのみ!

〇例の経団連の資料によると2020年にTPPとRCEPを合わせてFTAAPにする目論見である。このFTAAP構想には中国だけでなく米国も含めている。という事は日米FTA交渉と同時に又は関連付けて気を付けるべきは米国のTPP復帰の企みである。今のトランプ政権は微妙だが、CSISははっきり米国のTPP復帰を狙っている。


〇TPP、RCEP、それらを合して2020年に目論まれるFTAAP、日欧EPAなど各メガFTA(包括的奴隷条約)の先に想定されている最終目標は2030年のWTO再編である。安倍一味は最近盛んに「WTO改革」に言及し始めた。経団連の資料を見ても分かるように「WTO改革」とは「各メガFTAを統合した世界市場統一」である。

〇安倍は東欧を訪問して「WTO改革」への理解を求めた。中国が進出を図る東欧への訪問で中国への対抗という体裁で「自由・人権・法の支配」という実際には毛ほども重視していない「価値観」に訴える一方で、中国に対しては一帯一路への協力表明や「WTO改革で協力する事を確認」している。完全に両建外交。

〇安倍は「一帯一路の透明性」について指摘するが、これは裏を返せば一帯一路自体には反対していない事を意味する。日中韓FTAやRCEPで中国との経済統合を図る一方で「自由・人権・法の支配」などを掲げるネオコン流の「価値観外交」で中国に対抗するポーズをとる。「WTO改革」を最終目標とする両建戦術。

〇メガFTA(包括的奴隷条約)とは「グローバル資本の利益」が最優先される仕組みである。ISD条項やラチェット規定などの毒素条項で主権が奪われるので国民が自主的な決定権を持つ「民主主義」とは真逆のものであり、そこで重視されるのは「グローバル資本の自由」であって「庶民の自由」は抑圧される。

〇日米首脳会談で「WTO改革」での日米連携を申し合わせた由。何度も言っているが、経団連の資料に徴すれば「WTO改革」とは2030年に目論まれる「世界市場の統一」である。安倍は中国にも米国にも「WTO改革」を訴えるという両建外交を展開して「新WTO」の為に動いている。要注意。https://www.sankei.com/economy/news/190428/ecn1904280003-n1.html

〇安倍はEU大統領ともWTO改革を「共に主導していくことで一致」した由。EUと中国、米国は最近揉めている事になっているが、安倍はこの全てと「WTO改革」で「一致」。要するに「WTO改革=経済ワンワールド」の推進は裏権力の総意という事だろう。両建抗争に騙されてはならない。https://mainichi.jp/articles/20190426/k00/00m/010/133000c

〇安倍はCFRが「リベラルな指導者」と持ち上げる程の走狗中の走狗。つまり最も裏権力に忠実な『首脳』の一人だと言える。だから安倍の動きを見れば裏権力の意向が読めるというもの。安倍は最近「WTO改革」を盛んに訴え出した。TPP、日欧EPA、RCEP、FTAAPの先に想定する新WTOの為に動き出したと見るべき。

〇TPP、RCEP、FTAAP、TiSA、日欧EPAなど各メガFTA(包括的奴隷条約)を合体させたものが新WTOである。謂わば「世界市場統一=経済ワンワールド」。だが、逆に言うとこれら各包括的奴隷条約が不成立だとその時点で新WTOも実現不可能になる。よってワンワールド阻止の為にもTPPの脱退が不可欠なのである。

〇この中でFTAAPはTPPとRCEPを合わせたものなので日本がTPPを脱退しRCEPに不参加なら成立しない。TPP脱退とRCEPの阻止→FTAAPの阻止になる。TPPは「新WTO」という「経済ワンワールド化」の「入口」に当たる。入口で阻止したら野望は潰える。主権奪還とワンワールド阻止。TPP脱退が如何に重要かが分かる。

〇一帯一路で債務国を借金奴隷にすると言われているが、これはIMFや世界銀行が行ってきた事ではないか。途上国を借金漬けにして公共インフラを私企業に売却させるという、悪辣な「国際闇金商売」を彼らは行ってきた。そこに中国が新たに参入しようとしているだけの事。国際闇金業者は全部消えるべきだ。

〇例えば世界銀行はボリビアに融資する条件としてコチャバンバ市の水道事業をベクテル系の私企業に売却させた。結果、水道料金が高騰し暴動が起き死者まで出た。世界銀行にはこのような「前科」がある。マッキンゼー絡みの一帯一路をメディアが叩くのは裏権力及びその走狗同士の両建抗争と言う他はない。

〇このように相互に対立しているかのように見える中国、米国、EUらが揃って安倍の言う「WTO改革」に賛同している。一帯一路も経済ワンワールド妄想の一部に過ぎないと見るべきだろう。裏権力及びその走狗は相互に対立しているように見せて実際には経済ワンワールド化の推進では固く「一致」している。

〇安倍が「WTO改革」を声高に主張し出したのを見るに、裏権力走狗は経団連の資料が示す「ワンワールド化工作の工程表」通りに動いているとしか思えない。その工程表とは「TPP、日欧EPA、RCEPなどメガFTAを同時並行的に推進し、2020年にFTAAP、2030年に新WTO=世界市場統一を実現する」というものである。

〇陰謀否定論者は『陰謀論』と決めつけるだろうが、「工程表」を載せている経団連の資料はれっきとした公開資料であり、裏権力走狗の実際の動きが現実にその「工程表」に沿っている事は否定できない事実である。2030年にWTO再編を行うという目標は韓国との訴訟でにわかに言い出した事ではないのである。


〇韓国とのWTO訴訟は裏権力走狗にとっては「WTO改革」を訴えるのに好都合な事象であった。特に保守派を動員して「WTO改革」を支持させるのにお誂え向きである。「WTO改革」は韓国との訴訟でにわかに言い出した事ではない。既に何年も前からメガFTAの先に想定されていたグローバリストの最終目標である。

〇「経団連の資料に載っているだけで経団連の勝手な主張である」と言う異論もあり得るが、そうでない事は米国、中国、EUの各首脳らが安倍が声高に唱える「WTO改革」に賛同している事で分かる。5Gや一帯一路を巡り対立中に見える米国、中国、EUらは「WTO改革」では一致。即ち裏権力の総意という事だろう。

〇米国、中国、EUは5Gや一帯一路を巡って激しく対立しているように見えるが、それらの首脳全てが安倍の主張する「WTO改革」に賛同している。では、WTO訴訟で日本政府と対立する韓国政府はどうか。韓国政府は新WTOの基礎単位として設定される日中韓FTAやRCEPを推進しているので日韓紛争も両建と見るべき。

〇各国首脳らは相互に両建抗争を演じつつ2030年の新WTOに収斂させようとしているとしか思えない。国連が唱えるSDGsのゴールも2030年に設定されている。「2030年」がキーワードである。この年までにワンワールドを達成するという裏権力の計画があるのだと見る。個々の事象をバラバラに見ると分からない。

〇国連の関連機関である世界銀行が途上国を債務奴隷にして公共インフラを奪った事実を見ても国連が掲げるSDGs(持続可能な開発目標)が決して人類全体の為の「計画」でない事は容易に分かる。国連が「人道」の看板を掲げて一部の勢力に利益誘導する為のフロント組織である事は過去の所業を見ても明らか。

〇国連の一機関として「世界遺産」を認定するユネスコという機関があるが、神智学協会がユネスコの創設に影響を与えたと言われている。神智学協会のアリス・ベイリーの一派は「ルシス・トラスト」と名乗り国連ビルの中に拠点を持っている。「瞑想室」があるなど、国連はオカルト人脈と密接な関係にある。

〇話は飛ぶが、2011年の「ウォール街を占拠せよ」デモのサイトのドメイン登録者の住所は国連ビル内のルシス・トラストの住所と同じだと指摘されていた。人工芝運動は裏権力の中でも神智学系のオカルト人脈の領域なのだと見ている。実際に横文字左翼の周辺にはニューエイジャーやオカルティストが多い。

〇陰謀否定論者は「陰謀論者が言うような社会全体の操作は不可能」みたいに言うが、これは中央集権的な機構が発達した近代社会には当てはまらない。主要な機関の中枢を抑えるだけで全体を操作可能である。例えば中央銀行を抑えれば通貨供給量の操作を通じて一国の景気に多大な影響を及ぼす事が出来る。

〇裏権力走狗である安倍一味は「内閣人事局」という一部局を支配するだけで官僚機構全体を支配下に置いた。このように権限の集約化を特徴とする近代的組織に於いては一部の中枢を抑えるだけで全体を支配出来るのである。「世界政府」はその究極の形態。だから裏権力はワンワールド化を推進するのである。

〇各国首脳を抑えるか、そこに走狗を送りこむだけで一国を支配下に置く事も可能であろう。だから「WTO改革」を各国首脳が一斉に言い出した背後に裏権力の「総意」を想定しても全く不合理ではないと考える。ビルダーバーグ会議のような各国の権力者が集まり方針のすり合わせをする場はその為に存在する。

〇水道私営化や種子法関連の農政に関し各自治体の方針が異なるのは自治体が中央政府の指揮下にないからである。そこで裏権力が政府だけでなく自治体も支配下に置く為の仕掛けがISDSである。自治体が水道事業などに関し政府の方針とは異なる独自の政策を取れなくする。ここでもTPP脱退の重要性が分かる。

〇例えば中世史を例に「社会全体の操作などあり得ない」とする主張は極めて多元的だった中世の社会と中央集権化が高度に発達した近代社会を同列に論じるという誤謬に基づいている。中世は「無縁」などという世俗の権力が及ばない自由空間すらあったが、近代化とはこのような自由空間の喪失の過程である。

〇中世では「無縁」とされた寺社などは世俗の権力が及ばないある種の自由空間として認められていた。近世から近代にかけて世俗の権力が中央集権化の度合いを進めるに伴ってこのような空間も消失していった。その最高度の集約が「世界政府」だと言える。そこには「自由な空間」などもはや全く存在しない。

〇現代に於いてはネット空間が極めて多元的である種中世に似ている。だが、そこにも統制の手が伸びようとしている。シンガポールは政府が虚偽と見なしたネット情報の削除を命じられる法案を通そうとしている。英国政府もネット統制の強化を図る。我が国も全く他人事ではない。https://www.nikkei.com/article/DGXMZO43218450S9A400C1FF1000/

〇国史上にある「無縁」とは元は「縁が無い→関係性がない」という意の仏教用語。縁=関係性には認識対象(所縁縁)も含まれる(対象を認識する事を「縁じる」などと言う)。認識対象への執着を離れる事が仏教の言う自由。そこから敷衍して対象から離れる(厭離)→縁を切る→無縁の観念になったと推測。

〇「無縁」の考察の続き。仏教で「無縁の慈悲=自分と関係のない衆生に向けた広大な慈悲」と言うように「無縁」とは「関係がない」という意味である。国史上で言われる「無縁」とは寺社などそのエリアに入ると世俗の関係性(主君と家臣、婚姻関係、債権債務、訴追や刑罰等)が切れたアジール領域を指す。

〇今の中国を見ても分かるようにNWO化した超監視社会ではあらゆる個人情報が紐づけされて管理されたり、あらゆる場所に張り巡らされた人工知能搭載の監視カメラで常に動向を把握される。つまり個人単位で完全に管理され「無縁」の領域が完全に消滅した社会だと言える。謂わばNWOは「無縁」と無縁である。

〇ビッグデータ、AI、IOTなどを駆使するNWOの超監視社会は権力が個人単位で完全に管理統制する社会である。「無縁」について少々考えたのは、権力の介入を許さないアジール領域だった無縁は全てを管理統制するNWOには絶対にあり得ない事なので、無縁を考察する事でNWOを逆照射出来ると思ったからである。

〇同じく国史上に徴するに「一揆」というのもあった。一揆では人々が地縁や血縁等に関わりなく個人の平等な資格で団結した。山城国一揆では国人と農民が団結して山城国南部で戦を繰り広げた畠山義就と畠山政長を追い出し、「惣国月行事」と呼ばれる指導者を選挙で選び、8年間の自治を敷いたそうである。

〇一揆は公然たる対等な個人同士の団結なので、厳格な位階制を特徴とする西洋の秘密結社と対照的である。「無縁」はNWOを、「一揆」は「秘密結社」を逆照射する国史上に現れた現象であり原理だと言える。NWOに対抗するには自由な領域の確保と独立独歩の個人の対等な立場での団結が鍵になるかもと思った。

〇山城国一揆はパリコミューンは勿論仏蘭西革命からテルミドールクーデター
までの期間より長い。背後に国際金融資本家の影があるこれらの大東社系革命運動ではなく一揆が参考になる。日本人は本来自治を行う能力が高いと思う。江戸時代も一揆は頻発した。「お上」に従順な傾向が出たのは明治以後では。

〇「無縁」の話に戻るが、「無縁」を「認識対象から離れる→縁を切る→無縁」と語源を推理したが、スマホを与えられた現代人は常に情報の洪水に晒されており、膨大な認識対象から離れる事が出来なくなっている。常に情報に晒され、誘導される。これもまた「無縁」とは逆のNWO化現象の一つだと言える。

〇韓国の徴用工訴訟の問題で日韓関係が悪化しているように見えるが、その裏では日中韓の財務相の会議で共に「保護主義」に対抗する事で「一致」している。日韓両建抗争の裏で日韓のグローバリストが経済統合を狙っている。【日中韓、あらゆる保護主義に対抗で一致ー財務省発表】https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2019-05-02/PQUXRM6KLVR401


https://twitter.com/kikuchi_8/status/1117475072862642177


(了)

by kokusai_seikei | 2019-05-19 12:27 | ツイートまとめ | Trackback | Comments(0)

ツイートまとめ:第四の権力=メディアにも「権力分立」「抑制と均衡」が必要。一方で、ネットを介した思考誘導にも注意。「上級国民」など突然流行り出す言葉。言葉の仮構作用を利用する思考誘導術を要警戒!

