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ツイートまとめ テーマ:新自由主義の帰結は巨大私企業群による集産主義体制である

〇昔の社会主義思想では巨大資本による寡占化が進んだ資本主義は社会主義の前段階と捉えられていた。つまり「生産力に見合った生産諸関係の再編=社会主義革命」直前の段階と見られていた訳である。無論その予想は外れたが、生産手段がごく少数の多国籍企業に寡占される状況は実は社会主義的だと言える。

〇巨大資本による寡占化を肯定する新自由主義は社会主義と対立するように見えて「生産手段の独占」を肯定する点で実は昔の社会主義に近い思想なのではないか。社会主義政府は本当は資本家の所有物だったので社会主義政府による生産手段の所有は資本家が所有するのも同然だった。ネオリベと同じ帰結だ。

〇ネオリベはネオリベ批判者を社会主義者扱いする事があるが、実は「少数者による寡頭独占」を肯定する点でネオリベこそ社会主義者に近いと言える。昔の社会主義者は資本の所有と経営が分離し寡占化が進んだ資本主義を社会主義に近い段階だと見ていた。その状況を肯定するのがネオリベ。同根だと思う。

〇唯物史観のおかしい所は歴史の動因とする「生産力」を実体的に捉えている所だろう。「生産力」は科学の発展による。科学の発展は人間の精神活動による。つまり生産力の発展は人間の精神活動に依存する。であるから「上部構造」が「下部構造」の核である生産力を規定する側面があるとも言える訳である。

〇唯物史観もプラトン以来の西洋哲学史の伝統を色濃く受け継いでいると言える。プラトンが「イデア」、ヘーゲルが「絶対精神」としたものを唯物史観では「生産力」とする訳である。「究極の実体」「究極の動員」みたいなものを想定する発想がプラトニズムの公式なのである。唯物史観も西洋の伝統に忠実。

〇森嶋通夫が言うように唯物史観は産業革命期の英国の状況を説明するのには適している面があった。しかし、「18世紀の英国」という時間的空間的限定を離れて世界の歴史全般に当てはめる事は無理である。前にも書いたが歴史(観)とは一つの解釈である。歴史観を絶対のドグマにする事は傲慢なのである。

〇唯物史観の公式を日本史に当てはめてあれこれ論争する「日本資本主義論争」というのがあった。共産党系の講座派と無産政党系の労農派の対立である。唯物史観の公式は産業革命期の英国の説明であり、それとは全く事情が異なる我が国の歴史に適用する事はできない。特定の歴史観をドグマ化するのは愚か。

〇皮肉にもロシア革命の史実が唯物史観の公式を否定。当時のロシアは資本主義は未発達だった。唯物史観では生産力の発達が生産諸関係と矛盾する事で革命に至るとするが、当時のロシアにはその条件が欠けていた。それでも「革命」は起った。人工芝革命は歴史の必然ではなく資本家が人為的に引き起こす。

〇過去の歴史は現代を考える鑑になる。TPPや日欧EPA、TiSA、水道民営化等の「グローバル化」やジョージ・ソロスらが世界中で引き起こしている人工芝革命つまりはNWO征略は「歴史の必然」ではなく特定の集団の意志と計画、組織的動員によって引き起こされている純然たる人為的な現象である。

〇旧ソ連のような社会主義国家では生産手段を「共有」ではなく政府を牛耳る集団(「共産貴族」等の特権階級のみならず背後の国際金融資本家を含む)が「独占」した。新自由主義では「多国籍企業群が(ISD条項等によって)政府を支配し生産手段を独占する事」を狙う。実質的には同じ事だと言ってよい。

〇簡単に言うと新自由主義もかつてのソ連型社会主義も「富と権力の寡頭独占支配」が現実の帰結である。ネオリベが論敵を「社会主義者」呼ばわりするのは、己自身が社会主義者と同じだからこそ誤魔化しているのであろう。裏権力の影響下にあるイデオロギーはどれも「富と権力の独占」という帰結になる。

〇社会主義者は現代のような寡占化が進んだ資本主義を「社会主義化の前段階」としてある意味肯定した。新自由主義者も同じくこのような資本主義を肯定する。寡頭独占資本家は実は「競争」が大嫌い。ロックフェラー1世は「競争は悪だ」と言った。競争に脅かされる事無く富を独占するのが彼らの「理想」。

〇競争を嫌う寡頭独占資本家が「自由競争」を強調するのは市場をこじ開けようとする時である。例えばEUは日欧EPAなどで我が国に対して「非関税障壁の撤廃」を要求している。法律を制定したり、独自の規制を行なったりする事は国家主権の一部である。これを撤廃する事は外国資本への屈服を意味する。

〇寡頭独占資本家が「自由競争」を主張するのは市場をこじ開けたり「競争」すれば(実は競争になってないが)必ず勝てる時だけである。かつての社会主義者は寡頭独占状態の資本主義を社会主義一歩手前としてある意味肯定した。寡頭独占を肯定する点でネオリベも同じである。経済思想における左右両建だ。

〇経済決定論に立つ主流の社会主義者はヒューマニスト=人道主義者ではない。彼らは人間の意志を超越した「歴史の法則」を想定するので寡占状態の資本主義がどんなに非人道的でも社会主義の前段階と考えある意味で「歓迎」する。同じく新自由主義者も「市場原理」という法則を信奉し寡頭独占を肯定する。

〇社会主義者と新自由主義者は実は似ている。個々の人間の意志を超越した社会的な意味での「法則」を信じ、社会的経済的な現象は「法則」が決定する必然だと考える。寡頭独占資本主義について社会主義者は「社会主義の前段階」として「歓迎」し、新自由主義者は「市場原理」の当然の帰結として肯定する。

〇巨大企業を批判すると「社会主義者」みたいなレッテル貼りをされる場合があるが、実は巨大企業による寡頭独占を肯定する方が社会主義者に近い。マックス・ウェーバーが言うように巨大化した近代の企業体は官僚制と同質である。生産手段を独占する巨大な私企業群を「政府」にすれば社会主義体制になる。

〇「生産手段を独占する巨大な私企業群を「政府」にすれば社会主義体制になる」と書いたが、昨今の「自由貿易協定」に盛り込まれているISD条項はこれを実質的に実現する為の毒素条項である。ISD条項によって巨大私企業が実質的に政府を支配下に置き、政策や立法を左右する事ができるからである。

〇「NWOは世界社会主義体制」と言われる事があるが、「生産手段を寡占ないし独占する巨大私企業群が全世界の政府を支配する」事は確かに実質的に社会主義体制と同じである。新自由主義・市場原理主義の行きつく所は実は社会主義体制だという逆説である。これも弁証法戦略から導き出される陰謀だろう。

〇新自由主義・市場原理主義の「役割」とは、巨大私企業の横暴を許し、寡占状態を増々進展させる為の「露払い」と考えると辻褄が合う。そして生産手段を含むあらゆる財を独占する巨大私企業群がISD条項などで政府を支配下におけば、それは実質的に社会主義体制である。社会主義実現の為の新自由主義?

