ツイートまとめ テーマ:麻原彰晃らオウム死刑囚への死刑が執行さる。オウムはISやアルカイダと同じ傀儡組織。オウム残党の動きや偽旗テロを要警戒。


〇麻原彰晃の死刑が執行された。オウム関係のニュースが出る時は偽旗テロに要警戒だが、麻原死刑執行となれば尚更厳重警戒が必要である。オウム残党もいるし、オウムの背後関係もうやむやにされている。またこれが水道私営化等のスピン報道に使われる事にも要注意である。

〇麻原死刑執行後の、緊急事態条項や日本版FEMA創設を正当化する為のオウム偽旗テロを警戒する。フランスではテロが起きる度に戒厳令が敷かれたりそれが延長されるなど統制が強まっていった。加えてマスコミが麻原・オウムの話題を水道私営化等の壊国政策のスピン報道に使うであろう事にも要注意である。

〇以前書いたオウムや偽旗テロ関連、先読み阻止の方法論に関するツイートが結構RTされていた。やはり皆様危惧する所は同じなのである。

〇表の報道でも以前から麻原奪還テロや死刑執行後の『殉教者』としての麻原個人崇拝の高まり→テロの危険性が指摘されていた。死刑が執行されて前者の前提はなくなったが、後者の危険性が残っている。麻原盲信者がやるテロだけでなく、傀儡組織のオウム残党がやったというテイの偽旗テロも警戒すべきだ。

〇TVのVTRで麻原が信者に「肉体は魂の牢獄である」と言っている場面を見た記憶がある。これは仏教ではなくグノーシス主義の考え方である。実際、ニューエイジャーが「麻原はそんなに間違った事を言っていない」という趣旨の事を言ったりする。オウムは「霊性進化論」がベースの神智学系カルトである。

〇オウムは背後の闇が深い。例えば猶太系オリガルヒ支配時代のロシアで武器取引をしたり、ウクライナに拠点を持っていたり、故・石井紘基氏が「いつの間にか統一信者がオウム信者にすり替わった」と発言したり、今も東欧にネットワーク(モンテネグロで拘束されていた)を維持していたりなど、である。

〇ロシア人信者が秘密裏に日本に潜入して麻原の奪還テロを企てた事件がある。オウムのネットワークは国際的な広がりを持っている事が分かる。そもそもあんないかがわしいカルトが何故そこまで広まったのか?が疑問である。「裏権力のテコ入れがあったから」と考えると筋が通る。オウムはISと同じである。

〇オウムはISやアルカイダと同じだと分析する。傀儡偽旗テロ組織という意味である。傀儡偽旗テロ組織は①裏権力が各種工作を行う際のダミー組織。②戦争や権力強化を正当化する為のダシ。ISがシリア侵略のコマとして機能した事が①の例。イラクへの侵略をアルカイダによって正当化したのが②の例である。

〇麻原彰晃は一時期テレビ番組に出演したり有名芸能人と対談するなどして明らかにマスコミが後押しした形跡がある。最初から傀儡として育成されたと見るのが妥当であろう。麻原はオカルト雑誌にも登場した。月刊ムーに「ヒヒイロカネ」のレポートを寄稿した由。竹内文書や酒井勝軍関連の偽史ネタである。

〇麻原はオカルト界隈の出身。オウム教義に影響を与えた神智学はオカルトの定番ネタの一つだが、「ヒヒイロカネ」に関するレポートを書いている所を見るに竹内文書や日猶同祖論の酒井勝軍など偽史ネタにも興味を持っていた事が窺える。オカルト系紐付き「陰謀論」者にはオウム残党もいると睨んでいる。

〇オウムの所謂「陰謀論」は神智学系のそれである。謂わばフリーメイソン系の紐付き。神智学は「ダーク・ブラザーフッド」なる集団が陰謀を企んでいるという言説を教義の一部に含んでいる。神智学自体が石屋系の思想なのでマッチポンプである事は言うまでもない。オカルト系「陰謀論」は誘導言説である。

〇麻原を崇拝しているらしいオウム残党らしきアカウントを見かけた事がある。すぐに凍結されていた模様である。陰謀追及界隈にオウム残党が潜り込もうとする可能性もあると考える。テロを扇動したり、終末思想を煽ったり、戦争惹起やワンワールド肯定の方向に誘導するなどする連中がいたら要注意である。


https://twitter.com/kikuchi_8/status/1015269679160422400


(了)


[PR]
# by kokusai_seikei | 2018-07-15 12:55 | ツイートまとめ | Trackback | Comments(0)

ツイートまとめ テーマ:破グノーシス主義。両建の一角であるグノーシス一派を斬る。


〇最近方々で「グノーシス」という言葉を目にする事が増えた気がするのでグノーシス主義について分析しておく。グノーシス主義は「認識論上の錯誤から生まれた形而上学」というのが吾人の分析である。人間の心の問題を物質の問題に転嫁したのである物質に対する「欲」の問題を「物質が悪い」とした。

〇何かを認識して反応を起こす事から人間社会の善悪の問題が生じる。この認識論的な仕組みを錯認して「何かを認識して起こす反応」ではなく「認識された何か」を「悪」だと見誤った訳である。泥棒が物を盗むのは泥棒が物を認識した時に起こした「欲」の問題であって盗まれた「物」自体が悪いのではない。

〇グノーシス主義者は人の心の問題を全て外界に投影するので「物質世界は悪」と断定する。それに対して人の心は外界である物質世界とは違う「霊」の世界なので無条件に善と断定する。このように「心を正す」「心を統御する」という方向性ではなく認識対象である「物質世界」を悪と断罪する方向性になる。

〇このようにグノーシス主義は「物質世界は悪」と断定する「反宇宙的二元論」なので「世界を破壊する」という恐ろしい虚無思想に繋がりかねない危険性を持っている。「グノーシス派」を名乗る裏権力の一派はこのグノーシス主義の破壊的側面を人工芝工作のイデオロギーとして利用しているのだと分析する。

〇「グノーシスが~」と異様に絡まれた事があるが、「一神教を批判しているからグノーシス派は善玉」という事にはならない。一神教勢力とグノーシス勢力は両建と考えるべきである。グノーシス派を名乗る勢力は具体的に言うと英国系や仏蘭西系の石屋であろう。例えばクロウリー一派の「グノーシス教会」。

〇プロ又は紐付き系の陰謀追及界では大抵、猶太・基督教の側に立ってグノーシス主義を叩くか、グノーシス主義の側に立って猶太・基督教を叩くかのどちらかである。「どちらも批判」はない。ここでも「両建」の認識が重要となる。両派閥が結局ワンワールドに誘導している事を見抜き両方批判すべきである。