〇立法・行政・司法の分立等権力はできるだけ分散する事が権力の暴走を防ぎ自由を守る為の知恵。「第四の権力」と言われるマスコミもしかり。一昔前はマスコミが言えば「真実」となる傾向があったが、今は不当な報道をすると即ネットで批判される。これがチェック&バランスとして機能していると思う。

〇マスコミが張る「フェイクニュース」キャンペーンは要するに「ネットは信用するな。マスコミを信じろ。」と言わんが為のもの。ネット情報に嘘も多いのは事実だが、マスコミはTPPの問題点を殆ど伝えないなど主に「大事な事を報道しない」という手口で情報操作している。後者の方がはるかに害が大きい。

〇神官階級が「真理」を独占する如くマスコミは「真実」を独占せんとする。その「真実」たるや文字通りの真実ではなく権力が「人々に真実と思わせたい事」である。それに反する情報は「フェイク」とされ「ファクトチェック」という名の「異端審問」にかけられる。古くから存在する思想統制の手法である。

〇この手法は西欧の教会が中世に行っていたものだが、その原型は古代エジプトやバビロニア帝国あたりではないかと想像する。印度のバラモン支配もこれに類する。という事は源流を同じくするペルシャも考えられる。要するに印度以西の中近東地域に淵源を持つ思想統制の手法だと推測。裏権力の文明の起源。

〇猶太教は古代バビロニアと古代エジプトの文明の影響下に成立したと思われる。後期猶太教はペルシャの宗教の影響も受けている。この延長に基督教が登場した。このように猶太教も基督教も中近東に淵源がある。前述した思想統制の手法も宗教と同様にそのあたりに淵源があると推測しても不当ではなかろう。

〇明治以前の日本では「権力分立」とか「チェック&バランス」という理念は立てなかったが、事実上勢力均衡状態が成り立っていた。宗教で言うと、各種寺社あり、南都北嶺、鎌倉新仏教、各民俗信仰、儒学等々が一見雑然と共存しており、朝廷や幕府が特定の思想で全国を完全に統制する事は出来なかった。

〇国史学者の黒田敏雄氏が言う「顕密体制」とは顕教(三論・法相・華厳・倶舎・律・成実)と密教(天台・真言)を指すが、これ以外にも神道(中世では仏教と密接であった)、禅や念仏など鎌倉仏教、民衆の民俗信仰、儒学(主に学問として学ばれた)、山岳信仰等々があった。「思想統制」など無理だった。

〇マスコミの情報統制の手法は古代の宗教的支配の手法に原型があるとの分析から、国史上に於ける宗教のあり方を若干考察した。意見の多様性の確保、権力の集中化と思想統制の防止が大事。ネットはそれを可能とし得る重要インフラ。フェイクニュースキャンペーンやネット規制の策動を警戒する次第である。

〇「宗教」も「情報」の一種なのでマスコミの情報統制の手法と古代の宗教支配の手法が似ているのもある意味当然である。情報とは人間の認識対象。情報操作とは人間の認識作用ひいては行動を操る事が目的。つまり「支配」。「情報は力」だからこそ全世界の個人情報の一元化が即NWO。これを破る事が破NWO。

〇中世に於いて南都北嶺即ち延暦寺と興福寺は大変な勢力を持っていた。だが、西欧の教会支配と異なるのは領域が限定されていた事である。その事によって「逃げ場」が生じる。これを「無縁」などと言った。朝廷や幕府と寺社勢力が分立し、寺社勢力同士も分立している事で「自由」の領域が生じた訳である。

〇「三権分立」の如く理念として立てられたものではなく歴史の現実に現れた事実上の状態だったが、「権力が分立する事が自由の条件になり得る」という「道理」(愚管抄を書いた慈円が強調した理念)は国史に徴する事でも確かめられると言いたかった訳である。これは今のネット社会も全く同じだと考える。

〇愚管抄の著者・慈円は歴史を観察してそこに現れた「道理」を考察したが、個人的には国史上に於いて極めて多元的だった中世(平安末期~室町末期頃)の「権力の分立」という状態をこの意味での「道理」と捉えてみたい(過去の美化ではない)。その道理とは「権力が分立する事が自由の条件」という事。

〇ネットのマスコミ批判を「大衆の妄動」のようにしか捉えない御用知識人達は「あ〇ま悪いひと」である。ネット言論によるマスコミ批判が「第四の権力」たるマスコミに対する「均衡と抑制」「チェック&バランス」になる又はなり得る事を無視している。「第四の権力」も権力分立の機制に組み込むべき。

〇炎上やネットリンチなどの現象への危惧は分かる。「均衡と抑制」は「ネットとマスコミ」の関係だけでなく、「ネット言論同士の関係」にも必要な事であろう。言い換えると「多様な意見が言える議論環境の確保」である。同調圧力で少数意見を封殺したり集団で暴走してはネット言論の自由を潰す事になる。

〇以下のように書いたが、まだまだこれは大して予備知識の必要がない分かりやすい社会的事件等に限られる。TPPなど自ら調べて理解する必要がある事象には無関心な人が未だに多い。それでも気づく人は確実に増えていると見ている(それ故の「偽ニュース」キャンペーンだろう)。
「立法・行政・司法の分立等権力はできるだけ分散する事が権力の暴走を防ぎ自由を守る為の知恵。「立法・行政・司法の分立等権力はできるだけ分散する事が権力の暴走を防ぎ自由を守る為の知恵。「第四の権力」と言われるマスコミもしかり。一昔前はマスコミが言えば「真実」となる傾向があったが、今は不当な報道をすると即ネットで批判される。これがチェック&バランスとして機能していると思う。」https://twitter.com/kikuchi_8/status/1126156766952058880

〇有名人の失言や不祥事だとすぐに「炎上」するのに、主権を売り飛ばすTPPやライフラインを危機に陥れる水道私営化や種子法廃止では前者程「炎上」しない。後者こそ売国勢力を焼き尽くすほどの「大炎上」が起きてしかるべき所である。この差は。前者と違い後者は脳細胞を働かせる必要があるからだろう。

〇「不当な報道をするとすぐにネットで批判される」と言っても不当な報道を「不当」だと気づかないと話にならない。予備知識が必要な事象だとそれが「不当」と気づかれにくい。しかも「報道しない」という形での情報操作では自分で能動的に調べる姿勢が無い人にはその問題自体が存在しないも同然となる。

〇このように「事実を知らせない」という不作為のフェイクニュースの害悪は甚だしい。「事実を知らせない」という情報操作にとって事実を知らせる媒体になり得るネット言論が邪魔で仕方がないという訳である。それ故「フェイクニュース」キャンペーンを張って「ネットなど信じるな」と宣伝するのである。

〇とは言えネット言論も玉石混交。嘘の情報や誘導情報も多いのは事実。だからこそ自分で調べ自分で考え真贋を判断する鑑識眼を養う必要がある。スピンネタとかに条件反射的に反応するだけではその鑑識眼を養う機会が得られない。情報を見たら鵜呑みにせず、一呼吸おいて感情を制御し、真偽を分析すべき。

〇マスコミが相対化されてきたからこそ、ネットに於ける思想工作も活発化してきたと思われる。マスコミは信じないがネットで似非保守言説などに接する事で「真実に目覚めた!」と思い込んでいる者は多い。思想工作は何重にも張り巡らされている。自分で調べ、自分で考え、自分で判断する事が大事である。

〇最近ネットがメディアを牽制した事例と思うのがアイドル襲撃事件である。被害者のSNSでの勇気ある告発とそれを支持するネット世論により電通絡みのアイドル事業のブラック体質が世に広く知られるようになった。あの事業はメディアを影響下に置く電通が絡んでいるので以前なら闇に葬られたと思われる。

〇これが分かりにくい政治経済の問題となると中々こうはならない。だがネット言論の潜在的な力を示していると思った。裏権力及びその走狗がそれを恐れているからこその「フェイクニュース」キャンペーンであり「ファクトチェック」(現代の異端審問)なのであろう。少なくとも「無視できない」という事。

〇「マスコミVSネット」という構図で取りあえず論じてみたが、「対立ある所両建あり」でネット言論に両建的にテコ入れして人工的ムーブメントを起こす工作もあると思うので、その点も要注意である。特定の目的に誘導する為の人工芝工作や本来最優先にすべき課題から目を逸らす為のスピン工作などである。

〇国会で憲法審査会が開かれ改憲工作が進行している時に有名人が音頭をとって「保育士さんありがとう」運動を盛り上げるというのはどう考えてもスピンとしか思えない。気持ちは分かる。ただ今何が起きているかを見抜く的確な情勢認識が是非とも必要なのである。物事は常に多面的・多角的に見ておくべき。

〇以前の「日本死ね」と同じで「上級国民」という言葉も引っかかった。警察やマスコミが有力者を擁護する不当への批判は分かるが、「上級国民」という言葉は「日本死ね」と同様に刷り込みとしても作用し得ると思った。裏権力及びその走狗が走狗仲間をかばっているに過ぎない。彼らは「上級」ではない!