〇仏蘭西では社会主義を「集産主義=コレクティビズム」と呼ぶらしい。生産手段の集中化を唱える主義である。この定義からすると、国際金融資本家が支配する巨大私企業群があらゆる富を独占(集中化)し、なおかつISD条項で政府機関をも支配下に置くなら、それは実質的に集産主義体制の完成である。

〇市場原理主義の行きつく先。実は集産主義体制に向かっている。新自由主義・市場原理主義が導く所は一見それらの主義とは真逆に見える集産主義体制である。規制を撤廃していけば巨大企業の独り勝ちになり、生産手段をはじめとする財の集中化が進むのは必定である。ネオリベ政策→寡占化→集産主義体制。

〇ネオコンの正体はトロツキー主義者だが、ネオリベの正体は寡頭独占を肯定する集産主義者だと分析する。もう一度整理する。①ネオリベ政策で規制を撤廃する②巨大企業の独り勝ちが進む③巨大私企業群に富が集中する(集産化)④ISD条項などで政府を支配下に置く➄集産主義(社会主義)体制の完成。

〇ネオリベが論敵を「社会主義者」呼ばわりするのは、ネット右翼が論敵を「サヨク」呼ばわりするのと同じである。ネオリベが導く所は集産主義であり、ネット右翼が信奉する清和会一味はネオコン=偽装転向トロツキスト=サヨクである。つまり、他者に自己投影しているだけである。左右両建に過ぎない。


https://twitter.com/kikuchi_8/status/897495108299309056


(了)

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by kokusai_seikei | 2017-09-29 00:18 | ツイートまとめ | Trackback | Comments(0)

ツイートまとめ テーマ:TPP、RCEP、日欧EPA、TiSA、日米FTA、FTAAPは全て多国籍企業が国家を支配する為の両建オプション。全方位警戒すべき。

〇安倍一味は米国抜きでもTPPをやろうとしているが「自由貿易協定」は「国家VS国家」ではなく「国際資本VS国家」の問題なので米国抜きでもTPPが危険である事に変わりはない。「日米FTAかTPPか」「日米FTAに比べたらTPPの方がマシ」などの両建誘導に乗るべからず。どっちも同じだ。

〇安倍一味は今も諦めずに「米国抜きのTPP」を実現しようとしているので要注意である。米国抜きでTPPを締結し、後から有利な条件で米国が参加し、さらには中国なども参加し、最終的にはFTAAPにまでもっていこうとする可能性もある。何としてもTPPという「入口」の段階で阻止すべきである。

〇米商務長官の「米国抜きのTPPに反対しない」発言は不気味である。TPPの交渉経過を見てそこでの合意以上の有利な条件で2国間交渉を行う算段か、後からより有利な条件でTPPに参加する狙いか。【<ロス米商務長官>米抜きTPP「反対しない」】https://mainichi.jp/articles/20170511/k00/00m/030/180000c

〇安倍一味は今もTPPを諦めず、関係国の会合は続けられており、ニュージーランドは国内手続きを完了。米国がTPPから抜けたと言っても油断してはいけない事を再認識した。米国抜きのTPP実現から米国さらには中国が参加し一気にFTAAPを実現する狙いの可能性も。引き続きTPPに注意が必要。

〇米国抜きの11か国でTPPを締結し、参加手続きを迅速化して米国を復帰させる事を狙っているようだ。安倍一味をはじめ各国の国際資本の手先達はあくまでTPPに固執するゾンビのような連中である。【TPP早期発効、11か国結束…米復帰も準備へ】https://news.infoseek.co.jp/topics/20170512_yol_oyt1t50174/

〇米国側も商務長官が「米国抜きのTPPに反対しない」などと言っているので場合によってはTPPに復帰する算段なのではないかと疑う。米国が復帰してもしなくてもTPPは国家VS国家ではなく国際資本VS国家の問題なので断固反対すべきである。「TPPは終わった」と思い油断するのは禁物である。

〇自民党は中国主導のAIIBや「一帯一路」構想に積極的に関わる姿勢を公然と示し始めている。安倍が以前から実現したいと公言しているFTAAPに繋げる狙いではないか。安倍一味は「反中国」でも何でもない事が分かる。彼らは根っからのグローバリスト(売国奴)である。「愛国保守」は単なる偽装。

〇「一帯一路」構想とは中国西部から中央アジアを通って欧州に至る「シルクロード経済帯」(一帯)と中国沿岸部から東南アジア、インド、アフリカ、中東、欧州へと連なる「21世紀海上シルクロード」(一路)からなる中国主導の経済圏構想である。これは中国が主導するワンワールド征略と言えるだろう。

〇安倍は統一協会の影響下にある日韓トンネル構想を支持し、日本と朝鮮半島を海底トンネルで繋げて、それをさらにユーラシアを横断する鉄道と連結し日本から欧州までを一本の鉄道で繋ぐ構想に「夢」を語っていたほどの根っからのワンワールド主義者なので「一帯一路」構想を支持していても不思議は無い。

〇自民党幹事長が香港のメディアに対しAIIB参加について「可能性もある」と語り、「一帯一路」構想についても「最大限協力していくつもり」と語った。【日本、AIIB参加の「可能性」 二階幹事長が香港メディアに語った意欲】https://www.j-cast.com/2017/05/01297010.html?p=all

〇米国主導でも中国主導でも単なる見かけに過ぎず、ワンワールド化工作である事に変わりはない。TPPにもRCEPにも「一帯一路」にもFTAAPにも賛同する安倍一味は「親米」とか「親中」ですらなくグローバル資本に忠実な手先である。それだと支持が調達できないから「愛国保守」を偽装するのだ。

〇安倍がトルコで語った「夢=アジア・欧州横断鉄道構想」。明らかに「日韓トンネル」が前提とされている。→引用:「さあ、次は東京発イスタンブール、そしてイスタンブールからロンドンにつながる新幹線が走る夢を一緒に見ようではありませんか!!」http://www.sankei.com/politics/news/131103/plt1311030003-n2.html

〇かつて安倍が訪問先のトルコでぶち上げた「アジア・欧州横断鉄道構想」は実質的に「日韓トンネル」の実現を前提としている。麻生は部会の議長として日韓トンネル実現に向けた政策提言をした。日韓トンネルを推進する安倍一味を支持しながら「嫌韓」という時点で反日右翼の両建マッチポンプが判明する。

〇習近平の「一帯一路」構想と安倍の「アジア・欧州横断鉄道」構想は発想がそっくりである。安倍一味と中国共産党が対立を装いつつ広域圏創設に誘導する両建・弁証法戦略。その証拠に自民党はTPPだけでなくRCEPやFTAAPを推進し、「一帯一路」構想やAIIBにも積極姿勢を見せ始めている。

〇署名11か国の中で安倍一味が最も「アメリカ抜きのTPP」に熱心らしい。どこまでもグローバル資本に忠実な走狗である。連中が諦めるまでTPPに関してはいささかも油断はならない。

〇安倍一味は「米国抜きのTPP」に前のめりだが、それだけではなくRCEPや日欧EPAも推進している。RCEPは中国も交渉参加国なので「TPPは対中防衛策」は完全に嘘だったと分かる。そもそもTPPが「米国と組んで中国を包囲する為のもの」なら米国が離脱した段階でTPPを抜けるのが筋。

〇TPP・RCEP・日欧EPAなど全方位でグローバル化政策を強行する安倍一味は根っからのグローバリストで国際金融資本の走狗である。保守派を騙す為に「対中防衛の為」と嘘をつくのが常套手段だが米国がTPPから離脱してもなお熱心にTPPを推進する時点で「対中防衛」が嘘だったと気付くべき。

〇どんな売国政策も「対中防衛」と言えばすぐに騙される保守派の単純な思考は問題である。安倍一味は「愛国保守」ではなく新自由主義者でありネオコンでありグローバリストの一派である。それが分かった上で「仕事」として安倍擁護をする反日右翼工作員でなければ保守派の人はいい加減気づくべきである。

〇安倍一味が加計問題すら煙幕にしつつこっそりとEUとEPAの交渉を行なっている。日欧EPAはTPPやRCEP以上に報道が少ない。日欧EPAもTPPやRCEPと同じである。ISD条項などを通じて国際資本(米国、中国、欧州など特定の地域に縛られない)が国家を支配する枠組である。要注意。

〇「自由貿易協定」の類は「日本対米国」「日本対中国」「日本対欧州」の問題ではなく「国家対国際資本」の問題である。ISD条項などによって国家が自主的な政策決定を行なう事が事実上できなくなる枠組みだ。実際に韓国は米韓FTAで多国籍企業の利益に反する法律を制定する事ができなくなっている。

〇国際資本とか多国籍企業は米国とか欧州いう国境を超えるから「国際」であり「多国籍」である。その「国際資本」「多国籍企業」が相手である以上、TPPもRCEPも日欧EPAも同じ事である。その枠組みを拡大していけば最終的には巨大私企業が国家を支配する枠組み=NWOに至る。それが狙いだ。