〇今挙げた「一神教派VSグノーシス派」両建構造はウヨサヨ抗争と基本的に同じである。一神教だの、グノーシスだの、何だか思想的に「高度」に見えるので幻惑されやすいかもしれないが、やっている事は左右両建抗争と同じなので、気後れする必要は全くない。重要なのは基本的な仕組みを見抜く事である。

〇グノーシス主義をここまで批判するとまた敵を増やした事であろう(笑)陰謀追及に於いては批判対象が偏り過ぎると両建工作に嵌められてしまう恐れがある。一神教(猶太・基督教など)、神秘主義(グノーシス主義など)、理性主義(ボルシェビズム、フェビアン主義など)の全思想派閥を分析・批判すべき。

〇形而上学は大抵認識論的な錯認から生じると考えている。「認識論的な錯認」は「認識論的な吟味の不足」や「人間の認識能力を超えた判断を下す」事を主な原因として生じると思う。認識の機構を十分に吟味しないままで、しかも認識・経験し得る現象を超えてあれこれ断定するから様々な形而上学が生じる。

〇「グノーシス・カトリック教会」を作ったアレイスター・クロウリーは猛烈に基督教批判をしているが、基督教とクロウリーのオカルト思想は外面的権威(「造物主」という概念)を絶対化しているか、内面(「真の意志」という概念)を絶対化しているかの差に過ぎない。認識論的考察を飛ばした独断である。

〇基督教の「外面実体主義」(外面に実体を想定する主義)に対するクロウリーの「内面実体主義」(内面に実体を想定する主義)の関係は、自然を超越する所に「神=実体」を想定する基督教や猶太教の思想に対して「自然」が「神=実体」だとしたスピノザの関係に比せられる。実体を設定する点では皆同じ。

〇汎神論も一神論もそれを信じている者にとっては単なる理論以上の「信仰対象」です。理論的に厳密に究明する事と具体的な個々人の内面を尊重する事は両立します。順番の問題でも二択でもありません。「信仰」を強いられず、物事を自由に批評できる世の中でありたいものです。
「汎神論も一神論も、理論は理論に過ぎない。キリスト教もユダヤ教も、生きて、信じてこそ価値あるもの。理屈述べる前に、自らの信仰を生き、自らがしんじるように、相手の信仰を尊ぶことを覚えましょう。」

〇「理論は理論に過ぎない」と言うが「理論」を甘く見過ぎている。「理論」は自分の命を投げ出したり、他者の命を奪う所まで人間を駆り立てる事がある。誰かが製造した「理論」を注入された人間はその「理論」のプログラム通りに動くようになる。だからこそ陰謀追及上「理論」の解析は重要なのである。

〇例えばマルクス・レーニン主義毛沢東主義は歴史上最も大量の人間を殺害した「理論」の一つである。宣教師が教えた教理はキリシタン信者を「殉教」を至上の喜びとする程にまで仕立てた。「理論」は単なる「理屈」以上の感情価を帯びた「世界観」であり、人間の情念を掻き立て死地に赴かせる事もある。

〇主体的に選び取った「理論」なら「行動原理」と言い得るが、洗脳的に刷込まれた「理論」なら人間をロボット化する「作動原理」だと言える。しかも「主体的に選び取った」ように見えて、実は巧みに刷込まれたものだったりする場合があるので余計に厄介である。常に自分自身の思考を点検する必要がある。

〇特定の教義を信じるという意味での「信仰」が世の中の根本だという断定は基督教社会に由来する考えだと思う。東洋的伝統では信仰より道徳を重視する。加えて道徳の中身自体を自由に批評して吟味し得る自由が保障されるべきである。日本人はそうやって自ずと生成した「道理」という感覚を重んじてきた。

〇「グノーシス主義は心の問題を物質の問題に転嫁させた」と書いたが、「心の問題」と言っても「個人の心の問題」とは限らない。「心」とは単なる個人の内面だけではなく共同主観もある。共同主観が約束事として社会的制度を作っている。そもそも人間は社会の中で内面を形成する(言語の習得が典型)。

〇制度も人間の心に依存して成立する以上「心の問題」と言えない事はないが、「心に還元する」事は出来ない。Aに依ってBが存在するからと言って「Aを知ればBが分かる」という事にはならない。だから還元主義では分からない。人間の心理に依存するとはいえ、社会や制度にはそれなりの独自の存在性がある。

〇だから心理学と社会学は分かれている。「心の問題」と言うと何でも個人の心の問題に還元する誘導もあるので念の為に書いた。「物質が悪い」というのは論外の形而上学だが「社会のせいにするな。全ては自分の心次第」という誘導もある。陰謀などの社会問題は物質の問題でも「自分の心」の問題でもない。

〇世の中は持ちつ持たれつの関係性(これを究明するのが「科学」)で成り立っているので「全ては自分の心次第」というのは論理的に成り立たない考えである。物とも心とも言えぬ「社会」という領域がある。自己責任論は権力(犯罪)者が自らの責任を回避して一般庶民に責任を押し付ける為の便法である。

〇唯識は心を「依他起」即ち「他に依って起る」とする。「あらゆる対象が心理的現象(感覚・表象・思考)として現れる」という洞察と「全ては自分の心次第でどうにでもなる」という独我論的断定は全く異なる。自分の心自体が思い通りにはならない訳である。例えば視覚・聴覚は意思とは無関係に生起する。

〇もしグノが責任転嫁しない教えだとすると「自分の心の制御に責任を持つ」という考えを受け入れないといけなくなるが、それだと「物質=悪」と断罪する解釈はおかしいという事になる。霊肉二元論に基づき精神=善・物質=悪と断定する以上「精神は間違う事がある」という前提とは論理的に矛盾が生じる。

〇グノーシス主義者は批判者をキリスト教だと決めつける傾向あり。「思想」が絡むからといって別に「高度」な話ではない。ウヨクが論敵をサヨク、サヨクが論敵をウヨクとレッテル貼りするのと全く同じである。両建の片割れは批判者を敵対派閥の人間だと決めつける。キリスト教とグノーシス主義は両建。

〇グノーシス思想の研究者によるとグノーシス思想は古代猶太教及び原始基督教の周辺に成立した思想群との事である。元々猶太教・基督教の周辺に成立した思想群なので猶太教・基督教を強烈に意識している訳である。だから批判者が全て耶蘇に見える。地中海・オリエントの域外は全く見えていない訳である。

〇グノーシス思想とは「人間則神」論である(※この「神」とは超越者概念なので我が国で言う「神」とは全く異なる事に注意)。外在的な猶太教・基督教の「神」を人間に内在するものと捉えた「人間至上主義」である。超越者概念・実体概念を外に置くか内に置くかの違いに過ぎない。だから両建同根である。