〇無論「上級国民」が皮肉なのは分かるが。だが、言葉は一人歩きする。裏権力及びその走狗が利権を独占する不当な仕組みを「上級」の言葉で承認する結果にならぬとも限らない。言葉の仮構作用は侮れない。これを唯識で「遍計所執性」と言う。だから「正名(実態に適合する名付け)」が大事になってくる。

〇言葉の仮構作用とは例えば会社などの社会組織は人が集まってそこに名前を付けて承認(登記なども含む)する事で成立する。物理的に存在するのは個々人の身体のみなので「組織それ自体」はそういう意味では無いと言えば無いが、社会的約束事で存在するようになる。この約束事の中核が「名付け」である。

〇「勝ち組・負け組」という言葉が流行ったが国民を上級と下級に分けるのもそれと似ているように思う。個人的には「日本国民VS裏切者、売国者、裏権力走狗」という構図で見ているので「上級国民VS下級国民」という階級闘争史観的な構図には違和感を持った。警察やマスコミを抑えているのは只の売国勢力。

〇「国民」という枠をとると階級闘争史観は一種のワンワールド思想となる。社会を上層階級と下層階級に分けて、国や民族を超えてそれらの階級が階級的利害を共有し、国や民族などは非本質的な区分に過ぎず、究極的には無意味である、とする考えだからである。この思想ではワンワールド化に対抗出来ない。

〇本来は典型的なマルクス・レーニン主義に於いては階級という区分以外のあらゆる区分を持ち込み強調する事は反動とされるはず。例えば「国民が主人公」を強調する日本共産党は国際共産主義の本筋から外れている訳である。その代わり世界連邦運動に関与しているので両建はどこまでも周到だと言えよう。

〇「上級」「下級」とは別に社会的権力者がいるのは事実。「国民VS裏切者、売国勢力」と書いたが、後者はあくまで政治家や官僚、資本家、知識人言論人等社会的権力者を中心に批判すべきである。異論者だからと言って力を持たぬ相手を「非国民」として排斥するような事はかえって後者に加担する事になる。

〇国民に「勝ち組と負け組」「上級と下級」があるという価値判断をする事と社会的権力者がいるという客観的な事実を認識する事は別。的確な情勢認識は必須なので後者は客観的に認識すべき。だが、事実の上で社会的権力があるとしても国を売り飛ばすような輩達は「上級」などではない。只の売国者である。

〇認識論的な話になるが、何かを認識するとは大抵は言葉を介して認識する。出来るだけ価値判断の入り込まない言葉を使って現象を認識する事が「客観的な認識」と言えるが、本当にその言葉に価値判断が入っていないかは実は難しい問題である。その事に自覚的であれば少なくとも独善的にはならないだろう。

〇科学的認識も「如何に記述するか」が大きな比重を占めると思う。これも言葉の問題。特に人文科学や社会科学は感覚的に対象を捉える事が出来ないので概念と表象(イメージ)を用いて対象の像を構成する。例えば「歴史」は五感で認識出来ない。史料を吟味した上で確からしい情報から歴史の像を構成する。

〇客観を旨とする科学すら対象の像を概念と表象で再構成したものなので「これが絶対の真実」とは中々言いにくい。だが、言葉の仮構作用は強力なので一旦なされた記述が権威を持つと共同主観の作用でそれが客観的事実であるかのように思われてくる事がある。思考誘導はこの機制を利用していると分析する。

「言葉の魔術」「名付けの魔術」はこのような言葉の強力な仮構作用を利用した思考誘導術である。仮構作用とは「言葉が示す対象をイメージの中で立ち上げてあたかも実在するかのように思わせる作用」と定義する。だからマスコミやネットでインパクトのある言葉が流行る時は思考誘導を警戒した方がよい。

〇形而上学的な思考は言葉に見合う感覚的知覚的な対応物がないので殆ど言葉の仮構作用だけで成り立っていると言える。ある種「言った者勝ち」の世界である。客観的根拠で論議の決着を付ける事が出来ないので際限のない争いになる事が多い。だから原始仏教の「無記」は平和共存の為の知恵でもあったのだ。

〇形而上学的な事柄について考えたり語ったりする事自体は別に自由だと思うが、形而上学的思想に執着して他人と争うようになると問題である。人類の歴史上この事でどれ程の血が流された事か。「客観的根拠で決着する事が出来ない」と自覚した上で平和的に相手を尊重して語り合うのなら別によいと思う。

〇例えば「精神世界」を語りつつ神智学の歴史的由来を分析してそれが裏権力の思想ツールとして機能している事を分析した者に対して大して接点もないのに激怒して「恨み骨髄」になるとか、形而上学的思考に執着し過ぎると憎悪に囚われがちになる。形而上学的思考への執着は往々にしてこういう陥穽がある。

〇以前述べた唯識の「遍計所執性」について説明する。「遍計」とは言葉で対象を仮構する事、「所執」はその対象に執着する事と解釈出来る。言葉(≒概念)で対象を立てて実体視し、その対象に執着する事。即ち遍計所執性とは言葉の仮構作用と執着心が密接な関係にある事を分析した認識論的な概念である。

〇「遍計所執性」という字面は古臭く見えるが、実は高度な哲学的・認識論的な概念である。人間の認識作用を分析して言葉を用いた思考作用とそれに伴って生じる「執着」という感情の作用の密接な関係を一つの単語としてまとめている。特定の言葉を流行らせる思考誘導術のカラクリもこの概念で分析可能。

〇例えば「勝ち組・負け組」という言葉。そういう概念的な仮構に伴い「欲」「怒り」「傲り」「嫉妬」などの様々な情念を喚起して人心を動かす仕掛けになっている。まさに遍計所執。この高度な認識論が奈良や京都の学問寺で千数百年も学ばれてきた事に驚き。「日本人は哲学が苦手」は嘘だと思っている。

〇執着心は認識した対象に生じる。引き寄せる方向と引き離す方向の二方向ある。つまり「欲」と「怒り」が基本。これらは欲しいものを手に入れ、嫌いなものを破壊するようにと行動を促す。言葉は認識対象を定立しあるいは仮構するので、執着を生じ行動を促す起点となる。だから洗脳者は次々に新語を作る。

〇遍計所執即ち言葉の概念的な仮構作用とそれに対する執着の作用が密接な関係にあるからこそ、新語を作る事で人心を動かす事が出来るのである。だから電通以下の情報工作者は次々に新語を作ったり広めたりする。メディアやネットで新語が流行っている時は思考誘導に要注意とはそういう意味なのである。

〇新語を作る事で人心を操る「言葉の魔術」「名付けの魔術」のカラクリは言葉の仮構作用と心の執着の作用の密接な関係を分析し一語で表した「遍計所執」という概念で的確に分析出来る。日本の伝統的学問を参照すると西欧の心理学等より鋭い分析が出来る場合は多い。先人の知的遺産を活用しない手はない。

〇言葉を作る事は感情を喚起し行動を促す事に直結する。それほど言葉と感情、行動は密接な関係にある。それらをひっくるめて「遍計所執」と一語で表現した先人のセンスに脱帽する。言葉を作る事は思考誘導術の中で非常に大きな比重を占めていると見る。各種思想ツールも言ってみれば「言葉の塊」である。

〇「勝ち組・負け組」という言葉は傲りや嫉妬などの感情、執着心を煽って社会を分断し、「上級国民」という言葉は悪党や売国者を「上級」という表現で半ば肯定する。情報工作者は今後も次々に新語を作ると予測されるが、特定の言葉が急に流行り出した時は思考誘導が始まったと見なして十分に警戒すべき。

〇人間から見て動物が純真無垢に見えるのは動物には人間のような複雑な言語作用やそれに伴う執拗な執着心が無いからではないだろうか。勿論動物にも欲や感情があるが、「世界支配」などと愚かな考えを起こすのは人間だけ。言語は素晴らしい文化文明も作る一方途方もない邪悪も可能としてしまう諸刃の剣。

〇老子の文明批判はこの点を突いた逆説。知の拡大が欲の拡大を招くという一面の真実を述べている。「知」とは謂わば言語の作用。言語の作用=知の拡大とは認識範囲の拡大。認識範囲の拡大は認識対象の増大。欲や執着は認識した対象に対して生じるので知の拡大は必然的に欲望の拡大に帰結するという洞察。

〇印度の哲学者が作ったサンスクリットの「parikalpita」という言葉を「遍計所執」と漢訳したのは玄奘だと思われる。玄奘は西遊記で有名だが、歴史的人物としての玄奘は高度な哲学を印度から支那に請来して漢訳した学問僧である。元興寺の道昭は玄奘の弟子なので唯識の学問は玄奘の同時代に日本に来た。

〇AIやIOT等々最新の科学技術は支配欲と直結している。それを端的に表しているのが「デジタル・レーニン主義」である。監視カメラは文字通り「認識範囲を拡大する為」の技術である。「知の拡大が欲の拡大を招く」という老子の文明批判は皮肉にも今の中国にて如実に妥当する。それを後追いする日本も。

〇「parikalpita」を「遍計所執」と漢訳したのは玄奘だが、「parikalpita」には「所執」という意味はないそうである。よって「遍計所執」とはこの言葉の認識論的意義を理解した玄奘の意訳という事になる。これは逆に言葉の仮構作用と執着が密接な関係にある事を理解した玄奘の優秀性を示していると思う。

〇言葉の仮構作用と執着が密接な関係にあるという唯識の認識論的分析の根は原始仏教にある。スッタニパータでは煩悩、執著、妄執だけでなく「識別作用(識)を無くせ」と言う。「識別作用を無くす」というのは相当難しい事だが、これは識別作用と執着の作用が密接な関係にあるとの分析だと解釈している。

〇識別作用つまり何事かを「これだ」と識別する判断の作用に不可欠な役割を果たすのが言葉である。言葉が無ければ事物の輪郭が曖昧なままである。よって識別作用(識)は言葉を用いる思考・判断だと言える。執著だけでなく識別作用をも無くせと言うのはこの両者が密接な関係にあるとの観察を示している。

〇遍計所執性は現代哲学では廣松渉の「物象化的錯視」に相通じる。どちらも言葉の仮構作用で事物の実体視が生じる認識論的機制を言ったもの。前者が執着を脱するという実践的関心、後者が近代哲学の主客二元論の超克という理論的関心が主という違いはあるが、言葉の仮構作用に着目する認識論なのは同じ。

〇このように1300年以上も前に玄奘が漢訳した「遍計所執」という概念は現代に於いても十分通用する認識論的又は心理学的な分析だと言える。「言葉が感情や執着を喚起し行動を促す」という仕組みを一語で示す「遍計所執」という概念は人々を悩ませる「言葉の魔術」を一発で看破する優れた分析用具である。

〇人間の認識作用は大抵は「何かを感覚的に認識し、それを言葉で識別する」という二肢的構造になっている。これを前述の廣松哲学では「対象の二肢的二重性」と言う。例えばリンゴの認識だと視覚や触覚、味覚など感覚により「丸い、赤い、ざらざらした、すっぱい」それを「リンゴ」という言葉で識別する。

〇このように人間の認識作用に於いて言葉が占める役割は非常に大きい。だから思考誘導・心理操作でも言葉の操作が大きな比重を占めると見ている。それだけ言葉が思考や心理に与える影響が大きいのである。情報工作者が広める言葉、流行語の類は人々を如何に誘導するかを計算して作られていると見るべき。

〇老子の文明批判に戻るが「知の拡大が絶対に、100%、不可避的に欲の拡大に繋がる」という事ではなかろう。もしそうなら宿命論になってしまい言葉を持つ動物である人間には全く救いがない事になる。知が欲を生じる強い傾向性がある事を自覚し知や技術を正しく使うには欲の制御が肝心という教訓であろう。

〇知とは物事を「分ける」作用であり「分ける」とは言葉で物事を分節化する事なので知=言葉の作用。なので、知の拡大は言葉の作用の拡大。例えば学問や科学の発達とは新しい概念や記述が増大する過程でもある。この過程に伴い人の欲望もまた増大する傾向がある。老子の文明批判はその事への警鐘だろう。

〇「知が欲を生じる強い傾向性がある事を自覚し知や技術を正しく使うには欲の制御が肝心」と書いたが、正しく使いようがない端から邪欲を満たす為に作られた「黒い技術」というのもある。NWO化工作の為に作られた各種監視技術や軍事兵器が最たるものであろう。この類はその技術自体を拒否すべきである。


https://twitter.com/kikuchi_8/status/1126156766952058880


(了)


by kokusai_seikei | 2019-05-19 12:25 | ツイートまとめ | Trackback | Comments(0)

ツイートまとめ:令和に改元。今後はワンワールド化を阻止できるか否かがかかった激闘の時代になると予測。全ては2030年に収斂する。

〇元号が令和になった。元号の制定過程や令和元年の初日が近代イルミナティ創設日である事を見ても、国際秘密力が今後増々攻勢を激化させてくると予測される。彼らは2030年までにワンワールドを実現しようと狙っている。令和以降はワンワールド化を阻止できるか否かがかかった激闘の時代になると思う。

〇全ては2030年に収斂する。国際秘密力がワンワールドを実現するか、我々日本人をはじめ各国民がその野望を打ち砕く事が出来るか、がかかった激闘の時代である。戦争と世界支配を阻止する為の闘い。ワンワールド化の野望を打ち砕き、国際秘密力を打倒する為に微力ながら気合を入れて邁進する所存である。

〇「国際秘密力」と書くと、またぞろ陰謀否定論者は「陰謀論臭い」と言うだろうが、これは古風な表現(戦前の陰謀研究で使われていたターム)というだけで「裏権力」と殆ど同じ意味である。政治家や官僚などの表向きの権力者の背後にいる権力ネットワークの事である。これは国際的なので「国際秘密力」。

〇CSISとかCFRとかは一応存在を公開している『公然組織』ではあるが、世の中的には「只のシンクタンク」みたいに扱われる事が殆どであり、それらが日米の政府や政治屋をコントロールする強力な権力集団であるという点は隠されている。この点で「裏権力」であり「国際秘密力」の一角だと言える訳である。

〇フリーメイソン(石屋)も一応は公開組織であるが、儀式やメンバーなど一部を秘密にしているので「秘密結社」と言われるのも同じ。石屋は各界の有力者が集い、英国の植民地間の連絡組織として英国の侵略と支配を支えたという権力組織としての一面は隠されて「只の互助会」扱いされる場合が殆どである。

〇国際秘密力・裏権力を構成する個人や団体の中には、①その存在自体を非公開としているものと②存在自体は公開されているが権力集団としての機能が隠されているものの2種類があると分析する。前者は非公開なので推測するしかない。後者はCSISやCFR、石屋、国際金融資本、バチカン等該当するものが多い。

〇陰謀追及で言及されるCSIS、CFR、石屋、ロスチャイルド、ロックフェラー、CIA、バチカン、ビルダーバーグ会議等の個人や団体は殆どが公開されたものである。にもかかわらず「裏権力」「国際秘密力」と呼ぶのは、それらが政府などの「表」の権力組織とは異なる「裏」の「国際的」な権力網だからである。

〇「イルミナティ」がトレンドに入っているので何だろうと思ったら、某国営放送の番組で出てきたらしい。「近代イルミナティの創設日」を初日とする「令和」のはじめから飛ばしている某国営放送であった。さりげない刷り込み?