〇だから「TPPは賛成、RCEPは反対」「RCEPは賛成、TPPは反対」「TPPは反対、日欧EPAは賛成」などは筋が通らない。事の本質を見誤っているか、両建戦術として意図的に誤誘導しているかのどちらかだろう。TPPに反対ならRCEPや日欧EPA、FTAAPにも反対するのが筋である。

〇安倍一味は色々なスキャンダルすら煙幕にしながら日欧EPAを推進している。関税の9割超を撤廃する気のようだ。「TPPはダメだが日欧EPAはよい」などという事はありえない。国家主権を国際資本に奪われるか否かという問題である。TPPも日欧EPAもRCEPもFTAAPも全て本質は同じだ。

〇日経新聞はCSISと合同でジャパンハンドラーズを招いたシンポジウムを開催したり「日経・CSISバーチャル・シンクタンク」なるシンクタンクを設立している。つまり日経の主張はCSIS・ジャパンハンドラーズの意向と見るのが妥当。その日経がTPPと共に日欧EPAの早期締結を催促していた。

〇日経は去年の段階でTPPの承認と日欧EPAの早期合意を催促していた。CSISと一体化している日経の主張はジャパンハンドラーズの意向と見て間違いなかろう。日欧EPAもTPPと同じく裏権力の意向という事である。目立たないだけに余計厄介だ。https://www.nikkei.com/article/DGXKZO04973530Y6A710C1PE8000/

〇日経(ジャパンハンドラーズの声)は「TPPと日欧EPAの二正面作戦で行け」と安倍一味に「指示」している。まさにTPPと日欧EPAの両建戦術である。だが安倍一味はTPPと日欧EPAだけでなくRCEPやFTAAPも目論んでいる。場合もよっては日米FTAもそこに加わりかねない。要注意。

〇「ジャパンハンドラーズの意向」を知りたければ日経新聞の主張を見ればよい。CSISと日経新聞は合同のシンクタンクを設立する程一体化しているので日経はCSISのスピーカーだと言える。その日経が「日欧EPAを早期合意せよ」と催促しているので日欧EPA推進は裏権力の意向と分かるのである。

〇今まで使っていた「大筋合意」を「大枠合意」と言い換えてまで己らの「実績」アピールの為に日欧EPAを急ぐ安倍一味。一時の己の利益の為に国家の未来に禍根を残す事を「売国」と言う。この連中の数々の「売国の実績」なら天下に知られている。https://www.agrinews.co.jp/p41211.html

〇RCEPでも日欧EPAでも安倍一味の方がISD条項設定に積極的らしい。ISD条項は国際資本が国家を鉄鎖に嵌めて事実上独自の政策の実行や法律の制定ができなくなる枠組みである。その事は米韓FTA後の韓国を見れば明らか。なんでこの連中を「愛国保守」と考える人がいるのか不思議でならない。

〇関税撤廃とISD条項設定という謂わば「国家主権の放棄」や国民の生存権を脅かす水道民営化、移民政策という無国境化に前のめりな安倍一味のどこが「愛国保守」なのか。「愛国保守」は保守層を騙す為の偽装である。彼らは小泉一派と同じく正真正銘のグローバリストにして国際金融資本の手先である。

〇「新自由主義」「自由貿易協定」と言う場合の「自由」は「国際金融資本家の自由」「巨大多国籍企業の自由」であって決して庶民の自由ではない。フリーメイソンの「友愛」が「結社員同士の友愛」なのと同じである。ネオリベ勢力は一部の者の「自由」を庶民の「自由」であるかのように偽装するのが常。

〇「自由貿易協定」の主目的は自由貿易ではなく国家の支配と見るべき。日本は元から自由貿易を行なってきた。関税自主権は自由貿易と矛盾しない。国内の産業保護の為に必要な国家の基本的権能である。他国には市場開放を強要してきた英国は印度綿に高関税を掛けて自国産業を保護したお蔭で経済発展した。

〇欧米の資本家及びその手先が声高に「自由」を主張し「規制緩和」「市場開放」を要求するのはそれが確実に己の利益になると分かっているからである。利益にならないのであれば昔の英国の「キャラコ禁止法」のように「自由貿易」を制限する事もある。ただの私益に普遍的正義の衣を着せて騙す手口である。

〇TPPの時ほど日欧EPAへの反対は盛り上がっていない。「米国は悪だがEUは善」という無意識の刷込みがあるからかもしれない。米国もEUも裏権力の拠点である。相手は国境を超える国際資本である。「米国だけが悪でEUは善」なる刷り込みは思わぬ死角を生む事になる。両建に騙されてはならない。

〇「米国はタカ派、EUはハト派」みたいなイメージが浸透しているが、それこそ両建の罠である。EUは決してハト派ではない。リビアやウクライナ、シリアへの侵略には米国だけでなくEUも関与している。またビルダーバーグ会議には米国のネオコン連中と欧州側の重鎮が同席している。つまり仲間である。

〇「EU善玉」イメージは存外に根強い。特にリベラル派や反米保守派の一部に見られる。米国批判は鋭くてもEU側に対しては何故か甘く矛先が鈍るのである。その結果TPPには反対するが日欧EPAやRCEPには反対しないなどという事が起こる。両建に嵌められている。米・欧の支配中枢は一体である。

〇以前「米国と欧州は両建」と指摘すると「米国と欧州には上位権力が存在しないので両建ではない」という反論を受けた事があるが、「米国」「欧州」というのは単なる拠点に過ぎず、権力の本体は国境を超える支配グループである。個人的には「国際秘密力」と呼んでいる。文字通り「国際的な権力」である。

〇朝日新聞は「日欧EPAで保護主義の拡大を食い止めよ」みたいな事を書いていた。加計問題など表面的な問題でいくら安倍一味批判をしようが国家の命運に関わる問題では売国政策を援護する訳である。右と左で表面的な対立を演じつつ協働して「裏権力案件」の実現に誘導する。これが「左右両建」である。

〇反日右翼は朝日新聞を「アカヒ」などと罵っているが朝日新聞も結局は安倍一味の仲間である。表面的な批判はいくらでもするが肝心の壊国政策になると途端に擁護に回る。安倍がドゥテルテにミサイル供与を提案したというフィリピン地元紙の報道を真っ先に否定していたのも朝日だった。左右両建グル構造。

〇日欧EPAの英語資料の「政府調達」の項目に仏蘭西の水処理企業・ヴェオリアが事例として載っているそうだ。日欧EPAは農業や自動車のみならずインフラ分野への外国企業の参入自由化が企まれている可能性が大。日欧EPAは水道民営化の企みと連動。食料のみならず社会的インフラまで狙われている。

〇国際金融資本を中心とする裏権力と手先の安倍一味はTPPがダメだからと今後は日欧EPAやRCEPを推進している。これこそが両建戦術である。彼らは一つの計画がダメになっても代替オプションを幾つも用意してリスクヘッジする。日欧EPAはTPPと同じだ。複眼的視点が無いと騙されてしまう。

〇日本とEUの企業関係者の会合でEUの高官が今後の交渉で非関税障壁の撤廃を急ぎたい考えを示したそうだ。非関税障壁とは日本独自の規制や安全基準などの事である。つまり「非関税障壁の撤廃を急ぐ」とは「国家主権の侵害を急ぐ」という意味である。「自由貿易協定」とは「国家に対する支配」である。

〇米韓FTAでISD条項を呑んだ韓国は自主的な規制や法律の制定が事実上できなくなっている。日欧EPAでEUの高官が「非関税障壁の撤廃」を言い始めたという事は「対日支配」という真の狙いを見せ始めたという事である。安倍一味はスキャンダルすら煙幕にしてとんでもない売国政策を推進している。

〇EU側が真の狙いを見せ始めた。引用:今後のEPA交渉では日本独自の規制や安全基準などの非関税障壁の撤廃についても協議を急ぎたい考えを示しました。【EU高官 日本と大枠合意したEPAの意義強調】http://archive.fo/jwpbq

〇「非関税障壁」とは関税以外の規制を指す広い概念である。非関税障壁≒国家主権。「障壁」などという表現をしているが、独自の規制や安全基準の制定は主権を持つ独立国家として当然持つべき権能である。「障壁」と言うマイナスイメージを植え付けてワンワールド化に誘導する印象操作と言う他はない。