〇原始仏典に「世の中の美しい物はそのまま存在する。問題はそれに対する欲望や執着である。」という趣旨の事が書いてあったと記憶する。これはそのままグノーシス批判として読める。吾人の認識論的考察はこれと同じである。「キリスト教の貼り付けたレッテル」とはそれこそ愚かなレッテル貼りであった。

〇理論的な批判に対して感情的に反発し「キリスト教が貼り付けるレッテル」などと決めつける「グノーシス主義者」の姿を見て宗教の一種だと再確認した。これまでに何度も遭遇した宗教信者やカルト工作員と全く同じ反応だった。あれが「グノーシス」なら「グノーシス」とやらも大した事が無いと言えよう。

〇信じる気があるとかないとか説得するとかしないとか言っていたので、その点を見てもやはり宗教と同じだと思った。相手が信じていようとなかろうと道理や論理に基づいて説得し、事実なら受け入れざるを得ない。そういう営みが哲学だとすると先方が言う「グノーシス」が哲学でない事は明らかであろう。

〇もし宗教でなく哲学であれば「物質に対する欲の問題を物質が悪いと錯認した」という指摘に対してレッテルを貼り付けるなど感情的に反発する事無く「欲望は肉体に属する。肉に属する欲望は霊魂とは無関係」とかなんとかと応答すればよい。それをどう実証するの?というツッコミはさておき問答にはなる。

〇さすれば今度はこちらが「欲望は心で感じるのでは?肉体に属する欲望を心で感じるという事は精神と肉体が画然と分かれているというグノーシス思想の前提が崩れる」などと再応答する。こうやって問答が続いていくのがあるべき哲学的議論の姿だと考える。盲信者とはこういう冷静な議論が成り立ちにくい。

〇「心の問題を外部に責任転嫁してるのってキリスト教の方」というG氏のエアリプに応答する。「の方」ではなく「も」なら同意。キリスト教は人間の心の問題を「十字架で処刑された一人の男を信じる事で解決できる」とする。戦国~江戸時代の日本人の失笑を買った幼稚な教理である。新井白石も呆れた。

〇それに比べるとグノーシスの教理はまだしも一見「話せる」感はある(実際にはグノーシス主義者は基督教原理主義者と同じく「話」が通じないのだが)。だが、それとて検証不能な形而上学的世界観に基づいている点ではキリスト教の幼稚な教理とどんぐりの背比べである。だから耶蘇とグノを破両建する。

〇基督教では心の問題を「悪魔」のせいだとする。人間は原罪を負った存在なので人間には善性の根拠はないとも。このように善も悪も外在的なものとして表象する。ここには「自己の心に責任を持つ」「自己統御」という考えは出てこない。「悪魔を払う為にひたすら造物主を信じる」という信仰の世界に陥る。

〇これに比べるとグノーシスの「肉体は悪」「物質は悪」はいくらか脱神話化していると言えるが、心の問題を外界に投影している点では同じ。400年前の日本人が一笑に付した基督教の教理よりはグノーシス思想の方がまだしも論じるに足りる。だからわざわざ分析した。逆に感謝して貰いたいくらいである(笑)

〇「グノーシス主義は知識を重んじる」と言うが迷信や形而上学、作り話の類にも膨大な「知識」がある。肝心なのは「検証に耐えて正しいと確かめられた知識であるか否か」である。グノーシス思想の教理は形而上学であり基督教のそれと同様、正しいと確かめられた「知識」ではない。ここにすり替えがある。

〇「自立と真実に向かう事がグノーシス主義のテーマ」とするが、真に自立と知識の尊重を言うならグノーシス主義すら相対化せねばならない。認識対象としての教理に執着している(仏教で言う、見解への執着=見取)間は対象に依存しているので「自立」した状態にあるとは言えない。「法すら執着するな」。

知識や理論は執着し依存する対象ではなく、執着せず依存せずに使いこなすべき道具である。極端な反知性主義である基督教への反動からかグノーシス派は知識崇拝と言ってよい状態にあるが、知識も執着するとかえって人間を奴隷にする。実際、基督教の教理も言葉や表象で作られた「知識」の塊なのである。

〇どんなに迷信的な宗教教義といえども言葉≒概念でできている以上「知識」である。肝心な事はその「知識」が検証に耐えて妥当性を確かめられているかどうかである。そして一端妥当性が確かめられても常に吟味の対象としてその「正しさ」を検証する柔軟性も大事である。そうしないと思考の硬直化を招く。

〇理論についても似た事が言える。理論の考察を軽視する者に限って特定の理論に囚われている場合がある。重要なのは「理論を知っているか、知らないか」という事ではなく理論に「とらわれない」事である。各種理論を十分に考察して性質を見極めると鑑識眼が鍛えられ理論に対する執着がかえって無くなる。

対象の性質を理解する事で対象への幻想が消え執着を離れる。これは陰謀追及上役に立つ資質である。陰謀追及上、様々な思想的なトラップの類が仕掛けられているからだ。最近の「グノーシス派上げ」もそれだと睨み警鐘を鳴らした次第。各種の知識や理論を幅広く把握した上でとらわれないのが理想である。

〇原始仏教では「如実知見→厭離→離貪→涅槃(無執着)」というプロセスを繰り返し説くが、これは形而上学ではなく人間の認識のプロセスを観察した結果得られた経験則だと思われる。対象を厭い離れ対象への貪りを離れるには対象を如実に観察する事が有効だという経験則だろう。参考になる考え方である。

〇「基督教は思考停止」というのはちょっと違う。「思考停止」ではなく「思考誘導」と言う方が正確。洗脳とは思考が停止しているのではなく各種ドグマを思考対象として執着している状態である。本当に余計な思考が停止しているならドグマにかかずらわない。淡々と目の前の事をしっかり行うだけである。

〇グノーシス主義者は「グノーシス主義はキリスト教の思考停止の奴隷状態から救う」とするがキリスト教の教理という思考対象から引きはがしてグノーシス主義の形而上学という新たな思考対象に繋ぎ止めるだけになり結局は同じ事の繰り返しになる。思考対象への執着そのものを制御しないと結局は奴隷状態。

「グノーシス」の内容は空想に基づく検証不能な形而上学なので「知恵」の名に値しない。それによってキリスト教から「解放」されてもまた新たな精神的監獄に収容される。観念体系自体を相対化して、それらへの執着を離れなければ同じ事の繰り返し。各種東洋思想はそれ自体への執着を戒める点で良心的。