〇「真の闇はイルミナティなどの闇勢力ではなく自分の心の中にある」みたいな発言を見かけた。「真の問題は自分の心の中にある」みたいな一見もっともらしい主張はよくある。何でも心の問題に還元するという、この種のニューソート的発想自体が「自分」ではなく他人が考えたものである事を忘れている。

〇人間の「心」とは他者や社会との相関関係の中にある。環境や時代によって影響を受け規定され、また逆に環境や時代を規定する。全てを「心」の問題に還元する事は「社会」の問題を見えなくする。だから「自己責任論」で為政者の責任を免責するネオリベ政治下ではこの種のニューソート的思想が蔓延する。

〇唯識は「識=心」を「依他起」と定義する。つまり自分ではなく「他によって起こるもの」即ち一種の「構造」と捉えている訳である。安直な唯心思想とはまるで違う。「他」には文字通りの他者や社会が含まれるであろう。心は「他」に規定される。だから全てを自分の心の問題に還元する事は出来ないのだ。

〇自己責任論で全てを個人(特に弱い立場にある人)の責任に帰して為政者の政治責任を免責するネオリベ政治と「他人のせいにせず自分を見つめるべき。全ては自分の心次第。」とするニューソート的思想は大変相性がよい。ネオリベ社会で疲れた心をかかる思想で「ケア」するというワンセットの構造である。

〇フィクション作品で言われる所謂「セカイ系」もこれに近い。世界の問題は自分の心の問題であり、自分の心の問題が解決すれば世界の問題が解決するという発想。ここには「世界」と「心」の間にある「社会」とか「国家」がない。世界の問題を解決するには世界を動かす構造を分析する事が不可欠である。

〇「世界の問題を解決するには世界を動かす構造を分析する事が不可欠」と書いたが、抑々「自分の心」からして構造化している。例えば母国語によって思考の在り方が規定される。思考は何らかの言語で行う。思考だけでなく場合によっては知覚すらも。例えば犬や鶏の鳴き声の聞き方は日本語と英語で異なる。

〇逆に自分の心は構造に規定されるだけではなく構造を規定する面もある。具体的な個人が一人もいなかったら「構造」なるものもない。具体的な個々人が「構造」を支えている面を見落としてはならない。個人が構造を規定する一面があるからこそ個人の自由を発揮して社会変革や社会問題の解決が可能である。

〇「個人の心次第でどうにでもなる」という発想も「個人は構造の奴隷に過ぎない」という発想も偏っている。「個人」と「構造」を実体視する誤り。個人と構造は相互依存の関係にある。構造が個人を規定し個人が構造を規定する。個人は構造に規定されつつも構造を規定し返す事も出来る。要するに相互作用。

〇儒学の「修己治人」の過程を表す「大学」の八条目即ち「格物・致知・誠意・正心・修身・斉家・治国・平天下」の中で「格物」から「修身」までが「個人」の領域に関わり、「平天下」が「世界」に関わるとすると、その間の「斉家・治国」が今で言う「社会」に関わる。「正心」だけでは「平天下」はない。

〇「自分の心」と言うが完全に閉じた「自分の心」や「心の問題」は存在しえないと思う。仏教の認識論の分析では「煩悩」「執着」「渇愛」という謂わば「心の問題」は「眼耳鼻舌身意」が「色声香味触法」という対象を認識する事で生じるとされる。「他」がないと「自分の心の問題」もないという事だろう。

〇「眼耳鼻舌身意・色声香味触法」で言うと「眼耳鼻舌身・色声香味触」が知覚で、「意・法」が思考や表象である。では「意・法」は「他によらない」か?と言うと違うと思う。知覚的な経験がないと思考や表象も出来ないはずだからである。五感が遮断されると思考が狂う事は感覚遮断実験で実証されている。

〇個人と構造の相互依存と相互作用の関係性、心が認識対象に触れて「心の問題」が生じるという認識論的な機制、感覚遮断実験で実証されている感覚と思考の密接な関係性等々から見て、厳密な意味での「自分の心の問題」は成立し難い事は明らかである。問題の解決には社会など「他」の分析が欠かせない。


https://twitter.com/kikuchi_8/status/1123256623642767361


(了)

by kokusai_seikei | 2019-05-19 12:21 | ツイートまとめ | Trackback | Comments(0)

ツイートまとめ テーマ:「自由」「合理」「理性」等について考察する。

〇西洋では教会の圧力を撥ね退けて科学が発展する為には自由主義的な前提が不可欠だったが、科学の進化とともに科学の研究組織も科学研究そのものも大規模化していき科学技術は裏権力の手に握られるに至った。裏権力は科学技術で庶民の自由を抑圧している。「自由」を高唱した西洋近代文明の逆説である。

〇古典的な自由主義は「政府権力の干渉から個人を守る」という趣旨だったが、現代の権力は政府だけではない。巨大多国籍企業は政府に匹敵する、場合によっては政府以上の権力を持っている。新自由主義で言う「自由」は実質的には政府並の権力組織(多国籍企業や国際金融資本など)の「自由」を意味する。

〇新自由主義は巨大企業と個人を同列に並べて「自由」を唱える。しかし、政府に匹敵する力を持つ巨大多国籍企業と一個人を「民間」という括りだけで同列に扱うのは非現実的である。新自由主義は「自由」という言葉とは裏腹に「国際資本の横暴の自由=庶民の不自由」を正当化するイデオロギーと言える。

〇新自由主義の欺瞞は「自由」の主体として古典的自由主義が想定する18、9世紀的な独立自営の小規模資本をイメージしている事である。21世紀の現実の「資本家」とは閥族のネットワークに支配された巨大な官僚機構とも言うべき多国籍企業群である。一国家の政府よりはるかに巨大な権力を持っている。

〇新自由主義は「権力=政府」という古典的自由主義の「権力」イメージを保持する事で「巨大多国籍企業が政府権力を凌駕し支配している」という21世紀の現実を巧妙に隠蔽する。多国籍企業が政府組織以上に巨大権力化している現実を無視して「自由」という言葉で「私企業による国家支配」を正当化する。

〇TPPや日欧EPAなどの各種「自由貿易協定」は「私企業による国家支配」の具現化である。多国籍企業は古い自由主義が想定する18,9世紀に存在した独立自営的資本家とは異なる。それ自体が既に巨大な官僚機構である。この巨大権力機構のネットワークが全世界の富と権力を寡頭独占するのがNWO。

〇「巨大な権力機構が富と権力を寡頭独占する」と言えば、旧ソ連における「共産貴族」(ノーメンクラツーラ)の支配や北朝鮮の金一族による独裁支配が連想される。新自由主義と赤化主義は一見反対物に見えるが、「少数権力集団による寡頭独占支配」という現実の帰結は同じなのである。つまり両建である。

〇新自由主義は多国籍企業が政府を凌駕する程巨大権力化している現実を隠蔽し、「巨大資本の横暴の自由」を正当化するイデオロギーである。「官から民へ」とは「国家主権を巨大私企業に明け渡す」という意味である。TPPや日欧EPA等「自由貿易協定」はこの線によって進められている壊国政策である。

〇ネオリベは「自由」や「改革」など肯定的イメージの言葉を連呼して、それらの言葉の実質的な意味を深く考えさせないようにする。「なんとなくよさげ」だからと賛同させようとする。「自由」や「改革」と聞けば「誰にとっての自由なのか?」「誰の利益になる『改革』なのか?」と考えてみるべきである。

〇新自由主義の「自由」とは憲法が権力を制限している政府組織以上の権力集団の野放図な横暴を許すという意味での「自由」である。新自由主義の「自由」が普通にイメージされる「自由」とは全く異なるのはかかる欺瞞に基づく。表記と概念は必ずしも一致しない(唯識哲学で言う「名と義の相互客塵性」)。

〇「自由」を「何をしてもいい」という放縦の意味にとると最後は一番強い個人・集団の「自由」しかなくなり、それ以外の人の自由は抑圧される事になる。西洋の「自由」はこういうコースを辿り今に至っている(新自由主義)。本当の意味で自由が保障されるには他者の自由を尊重する「自制」が必要である。

〇憲法で政府権力を縛るのも政府権力に「自制」を強制する事で個人の自由を保障する仕組みである。個人間でもお互いの自由を尊重し合う「規範」がかえって自由を保障する秩序を作る。東洋では例えば原始仏教では自制によって煩悩・執着・渇愛から解放される事を「自由」とする。自制と自由は矛盾しない。

〇新自由主義で崇め奉られるフリードリヒ・フォン・ハイエクについて。ハイエクは現代のネオリベ程単純な思想家ではないが、ハイエクの後ろ盾はEU運動を主導したハプスブルク家のオットー大公や石屋の大物クーデンホーフ=カレルギーだったようだ。ハイエクは彼らが推進する世界連邦に賛同していた。

〇「世界連邦政府」構想などハイエクが集産主義に関して批判する「設計主義的合理主義」の究極の形である。ハイエクは英国のスクール・オブ・エコノミクスに集うフェビアン主義者を批判していたが、漸進主義的な世界連邦構想に賛同するというフェビアン主義者と同じ道を歩んだと言えよう。両建である。

〇自称保守派の中にもハイエク信奉者が多いが、ハイエクは保守主義者というより自由主義者だった。若い頃にフェビアン主義を批判しながら結局は石屋系の欧州貴族が推進する世界連邦運動に賛同し世界連邦構想を支持するというフェビアン主義者と同じ道を歩んだ。ロックフェラー系のシカゴ大学で教えた。

〇統一協会と近い故・渡部昇一(イエズス会)はハイエク信奉者だったが、統一協会も世界連邦に賛同している。世界連邦運動はフェビアン主義流の漸進的なNWO運動と言えるが、世界連邦を支持するハイエクの信奉者もここに合流している。様々なルートで左右の人脈が世界連邦運動に集っているのが分かる。

〇ハイエクの日本におけるカウンターパートは田中清玄だったようだ。田中はハイエクが設立したモンペルラン協会のメンバーでハイエクのノーベル経済学賞受賞式のメインテーブルに招かれた唯一の日本人。田中はオットー大公やクーデンホーフ=カレルギーとも昵懇だった。日本の親欧州人脈の中心である。

〇親米派と親欧州派の両建構造があるが、親欧州派において親米派の児玉誉志夫に相当するのが田中清玄だったと言える。鹿島守之助を東亜共同体構想に導き、鳩山一郎を石屋に引き入れたクーデンホーフ=カレルギーらが田中をハイエクに引き合わせたようだ。ハイエクから親欧州派人脈の繋がりが見えてくる。

〇「世界政府の創設」など「設計主義的合理主義」の最たるもの、というより究極の形である。「自生的な秩序」からは最も遠い究極の人工物である。西洋の著名な思想家の思想やイデオロギーは右から入っても左から入ってもNWOに誘導される事が多い。結果、自民党から共産党まで世界連邦賛同者がいる。