〇日欧EPAの「大枠合意」にこぎ着けた段階で「非関税障壁の撤廃を急ぐ」と言い始めたEU。これが真の狙いと見る。「自由貿易協定」は「自由貿易」を口実に国家主権を制限しつつワンワールド化を推進する手段となっている。この点で日欧EPAもTPPもTiSAもRCEPもFTAAPも全て同じだ。

〇TiSAの交渉はTPPなどより秘密性が高くTPPから離脱した米国も参加している。サービス貿易の自由化を推進する「協定」。サービス貿易と言ってもかなり広範である。ヴェオリアの水道事業やベクテルの建設事業が含まれている。インフラそのものが多国籍企業に牛耳られかねない危険な協定である。

〇TPPが頓挫したと言ってもTiSAの秘密交渉は継続されているし、日欧EPAで「非関税障壁の撤廃=国家主権の侵害」が目論まれている。代替オプションを幾つも用意して多角的に攻めるのが両建戦術のやり方である。どんなものが出てきても「自由貿易協定」と聞けば「壊国政策」と思って間違いない。

〇安倍一味の日欧EPA強行でEU首脳陣は大喜び。しかも「日本は巨大な経済圏であるEUにはかなりの譲歩をした」とさりげなく安倍一味の売国が暴露されている。【「日本は英国よりEUを選んだ」日欧EPAで英国が受けた衝撃、その意味とは】https://newsphere.jp/world-report/20170712-4/

〇安倍一味は愛国保守を偽装するが「ジャパンファースト」の実行者ではなく「グローバルファースト」の実行者である。EUに「かなりの譲歩」をして日欧EPAを締結しEU首脳陣を大喜びさせた。勿論EUを支配しているのはビルダーバーグ会議に集う裏権力の連中である。安倍一味は彼らの忠実な走狗。


https://twitter.com/kikuchi_8/status/855831135158325248


(了)

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by kokusai_seikei | 2017-09-29 00:09 | ツイートまとめ | Trackback | Comments(0)

ツイートまとめ テーマ:高度なテクノロジーを悪用したNWO工作に注意

〇何故かフォロワーが一気に10数件減った。たまにこういう事がある。特定の一派が何らかの目的の為に組織的にフォローしているような場合「特定のタブーに触れると一気に撤収」という事もあるかもしれない、と想像している。もし当たっていた場合「オウムと裏権力の関係」への言及が可能性高いと思う。

〇当方「来る者拒まず」で交流させて頂いているが、徒党は組まず特定一派の傘下に入るつもりはないと何度も明言している為か仕掛けられる工作は勧誘系ではなく妨害系ばかりである。工作員は勧誘が無駄な相手と見るとひたすら妨害工作を仕掛けるようだ(工作員に「目に余る」と言われた事がある(笑))。

〇アカウントが同時多発的にロックされる怪現象が起きている模様である。ロックされたアカウントがフォロワーとしてカウントされないのだとすると、一気にフォロワー数が減ったのはこれが原因かもしれない。本当に不可解な事が多すぎる。共謀罪施行で良い気になって言論妨害に乗り出しているのだろうか?

〇もし共謀罪施行で良い気になって「不具合」に見せかけて言論妨害や言論弾圧をしているのだとしたら「許さんぞ!」という意志を示したい。

〇フォロワー数が急激に減る現象が起きたのは吾人だけではないようだ。同時多発的に多数のアカウントがロックされた事でフォロワー数の表示が激減する現象が多くの人々に起きているようである。不穏な動きだ。要警戒である。

〇あくまで想像だが、Twitterなどネット上で起きる不可解な現象は裏権力の工作組織が我々庶民の反応を試しているのではあるまいか。どのような反応をどの程度示すのかを観察する、謂わば「社会工学」上の実験である。こちらが大人しく受け入れれば調子に乗ってさらなる統制策を繰り出す狙いでは。

〇国際秘密力の本丸に近いと思われる「フェビアン主義」は漸進主義である。ソ連型共産主義と逆で徐々に段階的にNWO化を推進するやり方。フェビアン主義的な思考では「不具合」を偽装して異変を起こし庶民がどう反応するかを見極めながら真綿で首を絞めるかのように統制を強める戦略を取ると分析する。

〇一番警戒を要するのは急進主義的な「武力クーデター」的なNWO戦略より(こちらも警戒すべき事には変わりないが)、真綿で首を締めるように徐々に統制を強めていく「ゆでガエル方式」のNWO戦略である。「一つ受け入れたら次の統制策を打ち出し」を繰り返すフェビアン主義的な手法が最も厄介だ。

〇よって裏権力の打ち出す統制策に対しては全て「受け入れない」という意志を断固示し続けるべきだと考える。フェビアン主義の手口からすると一つの統制策を庶民が受け入れたと見るや、次の段階の策を繰り出してくると思われる。常温の段階から徐々に沸騰させ我々庶民を「ゆでガエル」にする魂胆だろう。

〇NWO征略は「分断支配」が基本である。庶民同士の横の繋がりを断ち切って分断し、個々人を「世界政府」が直接支配せんとする。これは個人個人が孤独に「神」に向き合うとするカルヴァン主義やメンバー同士の横の繋がりが無く上意下達の指揮系統で組織中枢に従属する秘密結社のシステムに似ている。

〇今回の「ロック」問題は特にフォロー・フォロワー関係に異常が集中しているようである。これはまさに「分断支配」の気配。秘密結社のシステムでは末端構成員同士の繋がりが無く、ひたすら組織中枢の命令を実行するというもの。このシステムを表社会にも適用しようとするのがNWO征略と言えるだろう。

〇工作には妨害系と勧誘系があると分析する。吾人は妨害系工作員から頻繁に絡まれるが勧誘系工作員からは避けられているようだ(笑)要するに「こいつには言っても無駄」と。逆に勧誘系からの攻勢が多い人もいるだろう。「見込みあり」と見なされた優秀な論者が勧誘系工作の標的になりやすいと見ている。

〇工作員側は陰謀追及者のタイプを見極めて工作の仕方を変えてきていると思われる。能力的には妨害系工作員より勧誘系工作員の方が上だと見ている(勧誘系は「洗脳し仲間に引き入れる」という高度な工作)。勧誘系はある意味「人を見る目」があるので勧誘しても無駄な相手だと見抜くのも素早いのだろう。

〇結社員も含め上級工作員の基本姿勢は「金持ち喧嘩せず」だと分析する。彼らは上級としての「沽券」に関わるからか下手にターゲットに突撃するなど醜態を晒しかねないリスキーな行動はせず、攻撃対象を晒す事で影響下にある信者に攻撃させたり、取り込めそうと見込んだ者を「上から」指導しようとする。

〇また勧誘系が途中で妨害系に切り替えてくる場合もある(妨害系から勧誘系への切り替えは個人的には未遭遇だがあり得ると思う)。某工作員が自派閥の軍門に下そうと近づいてきたようだったが、こちらが思い通りにならないと分かると「(お前の言説は)目に余る」などと言って猛然と攻撃を仕掛けてきた。

〇陰謀追及者のタイプに応じて工作の仕方を変えてくる工作員側は一応馬〇ではないのだろう。特に上級工作員は知的レベルが高く説得力に富む主張もしたりするので人々の間で一定の支持を得てしまう場合もあるだろう。だが「工作」などをやっている時点で〇鹿丸出しと言える。上級も結社員も例外ではない。

〇将棋も囲碁も上級者ほど敗北を認めるのが速いと言われる。それだけ「読み」が深いからである。工作員も上級の者ほど無駄な事はしない傾向がある。馬鹿の一つ覚えのように突撃してくるのは下級か中級である。上級は標的を晒して信者に攻撃させるか、「見込みあり」と判断した標的を引き入れようとする。

〇全国の自治体がインターネットを通じて川の水位の監視や水門の管理を行なうシステムに不備が発見されたと報じられていた。最近は IoTと言ってあらゆる社会的インフラや生活用具などモノ全般をネットで接続する動きがあるが、世の中を支配しようと企む者にとっても非常に都合がいいと言えるだろう。