〇「基督教からグノーシス主義へ」という事の本質を的確に表現すると次の如し。スッタニパータ791「791 前の(師など)を捨てて後の(師など)にたより、煩悩の動揺に従っている人々は、執著をのり超えることがない。かれらは、とらえては、また捨てる。猿が枝をとらえて、また放つようなものである。

〇西洋思想の枠内で基督教を批判したければグノーシス主義よりニーチェの方が参考になると思う。ニーチェは西洋形而上学の伝統を猶太教・基督教とプラトン哲学にまで遡って根底から批判している。それに比べるとグノーシス主義はプラトニズムと同様の西洋形而上学の枠内どころか重要な起源の一つである。

〇ニーチェ以降の西欧現代思想は基督教的枠組みを批判し相当程度相対化した。ニーチェと同時代人のマッハは基督教の「神」どころか「自我」「物質」という西洋哲学の伝統的な実体観まで排除した。基督教を批判するのに何故今さら実体観を引きずる古代思想を持ち出す必要が?というのが正直な感想である。

〇もっともニーチェは基督教批判では参考になるが力を賛美する西洋覇道的な心性を持っている所があるのでそこは差し引くべきである。過去の思想哲学は参考にできる部分だけを参考にするという姿勢で臨むべきである。全部鵜呑みにするのは危険。孟子が「書を全て信じるなら書は無い方がよい」と言う通り。

「キリスト教からグノーシス主義へ」というのは執着の対象が変わるだけで「見解への執着(仏教で言う「見取」)」自体は変わらず残るのである。その点、「川を渡ったら筏を捨て置くように、用が済めば法への執着すら捨てよ」とした釈迦の姿勢は良心的だと言える。各種思想哲学は参考に留めるのが安全。

〇キリスト教的な権威主義の転覆を掲げる者がキリスト教的な権威主義でマウンティングしようとするなど西洋の枠内では普通の事だ。反権力を掲げる者が権力に固執している事はよくある。例えば「民主主義を守れ」と叫ぶ横文字左翼は独善的で暴力的である。反権力に見せた強い権力欲の表れと言えるだろう。

〇グノーシス主義はこの世界を「デミウルゴス」という悪神が作った邪悪な世界と考えるので、既成秩序の転覆を目指す人工芝革命工作に好都合が面がある。既成秩序を全転覆させる否定の論理を持っているのである。これが人工芝革命工作組織が「グノーシス派」を名乗っても不思議ではない理由の一つである。

〇しかし古代のグノーシス主義は世界自体を邪悪なものと考え、そこからの解放を志向するので「世界を変える」という発想は持たない。古代のグノーシス主義者の意図は「物質世界からの魂の解放」なので「グノーシス主義による世界革命」というのは古代のグノーシス主義からは全く考えられない発想である。

イルミナティも同様。イルミ創設者アダム・ヴァイスハウプトはセネカの書簡を入門者のテキストに指定するなどストア主義の影響を受けていたが、古代のストア主義は「万物はロゴスの必然性に従い、運命が定まっている」という予定調和説なので人為的に世界を改造するという発想にこれまた結び付かない。

〇このように「グノーシス派イルミナティ」という組織名は古代思想そのものからすると色々おかしいのである。そもそもグノーシス主義とストア主義は宇宙観からして相容れない。前者は宇宙を悪だと考え、後者は宇宙はロゴスによって支配される善なるコスモスだと考える。秘密結社の連中は支離滅裂である。

〇結局、裏権力は古代思想から都合のよい部分を借りて世界の征服・支配を正当化するイデオロギーを製造していると言える。その源泉はシュメール・メソポタミア、エジプト、イラン、ギリシャなど地中海・オリエント世界の各種思想・宗教である。猶太思想もこの源泉(特にシュメールとエジプト)から出た。

〇裏権力は色々な思想哲学をごった煮して種々の「理論」を製造しているが、各種思想哲学の系譜を客観的に遡ればそのインチキが判明するので騙される事はない。裏権力は特定の「思想」によって導かれてるというより「世界支配」という「妄執」「執着」「欲望」に駆られていると捉える方が正解だと思う。

自分の身心(感覚や思考)を常に観察し続けて欲や怒り、妄想などに囚われないように気を付ける事が己を内側から守る最強の防御法だと考える。何から守るか?洗脳・心理操作、ドグマ、迷信・オカルト(救世主妄想、予言・預言・占いの類など)、メディアが刷込む価値観、宿命論(「NWOは不可避」等)等々

〇人間の心は「①感覚や思考で何かを認識し②快・不快を感じ③快には欲が、不快には怒りが生じる」という認識と反応の過程と捉える事ができる。何かを認識し、そこに欲や怒りを出すか否かが分かれ目になる。だからそこに気を付ける。無駄な反応を起こさないように制御する事が心理操作に勝つという事。

〇予断や色眼鏡を交えずにありのままに現象を観察する所に「知恵」があると考える。狭い世界観の中に閉じこもり異なる考えの者を排斥し拒絶する所に「知恵」はない。グノーシス主義者の言う「グノーシス」は単なる妄想的思考に過ぎない。怒りは観察力を鈍らせるので、すぐに怒る者は知恵者とは言えない。

〇自称「グノーシス」一派は異論者をブロックして己らの殻に閉じこもる傾向がある。自分たちの世界観に閉じこもり、その世界観を脅かす存在を認識からシャットアウトしてその世界観を守ろうと必死に執着する。まさにカルト。例えばこの認識のメカニズムをありのままに観察する事が「知恵」の名に値する。

〇西洋神秘主義者は「認識力を拡張して通常の感覚では見えないものが見えたら偉い」という前提を持っている。薬物や脳の異常で「通常の感覚では見えないものが見え」たりするのである。それが「偉い」と考えるのはア〇らしい。何を認識しても対象に執着して引きずり回されたりしない事の方が重要である。

〇「見えないものが見えた」と言って執着するのはある意味モノに対する執着するより厄介で危険かもしれない。モノに対する執着は現物がないと何とか諦めもつきやすいが、現物が無い幻覚や空想に執着すると際限がないからである。カルト盲信者が只の守銭奴以上に「怖い」感じがするのはこれが理由である。

〇オウムが「超越世界」という気味の悪いアニメを作っていたようだが、西洋神秘主義者は通常の知覚経験を超えた異常体験を「超越」として執着している。だから時に薬物に手を出したりする。ニューエイジの理論家で神秘主義にLSDを取り入れたティモシー・リアリー(CIAの洗脳実験の協力者)がそれである。

〇アニメ業界や漫画業界にはG氏みたいな自称グノーシス主義者が多いのだろうか?確かにアニメ・漫画や映画、音楽(特にMV)などには様々な結社のシンボルや思想が埋め込まれている事が多い。どういう仕組みやルートで結社の影響がエンタメ業界に及んでいるのかについても改めて興味を持った次第である。

