近現代史上の「日中対立」とは「英国フリーメイソンVS仏蘭西フリーメイソン」の両建対立

現在の日中対立に至る歴史的沿革を「大亜細亜主義」の分析をヒントに考えたみたい。一口に大亜細亜主義と言っても二種類あると思う。一つは孫文型。もう一つは章炳麟型。前者は、孫文はキリスト教を信仰・フリーメイソン的西欧型民主思想(孫文はブナイブリスの会員という説があるが、もし事実なら中国系猶太人ということになる)の三民主義。ちなみに孫文の後継者蒋介石もキリスト教の洗礼を受けた。

孫文型は思想を見てもわかるように西洋に妥協的であり基本的に世界連邦東亜支部としてのアジア主義である。南方熊楠の「願わくはわれわれ東洋人は一度西洋人を挙げてことごとく国境外へ放逐したきことなり」という言葉に畏れをなした孫文であった。後者の章炳麟型は考証学・老荘思想・唯識・華厳仏教という伝統思想に基づく伝統的攘夷思想。西洋に対する攘夷において扇の例えを用いて日中印の共闘を説くが伝統的民族主義だから東亜を一つに統合などという発想と無縁(満洲は漢民族の領土ではないと認識し、満洲民族は満洲に帰るべきと主張)。反西洋が主眼となる。

お互いに革命の三尊(孫文・章炳麟・黄興)と言われながら生涯に亘る論敵同士だった孫文と章炳麟。政治的には孫文の路線が勝利することなり、それは「連ソ容共」を経て、主に周恩来(大東社)や鄧小平(客家)などフランス帰りの留学生を中心に結成された中国共産党(大東社的な無神論・唯物論・集産主義・反君主制思想の流れ)の大陸奪取へと続く流れを形成することになる。かくして中国大陸は大東社系の集産主義・無神論・唯物論に占拠される。その影響力は北朝鮮に侵入し独裁国家を樹立、我が国の左翼勢力にも甚大な影響を与える。

一方日本は明治以来権力の中枢を握ってきたのは親英米派=英国メーソン系である。大久保利通→牧野伸顕の系列である。大久保は岩倉使節団で外遊中に数か月間英国に滞在。帰国後それまで竹馬の友だった西郷隆盛と対立。この間何があったのか。英国支配中枢が当時対ロシア戦略の橋頭堡として利用せんと目論んでいた大日本帝国のトップが数か月間も英国に滞在していてロスチャイルドが近づかないわけはない。親英米派は英国的な自由主義思想を唱えながら、一方で伝統を換骨奪胎し、西洋的なものに変えようとする策動。新渡戸稲造や内村鑑三の「武士道に接ぎ木されたキリスト教」というのが思想面における具体的表れである。武士道にキリスト教を接ぎ木しなければならない理由がさっぱりわからない。武士道は武士道である(武士の戦場での体験を元に錬成、江戸期に仏教や儒学により理論化)。

明治以後の宮中周辺へのカトリックやクェーカーなどキリスト教人脈の包囲を見てもその「憑依型」戦術が分かる。戦後もそれは続く。英国聖公会信徒の小泉信三が東宮御教育係となり、クェーカー信徒でフリーメイソンである新渡戸稲造の弟子・田島道治が初代宮内庁長官となる。またカトリックの濱尾文郎枢機卿の実兄でカトリック信徒の濱尾実が東宮侍従に。純正愛国陣営の先覚が既に大正時代から深く憂えていたように、宮中周辺のキリスト教勢力の多さはまことに異常である。日本の人口にキリスト教徒が占める割合は1%未満である。それなのに宮中周辺におけるキリスト教関係者の多さはこの日本人全体におけるキリスト教徒人口の割合と全く釣り合わない密度である。この配置に意図的なものを感じるのも当然というものだろう。戦後、フリーメイソンのマッカーサーは御皇室をキリスト教化しようと企んだそうだが、幕末維新以来の執拗な策動の継続を見ても、国際秘密力の対日侵略の最終目標は宮中の完全なキリスト教化(憑依型戦術の究極目標)に据えられているのではないか。深く憂え申し上げる次第である。