〇ロックが掛かりフォロワー数表示が激減するというTwitter上での不可解な事象ですら大きな騒ぎになっているのに、IoTであらゆるリアルな「モノ」が接続された場合に似たような事が起きればさらに大きな混乱を招く事になるだろう(CIAが自動車を操作して暗殺する計画を立てていたようだ)。

〇ネット上では「不具合」と称せられる不可解な動きが多いが、IoTであらゆる現実世界のモノが接続された上で同じ事が起きれば「事故」等に見せかけた現実のテロも引き起こす事が可能なのではないか。IoTは裏権力の社会操作にお誂え向きのシステム。だからこそ普及させているのでは。警戒を要する。

〇生活道具もネットに繋げるのが普通になれば、裏権力工作員は標的の家や家電、自家用車などに「誤作動」を起こさせて攻撃する事もできる。現にウィキリークスが暴露した所によるとCIAは自動車をハッキングしてターゲットを暗殺する計画を立てていたようだ。IoTの普及は用心した方がいいと思う。

〇あらゆる物をインターネットで繋ぐIoTは裏権力が推進するワンワールド構想の中でも中核的計画ではないかと睨んでいる。人間の思想・世界観というソフト面のみならず、生活用具やインフラというハード面をも「一つ」に繋げ、文字通り「ワンワールド」にするという裏権力らしい陳腐な発想を感じる。

〇あらゆるモノを繋いだ上で人工知能に管理させる計画なのだろう。自然科学的な発想をそのまま社会現象に適用すると間違いが起きやすいというのが近現代史の教訓(ソ連等)だが、「世界は超エリートによって自然科学的正確さで支配できる」というのが「NWO」なる構想(妄想)の根底にある発想である。

〇自然科学的な発想をそのまま社会現象に適用すると間違いが起きやすいのは人間が意思を備えているからである。意思を持つ人間の行動の複雑な関係性で成り立つ社会現象を自然科学的に裁断し予測する事は困難である。観察者の「観察」という行為自体が社会現象に影響を与える可能性もあるので尚更である。

〇意思を持つ人間から成る社会現象に自然科学的発想をそのまま適用する事はできない。逆に言えば無理に社会を自然科学的発想で支配しようとすれば人間から意思を剥奪しロボット化する事になる。裏権力が洗脳やマイクロチップ埋め込みなどで人間を意思無き機械の如くにしようとする動機はまさにこれでは。

〇整理すると次のようになる。①社会現象は自然科学の対象である自然現象とは異なる。②社会現象を構成する人間は意思を備えているからだ。③よって社会現象は自然現象以上に不確実性が大きい。④だから裏権力は社会を自然科学的に支配・管理する為に人間を自然科学的対象と等しく=モノ化しようとする。

〇自然科学的正確さで世界を支配しようとすれば、社会現象ひいては社会現象を構成する人間を自然科学の対象と同質化つまり「モノ化」する他はない。これが裏権力が人間をモノ扱いしてロボット化しようとする根本的動機だと分析する。このようにNWO構想は人間を冒涜する企みである。破NWOあるのみ。

〇IoTという「モノのインターネット」が推進されているが、人間をも「モノ」と見なす裏権力は人間にマイクロチップを埋め込む事で人間も「モノ」と化し、その上であらゆる社会インフラや生活用具と同様に「人間」をもIoTに接続して「一つの世界=NWO」とする、などと狂った事を考えていそうだ。

〇人間を「モノ」と見なしてマイクロチップを埋め込む。これほど酷い「物象化的錯視」もあるまい。人間を何だと思っているのだろうか。自然に対しても単なる「モノ」と思っているから好き放題に手を入れて気象を操作しようなどという発想になるのだろう。これ程「支配」に執着するのはもはや病気である。

〇米国で社員にマイクロチップを埋め込む企業が登場。少しずつ慣れさせて徐々に異常だと思わなくさせようとするのが裏権力のフェビアン主義的な漸進主義の手口なので注意が必要である。【米国企業で初、従業員の体内へのマイクロチップの埋め込みを実施】http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2017/08/post-8107.php

〇ついに社員にマイクロチップを埋め込む会社が出現した。マイクロチップには個人情報が書き込まれているそうだ。裏権力はIoTであらゆるモノだけでなくマイクロチップを埋め込んだ人間をも繋げようとする可能性がある。こんな事が普及すれば完全な監獄社会=テクネトロニックエージになりかねない。

〇何でも「徐々に」というのがフェビアン主義的な漸進主義のやり方。裏権力は一般の良識に反するNWO的実験を急激に行うと大きな反発を招くので、人々の反応を見ながら徐々に慣れさせていくやり方を取っていると分析する。異常なものは異常である。決して慣れさせられないように気を付けるべきである。

〇モノのインターネット=IoTを普及させ、人間にマイクロチップを埋め込んだ上で人間をもIoTに接続し、全体を人工知能に管理させる、というのが裏権力が考えている「テクネトロニックエージ(ブレジンスキーが命名)=完全管理統制社会=監獄社会=NWO」の正体だと分析する。断固阻止あるのみ。

〇高度なテクノロジーを利用したNWO妄想は「設計主義的合理主義」の極致と言える。「来る所まで来た」観がある。しかし、頭の中にある設計図通りに社会の設計ができる訳ではない事は歴史が証明している。それでも敢えて推進しようというのは支配欲という「我欲」以外の何ものでもないと言えるだろう。

〇イーロン・マスクが脳とコンピュータを直結する事や脳にAIを埋め込む事を主張している。最終的に脳とコンピュータとAIを一体化しインターネットに接続し管理統制する事が裏権力の狙いだと見る。まさに狂気のテクネトロニックエージ妄想。技術は極めて高度だが発想は極めて陳腐そして極めて危険だ。

〇技術力は非常に高度だが、「テクネトロニックエージ」だの「NWO」だの「ワンワールド」だのといった発想は極めて陳腐である。太古の昔から支配欲の強い連中が妄想してきた事だろう。だが普通の人はそれを実行しようなどとは考えない。金と権力を持つ犯罪者だけが実行を考える。阻止あるのみである。

〇イーロン・マスクが脳とコンピュータの直結を主張。トランスヒューマニズム運動の一環だろう。裏権力が次に何を狙っているかが丸わかりである。【イーロン・マスク、「脳とコンピューターの直結」を主張】http://jp.techcrunch.com/2017/02/14/20170213elon-musk-reiterates-the-need-for-brain-computer-interfaces-in-the-age-of-ai/

〇技術のレベルと技術を使った社会構想に関する発想のレベルは別物である。高度な技術力を悪用したア〇すぎる「社会構想」もある。「テクネトロニックエージ」などがまさにそれだろう。「凄い技術」に幻惑されて、それを使って裏権力の連中が企む「社会構想」まで「凄い」と思い込まされないように注意。

〇最近「AIに支配されない為には脳とAIを融合させるしかない」という主張が出てきている。「人工知能脅威論」が盛んに喧伝されてきたのはこれの布石だったのかもしれない。人口知能を発達させる→人口知能の脅威を煽る→脳と人工知能の融合を主張。モノの見事な正・反・合の弁証法的プロセスである。

〇World Government Summit=世界政府サミット?引用:UAE〔アラブ首長国連邦〕が主催するWorld Government Summitに登壇したマスクは【イーロン・マスク、「脳とコンピューターの直結」を主張】http://jp.techcrunch.com/2017/02/14/20170213elon-musk-reiterates-the-need-for-brain-computer-interfaces-in-the-age-of-ai/

〇イーロン・マスクがUAE主催の「World Government Summit」なる会議で「脳とコンピューターの直結」を主張したらしい。World Government Summit=世界政府サミット?でテクネトロニックエージを推進?主張自体も主張がなされた場もNWO妄想丸出し。


https://twitter.com/kikuchi_8/status/885626532365975552


(了)


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by kokusai_seikei | 2017-09-29 00:01 | ツイートまとめ | Trackback | Comments(0)

