2018年 04月 29日 ( 5 )

ツイートまとめ テーマ:両建政治ショーやスピン報道はもう結構。熟議あってこその民主政治だ。民主政治を機能させる為に西洋の直訳ではない日本古来の「話し合い」の意思決定方式の伝統を思い出すべき。


国会で重要な(売国)法案の審議が行われるなど、売国・壊国策が推進中の時に限ってトップニュースになる芸能人のスキャンダルが出てくる。これまで何度もそういう事があった。事件が発生してからしばらく経って発覚するなど、スピン・コントロール用のスキャンダルをストックしているとしか思えない。

〇今国会ではTPP承認案PFI法改悪案働き方改悪案種子法復活案などが審議中又は審議予定である。財務省事務次官のセクハラ問題ばかりクローズアップされ野党は野党でジョージ・ソロス系の「Me too」運動に執心しているかと思えば、有名芸能人の強制わいせつ事件のニュースである。スピンはもう結構。

〇TPPはISD条項があるので国家主権を制限する可能性が高い鉄鎖である。安倍一味が行なっている諸政策はTPPを見越した『規制改革』である。全ての壊国政策の大元にはTPPがある。よってすべてに優先して議論し、報道すべき問題である。与党は無論、野党もマスコミもスピンに狂奔しまともに機能していない。

〇外国弁護士に関する規制緩和も企んでいる。ISD条項の発動を見越したものだと思われる。ISD条項に基づいて多国籍企業や投資家が政府を訴える為に、予め弁護士が彼らの訴訟代理人として国境をまたいで活動しやすいようにしておこうという算段なのだろう。外堀を埋めてきている。物事には優先順位があり!

我が国の制度全般を多国籍企業群や国際金融資本の支配に適合するように作り替える。これが安倍一味の裏権力走狗としての担当項目である。その視点で安倍一味の「政策」を観察すると符合するはずである。安倍一味の後ろで仕切っているのが規制改革推進会議。安倍が失墜しても売国一味が大勢控えている。

「民主政治」とは本来、国や共同体の行く末を決める政策について熟議して決定するのを本筋とする。ところが、国民生活に深刻な影響を与える政策に限ってまともに議論がなされない。政治ショーとスピン報道で非本質的な事柄に注意を向けている隙に壊国政策を実行する。到底「民主政治」ではありえない。

「議会制民主主義」は裏権力の寡頭独占支配をカモフラージュする飾りに過ぎなくなっている。政権を握りながら国家主権を制限するTPPを強行する与党、それをまともに追及しない野党、TPPの問題点をろくに報道しないマスコミという裏権力の走狗達から成る政治ショーである。「制度化した両建」である。

〇「野党批判をすると与党を利する」という趣旨の「両建批判」批判もあるが、政治をまともにするには壊国政策を実行する政権担当の与党への批判だけでなく、まともに仕事をせずに両建グルで壊国に協力する野党の批判も欠かせない。国民の厳しい批判にさらされないとまともな野党が育たないのではないか。

〇「野党批判をすると与党を利する」事もない。現実に壊国を実行している与党は野党の何倍も批判しているからである。「両建」である各裏権力走狗派閥を批判する場合、その時点で最も力を持っている勢力を最優先で追及すればよい。例えば現時点では政権を握っている反日右翼勢を優先して叩くようにする。

〇「民主主義」というと西洋伝来のようだが、「議論や対話によって事を決する」という意思決定方式は日本古来のなじみ深い伝統である。例えば中世寺社の衆議、鎌倉幕府の合議制(評定衆)、対等な立場の同輩が契約によって結束する「一揆」(「反乱」が原義ではない)、惣村という中世の自治組織など。

〇一説によると我が国の「話し合い」による意志決定方式は中世寺社の衆議が起源とも言われる。これは古代印度や南方の仏教の「サンガ」の意思決定方式に由来する。西洋の民主主義は古代ギリシャ・ローマと基督教(ジョン・ロックの理論は基督教が前提)由来だが、日本の民主主義は仏教由来かもしれない。

「きちんと事柄を話し合って意思決定する」という我が国が昔からやってきた当たり前の事が行なわれていないのが現在の政治である。国外の裏権力及び国内の走狗が形ばかりの政治ショーを演じながら、ろくに議論もなされずに壊国が実行される。「伝統」を強調する反日右翼ほど非日本的な独裁を好む傾向。

民主主義を単なる西洋の直訳として解釈するより、日本古来の伝統と連続的に捉えた方が定着するのではあるまいか。西洋の民主主義は古代ギリシャ・ローマ由来の「共和主義(公共的政治の意。単なる君主制の対義語に非ず)」や基督教と深く結びついている。日本にも独自の民主主義の伝統があると思う。

〇戦国時代には戦国大名が領国経営に於いて独自の分国法を作っていたが、中には家臣団が主君の権力を制限する為に作った法もあるらしい。例えば近江国守護大名六角氏の「六角氏式目」である。家臣が起草し大名がそれを承認する事で成立した。これは「権力を制限する」という意味で「憲法」の構造と近い

〇民主主義にしろ立憲制にしろ、西洋直輸入ではなく国史に徴して伝統的習慣と連続する形で捉えた方が馴染みやすいし定着するのではと考える。「話し合い」を馬鹿にしてトップダウン型の独裁を礼賛する風潮とネオリベの台頭は相互関連がある。売国を実行するだけなので「話し合い」が不要とされるのだ。

〇「マグナ・カルタ」がなんだ。「六角氏式目」はもっと着目されてしかるべき。「権力をルールで縛る事」が憲法の本質である。引用:六角氏の権威が弱まる中で、蒲生定秀ら有力家臣が式目を起草し、六角義賢(承禎)・義治(義弼)父子が承認することで成立した。【六角氏式目】https://ja.wikipedia.org/wiki/六角氏式目

〇裏権力走狗は売国を実行するだけなので「話し合い」など非効率以外のなにものでもないとされる。だから「改革」連呼のネオリベ派は「決められない政治」などと「話し合い」を馬鹿にしてトップダウン型の独裁を礼賛する。それで納得しない人向けに「議論している風」の政治ショーが用意される仕組み。


https://twitter.com/kikuchi_8/status/989530021172727808


(了)


