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「悪魔」と「鬼」の違いはそのまま西洋と日本の善悪観の違い


鬼は牛の角と虎柄の腰巻をした姿で描かれる。「うしとらの金神」は「鬼」の信仰。「鬼」とは何か?恨み憎しみが積み重なって、歴史的構造のレベルにまでなった者達の事だと定義する。鬼は単純な悪人ではない。強い情念の持主は怪しい磁力やカリスマを帯び人を惹きつける場合がある。出口王仁三郎がそうだ。「鬼」が人を惹きつけたりするのは情念に伝染するからだと思う。人が持つ、恨み、憎しみ、妬み。そういう情念に反応し「鬼」の周りに人が集まる。カルト集団ができる一つの経路だ。「鬼」に対峙しようとする者はまずもって己の心にあるそういう情念を観察し自制しないといけない。飲み込まれない為に。


「悪魔」と「鬼」の違い。悪魔はどこまでも実体として悪の存在とされ善になることはないとされる。一方、鬼は改心すれば善に変わる。前鬼後鬼について調べていたら副産物的にこういう日本の鬼観に思い至った。「鬼」は心や行動のあり方という因縁に依って成る。実体としての悪なる概念は日本には無い。


善悪はそれ自体として実体としてあるのではなく、憎悪や貪欲、傲慢などの原因や条件によってある、という考え方はゾロアスター教的な善悪二元論に対置しうる善悪観である。形而上学的な善悪観が世界に厄災をもたらしているので、こういう現実的な善悪観を対置させて相対化させることは重要だと考える。 具体的な心や行動のあり方を離れて善悪は無い。具体性から離れた「善悪」は単なる観念。存在しているだけで「悪」は無い。誰かが存在しているだけで悪と決めつけるのではなく、その主体の具体的な言動を見て判断されるべき。こういう考えに立てば宗教紛争等にはならないのではないだろうか。


(了)



by kokusai_seikei | 2015-09-14 23:56 | 陰謀解析 | Trackback | Comments(0)


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