〇「グノーシス」とは「認識」という意味だが、自称グノーシス主義者は現実の現象をありのままに観察しようとしない。形而上学的な独断に執着しているのみである。吾人が考える「知恵」とは、現象を観察する事、欲や怒りなどの感情を統御する事、論理的に思考する事、他者の気持ちを慮る事、などである。

〇「無記」とは全く特別な事ではなく「断定できる事は断定し、断定できない事は断定しない」という当たり前の思考の原則に過ぎない。現象として経験・検証・確認ができない形而上学的命題などの断定できない事柄を断定する方がおかしいのである。各種思想工作員はこの「無記」をとりわけ忌み嫌っている。

〇「グノーシス」とは「認識」や「知識」という意味なのに現実の現象を認識しようとせず、根拠に裏付けられた「知識」を軽視する自称・グノーシス主義者。彼らの言う「グノーシス」とは専ら「人間は神である」等の形而上的世界観に関わる「認識」。西洋のオカルティストは「超感覚的認識」に執着する。

〇某人がグノーシス主義と仏教を付会していたが、原始仏教はグノと対照的な非形而上学的な現実的思考方法をとる。原始仏教に於ける「認識」とは人間を構成する五つの要素(五蘊=色受想行識)や認識を構成する12の範疇(眼耳鼻舌身意・色声香味触法)という知覚経験し得る現象を如実に観察する事である。

〇五蘊=色受想行識=肉体・感覚・表象・意思・認識(思考など)。十二処=眼耳鼻舌身意・色声香味触法=感覚・表象・思考など人間の認識作用と認識対象の全て。これら現実の現象を観察し無常・苦・無我という性質を如実に見る(如実知見)→厭い離れる(厭離)→貪りを離れる(離貪)→無執着(解脱

〇観察できる現実の現象に関しては明確に「無常・苦・無我」と断定し、観察できない形而上学的命題については断定を避ける「無記」で臨む。両者とも無執着で対処する。これが原始仏教の現実的な思考方法である。これは信仰とは全く異なる極めて経験主義的で合理的な思考方法なので度々参考にしている。

〇このように形而上学的思考を無記で排し、経験・検証・確認し得る現実の現象のみに対象を限定して客観的に観察する方法を取る仏教の現実的思考法はグノーシス主義の形而上学的思考法とは全く異なる。グノーシス一派の最初の因縁付けが「仏教とグノーシス主義は同じ」というものだったので再度考察した。

〇西洋哲学ならエルンスト・マッハの思考方法の方が仏教の認識論に似ている。マッハは伝統的西洋哲学の「自我」や「物体」という概念の形而上学性を見抜き、純粋な経験から出発して科学を根底から再構築しようとした。現象世界は感覚要素の複合で成り立っているとし自我や物体という実体概念を排除した。

〇そう言えば自称・グノーシス主義者が「グノーシス主義を批判する者はそのうち消される」みたいな事を言っていた。そもそもこの手の発言をする時点でお里が知れる訳だが、一体どの筋が蠢いているのかは興味深く思った。やはりここ数年の「グノーシス派上げ」は組織的な人工芝工作の可能性がありそうだ。



https://twitter.com/kikuchi_8/status/1012743539967422465


(了)


[PR]
# by kokusai_seikei | 2018-07-15 12:07 | ツイートまとめ | Trackback | Comments(0)

ツイートまとめ テーマ:CSISにて「水道民営化」宣言をした「副総理」。マイケル・緑は「嬉しい驚き」顔?日本国民の命綱を外資に渡す究極の売国行為を絶対に許してはならない!


〇麻生の有名な「水道を全て民営化します」」発言。場所はCSIS、隣には「影の総理」ことマイケル・グリーンがいる。緑は麻生の「水道を全て民営化します」発言の箇所で一瞬驚いたように顔を向けているように見える。「えっ、そこまで売国してくれんの?」という驚きだろうか。



〇緑も驚いた(ように見える)水道民営化発言。官僚は安倍一味に「忖度」しているかもしれないが、安倍一味はCSISに「忖度」している。売国一味は時々CSIS詣でをして、そこで「私はこれだけの売国をやります!」と「宣言」してくる。裏権力のの覚えをめでたくして、走狗としての権力を維持する為だろう。

〇麻生はCSISでの会見で「世界中殆どの国では私企業が水道を運営している」と言っているが、実際には水道私営化は世界中で失敗して今は再公営化の流れである。世界中で失敗した事が分かっている水道私営化を今敢えて我が国でやろうとする意味は国際資本への利益誘導以外の何物でもないと言えるだろう。

〇麻生がCSISの会見の中で述べているのは行政が公設の設備を所有し運営権を私企業に譲り渡す「コンセッション方式」の事だと思われる。水道法改悪の狙いは水道事業に於けるコンセッション方式の推進である。一連の売国政策はCSISやその背後の多国籍企業群、財界、ケケ中ら利権屋の意向通りなのが明らか。

〇欧米(特に米国)の権力システムに於いては政界・官界・財界の人事に境界がない。経営者がそのまま官職に就き、下野するとまた経営者に戻るなどという事が普通である。癒着ですらなく、「一体」である。要員を数多く米連邦政府に送り込むCFRやCSISが私企業の利益を代表しているのは明らかな事である。

〇TPPを熱心に推進している事を見てもCSISが巨大私企業群の利益を代表している事は明らかである。そのCSISがジャパンハンドラーズと呼ばれる対日操作班を我が国に送り込み売国一味をコントロールしている。売国政治屋は上部組織のCSISを時々訪問して「売国プラン」を開陳する。水道私営化もその一つ。

〇「安倍一味は国際資本の手先」と言う場合の具体的な仕組みはこのようになっていると分析する。国際資本・多国籍企業群の利益を集約的に代表する「シンクタンク」が売国一味をコントロールしている。「シンクタンク」の対日派遣要員が「ジャパンハンドラーズ」である。彼らの表向きの肩書は「学者」。

〇CSISを詣でてTPPや水道私営化の推進など「売国宣言」をしてくる走狗政治屋はさながら先生から褒められる為に自分の「いい子」ぶりをアピールする生徒の如しである。しかしここでは「いい子」「成績」の基準が歪み切っている。「如何にどれ程売国するか」が「評価」の基準になっているだろうからだ。

〇サッカーワールドカップ、麻原ら七人のオウム死刑囚の死刑執行、全国的な集中豪雨によって水道私営化につながる水道法改悪のニュースがかき消されてしまった。オウム受刑者の死刑執行は明らかにスピンに使われている。日本代表がベルギー戦に勝利していたらあのタイミングで執行はあったのだろうか?