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by kokusai_seikei | 2018-04-29 11:58 | ツイートまとめ | Trackback | Comments(6)

ツイートまとめ テーマ:急激な南北朝鮮の「融和」ムードは前々から親ロス派人脈が主張する「朝鮮統一→東亜統一」計画(新・河豚計画?)の布石の可能性。慎重に見極めるべき。


〇南北朝鮮の首脳会談で一気に「和平ムード」に。「融和」ムードは前にもあった。シナリオありきで和戦が急転するのが常なので、用心が必要である。ここで気になるのが国内のロスチャイルド系人脈(大本系、世界連邦派)が主張する「北朝鮮主導の半島統一→統一朝鮮→東亜連邦=新・河豚計画?」である。

〇「南北首脳会談」で韓国では金正恩の好感度が上がっていると思われるが、これは統一朝鮮の国王にする為の布石だろうか?日本国内の親ロスチャイルド系人脈が金正恩が統一朝鮮の国王になるみたいな煽りをしていたが、この連中が吹聴するシナリオが臭い。朝鮮統一からの東亜統一(東亜連邦)を警戒する。

北朝鮮が本当に平和を望んでいるのなら拉致被害者の方々を全員返す事!統一協会系人脈が拉致問題に関わっているが、北朝鮮の仲間である彼らが本気で拉致被害者の奪還を目指しているとは考えにくい。マッチポンプと考えるのが妥当であろう。その人脈の看板である安倍に期待できない事は言うまでもない。

〇朝鮮半島の事は朝鮮の人々が決める事だが、「朝鮮統一」をテコにして我が国まで巻き込んで「東亜統一」などという誇大妄想を実行する計画があるとしたら断固御免被る。『被害妄想』と言われそうだが、現実にそんな『計画』を主張する人脈がおり、右にも左にも世界連邦運動推進者がいるので警戒する。

〇他の方が指摘されているが、東西独逸の統一後に欧州統合が加速した。それの東亜版を目論んでいるのでは?と警戒する。つまり東西独逸ならぬ南北朝鮮の統一から東亜の統合を加速させる計画(東亜版EU)である。おりしもRCEP日中韓FTAFTAAPなどが推進中である。ワンワールド征略の一環では?と疑う。

裏権力は「緊張と緩和」つまり戦争・紛争と和平ムードを交互に使い分けて世界統一に誘導する戦略をとっていると分析する。戦争の危機を煽り人心を不安に陥れた後で急に和平ムードを演出する。ストレスの後に安心を与え「戦争はこりごりだ。戦争防止の為に広域統合が不可欠だ。」という方向に誘導する。

〇これも直近で述べた「好き・嫌い」のコントロールを通じた思考操作である。「戦争ムード」で「嫌い」を刺激した後で「和平ムード」を演出して「好き」を刺激する。「嫌い」と「好き」を交互に刺激した上で、「好き」を実現すると称する「広域統合」を渇望するように仕向ける。
裏権力の思考操作も根本は「好き・嫌い」のコントロールでしかない。例えば「勝ち組・負け組」という二分法がある。「欲しい」という感情、それと裏腹な「羨ましい」「憎い」という感情を喚起する仕掛けである。欲望が生じた人間は利益で簡単に操作されるし、嫉妬や憎悪を持つ人間も容易にコマとなる。https://twitter.com/kikuchi_8/status/989553335366664192

〇例えば大本系論者が「金正恩さんは、スイスで勉強してますから、おそらく、ロスチャイルドにも会っていると思うんですね。かなりのバックアップもあるでしょう」「世界のビッグファミリーとしては、すでに朝鮮半島統一は、北朝鮮主導でやろうということが決まっているみたいですね」などと言っている。

〇ソースはもろに大本系人脈の誘導臭いので貼りません。分析目的でご興味のある陰謀追及者の方(洗脳される恐れ無し)はソースはお探しください。

〇この辺りの問題について以前まとめた記事を再掲します。【ツイートまとめ テーマ:北朝鮮と「新・河豚計画」】https://kokuhiken.exblog.jp/25297913/


https://twitter.com/kikuchi_8/status/989900968966803456


(了)





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by kokusai_seikei | 2018-04-29 11:50 | ツイートまとめ | Trackback | Comments(0)

ツイートまとめ テーマ:宗教・カルト、政治的イデオロギー、社会科学に見せた経済的イデオロギーなど各種「見解」による思考誘導及びそれに対する防御法についての考察


〇「洗脳」というと宗教やカルト、政治イデオロギーなどが連想されるが、「経済学」もその一つである。中央省庁の官僚がシカゴ大学など欧米の大学に官費留学してシカゴ学派などの経済学イデオロギーで洗脳されるシステムがある。売国官僚の養成課程である。彼らが帰国してTPPなどの壊国政策を推進する。

〇経済学は一応社会科学とされているので、そのイデオロギー性が意識されない場合が多い。ロックフェラーが自らの支配下にあるシカゴ大学のシカゴ学派を支援するのは自らの利益に適うからである。ここで洗脳されて帰ってくる官僚は売国奴化し政府中枢で国の内鍵を開けるような事を平気でするようになる。

宗教やカルト、イデオロギー的な洗脳の厄介さは、特定の「見解」を植えつけられると「正しい」と思い込んで平気で悪い事ができるようになる事である。テロを行なうカルト信者と同様、洗脳された売国官僚も「正しい」と思って売国をやっている可能性がある。単純に利益で釣られた連中もいるだろうが。

「見解」に執着すると「正しい」と思って平気で悪い事ができるようになる。それは過去の宗教紛争やカルト犯罪、政治党派の内ゲバや独裁・粛清を見ても明らかである。人間誰しも何らかの見解は持っているものだが、それに執着し過ぎると危ない。見解への執着を離れる事は難事。それ自体見解なのだから。