さて、親英米派の流れは岸信介などの満洲人脈と絡みながら現在の安倍ニセ政権につながっている。(例:麻生太郎氏は大久保利通・牧野伸顕の血を引く上にカトリック信徒でスコッチメーソン吉田茂の孫。まさにサラブレッド)満洲人脈の中には河豚計画に関与した新興財閥系の鮎川義介や親猶太陰謀論者の陸軍の安江仙弘大佐、海軍の犬塚惟重大佐などがいる。鮎川の義弟の久原房之助が皇道派青年将校の226事件の有力資金提供者である。皇道派には大本教が絡む。皇道派の重鎮秦真次中将は中佐時代に大本教に入信、皇道派と近い山本英輔海軍大将は大佐時代に有名な秋山真之と一緒に大本教を訪問。秋山は熱心に大本教を信仰、大本信者ではないようだが大本系の思想を信奉したらしい山本英輔大将も広い意味で大本人脈と言えるだろう(山本は日猶同祖論者で戦後は剣山でアーク探索したほど)。

戦前においては三井・三菱系の大財閥と日産・日立などの新興財閥系の両建構造があったようであるが、大財閥系の親英米派・統制派と、新興財閥系の皇道派・満洲人脈の両者の流れの複合体が今現在の支配層につながっていると推理する。保守陣営において統一系と大本系が両建構造(根は一緒)をなしているのはその反映ではなかろうか。戦前にしてからが、三井の池田成彬は新興財閥系・日産の久原房之助の影響下にある皇道派の青年将校のイデオローグである北一輝に情報料の見返りに資金を提供する。両建的な奇々怪々な構図である。

思想的には保守政治家・保守系知識人を見てもわかるように、我が伝統思想を換骨奪胎したカルト及びカトリック系多し、一神教的・西洋神秘主義的な思想が幅を利かせる。イエズス会系の某保守系学者は同時に統一協会とも長年の昵懇の仲であると聞く。米にはイエズス会系のジョージタウン大学の付属機関として設立されたCSISというネオコン系シンクタンクがある。ここがジャパンハンドラーズの牙城の一つとなっている。イエズス会とネオコン(猶太系が中心。言わずもがな)の繋がりが見える。ネオコンCSISの下僕で統一べったりの我が国の保守政治家・保守知識人にカトリックが多くみられるのはきっと偶然ではあるまい。


以上をまとめると、日本の支配層=西洋的有神論・西洋神秘主義・英国系メーソン 中国共産党=無神論・唯物論・仏蘭西系メーソン の両建構造が見えるように思う。


日中対立というのは日本の親英米派=英国メーソンと中国共産党(特に上海派)=仏蘭西メーソンの両建対立構造として解釈できる。日本国内における親米派・ネット右翼と左翼の対立も同じ構造で理解することができるであろう。日本人や中国人の伝統とは無関係のところで日中対立が演出され血を流すとしたらこんな不幸なことはない。日本人も中国人も国際秘密力に汚される以前のお互いの真の伝統を探求し理解し復興させることが、実はもっとも根底的な日中友好の道ではないかと思う。おそらく章炳麟が唱えた攘夷とはまさにそういう反西洋としての攘夷であったのであろう。最初は伝統思想の立場から共産主義と日支闘争に反対していたが、のちに時代の流れに妥協し中国共産党の反日策動を肯定してしまったそうなので章炳麟をそこまで高く評価する気にはなれないが、孫文に比べるとはるかにまともな東洋型思想家だと思う次第である。

真の「攘夷」とは日本が中国(中国共産党ではない。)を攻撃し、中国が日本を攻撃することではなく、両方に浸食する西洋の奥の院の魔の手を打ち払うことではなかろうか。そしてどこまでも日本は日本、中国は中国であって、石原完爾の東亜連盟論(世界連邦東亜支部)のように一つになる必要はない。これは章炳麟も学んだ華厳哲学で言う「事事無礙法界」というものである。個別の事象が混ざり合わずしてそのままに調和するという理想である(個別の事象はどこまでも個別だとするところがワンワールド思想との大きな違い!)。罵倒しあったり、どちらかが卑屈になったりせず、それぞれが真に自国の伝統に誇りを持てれば真の友好になると思うのである。理想論だとはわかっているのだがそうなってほしいと願わずにはいられない。


(了)

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by kokusai_seikei | 2015-10-25 11:49 | 陰謀史 | Trackback | Comments(0)
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