〇麻生の「水道民営化発言」が報道されている。「埋もれた」はその通り。引用:麻生太郎 副首相兼財務相「この水道は全て国営もしくは市営・町営でできていて、こういったものを全て民営化します」【オウム死刑執行とW杯に埋もれた「水道民営化」問題の“重要発言”まとめ】http://bunshun.jp/articles/-/8096

〇自民党議員が「所有と経営の両方を民間に委ねることを意味する「水道民営化」の表現はミスリーディングに過ぎる」などと言っているが、公が施設を所有し、運営権を「民間企業」に譲り渡すのだから「民営化」である。「営」とは「経営」「運営」。端からこの「コンセッション方式が問題」とされている。

〇「所有は公だから運営権を外資に渡しても「民営化」じゃないよ」という詭弁こそが「ミスリーディングに過ぎる」次第である。コンセッション方式では一応施設の所有権は行政が持つ。だが、料金設定も含めて運営権は丸ごと私企業に渡すのである。その為のお膳立てとしての水道法やPFI法の改悪である。

〇英国発祥のコンセッション方式自体が「所有は公だから運営権を私企業に渡しても「民営化」じゃない」という「言い訳」をする為に考え出されたのだろう。国際金融資本の連中が考えそうな小ずるい手口である。公に所有権があっても、実際の運営権は丸ごと私企業のものなので実質は「私有化」と言える。

〇「所有と経営の両方を民間に委ねることを意味する「水道民営化」の表現はミスリーディングに過ぎる」のなら、CSISで「水道を全て民営化します」と言った麻生はどうなるのか(呆)。マイケル・グリーンもいる場で自民党政権のナンバー2である「副総理」がはっきりと「民営化」と言っているではないか。

〇自民党「政権」の「副総理」がはっきりと「民営化」と言っているのに、「水道民営化の表現はミスリーディング」などと言う。「じゃあ、副総理に言えば?」という話になる。売国一味と言うのは売国を何とか糊塗しようとしてあれこれ足掻いて理屈をこねようとする。なら最初から売国するなと申したい。

〇自民党の幹部がCSISで「水道民営化する」と言っているのだから「水道民営化」である。コンセッション方式では施設の所有権を形式的に公に残すだけで、日常のメンテナンスを含めて運営権は全て私企業に譲り渡す。もっとも「民営化」の「民」の語感が「民衆」などを連想するので「私営化」の方が正確。

〇それにしても、TPPや高度プロフェッショナル制度、水道私営化を図り、豪雨災害時にのんきに宴会などをしている連中の「支持率」が微増するという怪。マスコミが伝える自称「支持率」は裏権力の「まだ安倍にやらせるか否か」という意向を示すバロメーターと解釈すべきである。https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180709/k10011524991000.html

〇水道私営化では一定の地域の水道事業を特定の私企業が独占するので「競争原理」など働かない事は言うまでもない。水道民営化とは公的独占事業を私的独占事業にする事である。公的独占は選挙民が選んだ首長や議会を通じて統制するルートが確保されるが、私的独占ではその制約を無くすか大幅に緩める。

〇同じ独占事業でも公的独占より私的独占の方が危険である事はボリビアのケースを見ても明らかである。住民の命を支える水はどんな事があっても必ず供給しないといけないが、営利が第一の私企業にその任が全うできるのか。特に災害時である。水道料金の設定権を与えるので水道料金が上がる可能性が高い。

〇豪雨災害時に自衛隊を連れてフランス革命の軍事パレードに参加させようとする安倍。フランス革命はロスチャイルドら猶太系金融業者、大東社に集う大貴族や知識人が起こした人工芝革命工作と見る。英国の清教徒革命と並び昨今の人工芝運動の元祖。仏ロスチャイルド、大東社、ヴェオリアへの服従儀式か?

〇自衛隊の儀仗隊をフランス革命の軍事パレードに「招待」したエマニュエル・マクロンはロスチャイルド銀行の出身でジャック・アタリに見いだされた男。裏権力の走狗中の走狗である。欧州の「エリート走狗」が安倍晋三という東亜の「リベラルな指導者(CFR曰く)=忠実な走狗」を招いたという訳である。

〇甚大な豪雨被害が発生している時に宴会をしたりギャンブル合法化を成立させようとしたりする行いを見て、売国一味が「日本人ではない」という事を増々確信した次第である。国会議員である以上、一応日本国籍は持っているのだろうが(二重国籍はあり得る)、「精神的無国籍売国人」とでも呼ぶべき者達。

〇売国一味は日本人に非ずと確信する。かといって「外国人」と言うと外国人に失礼である。外国にはその国の愛国者がいるのである。売国一味は国際的な権力ネットワーク(国際秘密力)に従う走狗という意味で「売国人」というカテゴリに入れたい。連中はカタカナ語で「グローバリスト」などとも言われる。

〇そもそも自らを日本人と思ってないからこそ日本人の命綱である水も食料も売り渡す事が出来るのである。日本人に恨みを持っているか、日本人意識が無い精神的無国籍人でない限りは不可能な所業である。前者は何らかの理由で反日意識を刷込まれて育った、後者は利益で釣られた・思想的洗脳が考えられる。

〇裏権力の走狗化の手口を分析。ルサンチマンを持ちやすいのはマイノリティーである(勿論マイノリティーだからと言ってルサンチマンを持っているとは限らない)。そこに巧みに付け込む方法。精神的無国籍人を作る方法としての「秘密結社への参入」。これはルサンチマンではなく虚栄心をくすぐる方法。

〇売国一味は水道法改悪案の今国会の成立を諦めたようだ。「豪雨被害に付け込んだ露骨な火事場泥棒的やり方」との批判を意識したのだろうか。だが、今国会ではPFI法改悪案が成立しているので水道私営化の野望を打ち砕くまで全く油断はならない。【水道法改正案、今国会見送りへ】https://www.nikkei.com/article/DGXMZO33004370T10C18A7EA3000/

〇水道私営化された上にTPPが発効するとISD条項やラチェット規定などにより二度と公営に戻せなくなる。種子法なども同様だが、各種「民営化」工作は全てはTPPに関連する。TPPは包括的な売国協定なので、食料にも水にも医療にも関係する。個別の案件ごとにではなく、常にTPPと合わせて考えるべきである。

〇TPPの危険性は「包括的」であるという事。個別分野の私営化だけではなく、あらゆる分野の「自由化」「私営化」を促進し後戻りできないように固定化してしまう事である。ISD条項で私企業の利益に反する政策や立法をできなくする事ができる。ラチェット規定は「自由化」を元に戻す改革を不可能とする。