〇見解への執着を離れる為に「見解への執着を離れる」というのも見解である。「見解への執着を離れるという見解」をも離れるとは?「見解への執着」を離れ「見解への執着を離れるという見解への執着」を離れ、という常なる動態的な過程そのものに「無執着」が実現すると言えるかも。無執着にも無執着と。

〇言葉で物事を思考し表現する以上、見解を離れるには言葉を停止するしかないが、それでは生活できない。「自分が見解を持っている事を自覚し自己の見解を絶対視せずに『常に間違っているかも』という自己懐疑心を持ち他者の見解にも寛容である事」が大事と思う。見解を持ちつつもそれに執着し過ぎない。

〇無執着の考察の続き。無執着は無執着にも無執着なので結局いい塩梅にバランスが取れて中正・中道と同義となる。そこから適正で冷静な判断力が生じる。無執着は虚無や無気力の反対で中正で活力に満ちていると思う。身体の柔軟性が高い方が強健なのと同様、心も柔軟性が高い方が活力に満ちており、強い。

〇執着とは具体的には「認識した対象への執着」である。感覚のみならず想像や妄想、思考を含む如何なる認識の対象にもならない事物(仮にそのようなものがあるとして)には執着のしようがない。逆に無執着とは「認識した対象への無執着」である。認識とは主に五感・表象・思考(眼耳鼻舌身意)である。

〇認識対象に引っかかって様々なトラブルが生じるので、トラブル回避の基点も認識にあると考える。ろくでもない思考や妄想を行なうからろくな言動が出て来ず結局ろくでもない結果を招く訳である。思考や表象も五感による感覚が始点となる。だから思考操作も五感情報の刷込みから。認識に気を付けるべき。

〇何かを認識すると何かしらの感情は生じる。だが基本は単純。「好き・嫌い・どちらでもない」である。この中でも問題を起こす基点になるのが「好き」「嫌い」である。勿論人として自然な感情ではあるが、これが思考操作等によって過剰に煽られると他者に操られてしまう事にもなるので注意が必要である。

裏権力の思考操作も根本は「好き・嫌い」のコントロールでしかない。例えば「勝ち組・負け組」という二分法がある。「欲しい」という感情、それと裏腹な「羨ましい」「憎い」という感情を喚起する仕掛けである。欲望が生じた人間は利益で簡単に操作されるし、嫉妬や憎悪を持つ人間も容易にコマとなる。

好き・嫌いの感情及びその対象に過剰に執着しないようにするには、それらの感情が自分の心に生じた時にそれらを客観的に観察し自覚しておく事が有効だと考える。どこかに第三者的に客観的に観察する視点を持っておくと、完全に感情に飲み込まれる事は無い。観察を継続すると弱まり自然と消えてしまう。

火は小さい内に消すと鎮火が容易なように、「好き・嫌い→貪欲・憎悪」の感情も生じた瞬間に察知し増大しない内に消すと制御が容易である。また、感情は思考と密接である。好き嫌いの対象を繰り返し思考すると感情も増大する。特定のドグマの盲信者や妨害工作員がいつも怒っているのがその証左である。

〇以上のような分析は認識論的な考察に基いている。陰謀追及上は存在論より認識論の方が役に立つ事が多い。各種思想哲学、宗教、イデオロギーは何らかの存在論を持っているものなので、一応存在論も押えておくとよいが、存在論は特定の見解に基づく断定に過ぎない場合も多いので、固執はしない方がよい。

〇このような原理的考察は妨害工作者からとりわけ忌み嫌われる傾向がある。原理や仕組みを押えておくと多種多様な具体的ケースに応用可能だからだと推測。吾人は別に衒学趣味でこのような考察をしている訳ではない。謀略を原理的レベルで打ち砕きたいからである。その為のささやかな考察のつもりである。

〇ちなみに西洋では伝統的に存在論がメインだった。認識は創造主が保障してくれるという前提があるので認識論の必要が無かったのである。だから認識論の登場は基督教の信仰が揺らぐ近世以降となる。一方、東洋では、例えば印度では早くから精緻な認識論が発達していた。我が国には奈良時代に入ってきた。

〇逆に、西洋でも基督教が覇権を握る以前には認識論があった。例えばピュロンが祖とされる懐疑学派のセクストス・エンペイリコスである。エンペイリコスとは「経験主義者」という意味なのでまさに認識論を論じた哲学者である。ピュロンは印度滞在の経験があるそうなので印度哲学の影響があるかも。余談。

〇実は日本の認識論研究の歴史は古い。唯識倶舎論という形で学僧が学んでいた。これに「因明」と呼ばれる論理学がセットである。我が国に認識論と論理学の伝統がある事はもっと評価されていいはずである。「日本人は論理が苦手」などと言われるが、そうではないと思う。これも思考操作の一つと言える。


https://twitter.com/kikuchi_8/status/989173974805299200


(了)

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by kokusai_seikei | 2018-04-29 11:48 | ツイートまとめ | Trackback | Comments(0)

「グノーシス派イルミナティ」他、各種思想工作・憑依型戦術(クロウリー一派、大本一味、「霊性」概念、日猶同祖論等)を斬る


〇精神世界がY氏の役に立っているとは思えない。むしろ特定の特殊な見解に固執する事で怒りを発し易くなっておられるように見える。特定の見解に執着し過ぎると異なる見解に対して不寛容になりがちで異論者に対して激しい怒りを抱く傾向がある。何千年も変わらない、見解への執着一般が持つ陥穽である。

〇ちなみに吾人が思想に言及する場合、「これが正しくてあれは間違い」などという価値判断的な事は言っていない。ただ事実としてどうなのかだけを述べている。憑依型戦術の批判も「〇〇と××が同じ」という捏造が「事実に反する」との指摘であって「〇〇が正しくて××が間違い」とは言っていないのである。

〇一見対照的に見える知的な「見解」と感情は大いに関係があると考える。特定の見解への執着が強ければ強い程、その見解への批判者や異論者への憎しみが強まる傾向がある。言葉とイメージでできた「見解」について思考する程、それに伴う感情も強化される。逆に感情が強化される程見解への執着も強まる。