ツイートまとめ テーマ:論理学の観点から両建戦術を解析する


〇【両建の定義】国際秘密力は基本的戦略思想として「正・反・合」のヘーゲル弁証法を採用。現実への適用例「相対立する政治勢力AとBを作りだし、両方を操作して予め意図した結論Cに誘導」AvsB→C。AvsBという構造自体に着目すると「両建構造」、操作主体に着目すると「両建戦術」と呼ぶ。

〇両建戦術とは「これがダメならあれをやる」というリスクヘッジも兼ねた巧妙な戦術なので、対処する側も常に複眼的思考をしていないと騙されてしまう。パターンAとパターンBが想定されるなら根拠なくどれかを否定し想定から排除して盲点を作らない様にすべきである。複眼的思考が破両建の基礎である。

〇弁証法戦略とは一種の迂回戦術とも言える。「ワンワールド」という目的を設定した場合、一直線に「国境撤廃」を推進するのではなく、一端「ワンワールド」とは逆のナショナリズムや国家主義にテコ入れする。その上で衝突を起こし、その「反省」という名目で改めてワンワールドを強要するやり方である。

〇弁証法戦略が持つ「迂回戦術」という一側面によって国際秘密力がグローバリズムなどの各種無国境主義だけでなくナショナリズムにもテコ入れする意味が分かる。最終目標に到達するまでの一過程として最終目標とは逆の性質を持つ事柄にテコ入れする場合も多い。ここが厄介なので注意を要する点である。

〇より一層のグローバル化=全球化=NWO化を推進する為に一時的に脱グローバリズムや国家主義、ナショナリズムにテコ入れをする可能性もある。グローバリズムのみならず紐が付いた脱グローバリズムやナショナリズム(例えば国家間の衝突→戦争を煽るようなもの)も見破って騙されないように注意する。

〇「両建」は人間の思考の隙を突いて巧妙に入り込んでくる。ある判断Aを下すと別の判断Bは排除される。「時間」が捨象される形式論理学上は「Aは非Aではない」という矛盾律が成り立つが「時間」の形式を持ち常に変化する現実世界ではある状況ではAであり別の状況では非Aであるという事がありうる。

〇ある状況はAであり、別の状況では非Aであるというのが現実世界の論理である。「A≠非A」は時間を捨象した単なる思考上の規則に過ぎない。形式論理は思考の規則であって、時間が経つにつれ状況が刻々と変化する現実世界の論理ではない。形式論理を現実の論理と混同し絶対化するなら形而上学になる。

〇両建はある意味形式論理の絶対化であり、現実の具体的な状況や条件を無視し2択を迫る思考の罠なのだ。よって、形式論理に囚われて「AかBか」という2択を現実世界に適用する思考パターンに馴染んでいると容易に両建の罠に落ちるのである。両建戦術では形式論理の罠に嵌め、弁証法の論理で誘導する。

〇両建戦術は「形式論理」と「弁証法論理」の合わせ技である。まず、人々の形式論理的思考に乗じて「AかBか」という2択を迫り、2つの陣営に分けた上で衝突を煽る。ここまでは形式論理である。対立構造が形成され衝突が煮詰まったら予め設定した「C」という結論に誘導する。これが弁証法戦術である。

〇同一律も矛盾律も言葉を使う思考の規則であり思考の世界の約束事である。現実世界では同一律も矛盾律も厳密に成立するとは言い難い。例えば人は成長するにつれて変化するので10年前のAと今のAが完全に同一だとは言い難い。逆に変化しつつも連続するのでAと非Aが同じだとも言える。要は視点次第。

〇「変化しつつも連続するのでAと非Aが同じだとも言える」について補足。10年前の甲を「A」とすると、今現在の甲は厳密には「非A」である。しかしながら、変化しつつも人格的同一性は維持されている。変化しても甲はあくまで甲という人物である。そうでないなら社会的存在として存立できない。

〇このように言葉と思考の世界ではない現実世界を観察するならば形式論理はあくまで思考の規則であり約束事に過ぎない事が分かる。約束事はどこまでも約束事である。現実の世界にそのまま適用するとおかしな事になる。「右か左か」という左右両建構造もかかる人間の思考の癖に付け込んで設定される罠だ。

〇「論理」の話。「論理的」かどうかは「必要」という偶然的な要素とは関係が無い。「必要」は具体的な条件や文脈によって決まる(「空腹だから食物が必要」など)。それに対して「論理」は純粋に思考と言葉の規則。不必要なホラ話にすら論理がある。異なる次元にある「論理」と「必要」を混同する愚。

〇問題となるのは特定の事柄を論証する説明が論理的か否かで「論理的に必要か」という表現は無意味(「必要条件か」は有意味)。論拠と結論が論理的に繋がっているかだけが肝心。「論理」と「必要」は別次元。必要は具体的な条件次第。例えば飢えた人が何かを食べる必要があるのは論理の問題ではない。

〇「あなたの推論には論理的な間違いがある」は有意味だが、「あなたの推論には論理的必要が無い」は意味をなさない。「推論の必要性」は論理によっては決定できない。それを決定するのは実際に人を説得しなければならないなどの具体的な条件や状況。逆に不必要な嘘話にすら言葉である以上論理がある。

〇論理の話の続き。「論理」とは言葉の繋がりの規則なので「論理的」である事は事実の有無や真偽とは関係が無い。虚偽にも論理がある。例えば「①大前提・犬は魚類である②小前提・ポチは犬である③結論・ポチは魚類である」という三段論法は論理的には正しい。しかし犬は魚類ではないので虚偽である。

〇「論理的」と「合理的」が混同して使われる場合が多いと感じる。言葉と言葉の繋がりが飛躍する事無く繋がっていれば「論理的」だと言える。しかし、論理的でも虚偽や空想である可能性もある。事実の有無は論理的な正しさとは別次元なので具体的に検証しなければならない。「合理的」はこの局面で使う。

〇「論理」の「理」は文字通り「論の理」。つまり言葉や思考の筋道の意味。それに対して「合理」の「理」は言葉に限らないもっと広い意味での筋道。「目的合理」という場合は目的を達成する為に効率のいい筋道を意味する。個人的には「合理」を「道理に合致する」という意味でも使いたいと思っている。

〇「合理」に関しては以前考察した。
【「合理主義」中村元著で理性主義を考察。「理」とは二つの意味あり。一つは人間としての道理、筋道という意味。これは人の意志に関わるので行う事も行わない事もできる。もう一つは自然法則などの客観的な法則性。こちらは人の意志に関わりなく一定である。通常「合理」と言う場合は後者に重点がある。】
https://twitter.com/kikuchi_8/status/815038928247865344

〇論理の話の続き。よく「日本人は論理的思考が苦手」と言われるがさにあらず。我が国は奈良時代に論理学を受け入れていた。「それは一部の仏僧(当時の知識人)のみ」と言ったところで西欧で最初にアリストテレス論理学を受け入れたのも一部の神父のみである。しかも受容の時期は日本の方が数百年早い。

〇我が国が奈良時代に受け入れた論理学は印度に由来するもので「因明=いんみょう」と言う。奈良の仏僧によって学ばれた。因明は古因明と新因明に分かれる。古因明は印度の哲学学派「ニヤーヤ派」が整備した。それに対し新因明は唯識派に属する陳那が整備した。我が国に輸入されたのは新因明の方である。

〇ニヤーヤ学派は提案(宗)・理由(因)・喩例(喩)・適用(合)・結論(結)という五支からなる「五支作法」と呼ばれる論証式を作った。陳那はこれを提案(宗)・理由(喩)・喩例(喩)の三支に改めた。前者が古因明で、後者が新因明である。因明は流派を問わず印度の各哲学学派の共有財産となった。

〇陳那の論理学まとめ。①提案・理由・喩例(宗・因・喩)からなる論証式=三支作法。②因の三相(正しい理由である為の三条件)。「AはBである。Cであるから」という論証の場合Cが正しい理由である為の条件は三つ。①CはAの性質である。②CはBに随伴(BがCを遍充≒包摂)③Cは非Bから排除。