〇日欧EPAやRCEPもTPPと本質は同じである。「多国籍企業VS国家国民」の問題である。モンサントは独逸に拠点があるバイエルという多国籍企業に買収された。よって種子法関連は日欧EPAと大いに関係する。各種「自由貿易協定」の本質とは国際資本・多国籍企業が国家・国民を支配する枠組みという事である。

〇売国一味は17日に日欧EPAの調印式を東京で行おうとしている。欧州には悪名高いモンサントを買収したバイエルが存在する。脅威はTPPだけではない。日欧EPAやRCEPも同じである。安倍一味はこれらを同時進行的に推進。彼らの当面の最終目標はFTAAPである。「自由貿易協定」という名の主権放棄を許さない。


https://twitter.com/kikuchi_8/status/1014547914192912384


(了)


[PR]
# by kokusai_seikei | 2018-07-15 12:03 | ツイートまとめ | Trackback | Comments(0)

ツイートまとめ テーマ:両建の見抜き方のポイント及び両建の歴史的起源についての考察

※固定ツイートに設定していた「両建の定義」について説明したツイートがいつの間にか勝手に消えていた。実に不可解な現象であった。

〇今気づいたが。いつの間にか固定ツイート(「両建」について簡潔に説明したもの)の設定が外れている。これはいったいどういう事だろうか?奇怪な現象が多すぎる!

〇「両建の定義」について簡潔に説明したツイートを「固定ツイート」にしていたのだが、いつの間にか勝手に固定ツイートの設定が外れている上、当該ツイートを検索しても出てこない。勝手に削除された可能性がある。工作員連中がやけに「両建」について攻撃しているが、固定ツイまでが勝手に外れるとは。

〇固定ツイートを復活させました。ブログにバックアップを取っておいたのが幸いしました。

〇操作を間違って自分で削除してしまった可能性もあるが、記憶にはない。ツイートとRTが出来なくなった事もあるし、フォロワーの方からお聞きした所ではRTしようとするとフォローが外れたり、ブロックされているような表示が出たりした事もあるそうである。いろいろと不可解な現象が多い。

〇消えたものは仕方がない。いくら消えよう(消されよう)が、何度でも何度でも同じ固定ツイートを掲げればよいだけである。益々気合を入れて「破・両建」を行って参る所存である。

https://twitter.com/kikuchi_8/status/994266752321077248



〇【両建の定義】国際秘密力は基本的戦略思想として「正・反・合」のヘーゲル弁証法を採用。現実への適用例「相対立する政治勢力AとBを作りだし、両方を操作して予め意図した結論Cに誘導」AvsB→C。AvsBという構造自体に着目すると「両建構造」、操作主体に着目すると「両建戦術」と呼ぶ。

〇「両建」の見抜き方のポイントは対立を偽装する両陣営の「共通点」を見つける事である。特に「共通して何を論じないか」「共通して推進する事は何か」である。前者だと例えば水道市営化や種子法廃止、TPPなど。後者は「世界連邦」(左右の与野党議員が所属)などのワンワールドに誘導しているか否か。

〇左右の陣営、各種カルト、各思想派閥など、各々の陣営は対立しているように見えても、何故かどの陣営も「ワンワールド」に誘導しているという共通点がある。「ワンワールド」誘導をしている勢力は両建の一角だと見てよい。対立を偽装しても結局は「無国境化」「世界統一」に誘導する点では同じである。

〇ある勢力が「両建の一角か否か」を判定する指標の一つが「ワンワールドに誘導しているか否か」である。各陣営によって「グローバル化」「世界連邦」「地上天国」「世界革命」など「ワンワールド」の呼び方は様々である。しかし、無国境化・世界統一・世界政府創設という趣旨はどれも同じなのである。

〇「何でもかんでも先入観で両建と決めつける」という「決めつけ」は全く当たらない。ある勢力が両建の一角かどうかは一定の指標で判断している。一番分かりやすい例が与野党がともにTPPや水道私営化に断固反対しない事である。各思想派閥も「ワンワールド誘導」が入っているなら全部同じ穴の狢である。

〇「両建」に関してよくある疑問として「両建と分かったとして、ではどうすればいいのか?」「全員グルだと分かったとしても絶望を助長するだけでは?」というのがある。これは逆に「両建という事実を無い事にして何か改善するのだろうか?」と考えてみるとよい。まずは「事実を知る」事が重要である。

〇何を為すにも正確な事実の認識、情勢の把握が先決である。ここが間違っていると全てが間違う結果になる。例えば両建の事実を無い事にしてTPPに断固反対しない野党をいくら熱心に応援した所で状況が改善する事はない。「両建芝居は許さんぞ」という衆人環視状況が生まれないとまともな政党が育たない。

〇「両建」の歴史的考察。両建の起源は次の二つを想定している。①猶太人が置かれた歴史的環境から生まれた猶太商人の商業戦略。②秘密結社員による、基督教神学の哲学的表現であるヘーゲル哲学の戦略思想への転用。この両者が合わさる事で裏権力の両建戦術が確立していったというのが当方の仮説である。

〇①に関してヴェルナー・ゾンバルトは「公共的生活から排除された故の猶太商人の経済活動に於けるノンポリ性」と説明している。つまり猶太人は各国家から表向き公的生活(公職への就任等)を制限された故に特定の国家とのみ密接になる事がなく経済活動に於いて取引相手に制約が無かったという事である。

〇ゾンバルトは猶太教徒の近代資本主義への適性として「ノンポリ性」「国に対する無関心」を挙げている。如何なる地域でも異邦人として生きた猶太商人は特定の国家と一蓮托生になる事がなく様々な相手と交易を行った。取扱品目の中には武器もあった。対立する両当事者に武器を売るのはここから来ている。

〇古代より猶太教徒は土地の民族に同化せず常に異邦人として生きた。その歴史環境の中で猶太人は国際的な性格を身に着け、土地に縛られない国際貿易や金融業を得意とするようになった。取扱品目の中には武器もあった。対立する両勢力に武器を売ったりする事は猶太商人にとっては普通の事だった訳である。

〇このように「両建」の歴史的起源の一つは国際的な猶太商人の商業戦略もっと言えば「生き様」にあると見ている。真田親子が関ヶ原の戦の前に親子で東軍と西軍に分かれたように、特定の歴史環境の中で「両建」という生き残り戦術が生まれる可能性がある訳である。猶太商人の歴史環境は特にそうだった。

〇ゾンバルトの所説で注意が必要なのは猶太資本家の「ノンポリ性」「無関心」とはあくまで特定の国家の政治への無関心やノンポリ性であって、自らの集団の生き残り・利権に関わる政治には極めて大きな関心を持っていた事は疑えないだろう。例えばロスチャイルドがシオニズム運動を組織したように。