〇宗教原理主義者、カルト、イデオロギー信奉者の厄介さはここに存する。宗教的なものであれオカルト的なものであれ政治的なものであれ、特定の「見解」に執着し過ぎると、その見解に賛同しない者、批判者、異論者などに対して激しい憎悪を誘発する。その結果暴力に走る場合もある。見解への執着は厄介。

己と接点のない人間をよく知りもしないでむやみやたらに叩くのは洗脳されたカルトそのものの態度と言える。カルト化している人に「カルト」という自覚はないものである。妄想を伴う思考が感情を肥大化させ、肥大化した感情が妄想的思考を増大させ...というサイクルで雪だるま式に妄執が膨れ上がる。

グノーシス派イルミナティを名乗るアレクサンダー・ロマノフが「ユダヤ教・キリスト教・イスラム教というセム一神教(だけ)が諸悪の根源であり旧世界秩序(OWO)だ。我々イルミナティが彼らを倒し新世界秩序(NWO)を作る。」という主張をしていた。無論両建。精神世界系の人がこれに乗せられやすい。

〇西洋の思想派閥には一神教神秘主義理性主義があると見ている。この全てを批判しているにも関わらず例えば神秘主義系(ニューエイジ系など)の者からすると自派閥だけが叩かれているように見えて激昂する。そして批判者を敵対派閥である一神教側や理性主義側と決めつける。直近でやられたのはこれ。

〇逆に一神教系が神秘主義側・理性主義側と決めつけ、理性主義系が一神教側・神秘主義側と決めつける事もあり得る。それに似たケースはこれまで無数にあった。例えば人工芝一味の横文字左翼は右翼と決めつけてきた。両建に嵌った者はそれ以外の世界が見えなくなる。その枠を出て俯瞰する事が重要である。

「人間が神になる」がグノーシス思想の影響を受ける西洋のオカルトの基本線である(神智学やニューエイジもこの系譜)。ここで言う「神」はもちろん西洋一神教的な超越者としての「神」である。例えばアレイスター・クロウリーは「真の意志」という形而上学的実体に従うと人間が「神」になれるとした。

〇アレイスター・クロウリーがエジプトのホルス神の託宣という体裁で書いた「法の書」の中に「汝の意志するところをなせ、それが法の全てとならん」と書かれている。セム一神教の外面的な「神」ではなく内面的な「真の意志」に従う事で人間が「神」になるという思想及び儀式魔術を「セレマ」と名付けた。

〇外面的な「神」を信仰するセム一神教の時代が終わり、ホルスが伝えた(という体裁の)「セレマの法」に則り「真の意志」に従うことで人間が「神」になる新時代が来る、というのがクロウリーの主張である。これは「魚座の時代から水瓶座の時代へ」というニューエイジの思想と軌を一にしていると言える。

〇「アクエリアン・エイジ」を標榜するニューエイジはタヴィストックが仕掛けた思想工作の一つだと見ている。「グノーシス派イルミナティ」とかいうのが実在するのか知る由もないが、そう名乗っている連中が西洋の裏権力派閥の中でも神秘主義系の潮流と軌を同じくする主張をしている事は確かなのである。

〇神秘主義系派閥は一神教系派閥と両建抗争をするが、ワンワールド誘導をする事に変わりはないのである。両建である。個人の趣味や思想信条として精神世界を学ぶ事は個人の自由なので別に否定しないが、特定の思想や見解に過剰に執着すると両建に嵌められる危険性が増す事は確かなのである。注意すべき。

〇クロウリー一派やニューエイジなど神秘主義系派閥は①「神」は人間の外ではなく内にある。内なる神に目覚め、人間が神となる新時代が来る、という発想が共通。※「内なる神」とは実体的超越的なものであり人を含め何でも優れた働きをする存在をカミとする日本のカミ観とは根本的に相違するので注意。

〇で、『セレマの法』により「神となった」はずのアレイスター・クロウリーのご立派な素行の数々は歴史に記録されている通りである。「神だ」「神ではない」などと概念的妄想にふけったり形而上学的妄想で心を傲り昂ぶらせるからと言って立派な人間とは限らない。見解への妄執は物欲への妄執以上に厄介。

〇Y氏は吾人の仏教理解を「ひろさちや入門書レベル」(笑)と言うが、ひろさちや氏の本は読んだ事はあるが資料としては全く参考にしていない。陰謀追及上の思想関係の資料は学術的なものが主。憑依型戦術を見破る為には正確で客観的な知識が必要だからである。個人的には中村元氏の本を主に参考とした。

Y氏の基準では神智学やニューエイジなど「精神世界」系の改釈を施した仏教理解が「レベルが高い」のであり、オーソドックスな学術書的な解釈は「レベルが低い」のであろう。つまり「憑依型戦術に嵌められた=レベルが高い」の意。精神世界系の人から解釈を褒められる方がまずいので貶しは逆に嬉しい。

出口王仁三郎批判で大本教信者でない者(多分)が激怒する事自体が逆に王仁三郎の思想的影響力の大きさ、すそ野の広さを示していると言えるだろう。保守業界では統一協会批判がタブーであるとは言え、文鮮明批判に激怒する似非保守はあまりいないだろう。池田大作批判で激怒する非創価信者もしかり。

大本一味の特殊性は必ずしも大本信者に限らない事である。教団組織というより広範なネットワークと言った方が正確だと思われる。この人脈には末端の精神世界信奉者から、プロ系紐付き陰謀追及者、オカルト芸術家等が含まれ極めて幅が広い。横文字左翼の周辺に蠢くオカルト人脈も王仁三郎に傾倒の模様。

〇ちなみに吾人が大本一味に着目したのは戦前の陰謀追及者の中で比較的偏りの少ない人達が王仁三郎や浅野和三郎堀川辰吉郎らを問題にしていた事を知ったからである。それだけではない。竹内文書狩野亨吉氏による批判あり)や天津教酒井勝軍小谷部全一郎ら日猶同祖論者なども既に追及されていた。