〇ハイエクは西洋文明最大の遺産は「個人主義」であり、それはキリスト教とルネサンスから生まれたとしている。ルネサンスがヘレニズムの復興であり反キリスト教運動だった事を考えると事実誤認だと言える。個の領域を重んじる個人主義的な思想なら原始仏教や荘子哲学など東洋では紀元前から存在する。

〇ハイエクが称揚する西洋の個人主義にはキリスト教の影が付きまとっている。西洋の「個人」観念は教会組織を介さず個々人が超越者と向き合うというプロテスタント信仰の観念から生じた面がある。ロックの社会契約説もそのようなものとしてあった。古代ギリシャの思想はどちらかと言えば共同体主義的だ。

〇「「世界政府の創設」など「設計主義的合理主義」の最たるもの、というより究極の形」と書いた。「設計主義的合理主義」はソビエトの七十数年の「実験」が典型だが、ロシア周辺に限られたソビエトに比べて「世界政府」は全世界がその対象である。影響が及ぶ範囲の広さはソ連の比ではない。

〇とは言え、冷戦構造の捏造によって赤化主義なかんずくマルクス・レーニン主義が世界の半分を影響下に置いた史実からするとソ連型共産主義の影響もかなり大きかったとは言える。しかし、もはやNWO思想の本丸ではない。本丸に近いのはフェビアン主義の方だろう。世界連邦運動にはこちらの影響が強い。

〇世の中には「合理」の名に値しない「合理主義」の類が多い。例えば国民の生存に直結する水道事業を「経済合理性」の観点のみで外資に譲り渡す事などは不合理そのものである。「世界政府」構想が基づく所の「設計主義的合理主義」も同様である。本当に理性的なら世界政府を作ろうとはしないはずである。

〇合理と密接な理性について考察する。理性は善にも悪にも働く。例えば唯識では理性は「尋」(粗い思考)「伺」(細かい思考)と表現され「不定」の心所に分類される。善悪が定まっていないから「不定」。無条件に理性を礼賛しがちな西洋の啓蒙主義より人間が持つ理性の働きに対する洞察が深いと言える。

〇理性即ち尋・伺の作用は善にも悪にも働く「不定」だという洞察があるなら「経済合理性」への盲信や少数のエリートが世界政府を運営できるとする理性への過信は避けられるだろう。しかし、裏権力の連中にはそういう思慮深さは無く、どこまでも我欲と妄執で突っ走ってしまう。破NWOあるのみである。

〇本当に理性的であるとは自らの理性すらも懐疑しながら慎重に思慮する事ではなかろうか。「自分は理性的」と信じ込んだ人間で本当に理性的である者は少ない。己の理性を盲信する者の言動は宗教的盲信に囚われた者の言動と酷似している。極左(仏大東社系)とカルト信者(英国石屋系)はそっくりである。

〇ハイエクの根本的誤謬は「設計主義的合理主義」の担い手を政府組織に限った事である。現実は相互に緊密に結びついた多国籍企業群が一国の政府の力を凌駕し(その一つの表れがISD条項)、オリガルキー(寡頭独占資本)として国家を支配し「設計主義的合理主義」的な思考でNWO妄想を推進している。

〇ハイエクが生きた20世紀においても事情は同じである。国際共産主義運動を組織してロシア革命を起こしたのは英米を中心とする資本家である。その辺りの事情はアントニー・サットンの研究に詳しい。ソ連やナチスを組織したのが資本家だとするなら設計主義的合理主義の究極的担い手も結局は彼らである。

〇理性即ち尋・伺の作用が善にも悪にも働く「不定」ならば善悪の基準は何か。唯識だと善の心所が伴うと善で煩悩の心所が伴うと悪とされる。煩悩の心所の代表は貪瞋癡(貪り・怒り・愚かさ)、善の心所の代表は不貪・不瞋・不癡(貪瞋癡が無い事)。つまり過剰な欲望や怒りとともに働く理性は悪とされる。

〇「煩悩の心所が伴う尋・伺は悪」という考え方からすると裏権力の連中が駆使する「理性」は全て支配欲などの過剰な欲望とともに働く悪しき尋・伺の作用、という事になる。過剰な欲望や恨みつらみなどの情念と伴に機能する「理性」である。恨みから他者を陥れようと企む事なども悪い尋・伺の作用である。

〇裏権力や結社の思想やイデオロギーは彼らの「支配欲」に伴われた「理性」(言葉≒概念を使う推論作用)の作用で生み出されたものなので須らく邪悪なものと言ってよいと思う。彼らの思想はあまりにも彼らの支配に都合よく出来過ぎている。「煩悩の心所が伴う尋・伺は悪」という考え方は参考になった。

〇原始仏教で「煩悩を制する事」が「智慧」とされるのは過剰な欲望を制御すると自ずとまともな判断力が備わるという意味だと解釈できる。逆に強すぎる欲望や情念があると思考や推論の機能である理性も歪んだ形で作用する。例えば支配欲やルサンチマンを正当化する為に様々な思想が生み出されたりする。

〇科学技術は理性の結晶だが、支配欲を動因とする科学研究の成果は必然的に悪用される(「煩悩の心所が伴う尋・伺は悪」)。気象兵器や核兵器が最たるものだろう。ブレジンスキーが「テクネトロニックエージ」と呼んだ、人工知能やコンピュータ技術を駆使したNWO妄想も悪く作用した理性の見本である。

〇荘子の雑編・盗跖編に大盗賊の盗跖が子分達に「泥棒にも(仁義などの)道徳がある」と語り「盗みの成否を判断する智」を泥棒に必要な「徳目」の一つとして挙げる場面がある。裏権力や結社が掲げる「理性」はまさにこれである。支配の為に駆使する狡猾さは盗賊が盗みの計画を立てるのと全く同質である。

〇陰謀追及しているうちに結社の「(悪)知恵」に幻惑されて取り込まれてしまう者もいるようだ。しかし彼らの「知恵」「理性」など荘子で盗跖が言う「盗みの成否を判断する智」と同質のものである。奪い、傷つけ、支配する為に駆使する「理性」など泥棒の「知恵」と全く同じと気づけば憧れなど起きない。

〇ハイエクの「設計主義的合理主義」批判は専ら政府権力に向けられたものである(その割には世界政府創設を支持。フェビアン主義との両建。)。しかし、現実には政府権力は国際金融資本や多国籍企業群の支配下にある場合が多い。政府と資本家を対立していると想定した事がハイエクの誤謬と言えるだろう。

〇ハイエクの「設計主義的合理主義」批判は主にソ連に向けられたものだったが、欧米の資本家がレーニンらの国際共産主義運動を支援してロシア革命を起こさせた事を考えると片手落ちもいい所である。真に「設計主義的合理主義」的思考で世界統一を目論むのはハイエクが擁護した欧米の大資本家達であった。

〇ちなみに政府が公共的視点から一主体として市場に加わって総需要を喚起する事は「設計主義的合理主義」とは違うと考えている。財政出動して適当に景気に刺激を与えるのはどこにどれだけの資源を配分して生産活動を行うかまで細かく決める「計画経済」とは違うのではないか。財政政策は重要だと思う。

〇「仏教」哲学を語ると坊さんか何かと間違われる事がある。中観や唯識は純然たる哲学(思考の用具)と捉えて活用している。西洋哲学は実質「キリスト教」哲学なのに「キリスト教哲学」とは言われない。西洋人が物を考える場合当然西洋哲学を使うが、日本人にも伝統的哲学がある。中観や唯識もその一つ。

〇「日本人にとって伝統的な哲学があるとすれば何か?」と考えた時に最も鋭利な論理性を持つと思ったのが中観や唯識だった訳である。江戸時代の哲学的議論と言えば理(法則)と気(現象)を巡る宋明理学(朱子学や陽明学)だったが、これも結局は中観・唯識を元に作られた唐代の華厳哲学から来ている。

〇「日本の伝統を活かしつつ論理的に物を考える」となると奈良時代から継承される中観や唯識、因明(論理学)などの哲学的論理学的伝統はかなり「使える」と思うのである。埃を被って誰も顧みなくなった東洋の古い哲学こそ西洋ではやっと20世紀以降に到達した視点(関係主義など)を持っていたりする。

〇キリスト教哲学である西洋哲学を語っても神父や牧師とは思われないが中観や唯識を語ると仏僧と誤解される場合があるのは明治以後の刷込みで「哲学」と言えば西洋哲学であり東洋哲学は特殊で普遍性がないという偏見が根付いているからだろう。吾人は哲学好きがカントを語る如く唯識を語っているつもり。

〇西洋哲学はキリスト教の伝統と切り離せない。キリスト教がベースにある西洋哲学に比べて原始仏教や中観・唯識などは何らかの超越者を信じる必要もない純然たる論理的で経験主義的な哲学である。西洋ではマッハのような科学者の考案した経験論的哲学に近い。「仏教」と冠を付けず「哲学」でよいと思う。

〇「日本人の立場から哲学を活用する」という観点から洗脳の問題等で心理の構造を解析したり認識論的分析をするのに唯識をよく使っている。唯識の用語を使って分析すると現象を上手く説明できるので重宝している。フロイトやユング、アドラーなどを使う必要もない。唯識の方が論理的整合性が高いと思う。

〇色々な見解があると思うが、廣松渉は西洋哲学の主客二元図式を超克し認識論上の難問の解決に成功していると思う。廣松がこの難問を解決し得たのは「実体」を否定する関係主義的な縁起観を取り入れたからだと考えている。単純にマルクスの物象化論の延長ではないと思う。マルキストの大半は疎外論者だ。

〇明治以後の西洋被れの風潮からか東洋哲学を西洋哲学と同列に並べて論じる哲学者は末木剛博氏など数少ない。中観などに関心を持つのは20世紀以後の現代哲学を研究する学者に多い。龍樹とウィゲンシュタインを比較研究する黒崎宏氏などがいる。末木剛博氏も本来の専門はウィトゲンシュタインである。

〇原始仏教は認識論的な考察が核心である。「煩悩を制すれば苦が消える」という「四諦の理」は認識論的考察に基づく。即ち何かを感受した所に渇愛が生じ、それがさらに執著となって苦を生み出すという心理のメカニズムの観察である。単に快・不快の感受で止めればそれ以後の渇愛→苦は生じないとした。

〇何かを感受し認識する(眼耳鼻舌身意と色声香味触法の接触)→快・不快・無記(快でも不快でもない)を感受→快には貪り、不快には怒りが生じる=渇愛→執著→苦。これは認識論である。原始仏教は非常に合理的で精緻な認識論的考察に基づいているので「哲学」と捉えている。「信仰」的要素は殆どない。

〇原始仏教の認識論を再度まとめる。何かを知覚・認識すると自ずと対象に関し「快(楽)」「不快(苦)」「快でも不快でもない(不苦不楽=無記)」という感覚が生じる。次いで、快なる対象は貪り、不快な対象は嫌悪する(渇愛)。この衝動=渇愛が強まり凝り固まると執著になる。執著すると苦が生じる。

〇「眼耳鼻舌身意という認識に気を付けよ」という原始仏教の考えは洗脳対策でも参考になる。洗脳のプロセスも何かを知覚し認識する所から始まる。視覚、聴覚、思考あらゆる認識作用が操作の対象になる。文章やシンボルは視覚、演説や音楽は聴覚、視覚聴覚を通じた言語による思想の刷込みや思考操作等々。

〇何かを認識し快や不快の感覚を生じた時点でその事に気づき自覚化すれば、その後の「渇愛→執著→苦」というプロセスは遮断できるとする。対洗脳でも対象を認識した時点でその事に自覚的であれば洗脳の進行が遮断できるのでは。裏権力側が流す情報や思想を分析する陰謀追及者に有効・有用な心得と思う。

〇裏権力側が垂れ流す情報や思想、シンボルなどを分析するにはまずはそれらを認識しないといけないが、認識すると当然取り込まれるリスクが生じる。実際取り込まれる追及者が後を絶たない。悪影響を遮断しつつ対象を客観的に分析する強靭さを養うには「認識した事」に注意し自覚的である事が有効と思う。