〇次に「②秘密結社員による、基督教神学の哲学的表現であるヘーゲル哲学の戦略思想への転用」について。①が歴史環境に由来する実践的なものだったのに対し②は極めて理論先行型である。西洋の秘密結社は各種思想・哲学・秘教を学ぶ思想の配電盤の如き側面がある。その中に当然ヘーゲル哲学が含まれる。

〇秘密結社員がヘーゲル弁証法を学んだ。特に大陸系の秘密結社では啓蒙思想や進歩史観を信奉する。ヘーゲル哲学はその頂点に位置する。これを19世紀前半に米国のエール大学の秘密結社スカル&ボーンズのメンバーがアメリカに持ち込んだ。このようにして弁証法が欧米のエリート層に浸透していったと見る。

〇猶太の両建が歴史環境に起因する実践知謂わば「生き様」であるのに対し秘密結社の両建は理論知である。ヘーゲルはあくまで哲学者であり両建戦術を考えた訳ではない。結社員がヘーゲル哲学を学ぶ過程で戦略思想に転用していったのだと見る。結社員は社会の有力者ばかりだからそうなるのもある意味必然。

〇フリーメイソンのような欧米の秘密結社のメンバーは元々は基督教貴族などの支配階級や知識人、富豪である。秘密結社を構成する王侯貴族の財政担当の出入り業者として力をつけたのが猶太商人である(宮廷猶太人)。「猶太の実践知+結社の理論知」という「両建」の歴史的起源も丁度この構成と重なる。

〇猶太の両建が最初から実践的だったのに対し、結社員の両建は道楽としてヘーゲルを学ぶ過程で「支配戦略に使えるのでは?」と気づき徐々に戦略に転用していったのでは?というのが吾人の見立てである。欧米の支配階級と宮廷猶太人は結合しているので「両建」も理論と実践が融合したのでは、という仮説。

〇まとめる。猶太資本家が歴史環境から身に着けた実践的な商業戦略と秘密結社員がヘーゲル哲学を学ぶ過程で理論化した戦略思想が結合する事で裏権力の両建戦術が確立していったのでは?というのが吾人の仮説である。国際秘密力=裏権力の構成が基督教支配層+猶太資本家の結合体であるのに丁度対応する。


https://twitter.com/kikuchi_8/status/994271769845354496


(了)
[PR]
# by kokusai_seikei | 2018-06-10 12:51 | ツイートまとめ | Trackback | Comments(0)

ツイートまとめ テーマ:国民の生活と国家の存亡に関わる重大な政治問題から国民の目線を逸らすスピン・コントロールは現代の「生贄儀式」だ


〇芸能人やスポーツ選手の不祥事では「炎上」が起きるのに、水道私営化のような国民生活の根幹にかかわる壊国政策では「炎上」が起きない。マスゴミの巧みなスピン・コントロールの結果である。議定書戦略。水道私営化など本来は大炎上ものである。繰り返されるスピン工作に騙されるのはもう止めるべき。

〇アレイスター・クロウリーの「法の書」を見ても分かるように、裏権力の連中は古代的な生贄の思想に執着している。スピンの方法も生贄儀式と類比的に見える。スピンと言う「祭壇」に捧げられる話題は事欠かない。不祥事を起こした著名人や小悪党が血祭りに上げられている間に巨悪が人知れず実行される。

〇古代の生贄儀式の基本的発想は「犠牲を捧げる事で力を得る」というものである。スピン・コントロールという名の「生贄儀式」でも、生贄となる者が社会から袋叩きにあっている間に、その裏で裏権力に利益をもたらす諸々の壊国政策が実行される。スピン報道がある程裏権力の利益が増すという関係にある。

〇スピンと言う「生贄儀式」に捧げられる生贄の中には安倍一味のような傀儡政治家の私的なスキャンダルも含まれる。モリカケが話題をさらう一方で、種子法廃止、TPP承認案やFPI法改悪、水道私営化が隠蔽される。安倍一味のスキャンダルすらスピンの生贄として扱われている。裏権力の為の売国だけが例外。

〇このようにスピンの手法と生贄儀式にはどこか発想的に共通するものがあると見る。中東などで行われていた古代の生贄儀式は当時の重要な支配手段でもあったと思われる。古代ローマの闘技場で行われていたショーは民衆へのガス抜きとなった。裏権力がやっている事も本質的にこれと変わりがないと思う。

〇裏権力の手口の中で「生贄」の発想が見られるのはスピンの手法だけではない。例えば傀儡を「処分」する場合や不都合な統治者を排除する場合、大々的に「処刑」して民衆の溜飲を下げたりする。フセインの処刑などが典型。弱者の生き血をすするネオリベ政策やそれに伴う弱者叩きも生贄の発想だと言える。

〇一言で言うと「力が正義」という思想。弱者や敗者を犠牲に捧げる事で自らは益々強くなるという発想である。勝者が敗者に抱く後ろめたさのような感情は微塵もなく敗者や弱者を喰らう事で益々強大にならんとする。逆に自らが敗者の時は価値を転倒させて復讐せんとする。欲と恨みつらみは表裏一体である。

〇生贄思想は優勝劣敗思想と表裏一体だと分析する。「力が正義」はローマ的な武断主義。「自らが敗者の時は価値を転倒させて復讐せんとする」ルサンチマンはヘブライ的宗教思想の根本。後者も「勝者に復讐して自らが勝者になりたい」という優勝劣敗の優越願望が根底にある。力への妄執が生贄思想の根底。

〇「ワンワールド」とは「世界の全てを支配したい」という力への欲望の思想的表現である。これには生贄思想が伴っている。アレイスター・クロウリーは世界大戦を「新時代」を迎える為の血の儀式だと言った。裏権力とはこのような危険な発想(魔術的思想)を持つ連中だという事を覚えておくべきである。

〇「狡兎死して走狗烹らる」のことわざ通り韓国の朴槿恵のようにいずれ安倍が「生贄」になる可能性もある。が、いくらマスコミからモリカケの追及を受けても倒れるようで中々倒れない。マスコミは安倍の売国政策に関しては一切追及しないからである。マスコミは明らかに「手加減」をしている訳である。

〇裏権力の手先である大手マスコミが売国政策をスルーしてモリカケ「のみ」を追及するのは安倍が「いつ降ろされるか分からない」という恐怖で増々裏権力に忠勤を励むという「売国の悪循環」が狙いなのかもしれない。謂わば「バイコクドー」という競争馬に鞭を入れている訳である。飴と鞭の走狗操縦法。


https://twitter.com/kikuchi_8/status/1000400517699330048


(了)


[PR]
# by kokusai_seikei | 2018-06-10 12:36 | ツイートまとめ | Trackback | Comments(0)