〇吾人の大本一味批判はこれら戦前の先行研究を自分なりに敷衍して分析した結果である。少しく観察すれば今の陰謀本業界に大本一味の影響が強い事が簡単に分かる。例えば、堀川辰吉郎を持ち上げる言説などがそれである。堀川は世界連邦運動の推進者で、世界紅卍字会会長やメシア教の顧問などもしていた。

戦前に於いて日猶同祖論を流布したのは大本人脈であり、大本関係者(アナキスト出身の松本寅彦等)が横浜のフリーメイソンロッジ(当時の通称は「日光屋敷」「猶太の寺」等)に出入りしていたと言われる。大本教幹部の浅野和三郎は英語教官で心霊学や神智学に傾倒していたので英国石屋系に連なる人物。

実質的に大本教の教義を作ったのは浅野和三郎だとも言われ、一時期は王仁三郎を超える影響力を持ったそうである。浅野の本職は海軍機関学校の英語教官で英国の心霊学に傾倒していた。機関学校の英国人の同僚に神智学徒がいた。この関係からして大本一味は思想的に英国系石屋の系列だと分かるのである。

〇一神教系派閥のみを批判して神秘主義系派閥を批判しないのは分かりやすく言うと横文字左翼(パヨク)の人工芝運動を支持しながら安倍批判をするのと同じである。要するに片手落ちなのである。バチカンなどを批判するからと言って自称「グノーシス派イルミナティ」が日本人の味方とは限らないのである。

個人的にはどんな思想的立場の人でも参照や活用が可能な客観性・公平性・汎用性の高い陰謀追及(国際秘密力研究)が理想。相容れないのは特定のドグマに固執する者や「〇〇以外は追及するな」というポジショントーカーだけである。実際に当方を異様に敵視してくる者達もこの手のタイプばかりである。

〇「神智学やニューエイジなど「精神世界」系の改釈を施した仏教理解が「レベルが高い」のであり、オーソドックスな学術書的な解釈は「レベルが低い」」という精神世界系の独善的な判断基準のおかしさを示す為に神智学協会会員でもあった鈴木大拙による日本思想への「霊性」概念の導入について例示する。

鈴木大拙が多用した「霊性」という言葉は元々はキリスト教神学の用語。超感覚的な現実に触れることを可能にする態度、信条、行為」などと定義される。仏教では感覚的だろうと超感覚的だろうと「触れる=認識する」対象への執着が苦の原因であり執着を断つ事が苦の滅だと考えるので霊性概念とは矛盾。

〇このように、一神教や西洋神秘主義の概念で日本や東洋の伝統思想を改釈する事を「レベルが高い理解」と決めつける罠に注意。自覚的であると無自覚的であるとを問わず、これを文化改竄工作=憑依型戦術だと名付ける。熱心に神智学ニューエイジ等の所謂精神世界に傾倒する人が無自覚に行う場合もあり。

〇「ひろさちや入門書レベル」で恐縮ではあるが、「霊性」概念と仏教が明確に矛盾する事を示す文言を最古の原始仏典スッタニパータから引用する。「1怒りが起こったのを制する修行者は、この世とかの世とをともに捨て去る」「641 人間の絆を捨て、天界の絆を超え、すべての絆をはなれた人

〇「感覚的現実(この世)」だろうと「超感覚的現実(かの世、天界)」だろうと「捨て去る」「絆を捨て、絆を超え、すべての絆をはなれ」る事すなわち「執着しない」事を説いている。「超感覚的現実」の認識に執着するキリスト教の「霊性」概念と矛盾するのは明らか。無論、神智学や人智学とも矛盾する。

〇補足。鈴木大拙が日本思想に導入しようとした「霊性」概念は「現象世界の背後に超越的世界がある」という前提を持つ。ニーチェが批判した西洋伝統の「二世界論」である。当然日本や東洋の伝統とは異なる。霊性概念を導入する事自体が西洋思想特有の前提を持ち込む伝統思想の書き換えになる訳である。

〇猶太教・基督教の如き一神教では「創造主」という超越者が前提とされている。これに「触れる」為の条件や性質を「霊性」とする。新プラトン主義の如き神秘主義では「一者(ト・ヘン)」の如き超越的実在に「合一」する事を目的とする。一神教も神秘主義も「現象と超越」という枠組みが前提なのである。

〇「霊性」概念を日本思想に導入する事は日本思想を一神教や神秘主義の枠組みに書き換える事を意味する。その証拠に鈴木大拙は禅を神秘主義だとした。仏教は「執着を無くして苦を滅する」「煩悩を制する」等「引き算」的発想なので、「合一する」という「足し算」的発想の神秘主義でない事は明白である。

〇猶太教の密教とも言えるカバラは西洋魔術師やフリーメイソンなど秘教勢力の根底を培う思想であるが、新プラトン主義の影響を受けて流出説を導入しセフィロート(世界の存在構造を示すシンボル)を作っているが、「神と人との断絶」という猶太教の枠組みには忠実で「神との合一」までは言わないようだ。

〇このように、一神教と神秘主義では「人と神の断絶」「人と神の合一」という違うはあるものの、「現象と超越」「現象と実在」という二世界論の枠組みは共通している訳である。カバラは「人が神に触れる」までは言うが「人と神の合一」は言わないので一神教と神秘主義の境界にあるオカルト思想と言える。

〇冷静に客観的に分析すれば自ずと差異や間違いなど事実が明らかになる。特定の見解への過剰な執着を原因とする怒り等の感情を捉われると冷静な分析が出来なくなる。怒りや恨みつらみは己を焼き焦がす「火」の如きものだと思う。怒りを妄想的な思考によって増幅させ続けると結局自己を破壊する事になる。

〇怒りは人間が持つ自然な感情ではあるが、瞬間的に怒るだけでなく、妄想や思考(「憎い」対象を思い続けるなど)によって怒りを増幅させると雪だるま式に膨れ上がって冷静な判断が出来ないレベルにまでなる。怒りはできるだけ素早く消す方がよい。でないとサブカル用語で言うところの「闇堕ち」となる。