〇陳那が唱えた「遍充」とは概念間の包摂関係を意味する。類概念は種概念を遍充している。例えば「人間」という概念は「生物」という概念によって遍充されている。より普遍的な概念がより特殊な概念を遍充するのである。主張命題の述語が根拠を遍充しているとそれは正しい理由とされる(因の第二相)。

〇西洋の論理学が「演繹」重視なのに対し、印度の論理学は「帰納」重視だと言われている。陳那はある命題の根拠が正しいと言える為の条件(因の三相)を究明した。因の三相は帰納推理が成り立つ為の条件。印度の論理学の論証式では必ず具体的事例を挙げる事を必須とする点も「帰納」重視の表れと言える。

〇陳那は論理学と認識論を重視したが、認識論においては確実な認識手段を知覚(現量)と推理(比量)に限定した。そして概念(共相)を介在しない知覚(現量)を対象そのもの(自相)を捉える一番確実な認識手段とした。このような陳那の経験主義的な姿勢も帰納重視の論理学に反映していると思われる。

〇因の三相を「提案・安倍は売国奴だ。理由・ISDSで主権放棄するから」という論証式で考える。①第一相・「ISDSで主権放棄するから」は提案の主辞「安倍」に属する。②第二相・「売国奴」は「ISDSで主権放棄するから」を遍充。③第三相「ISDSで主権放棄するから」は非・売国奴から排除。

〇①②③を説明する。①は「ISDSで主権放棄する」のは「安倍」だという事。②「ISDSで主権放棄する」人物は必ず売国奴である事(逆に全ての売国奴が「ISDSで主権放棄する」とは限らない)。③「ISDSで主権放棄する」人物は非売国奴の集合から排除される(売国奴以外の何ものでもない)。

〇「AはBである。Cだから」という命題で「因の三相」を考える。①第一相・CはAが持つ属性でなければならない。②第二相・Cが必ずBに随伴する事。全てのBがCである必要はない。③第三相・Cは非Bの集合から排除されていなければならない。そうでないならば「AはBである」理由になり得ない。

〇陳那(ディグナーガ)が唱えた「因の三相」とは何らかの命題を立証する場合に挙げる根拠や理由が正しいと言える為の条件を明らかにしたものである。「因の三相」を備えていれば(三つの条件に全て適合していれば)その理由は正しいとされる。自他の主張命題の根拠を吟味する際に役に立つ考え方である。

〇日本人にとっての陳那の因明は西洋人におけるアリストテレスの論理学みたいなものではないだろうか。こういう知的遺産は是非掘り起こして活用していくべきだと考える。戦国時代においてアリストテレスの論理学を駆使するイエズス会宣教師に対して仏僧は陳那が開発した因明を駆使して対抗した事だろう。

〇陳那の因の三相は此縁性(しえんしょう)と呼ばれる「縁起」のもっとも基本的な形式「此れが有れば彼有り。此れが無ければ彼無し。」をベースにしていると思われる。随伴と排除の関係である。「渇愛が有れば苦が有る。渇愛が無ければ苦が無い。」「火が有れば煙が有る。火が無ければ煙が無い」など。

〇西洋では認識論が発達するのが遅かった。「神」が認識を保証してくれるという前提があったからである。それが崩れ始める近世初頭になるまで本格的な認識論は現れなかった。一方、「絶対神」の観念が希薄な印度では認識論が早くから発達した。特に仏教の認識論は精緻を極めた。陳那はその大成者の一人。

〇説一切有部は外界(境)がそのまま認識されるとした。経量部は外界は直接認識されず外界が表象として認識されるする表象主義的な認識論である。これは近代になってカントが論じた認識論と似ている。唯識では外界の存在そのものを否定し、主客は相互依存(依他起)しており全ては認識作用=識だとした。

〇陳那の認識論では有効な認識手段は知覚と推理に限定したが、ニヤーヤ学派では知覚・推理・証言・比定の四つを有効な認識手段として認めた。陰謀追及的には「証言」は重要である。情勢分析のソースも大半がニュース、ネット情報、書籍などの謂わば「証言」だからだ。ソースの信頼性の吟味が重要になる。

〇陰謀追及における情報の分析では情報のソースの信頼性や複数のソースを比較対照するなど十分に吟味する必要がある。証言は「見る」「聞く」など知覚によって認識するものの証言で指し示されている事実そのものについては直接知覚している訳ではない。証言を知覚や推理と区別する意義はあると思われる。

〇「論理」を考える為の資料として印度哲学の中でも論理の研究を専門としたニヤーヤ学派とその姉妹学派であるヴァイシェーシカ派について少し調べた。印度哲学と言えば「梵我一如」を旨とするヴェーダーンタ学派のような神秘主義的な学派のみならず合理主義的な学派もある。神智学一派が無視する側面だ。

〇NWO征略で思想工作を担当する神智学一派は印度思想に執着して憑依の対象とするが彼らが利用するのは神秘主義的思想ばかりである。論理と合理を重視する学派は無視する。支配ツールに向かないからだろう。現に印度では論理学はヴェーダの権威を軽視するものとして当初支配階級から警戒されたらしい。

〇古代印度の六派哲学の一つにヴァイシェーシカ派という学派があった。「勝論派」と言う。勝論派では世界を「六句義」という六つのカテゴリで説明する。六句義は実体・属性・普遍・特殊・運動・内属の六つである。「概念に対応する実在が外界に存在する」「世界は言語表現通りに存在する」という思想。

〇勝論派では「白い牛が歩く」という事態は「白い牛が歩く」という言語表現に正確に対応していると考える。「歩く白い牛」という実体に「牛性」という普遍、「白い」という属性、「歩く」という運動が内属していると考える。主体・運動・属性は相互依存=縁起すると考える龍樹とは正反対の発想である。

〇勝論派哲学は言葉と逐一対応する事物が実在すると考えるとどういう世界観が出来上がるかを示すモデルケースだと言える。逆に「言葉と現実にはズレがある」と考えたのが龍樹である。勝論派と中観派は全く逆方向に思考を徹底したよき論敵同士だった。それにしても印度人の思考の徹底ぶりには驚かされる。

〇ヴァイシェーシカ派の姉妹学派が論理学と認識論の研究が専門のニヤーヤ学派である。認識と論証に関する十六のカテゴリを設定。ベーダーンタ派が「梵我一如」という神秘的境地に至る事を「解脱」としたのに対し、ニヤーヤ派は「論理学と認識論を極める事」を「解脱」とした。合理主義的な学派である。

〇ニヤーヤ派とヴァイシェーシカ派はベーダーンタ派などに比べると合理主義的な学派である。西洋の結社やその手先のカルト勢力は印度哲学の神秘主義的な部分だけをつまみ食い的に剽窃して利用するが印度哲学の強靭な論理的思考は忌避する。印度哲学を神秘主義だけと思い込むと神智学一派などに騙される。

〇ヴァイシェーシカ哲学の六句義の「句義」(パダ・アルタ)とは「語の対象」を意味する。即ち語が示す対象的実在には六つのカテゴリがあるというのが「六句義」の意味である。語が示す概念を実体視・実在視する考えである。概念の実体視を批判する龍樹とは対照的な発想であり、激しい論争が行なわれた。

〇印度哲学は神秘主義的な学派と合理主義的な学派に二分される。ベーダーンタ派やミーマーンサー派は前者で、ニヤーヤ派とヴァイシェーシカ派は後者。サーンキャ派は二元論的。ヨーガ派のヨーガは全学派共通。仏教は合理主義的だが渇愛を取り除いて苦の滅を目指す倫理的な色彩の強い実践哲学だと言える。

〇原始仏教もニヤーヤ派やヴァイシェーシカ派と同じく合理主義的だが主知主義的ではない。ニヤーヤ派は論理学と認識論を極める事を目指すが、原始仏教は「渇愛の滅による苦の滅」を目指す実践重視の哲学である。だが後には中観・唯識に至り論理学と認識論が発達した。ニヤーヤ派とはライバル関係である。

〇仏教の中で論理学と認識論を重視したのは唯識派で論理学を確立したのが陳那。三支作法や因の三相については先日述べた。ニヤーヤ派の論理学が古因明で陳那の論理学が新因明。我が国は奈良時代に後者を輸入。因明が伝統として残っているのは日本だけだそうである。日本人は論理的思考は苦手ではない。