〇吾人は思想や哲学に関してはどちらかといえばプラグマティックに捉えている。「明晰な思考に資するか」「現実の解釈や分析の役に立つか」「現象を論理的整合性を持って説明できるか」などの観点である。よって優れた役に立つものであれば参考にするし、どんどん思考の用具として活用する事にしている。

〇吾人の哲学への言及は認識論的な話が大半で存在論の話は殆どしない。認識論は認識の構造を極力客観的に分析する営みだが、存在論は「世界はこういうものだ」という価値判断が伴うので基本的に形而上学だと考える。形而上学に対しては「無記」のスタンスを取っているので存在論に言及する機会は少ない。

〇陰謀分析に応用できるのも認識論の方である。例えば洗脳に関する認識論的考察などだ。存在論は基本的に形而上学なので現実の現象である陰謀の分析にはあまり役に立たない。だが、思想工作用ツールとして特定の存在論が利用されたりするので思想工作に騙されない為に一応把握しておく事は大事である。

〇西洋で本格的な認識論が登場したのは「超越者が認識を保証する」という確信が揺らいだ近代になってからである。確信がある間は認識論的考察をする動機が殆ど無かった。それに対して絶対的超越者を想定しない印度の哲学学派は3、4世紀には認識論的考察を行なっていた。認識論の歴史は東洋の方が古い。

〇苦楽は正確に言うと五感=眼耳鼻舌身による色声香味触の感受について言う。意識による法(あらゆる事物・存在)の認識(表象や思考)では苦は憂、楽は喜とする。精神的な快と不快である。五感と表象・思考が同列の認識作用と捉えられている。五感と同じく表象や思考でも対象から影響を被るという洞察。

〇思想的に洗脳される場合も文章を読んだり演説や説教を聞いたりなどリアルタイムで五感で情報をキャッチした後に、表象(イメージ)や思考で脳内で繰り返し再生している間に刷り込みが深まっていくのではないだろうか。つまり自分の中で繰り返す表象作用や思考作用が自分自身を洗脳していく訳である。

〇そういう意味では「眼耳鼻舌身意・色声香味触法」として五感(眼識耳識鼻識舌識身識)と表象・思考(意識)を同列に並べたのは鋭い洞察だと言える。何を表象し、思考するかにも気を付けるべきという事だろう。例えば裏組織に踊らされている者は表象や思考=頭の中が滅茶苦茶になっているのだと思う。


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(了)
by kokusai_seikei | 2019-04-21 13:35 | ツイートまとめ | Trackback | Comments(5)

ツイートまとめ テーマ:「日本に拝火教が来ていた」という主張の検証を通して物事の探求の方法論について考察する。

〇「日本には護摩炊きがあるから拝火教が来ていた」と断定するのはかなり短絡的である。確かに「火の崇拝」という要素はインド・イラン系宗教の特徴の一つで拝火教だけでなくヒンドゥー教にもある。原始仏典にも火を祭るバラモンの話が出てくる。この思想的要素の源流が同じである事は容易に想像できる。

〇だが、「火の崇拝」という要素が同じだからと言って、同じインド・イラン系宗教とは言え、ゾロアスター教とバラモン教(後にヒンドゥー教)は同じとは言えない。前者は光と闇・善と悪の二元論と世界の終末、救世主という思想を特徴とする。後者は究極の解脱の境地を「梵我一如」とする一元論的な教義。

〇ある一つの宗教はたった一つの要素ではなく、気候風土や地理的条件、歴史環境など様々な原因・条件が重なって形成される。ある二つの宗教が源流を同じくし、特定の思想的要素を同じくするからといって、それらが全く同じという事にはならない。宗教に限らず物事は複数の原因・条件によって成り立つ。

〇護摩炊きは密教。仏教がヒンドゥー教の影響を受けて密教が成立したので護摩炊きはヒンドゥー教由来だと見るのが妥当。「護摩」とは「ホーマ( homa)」の当て字。梵語なのだ。だから印度由来と分かる。火の崇拝は源流を遡ると拝火教と共通の可能性が高いと思う。だからといって「=拝火教」ではない。

〇ある思想的要素の源流が何かという事と、その思想的要素を持つ宗教同士が全く同じかという事は異なる。「火の崇拝」という共通の要素を持つからと言って拝火教とバラモン教と密教は同じではない。「火の崇拝」以外にも様々な要素があるからである。「火の崇拝」の教義的な意味付けも同じではなかろう。

〇要するに拝火教とバラモン教と密教ではそれらが成り立つ原因・条件が同じではないのである。物事はたった一つの原因から生じる訳ではない。物事は複数の原因・条件によって成り立つ。物事を探求するには、それが成り立つ原因・条件を丁寧に見極めていく必要がある。それでこそ事実に近づく事が出来る。

〇普通に考えれば護摩炊きは密教由来である。「火の崇拝」という要素の源流が拝火教に想定できるからと言って護摩炊きを持って「拝火教が渡来していた」と言うのは論理の飛躍である。日猶同祖論もこの手の論理の飛躍で成り立っている。結論ありきで多少なりとも共通要素があれば何でも猶太にこじつける。

〇興福寺の仏像で有名な阿修羅は元々は拝火教のアフラマズダがバラモン教に取り入れられて悪神とされ、それがまた仏教に取り入れられて仏の護衛役となったもの。確かに元は拝火教の神だが、拝火教とバラモン教と仏教では全く意味付けが異なる。なので阿修羅をもって「拝火教が来た」とは言えないのだ。

〇「火の崇拝」もこれと同じ。アフラマズダが阿修羅になったように、同じ「火の崇拝」という思想的要素も拝火教とバラモン教と密教では意味付けが違ってくる訳である。拝火教では火は光の神アフラマズダの象徴だが、仏教の密教では煩悩を焼き尽くす智慧の象徴とされる。教義的な意味付けが違うのである。

〇同じ材料を使っても調理の方法が違えば全く異なる料理が出来上がるように、同じ又は類似する思想的要素でも意味付けや他の要素との組み合わせが違えば全く異なる思想体系を作り上げる。物事を見極めるには、それを構成する様々な要素を見極めて、どのように組み上がっているのかを観察する必要がある。

〇日猶同祖論などは同じに見える要素を針小棒大に取り上げて様々な要素が構成した全体をも同じだと短絡する。ここには明らかな論理の飛躍がある。何故このような事を縷々述べたかと言うと、最も重要な方法論に関わるからである。方法論が確立していないと「信じる」「信じない」の話にしかならないのだ。

〇「護摩炊き」を持って「日本に拝火教が来ていた」と言い張る人がいたので、いい機会なのでこの事を例として物事を探求する為の方法論について考察しておこうと思ったのである。まとめると、①物事は只一つの原因ではなく複数の原因・条件から成る。②物事の探求とはそれらをきちんと調べて考察する事。

〇②の複数の原因・条件を調べて考察する事とは、それらの原因・条件が具体的に何なのかを調べる事だけでなく、それらが如何に組み合わさって全体を形成しているのかを見極める事も大事である。先ほどの例で言うと拝火教とバラモン教と密教の教義の違いとそこから来る「火」の意味付けの相違などである。

〇物事には複数の原因・条件があるので一つの要素だけでは断定する事はできない。「火の崇拝」という一つの類似点を挙げて「拝火教が日本に渡来」と断定するが、他の要素、例えば拝火教に顕著な二元論や最後の審判等の教義体系の伝来の有無には無関心というのでは話にならない。宗教は教義が肝心なのに。

〇「同じに見える要素を針小棒大に取り上げて様々な要素が構成した全体をも同じだと短絡する」と書いたが、分かりやすく言うとH2OとCO2には「O」という共通の要素があるからと「CO2=H2O」と結論するような論法である。しかも「同じに見える要素」が本当に同じであるかも怪しく、こじつけの場合が多い。

〇同じく酸素の原子が含まれていても他の原子との組み合わせが異なるので水と二酸化炭素は同じではない。〇×同祖論などは皆この類の論理の飛躍で成り立っている。100歩譲って日本文化と猶太文化の間に何らかの共通項(に見える要素)が見いだせたとしても「日本=猶太」という結論を導く事は出来ない。

〇かかる発想の背景には一つの原因から一つの結果が生じるとする単線的因果観の刷り込みがあると思われる。要するに西欧的な見方にとらわれている。単線的因果観は科学だけでなく「神」や「一者」という「第一原因」を想定する基督教や新プラトン主義も共通している。物事には複数の原因・条件がある。

〇「一つの原因から一つの結果が生じるとする単線的因果観」とは、例えば「日本文化には一つの起源があるはずだ。それは猶太だ。」という発想である。一つの文化が形成されるには様々な要因が働く。たった一つの起源を想定する発想自体が基督教・西洋神秘主義・西洋近代合理主義に共通する単線的因果観。

〇単線的因果観は実体論が前提。一つの実体から他の実体が生ずる事を「因果」と捉える。だが、「常住不変」「独存(それ自体で存在する)」と定義される実体から他の実体が生じるとするのは論理矛盾である。因果とは「他の何かによって(この時点で実体の定義と矛盾)生じる」変化の過程なのであるから。

〇何かがそれ自体で存在するなら、それが存在するのに「因果」を必要としない。つまり「原因」が無くても「結果」があり得る事になる。また「結果」を生じなくてもそれ自体で「原因」であるという論理矛盾に陥る。このように実体論と因果論は矛盾する。矛盾する両者を結合したのが単線的因果論である。

〇「因果関係」とは何らかの現象がそれに続く他の現象を引き起こした場合、概念を付与して先行現象を「原因」、後続現象を「結果」と呼んでいるというのが実態であろう。実体論に立つ単線的因果論はこれの逆である。つまり最初から概念化された「原因」「結果」を想定し、それら相互の関係を因果と呼ぶ。

〇先行現象と後続現象は実体論的に画然と分かつ事はできない。ある種の「流れ」みたいなものである。それだと言葉で思考する人間としては捉えきれないので、便宜的に先行現象に「原因」、後続現象に「結果」という概念を付与して認識し易くする訳である。つまり因果のカテゴリは現象を理解する為の便宜。

〇そういう意味だと、原因や結果というものを実体ではなく関係の「項」として関数的に捉える見方は単線的因果論よりも理に適った優れた枠組みだと見ている。東洋では古くから「縁起」「因縁」などと呼ばれるが、現代哲学だと廣松渉の四肢的構造連関という認識論などがこの見方を継承していると言える。


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(了)

by kokusai_seikei | 2019-04-21 12:45 | ツイートまとめ | Trackback | Comments(3)

ツイートまとめ テーマ:異なるものの併存を認めず無理やり「一つ」にしようとするのがワンワールド妄想。

〇何が「日本的」かという事は難しい問題だ。一つは異なるもの、時には矛盾するものすら併存させ、出来るだけ保存しようとする態度だろうか(神仏儒の併存等)。その点でも神社仏閣を破壊した切支丹や廃仏毀釈を行った平田派は問題だった。あんな事を許したら貴重な文化遺産が悉く喪失してしまうだろう。

〇異なるもの、矛盾するものをそのままにしておけず、何が何でも一つにしようとするのがワンワールド妄想である。ワンワールド妄想の手口は主に2種類があると分析する。一つは特定の思想を押し付けて他の思想を全て破壊するやり方である。もう一つは異なる思想を無理やり一つに融合しようとするやり方。

〇「特定の思想を押し付けて他の思想を全て破壊するやり方」は西欧の基督教会が行ったのが典型である。戦国時代の切支丹や明治初期の平田派もこれに類する。「異なる思想を無理やり一つに融合しようとするやり方」は神智学一派が「全ての宗教の根源は一つ」と言い張るのが典型。帰一協会などがこの類。

〇最近だと後者の手口が主流かもしれない。前者のタイプだとISが中東の古代遺跡を破壊するなどした事が記憶に新しい。いずれにしても異なるものの併存を容認できず「一つ」にしようと執着する。異質なものを「止揚」しようとする弁証法の発想も同様である。「思想」の形態をとった支配欲の表れだと見る。

〇異質なものを一つにしよう(止揚)とする弁証法と対照的なのが西田幾多郎の「絶対矛盾的自己同一」の論理であろう。難解でよく分からない概念だが、「矛盾するもの、異なるものを一つにする必要はない。そのままで「同」と見る事も出来る。」という風な日本人的な考え方を論理化したものと解釈出来る。