〇逆に、理不尽な輩には怒りの如き感情を激する事無く「事」と「理」で対応すべきである。とは事実であり、とは道理である。ここから外れなければ攻撃者と同レベルに堕ちた醜い争いを展開する事にはならないだろうと思う。激情や野蛮な力に頼らない「事理自ずから通ず」が日本的兵法の極意と考える。

〇「(原始仏教が)「感覚的現実(この世)」だろうと「超感覚的現実(かの世、天界)」だろうと「捨て去る」「絆を捨て、絆を超え、すべての絆をはなれ」る事すなわち「執着しない」事を説いている。」と書いたが、鴨長明が世俗と脱俗の両方への執着を戒めて筆をおいた方丈記の構成がこれに通じている。

〇調べたところ「カバラ」は12世紀に南フランス地方で発生したようだ。という事は例えばオカルト論者が流す「陰陽道はカバラ」などは歴史的事実を無視した妄説という事になる。日猶同祖論は何でも猶太教由来にして日本人を精神的に屈服させる憑依型戦術の典型。日本文化を猶太教と付会して喜ぶ心理が謎。

〇「神道が猶太教」もあり得ない。佐藤優氏などは聖書の天地創造神話と日本の天地開闢神話が似ていると言うが、神話の構造が全く異なる。猶太神話では「創造主」が天地を「創る」が、日本神話では所与の天地の中に神々が「生成する」「生まれる」という構図。日猶同祖論は文化の根本的相違を無視する。

〇「細かい類似点を針小棒大に取り上げ致命的な本質的差異は無視する」というのが日猶同祖論の根本的態度である。元々「創造主」概念がない神道を猶太教と言い張るのは無理である。最初に神道に創造主概念を密輸入したのはキリシタン神学の影響を受けた平田篤胤である。神道系カルトは皆この系譜である。

神話とは民族が世界と自己をいかに解釈したかの痕跡と言える。旧約聖書は猶太人が考えた猶太の神話である。恐らくシュメールメソポタミアエジプトの影響下に作られただろう。基督教はこの猶太の神話を引き継いでいる。基督教系陰謀追及者は猶太の神話を受け入れながら猶太批判をしている訳である。

〇では、西洋神秘主義者はどうか。彼らの源流の一つグノーシス派は旧約の創造神を悪なる世界を創った「デミウルゴス」として否定し、それとは違う「真の神」を措定する。一方で神秘主義者はカバラの多大な影響を受けている。例えば黄金の夜明け団の如き西洋魔術師はカバラを思想体系の根本に据えている。

〇このように一神教系派閥も神秘主義系派閥もヘブライズム(猶太思想)の影響下にある。猶太教自体がセム一神教の元祖であり、また西洋神秘主義は猶太密教たるカバラ(旧約の解釈法)抜きにしては成立し得なかった。一神教系派閥と神秘主義系派閥は根っ子では思想的要素を共有する両建という事が分かる。

〇抑々カバラは猶太教のラビが聖書を解釈する為に編み出した方法である。神秘主義的な思想ではあるが、あくまでセム一神教が前提である。これの影響下にある西洋の秘教伝統も一神教と両建対立しているように見えて根っ子は同じだと分かる。西洋の秘教伝統の系譜たる精神世界に依拠する一神教批判は両建。

〇これが言いたいがための長々とした補足説明であった。>「西洋の秘教伝統の系譜たる精神世界に依拠する一神教批判は両建」 カバラと無縁であり得ない西洋の秘教伝統をポップな形にしたものが「精神世界」や「ニューエイジ」である。現にカバラ研究の学者がニューエイジとカバラの関係を指摘している。

〇思想関連は議論が終わった後にも書くべき事、補足説明の類が次々に湧き出てきてどうしても長引いてしまう傾向がある。思い付いた時に書いておかないと忘れてしまう恐れがあるのでメモ的に書き記しておいた次第である。

猶太の天地創造神話は人間が道具を使うなどして人工物を作りだす事をモデル、日本の天地開闢神話は自然界が自然物を産出したり人間が人間を生む働きをモデルに其々考え出されたと見る。日本書紀に影響を与えた支那の淮南子の神話も後者である。ここに日本人と猶太人のモノの考え方の根本的相違を見る。

「創造」と「開闢」の違いである。創造は作りだす人格主体が想定されているが、開闢は「自ずと開けた」という自然の生成作用のイメージである。自然史及び人類史の如何なる地点をモデルにするかで異なる。自然の生成作用をモデルにすれば開闢神話になり、人類の労働をモデルにすると創造神話になる。

〇佐藤優氏が聖書の天地創造神話と記紀の天地開闢神話を「似ている」と言うのが気になった。一応表の言論人だけにさすがに日猶同祖論までは言わないが、日本文化と猶太文化の類似性を強調して日本人を親イスラエルに誘導する為の言説ではと警戒した。日本と聖書の付会は基督教宣教師が使う手口でもある。

〇日本が「隠された聖書の国」だと決めつける基督教宣教師もいる。これは佐伯好郎が北海道に猶太資本を呼び込む事を目的に「秦氏」を強調し景教渡来説や日猶同祖論を流布したのと同じ情報戦略と見るべきである。「日本は元々聖書の国なのだから基督教に入信しましょう」という見え透いた思想工作である。

〇仏教と「霊性」概念が矛盾するのは先述したが、神道や儒学は如何。日本の土着の民俗信仰の基礎は具体的な事物事象をカミとする又はカミ宿るとするアニミズム即ち「現象即カミ論」なので「現象の背後の超越世界を認識する能力=霊性」概念とは世界観的前提が全く異なる。儒学は「怪力乱神を語らず」。

〇原始仏教は形而上学的議論を「無記」とするが、儒学も「怪力乱神を語らず」の無記の姿勢である。仏教の無記は「渇愛と苦の滅の訳に立たないから」という理由で、儒学の無記は現実的な道徳的実践を何より重視する事が理由。よって形而上学的存在を前提とする「霊性」概念は儒学とも相容れるはずがない。

〇猶太では人間の営みを自然に適用して「創造」と言い、日本では自然の営みを人間に適用して「成る・むすび(生成)」等と言う。志向が完全に逆向き。世界観モデルに於いて人間を基本モデルとするか自然を基本モデルとするかの相違と言える。日本文化と猶太文化は完全に異質。よって日猶同祖論は迷妄。

〇人間の製作行為をモデルにして「無からの創造」という観念を作ったのだと思われるが、現実には人間の製作行為は「無からの創造」ではない。自然界が生み出した自然物を組み合わせているだけである。謂わば「縁起」。「生成」「縁起」の方が現実に適合的。自然物が無ければ農業も工業も成り立たない。

〇猶太の神話(と希臘の神話)が西洋人の世界観の土台となり人間中心主義的な文明ができた。セム一神教の「神中心」も実は近代の人間中心主義と同様「人間中心」である。人間だけが特別な「被造物」とするからである。他の生物や自然との関係では有神論も無神論も人間中心主義なのである。これも両建。

〇古代エジプトには神の名前を唱えると神を使役する事が出来ると言う魔術思想があったという。猶太教がみだりに神の名を唱える事を禁止した背景にはかかるエジプト文化があったのではと推測する。古代のヤハウェの神官団がヤハウェを権威化する為には人間に使役されるような神では困ると考えたのだろう。

アメンホテプ四世(改名しイクナートン)が「アマルナ革命」で作った史上初の一神教と言われるアテン信仰やモーセがエジプトにいた事になっている事など猶太教はエジプト文化の影響も濃厚である。猶太教のみならず西洋の密儀宗教や錬金術、魔術要するに「秘教」の類はエジプトを源流の一つとしている。

〇「人間の製作行動は自然界が生み出した自然物を組み合わせているだけ」と書いたが、古事記にある「修め理(つく)り固め成せ」とは自然が生み出した自然物を整える行為と解釈できる記述であり決して「無からの創造」ではない。ここにも「無からの創造」を説く聖書の天地創造神話との違いが見られる。

〇日猶同祖論の類は文化の構造を見比べたり残された歴史的なテクストを読み比べると本質的な差異が明らかなのに、それを無視して「同じだ」「同祖だ」とする単純な手口である。結局事実のみを分析すればどんな思想工作もその虚妄を見破る事が出来るはずである。事実で足らざる部分は論理的な推論で補う。


https://twitter.com/kikuchi_8/status/985931046528024576


(了)


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by kokusai_seikei | 2018-04-29 11:43 | ツイートまとめ | Trackback | Comments(0)

ツイートまとめ テーマ:不当にも我が国に消費税増税を要求するOECD事務総長。国連をはじめとする『国際機関』は「公共性」を偽装する裏権力の私的代理機関に過ぎない。


〇OECD事務総長が「消費税を19%程度まで段階的に引き上げる必要がある」などとふざけた事を言っている。何様のつもりか。国民を苦しめデフレを悪化させる消費税増税は財務省の意向みならず裏権力の指令なのは明らか。【「消費税19%に」 OECD事務総長、麻生氏に提言】https://www.asahi.com/articles/ASL4F5JR8L4FULFA02B.html

〇安倍一味が消費税増税を強行しようとしているのを何とか擁護したい反日右翼勢は「財務省の陰謀」と主張するのが常套手段だが、消費税増税は財務省のみならずIMF、OECD、国際金融資本(BNPパリバ行員を国会に呼び消費税増税を正当化)などによる『国際圧力』という名の裏権力の指令なのが明らかである。

〇さも当然の如く内政干渉してくる『国際機関』に対し「偉そうに指示するな。日本の事は日本国民が決める事だ。」と毅然と対応する事が大事である。さもないと超国家権力による内政干渉に違和感を持たず、知らず知らずのうちに受け入れてしまうという「ワンワールド」に隷属する体質に変えられてしまう。

〇TPPや日米FTAの如き「自由貿易協定」が多国籍企業がISD条項やラチェット規定により国家を屈服させる枠組みであるのと同様、EUや東亜共同体の如き広域共同体は一国家の政府を超える超国家権力が各国の内政に公然と干渉するシステムである。「消費税を上げろ」「緊縮をやれ」と指令してくるのである。

〇IMFやOECDみたいな連中が「消費税を上げろ」と執拗に要求してくるが、これを事実上ではなく制度として確立する事が広域共同体構想である。自由貿易協定と同じで一握りの勢力が国家を隷属下に置く枠組みである。そうなると「国民主権」は完全に消える。その究極型が「世界政府」や「世界連邦」である。

〇公共機関の如く装う国連の如き所謂『国際機関』というものがいかに胡散臭いものであるかは、国連の中に神智学協会のアリス・ベイリー一派の組織「ルシス・トラスト」が入っており「瞑想室」がある事などからも明らかである。アリス・ベイリーのオカルト思想を学ぶ国連職員のサークルがあるとの情報も。

〇国連の機関である「ユネスコ」の創設に神智学協会が影響を与えたと言われている。吾人が「国連はオカルト団体」と言うのは誇張ではないのである。裏権力の中でも神智学協会の如き神秘主義系の一派とフェビアン主義者(神智学協会二代目会長はフェビアン主義者)が受け持っているのが国連だと分析する。

〇国連を見ると分かるように『国際機関』の類は公共的でも公平公正でもなく特定派閥の影響下にある私的な組織と見るべきである。よってIMFやOECDが「消費税を上げろ」と要求するのは特定勢力の利益の代弁と考えるのが妥当。詐欺師が「全日本〇×連盟」みたいな公共ぽい名前のダミー組織を作る手口と一緒。

〇『国際機関』から我が国の政策を指示されて違和感を感じない人が増えてきたら「ワンワールド化」(超国家権力の容認)「民主制度の危機」(国民主権の放棄)という意味で2重に危険だ。何故、国民生活を直撃する「消費税増税」をOECDから指示されないといけないのか。この違和感を大事にすべきである。

〇さも当たり前のように『国際機関』が内政に干渉し、それが繰り返されるうちに人々が違和感を持たなくなり、いつの間にか超国家権力による支配を受け入れるという状態が現出する。このシナリオを警戒すべきである。おかしい事はその都度「おかしい」と明確に自覚し、公然と指摘する事が重要だと考える。