〇西田幾多郎は若い時にヘーゲル哲学を学んだが、最終的に目指したのは日本的な物の考え方の論理化だったようだ。とは言え、論理化又は理論化はドグマに陥ってはならない。あくまで世界観のモデル。一つの理論を絶対視して執着するべきではない。それこそ「異なるものの併存」と矛盾する態度と言えよう。


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(了)


by kokusai_seikei | 2019-04-21 12:30 | ツイートまとめ | Trackback | Comments(0)

ツイートまとめ テーマ:新一万円札の肖像となる渋沢栄一と日本の中央銀行について。

〇「新元号」に続いて紙幣の肖像を一新するとか。1万円札は「渋沢栄一」。5千円札は「津田梅子」。日本の中央銀行を作った銀行家と岩倉使節団に随行して米国に留学し英語を学んだ人物というチョイスに現政府の「趣向」が伺われる。https://www.asahi.com/articles/ASM492CKYM49UTFK002.html

〇とは言えこれまでの肖像も「1万円=諭吉=明治の啓蒙主義者」とか「明治の元勲」とかそんな者ばかりだが。渋沢栄一について興味深いのは明治末期に姉崎正治らが始めた宗教ワンワールド運動=帰一協会の結成メンバーだった事である。中央銀行を作った渋沢はロスチャイルドと繋がりがあったと思われる。

〇「中央銀行を作った渋沢」と書いたが、これは説明が必要である。日銀条例を作ったのは松方正義である。だが、渋沢が創設した日本最初の銀行・第一国立銀行は日銀創設まで発券機能を持っていた。即ち「紙幣の発行権を持つ民間銀行」だった。「紙幣の発行権を持つ民間銀行」は「中央銀行」の重要な本質。

〇明治初期の日本では近代的な銀行制度の創設を巡り、英国的な中央銀行制度か、米国的なナショナルバンク制度(複数の民間銀行が紙幣を発行する)かで争いがあったようだ。だが、両者とも「私立銀行家が紙幣の発行権を持つ」という点では同じである。その主体が一つか複数の違いであり両建に過ぎない。

〇よって米国のナショナルバンクの制度をモデルにした第一国立銀行は厳密に言うと「中央銀行」ではない。とは言え、和蘭から英国に移り住んだ猶太系金融業者が作った世界最初の中央銀行・イングランド銀行も「紙幣を発行する民間銀行」だった。要は紙幣発行権を持つ銀行が一つか複数かの違いに過ぎない。

〇国立銀行条例は渋沢の発案で作られたとされる。渋沢は単に「日本で最初の銀行」を作ったというだけではない。「発券機能を持つ民間銀行」を作ったのである。発券機能はイングランド銀行やFRBなど「中央銀行」の本質的機能である。この点では発券主体が複数競合するナショナルバンク制度と同じである。

〇次に。渋沢は日銀が創設されると日銀の要職に就いた。日銀は一応は松方正義が創設したが、松方に実際に中央銀行を運営する実務的な知識と能力があったとも思えない。仏蘭西で金融制度を学び(ロスチャイルドのパリ家に学んだ?)、日本最初の銀行を作った渋沢にこそその能力があったのではなかろうか。

〇一応、日銀条例を作り日本銀行を創設した責任者は松方正義なので「渋沢栄一が日銀を作った」とは書かなかった。だが、前述のような全体の流れから見て「渋沢が日本の中央銀行を作った」と考えるのである。渋沢が作った第一国立銀行は朝鮮では韓国銀行が出来るまでは文字通り中央銀行だったそうである。

〇日銀の株式の過半数は日本政府が握っているとされるが残りの株主は非公開。「中央銀行の独立性」の名の下に日銀の指揮系統は外部からはブラックボックスになっている。戦前には日銀には猶太財閥の連絡室があると噂されていたらしい。中銀の元祖イングランド銀行は「公共性を装った私的な銀行」だった。

〇日銀創設時に第一国立銀行の頭取だった渋沢栄一は、割引手形審査の為の「割引委員」という役職に就いたらしいが、株主でもあったらしい。株主なら「要職に就いた」どころではない。オーナー(の一人)である。日銀への「渋沢栄一の関わり」に「株主、割引委員」と書いてある。https://eiichi.shibusawa.or.jp/namechangecharts/histories/view/078

〇渋沢栄一が第一国立銀行を作る時に三井財閥が出資している。渋沢は井上馨と並び三井とは密接な関係だったのだろう。という事は、渋沢が日銀創設時の株主だったので三井も株主だった可能性が高いと思う。三井はロスチャイルドと密接な関係だった。ロスの日本側カウンターパートと言ってよいかもしれぬ。

〇渋沢栄一は元は一橋慶喜(徳川慶喜)の家臣だった。幕末期に徳川幕府が仏蘭西と密接な関係だった縁から渋沢は仏蘭西で金融制度を学んだようである。後の三井との関係から察するにパリ家のロスチャイルドと接点があったと推測する。渋沢が日銀の株主だったのなら、ロスが日銀の株主でも不思議はない。

〇徳川幕府は日本の切支丹化阻止には功績があったが、今や徳川家とロスチャイルド家がつるんでいるらしい。いや、幕末以来か。憑依型戦術とはかくの如し。豊臣家なども長く続いていれば同じようになったかも。伴天連の侵略を防いだ豊臣秀吉の名を残し滅んだ豊臣家はその点で名を汚さずに済んだと言える。

〇ロスチャイルドは欧州外に進出する時は代理人を立てるのが常套手段。例えば米国だとオーガスト・ベルモントやジェイコブ・シフらがロスの代理人と言われている。モルガンやロックフェラーも元はそうだろう。日本に於けるそれが三井だったと思われる。三井は江戸時代以来の豪商である。所謂「越後屋」。

〇「越後屋、お主もワルよのぉ」「お代官様ほどではございませぬよ」は時代劇でおなじみであるが、西欧だと「ロスチャイルド、お主もワルよのぉ」と言っているようなものなので結構すごい台詞だったという気がする。やはりニュースより時代劇や特撮ドラマの方が真実を描いてある事が多いと言えるかも。

〇ヘッセン・カッセル方伯ヴィルヘルム1世とマイヤー・アムシェル・ロートシルト(初代ロスチャイルド)の関係は丁度「悪代官と越後屋」みたいな関係だったと言えるかもしれない。初代ロスチャイルドの台頭のきっかけはヘッセン・カッセル方伯の金庫番になった事である。所謂典型的な宮廷猶太人の一人。

〇例のコンセッション方式も西欧の貴族が宮廷猶太人に財政や徴税請負を任せた(行政のアウトソーシングの走り)のが原型ではないかと見ている。戦争に明け暮れた欧州貴族にとって猶太商人は戦費調達上も欠かせない存在であった。中銀はその究極。イングランド銀行設立によって戦費調達が容易になった。

〇イングランド銀行はスコットランド人のウィリアム・パターソンという素性のよく分からない人物の発案とされる。一説ではパターソンは海賊と言われる。中銀設立を許可したウィリアム3世に伴いオランダから来た金融業者と組んでいたと推測。イ銀行は英国の世界侵略=海賊行為の戦費調達を可能とした。

〇日本では今や「悪代官」より「越後屋」の方が遥かに力を持っている。政府の売国役人は国際金融資本の単なる走狗。「民間議員」と僭称する利権屋やグローバル資本の走狗が直接政府に入り込み政治を壟断している。利権屋が直接政府に入り込み政治を仕切る構図はある意味明治以来の腐敗の究極形態である。

〇明治時代の宗教統一運動団体「帰一協会」(「階級、国民、人種、宗教の帰一」を掲げる)の設立メンバーの中に姉崎正治らと並び渋沢栄一の名前がある。その財力からしておそらくスポンサーだったのではないか。渋沢はかなり初期からのワンワールド運動推進者だった事が分かる。https://ja.wikipedia.org/wiki/帰一協会

〇教科書や歴史小説などに於いて「偉人」とされる人物はワンワールド寄りの者が目立つ。渋沢栄一しかり。それらの刷り込みを通じて「ワンワールド化=善」と思い込まされる。例えば「開国」なる言葉がTPP推進の文脈で多用された。無自覚の内に刷り込まれる価値観を相対化し疑ってみる事が大切である。


〇TPPをはじめとするメガFTAはグローバル資本がISDSなど毒素条項で国の主権を奪い支配する枠組みである。グローバリスト共はそれを「開国」なる言葉で美化しようとした。そもそも「開国」が「美化」の言葉として用いられる背景はほぼ間違いなく司馬遼太郎史観の影響だろう。小説を通した刷り込みの例。

〇帰一運動=宗教統一運動=ワンワールド運動を推進した渋沢栄一を新札の肖像にする事は無自覚の内に「ワンワールド」に対する肯定的な見方を刷り込む認知的操作にもなり得る。古代の貨幣には支配者の顔が刻まれる事も多かった(アレクサンドロスなど)。無自覚の内に思考誘導されないように注意すべき。


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(了)

by kokusai_seikei | 2019-04-21 12:18 | ツイートまとめ | Trackback | Comments(0)

ツイートまとめ テーマ:東洋の伝統的政治道徳は「仁」。仁とは「思いやり」。理想や規範無き政治は限りなく腐敗していく。江戸時代の儒学についても考察。

〇東洋の伝統的政治道徳は「仁」。これは現代でも大事だと思う。権力者や富豪優先ではなく庶民の為、弱い立場の人を決して見捨てない政治。政は正。現実の政治が甘くない事は分かるが、現実を正す理想や道徳がなければ権力や金の奪い合いに終始し弱者を切り捨て政治は限りなく腐敗していくばかりだろう。

〇とは言え、一方では心に「利」を含んで「道徳」を振りかざして他者を抑えつけようとするのも権力者の常。「巧言令色鮮し仁」「大道廃れて仁義あり」と先人が言った通り。政治道徳とはまずは為政者に課せられるものである。利の追求を全面肯定する新自由主義者にはそれが全くない。政治が腐るのも当然。

〇西洋ではギリシャ・ローマに発する「共和主義」という思想的伝統があるそうである。これは単なる「王様がいない政治」の事ではなく「公共的な政治」の意である。徳のある市民が政治を担うことを理想とする。共和主義では商業主義による利の追求は警戒された。近代の自由主義とは異なる政治思想の流れ。

〇とは言え、古代ギリシャの民主制は奴隷制度を前提としていたし、後には猶太基督教と結合したり、近代以降は石屋などのワンワールド妄想に都合よく組み込まれてしまっただろう。ただ、「利」の追求を全面肯定すると政治は腐敗するという経験的洞察は洋の東西を問わず存在すると例示したかったのである。

〇「仁」とか言うと「時代錯誤」「道学者先生臭い」と思われかねないが、人間あるところ政治あり、政治あるところ腐敗あり、で東洋でも西洋でも政治の腐敗に関する洞察が存在する。東洋では「仁義道徳」があるが、西洋では「共和主義」という伝統から政治に於ける徳と利の問題が論じられたようである。

〇「共和主義」の伝統を持つ西洋人の基準からしても「利」の追求を全面肯定する新自由主義は腐っていると評価されうると思う。日本、東洋にも伝統的な政治道徳がある。西洋でも「徳」を重視する共和主義が命脈を保っている。「仁」を持ち出して権力政治を批判しても必ずしも時代錯誤とは言えないと思う。

〇ワンワールド妄想の直接的な起源はアレクサンドロスの世界征服事業によって生まれたヘレニズム文化だと思われる。それ以前のギリシャのポリス政治は都市国家を前提とする小規模でローカルな政治であった。前述の共和主義も小規模な共同体が想定されていたと思われる。無国境的な世界連邦主義とは異質。

〇ネオリベ政治があまりに酷いので根本的な考察をしてみたかった。具体的な政策論争や陰謀暴露なども大事だが、迂遠に見えてこういう考察も大事だと思う。根本が狂っているから政治がおかしくなっていると思うからである。裏権力の思想工作は、この根本的な部分を操る最も害悪の大きい工作だと言える。

〇アレクサンドロスの征服事業によって生じた無国境的な「世界帝国」の状況を受けて成立したのが「世界市民思想」を唱えるストア哲学である。これが後に基督教道徳に影響を与え、またカントを通じて「世界連邦思想」の思想的ネタ元となった。謂わばワンワールド妄想の重要な思想的源泉の一つだと言える。