〇『国際機関』が特定勢力の利益誘導の為の組織である事を示す典型的事例がある。ボリビアのコチャバンバで起きた水紛争の原因は世界銀行がボリビア政府への融資の条件として水道事業の民営化を要求した事が原因である。国連機関世銀は「公共機関」の如く装いつつ水メジャーの利益の為に動いたのである。

〇「なんか変だけど何となく受け入れる」が一番危険である。危険だと認知されている要求より何となく受け入れられてしまう干渉の方が厄介。例えばトランプ政権による日米FTAの要求は危険だと認識されやすいが、自称『国際機関』による要求はあたかも公共的な要請であるかの如く受け入れられがちである。

〇ユネスコ創設に神智学協会の影響があったそうだが、神智学協会二代目会長のアニー・ベサントはフェビアン主義者でもあった。現に国連の如き『国際機関』は徐々に事を進めるフェビアン主義的手法が特徴的である。反発を避け乍ら徐々に侵食するやり方。だから「なんとなく受け入れる」が危険なのである。

〇消費税税増税、労働人口に占める外国人の割合を高める事、TPPやEPAの推進、年金の支給開始年齢の引き上げ、ウーマノミクス(OECDトップは女性を労働力「資源」と呼ぶ)等々安倍一味の政策は2011年版OECD「対日経済審査報告書」そのままである。安倍一味はただの裏権力の走狗。https://www.oecd.org/tokyo/newsroom/documents/20110421jpnsurvey3.pdf

〇2011年と言えば、まだ第二次安倍内閣発足前である。その時に書かれたOECDの「対日経済審査報告書」の内容が、安倍一味の「政策」そのままである。という事は安倍一味のオリジナルの政策などではなく、裏権力の指令のままに傀儡を演じているだけと見るのが妥当である。消費税増税も裏権力の指令通り。

〇2011年版OECD「対日経済審査報告書」が「アベノミクス」そのまま過ぎて驚く。安倍一味の政策を支持するのはOECDを支持するのと同じである。消費税増税は財務省ばかりが言われるが、OECDの増税論を見ても分かるように裏権力の意向と考えるのが妥当である。財務省の売国官僚も裏権力の走狗に過ぎない。

〇我が国に不当にも「消費税19%」を要求しているOECD事務総長のアンヘル・グリア氏はメキシコ出身の経済学者だそうである。世界各国に竹中平蔵みたいな連中が配置?経済学は社会科学とされているが、実はイデオロギー色の強い分野である。裏権力系の経済学者が世界各国に配置されて政策を左右している。

〇安倍オリジナルでもないのに何が「アベノミクス」か。「アベノミクス」ではなく「OECDミクス」などと名付けるべきである。普通に考えると安倍に自前の政策を考える能力などあるはずがないではないか!安倍一味はOECDやCSISなど裏権力の機関の指令をそのまま実行しているだけ、というのが実態であろう。

〇経済学とは社会科学であると同時にイデオロギーでもある。一種の宗教と考えるべき側面がある。裏権力はカルト宗教屋と同様、世俗的宗教屋とも言うべき御用経済学者をも重要な走狗としている。御用経済学者がイデオロギーを吹き込み各国の政策を左右する。EUの緊縮政策への執着も多分にイデオロギー的。

〇OECD「対日審査報告書」2011年版に「財や海外投資、そして外国人労働者の流入にかかる障壁除去による経済連携は、包括的な貿易協定などにより促進されるべきである。高い水準の農業支援により、そうした協定への日本の参加を妨げることは許されるべきでない。」とある。安倍一味の壊国政策そのままだ。

〇傀儡ロボのアベが「愛国」ならOECDは我が国の為に「愛国」的な政策を考えてくれたことになる。そんなバカな話はない。OECDは元々「マーシャル・プラン」に基づいて設立された経緯があるので、ジョージ・マーシャルを走狗としたロックフェラーら国際金融資本家の影響下にある機関である事は明白である。

〇CFRは安倍晋三を独逸首相アンゲラ・メルケルと並ぶ「リベラルな指導者」と持ち上げ期待を寄せている。安倍の政策がOECDの対日要求とほぼ同じであるように裏権力に極めて忠実な走狗だからである。安倍がトランプに『対抗』できるのはグローバリストとしての後ろ盾があるからであり愛国心からではない。

〇安倍がトランプ政権の「保護主義」と日米FTA要求に対して『対抗』しているように見えたとしても、それは愛国心からではなくCFRから熱く期待される程の「リベラルな指導者」即ちグローバリスト(無国境主義者)として自国第一主義に対抗しているに過ぎない。愛国者が水道私営化しようとするはずがない。

〇年金の支給開始年齢の引き上げも第二次安倍「政権」発足前の2011年版のOECD「対日経済審査報告書」(『審査』とは何様か?)の中に書かれていた対日要求項目の一つである。全ては裏権力の指令。安倍一味はその忠実な走狗。日本国民と無関係な所で政策が勝手に決められている。https://www.oecd.org/tokyo/newsroom/documents/20110421jpnsurvey3.pdf
https://pbs.twimg.com/media/Dbj8gruV4AAjeBb.jpg:large

〇財務省が「年金の支給開始年齢68歳」案を出しているが、OECDは「長期推計は経済や人口動態といった前提の影響を受けやすく、将来、追加的な改革が必要となるかもしれない。その場合、年金の支給開始年齢をさらに引き上げることが最善の選択肢となるであろう」と書いていた。OECDには財務省の出向組も。

〇OECDやIMFには財務省から出向した官僚が幹部職に就いている。OECDやIMFの対日要求と財務省の「政策」はほぼ同じである。OECD・IMFと財務官僚はどっちがどっちに影響を与えているのか知れないが、BNPパリバの如き国際金融資本の連中も消費税増税を「提言」しているので結局裏権力の総意と見るのが妥当。


https://twitter.com/kikuchi_8/status/987362323424686081


(了)


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by kokusai_seikei | 2018-04-29 11:12 | ツイートまとめ | Trackback | Comments(0)