〇ポリス共同体の廃墟の上に成立した「世界帝国」がワンワールド思想を生み出した。だが、「世界帝国」とは只の比喩表現であり、実際には世界全体からすると限定的なエリアを征服したに過ぎない。つまり、ワンワールド思想は「普遍」でも何でもなく特定の歴史状況から生まれたローカルな思想に過ぎない。

〇歴史的な系譜を辿っていくと「ワンワールド思想」が「普遍」でも何でもないただの特定の歴史状況から生まれた思想に過ぎない事が分かる。ストア主義はある時代(紀元前3世紀頃)のある地域(ヘレニズム世界)の固有の歴史状況から生まれた思想であり、「普遍的なコスモポリタニズム」とは僭称である。

〇「東洋の伝統的政治道徳は「仁」」と書いたが、実はこれは一面的である。仁を政治道徳というより人倫日用の道徳と捉える解釈もある。江戸時代の儒学者の伊藤仁斎などがこのような解釈をした。実際に論語を見ると政治道徳というより主に日常生活の対人関係に於ける思いやりに力点があるようにも見える。

〇「仁」とは只の形式道徳ではなく人間尊重の精神である。仁斎は「少しの残忍刻薄の心も無いのが仁」と言っている。孔子が重んじた「仁」を「義」と並べて「仁義」として主に政治道徳として説いたのは孟子である。日常生活でも一国の政治でも「思いやり」が大事な事に変わりなく一貫したものだと言える。

〇「少しの残忍刻薄の心も無いのが仁」とすれば、「残忍刻薄の心」しか持たぬサイコパス権力者が牛耳る政治は「不仁」の極みである。利権を貪り、弱者を切り捨て、グローバル資本に主権も食の安全も売り渡すような売国勢力は「残忍刻薄」の極みである。ネオリベ利権屋の薄ら笑いにそれが滲み出ている。

〇論語の中で孔子は仁を「克己復礼」と言っている。「自分の欲望を自制して、礼に返る事」と解釈される。欲望に執着するあまり他人を思いやらず冷酷になる事が「残忍刻薄の心」であろう。これを制する。「礼」とは単なる形式的な儀礼ではなくて、他人に思いやりを持って誠実に接するという事であろう。

〇古義学を唱えた伊藤仁斎は京都の町人だったので為政者として儒学を学んだ訳ではない。自治を行っていた京都の町衆の所謂「市民道徳」=人倫日用の道を説いたと言える。大陸では儒学は専ら読書人階級=支配階級の学だったので儒学の日本化の一類型と言える。このように儒学と言っても様々な解釈がある。

〇「仁は政治道徳」とだけ言い切ってしまうと「仁」の持つ他の豊かな側面が見落とされてしまうかもしれないと思ったので補足説明をさせて頂いた。町人学者によって庶民が主体的に自己陶冶する為の学問となった事は儒学の日本化の一類型であり江戸時代の日本人の基礎教養になった重要な思想的伝統の一つ。

〇儒学と言うと「人間性を抑圧する封建道徳」というイメージがあるが、一概にそうとも言えない。儒学の思想内容はかなり多様である。朱子学と古学では考えが全く異なったりする。例えば伊藤仁斎や荻生徂徠など古学派は朱子学の「人欲を去る」という考えを「人間性に反する」という趣旨で反対している。

〇逆に朱子学は朱子学で「人欲を去る」という事が人間の主体性を発揮する方法だと考えている。これは明らかに禅の影響である。仏教で煩悩にとらわれる事が自他を損なうと考えるのに通じる。まあ、様々な考えがあるという事であろう。思想は広く知って自分が参考になる部分を自由に活用すればいいのでは。

〇日本的儒学の一流派・古学の他の特徴は反形而上学的・経験主義的な姿勢である。江戸時代の儒学では「気(現象)」と「理(法則)」という宋学の枠組みで世界を解釈したが、古学では理を気(現象)に即して、謂わば経験に即して理解しようと努め、理を経験から離れて形而上学的に解釈する事を避けた。

〇古学では朱子学が独断的に「万物の理を極め尽す事が出来る」とする考えを避けて、人間の認識能力の限界を慎重に見極める経験主義的な立場にとどまった(これは西洋形而上学や啓蒙主義への批判に応用できる視点である)。形而上学的独断に対して「無記」で対処する原始仏教の姿勢に通じるものがある。

〇逆に「万物の理を解明する事が出来る」とする朱子学の考え方が日本の科学の発達の土台になった面もある。江戸時代の日本人の合理的思考が朱子学によって養われた面が大きい事も否定できない。色々な考えがある。どれか一つに固執せずに、幅広く知って、参考になる部分を活用したりするのがよいと思う。

〇経験と文献的実証を重視する日本の儒学の一学派である古学は伊藤仁斎の古義学と荻生徂徠の古文辞学がある(山鹿素行も古学派だが、こちらは「山鹿流兵学」で有名)。国学は古文辞学派の文献実証主義的な方法論に影響を受けている。江戸時代の学問は経験と実証を重視する方法論が広く共有されていた。

〇平田派国学は文献実証主義的方法から逸脱してキリシタンの教義を取り入れるなどして妄想的教義を作り上げてしまった。根拠が無ければ妄想で何でも言える。明治以後の国家神道や神道系新興宗教の根はここにある。江戸時代に定着していた実証主義的な方法論を無視した所に明治以後の思想改竄が行われた。

〇逆に言うと、江戸時代の学問に顕著だったような経験と文献的実証を重視する方法論は憑依型戦術を破る為の参考になると思う。伝統思想の改竄工作は経験や文献的な根拠を無視して行われるからである。「何事かを断定するにはきちんと根拠を求める」というシンプルな原則が複雑怪奇な思想工作を打ち破る。

〇何が「日本的」かという事は難しい問題だ。一つは異なるもの、時には矛盾するものすら併存させ、出来るだけ保存しようとする態度だろうか(神仏儒の併存等)。その点でも神社仏閣を破壊した切支丹や廃仏毀釈を行った平田派は問題だった。あんな事を許したら貴重な文化遺産が悉く喪失してしまうだろう。


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(了)

by kokusai_seikei | 2019-04-14 12:21 | ツイートまとめ | Trackback | Comments(2)

ツイートまとめ テーマ:英国政府がネット規制強化の動き。要警戒!真に甚大な悪影響を及ぼすフェイクニュースとは「知らせるべき事を知らせない」という手口でなされる。

〇英国がネット規制を強めようとしている。我が国も他人事ではない。要警戒である。「意図的に誤った情報を拡散する」とは具体的にどのような基準で判断するのか?裏権力に不都合な情報の拡散を抑圧する事が狙いであろう。https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190409/k10011877761000.html

〇あからさまな偽情報を流す事だけが「フェイクニュース」ではない。その程度の事ならすぐにウソがばれる。本当に深刻で甚大な悪影響を及ぼす「フェイクニュース」とは「知らせるべき事を知らせない事」である。マスコミが行っている情報操作は主にこれである。彼らはTPPの問題点を殆ど報道しなかった。


〇マスコミはフェイクニュースがどうだとか騒いでネット言論を統制する方向に誘導しようとしているが、彼らは、例えばテレビは公共の電波を割り当てられているにも関わらず、当然に国民に知らせるべき事を知らせないという方法で情報操作を行う。「事実を知らせない」事もフェイクニュースと呼ぶべきだ。

〇大きな影響力を持つメディアが「重要な事を報道しない」のは世論形成に於いて甚大な影響を及ぼす。「不作為のフェイクニュース」である。確かに「嘘はついていない」という訳だ。ふざけるのも大概にして貰いたい。真に甚大な悪影響があるフェイクニュースとは「大事な事を報道しない」手口でなされる。

〇大メディアはTPPの問題点を殆ど国民に知らせなかった。「モリカケ」問題の陰に隠れて強行された種子法廃止の問題点も殆ど報道しなかった。水道民営化(私的独占化)についても水道法改悪前後になってアリバイ程度に報道しただけだ。単なるデマ情報よりはるかに悪影響が大きい。国の根幹を揺るがす。

〇ウィキリークスの創設者ジュリアン・アサンジが英国当局に逮捕さる。英国政府が打ち出したネット規制強化計画の一環ではないか?アサンジは911の自作自演を根拠なく否定していたので両建の一角と疑っているが、一方でウィキリークスはCIAの自動車ハッキング計画の暴露など有益な情報も表に出してきた。

〇民主主義(民主制度)とは国民が自主的決定権を持つ仕組みである。政治問題や政策課題について究極は国民が判断する。だが、判断する為には判断の材料となる正確な情報が必要である。正しい情報が知らされないと判断を誤る。「知らせるべき事を知らせない」事が如何に深刻な悪影響を及ぼすかが分かる。

〇ネットを非難するマスコミは「知らせるべき事を知らせない」という不作為のフェイクニュースの手口で情報操作を行っている。両建かもしれないが、ウィキリークスのような機密情報暴露集団が支持を集めるのは世界中の多くの人々がメディアは知らせるべき事を知らせていないと感じているからであろう。

〇確かにネット情報も嘘が多いが、それとて表のメディアが知らせるべき事を知らせていない事に対する人々の不満があるからこそネットの偽情報が「オルタナティブ」として人々を引き付け表のメディアと紐付きネット情報とで両建が成立する訳である。要は正しく正確な情報を見抜く情報鑑識眼が大事である。

〇犯罪には作為の犯罪と不作為の犯罪があるように情報操作の手口にも作為と不作為があると分析する。積極的にデマ情報を流す事ばかりがフェイクニュースと言われているが、知らせるべき事を知らせない事もフェイクニュースと呼ぶべきだ。偽情報の認識だけでなく情報の認識の欠如も判断の過程を左右する。

〇人は情報を認識すると何らかの反応を起こす。謀略家が誘導情報を流すのは人々の認識の過程に影響を与えて人々を思い通りに操る為である。逆に反応を抑止する為には情報を知らせないようにする。例えばTPPの問題点を正確に伝えるとTPP反対機運が盛り上がる。マスコミはそれを抑える為に報道しなかった。

〇毒物劇物など危険物を扱うにはそれなりの知識や判断力が必要とされるが、情報もしかりである。孫子が「用間篇」を書いて情報戦を武力戦以上に重視したのは、それだけ情報の力が強いからであろう。薬にも毒にもなる。時には凶器にすら。無防備に情報の海に飛び込むのも危険。耐性と鑑識眼を鍛えるべき。

〇認識論的に分析すると「①情報を認識する。②その情報について思考・判断する。③その過程で「好き」「嫌い」「欲」「怒り」等の感情が生じる。④思考と感情が何らかの行動を促す。」という認識の過程全体を操作する端緒が誘導情報の流布である。「情報を知らせない事」は不作為の誘導情報だと言える。

〇逆に言うと、情報に正しく対処するには①情報について根拠に基づき正しく思考・判断する。②認識の過程で生じる感情(特に怒り)に気を付ける。事が重要だと考える。要は、認識した情報に対する「思考」と、その過程で生じる「感情」に気を付ける。思考を誘導され、感情を煽られると、行動も操られる。

〇知覚が感覚的情報を認識するのに対して思考・判断は概念を対象とする認識だと言える。何かを認識するとそれに伴い欲や怒り等の感情が生じる。この点では知覚も思考も同じ。例えば過去の嫌な事を思い出しても怒りが生じる。逆に過剰な感情が思考を歪めたりもする。思考と感情は相互に影響を及ぼし合う。

〇このように思考と感情は相互に影響を及ぼし合う。思考に伴い感情が生じ感情が思考に影響を与える。そして両者が相まって何らかの行動を促す。だから思考と感情を操られると行動まで操られる事になる。この機制があるので情報操作に対処するには行動の起点となる思考と感情に気を付ける事が大事である。

〇脳科学で「理性的判断に感情的要素が効率的に働くかもしれない」という趣旨の「ソマティック・マーカー仮説」なるものがあるそうだが、これとて適度な範囲の感情であろう。例えば悪政への義憤があると調べが進む。だが、過剰な感情で、例えば怒りに我を忘れた状態では的確な判断ができるとは思えない。


https://twitter.com/kikuchi_8/status/1115670712746831872


(了)

by kokusai_seikei | 2019-04-14 12:17 | ツイートまとめ | Trackback | Comments(2)