〇弁証法について。「弁証法戦略」と言う場合の「弁証法」は主にヘーゲルのそれである。だが「弁証法」は物事を固定化した相で捉える形式論理学に対し「物事を変化の相で捉える思考方法」という意味で広義に用いられる場合がある。ソクラテス以前のヘラクレイトスの哲学などが弁証法に分類されたりする。

〇論理学の教科書には形式論理学、記号論理学と並び弁証法論理学についての項目があったりする。そこではソクラテス以前のギリシャ哲学者などに広義の意味での弁証法的思考があったとされる。だがヘーゲルの弁証法は歴史の目的因というか終着点を想定している点で古代ギリシャ哲学の発想とは異質である。

〇ヘーゲルの弁証法では正・反・合の変化の過程を設定するものの、歴史の最終到達点みたいなものを想定する点でギリシャ的というよりペルシャ的である。ヘーゲル哲学はプロテスタント神学の哲学版などと言われる所以である。キリスト教はペルシャ起源の「歴史の終わり」を想定する終末史観が濃厚である。

〇「変化の相を捉える思考方法」という「弁証法」の広義の意味では東洋の哲学にも当てはめられる場合がある。だが「弁証法」というとヘーゲルの弁証法が真っ先に連想されるので好ましい分類法とは思えない。ある種の憑依型戦術である。そもそも弁証法とは古代ギリシャでは問答法とか対話術を意味した。

〇「論理学を生み出したのはギリシャとインドだけ」と言われるが、アリストテレスが整備したギリシャの論理学は諸学問をやる為の「オルガノン(道具)」という性質なのに対し、インドの論理学は各哲学学派間の論争から生まれた討論術を起源としているようだ。後者はさながら討論マニュアルのようである。

〇ニヤーヤ学派が論理学を研究する学派だった(古因明)が、これに対して陳那が新しい論理学を確立した。陳那が確立した論理学(新因明)は我が国も奈良時代に取り入れている。中村元氏によると因明が現在も伝統として学ばれ続けているのは日本だけだそうである。日本人には論理学の伝統があるのである。

〇陳那の論理学まとめ。①三支作法②因の三相③九句因。①三支作法とは主張命題(宗)・理由(因)・例証(喩)の三支から成る論証式。それ以前の論証式はニヤーヤ派が確立した主張命題(宗)・理由(因)・例証(喩)・適合(合)・結論(結)からなる五支作法だった。陳那は合と結を削り三支とした。

〇②因の三相とは主張命題を立証する理由が備えるべき三つの条件。㈠遍是宗法性。理由が主張命題の主辞に属す。㈡同品定有性。理由が主張命題の賓辞を必ず伴う(煙があれば必ず火がある等)㈢異品遍無性。理由が主張命題の賓辞の補集合から排除。㈡㈢を合わせて遍充(賓辞が理由を包摂する関係)と言う。

〇③九句因とは理由(因)の9のパターンの事。理由が賓辞の集合の全体にあるか・一部にあるか・全くないかの3パターンあり、それが補集合にも言えるから3×3で全部で9パターンとなる。正しい因(正因)は因の三相を満たすもののみ。それ以外は全て間違った因(相違)と正否不明の因(不定)である。

〇こういう論理学が奈良時代から学ばれていた事を見ても「日本人は論理的思考が苦手」は嘘だと分かる。日本には西洋の自由七科=リベラルアーツに相当する「五明」があった。どちらも論理学を含む。戦国時代に襲来したイエズス会宣教師は論理学を身に着けていたが、我が国の学僧は因明を身に着けていた。

〇戦国時代に日本がキリスト教の侵略を打ち払う事が出来たのは宣教師が身に着けていたアリストテレス論理学に対抗できる「因明」という論理学で鍛えた論理的思考があったのも大きいのではないかと考えている。当時の仏僧は宣教師と対等以上の論争を行なっている。武力だけで思想工作を破る事はできない。

〇因の三相を「主張命題:声は無常である。理由:原因によって成るから。」で説明。①遍是宗法性とは「原因によって成る」が主辞「声」の属性である事。②同品定有性とは「原因によって成る」が必ず賓辞「無常」を伴う事。③異品遍無性とは「原因によって成る」が賓辞「無常」の補集合「常住」に無い事。

〇同じく「主張命題:声は無常である。理由:原因によって成るから。」で「遍充」を説明する。この場合、遍充とは主張命題の賓辞「無常」が理由「原因によって成る」を包摂する関係である。包摂されるので「原因によって成る」は必ず「無常」の集合に存在し、無常の補集合「常住」には決して存在しない。


https://twitter.com/kikuchi_8/status/863883059459874816


(了)

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by kokusai_seikei | 2017-09-27 00:42 | ツイートまとめ | Trackback | Comments(0)

ツイートまとめ テーマ:「合理主義」「理性主義」について考察する。

〇「合理主義」中村元著で理性主義を考察。「理」とは二つの意味あり。一つは人間としての道理、筋道という意味。これは人の意志に関わるので行う事も行わない事もできる。もう一つは自然法則などの客観的な法則性。こちらは人の意志に関わりなく一定である。通常「合理」と言う場合は後者に重点がある。

〇西洋の理性主義が冷たいのは「理性」というものを感情や情緒と対立するものと規定して、それらを排除して成り立つものとするからだろう。下手をすると仏蘭西革命や露西亜革命のように人間の心情や尊厳を踏みつぶして血の粛清を繰り広げる所まで行きついてしまう危うさがある。大東社系の危険性はここ。

〇そもそも感情や情緒を排除した「理性」を基準にする事自体に「合理的」根拠がある訳ではない。そのような基準を設ける事自体に合理性は無く一定の判断に基づく恣意的基準だと言える。人の心情に配慮した暖かな心持ちに「道理」としての「理」があると言えるので、それを「合理的」と呼ぶ事もできる。

〇「合理的」と言う場合「目的合理的」という意味の場合が殆どである。目的の為に最大限の効率性を追求する視点である。人間的な心情や尊厳など、その過程で無視され切り捨てられるものも多い。これが果たして「合理的」と言えるのか?「合理」とはもっと人間の総体を配慮した定義づけをすべきだと思う。

〇人間の道理に合致する=合理という定義の方がよいと思う。東洋において考えられてきた道理観は大体そのようなものである。西洋の理性主義の場合は客観的な法則性に合致するというニュアンスが強い。かかる「合理」観に基づき人間社会にも自然法則のようなものがあるという独断を持ち込む場合も多い。

〇ヘーゲルやマルクスの理性主義は「客観的な法則」のようなものが人間社会にもあるという世界観である。共産主義者などは「歴史法則」を絶対の真理と信じ、人としての道理は無視する傾向があるが、それを「合理的」な態度だと思い込んでいる。大東社系の理性主義者は「理性」を掲げながら暴力を振るう。

〇「理性」「合理」という場合の「理」について以下の二つの意味。①人としての道理②客観的な法則。大東社系の理性主義者が「理性」を奉じて革命を起こした末に独裁と粛清という暴力に陥るのは「理」の定義が②に偏っているからだと考える。しかもその「理」たるや客観的でも何でもない只の独断である。

〇西洋の思想派閥を「一神教・神秘主義・理性主義」と分類しているが、理性主義も結局単なる独断を「理性」と呼んで粉飾しているに過ぎないもので、一神教や神秘主義と同質の「教義」であると言える。歴史上、理性主義者が理性的な行動をとる事は少なく、一神教原理主義者や神秘主義者と大差はないのだ。

〇自分を「理性的」で「合理的」だと思い込んでいる人間は他人の心情や尊厳を土足で踏みにじる場合が多い。「理」の定義が先ほどの定義②「客観的な法則」に偏っているからである。しかも、実際には客観的でも何でもない訳である。東洋伝統の①「人としての道理」が重要との中村博士の見解に同意である。

〇一神教系と神秘主義系に比べると陰謀追及界隈では批判的検討があまりなされていないと思われる理性主義系についてまとめて考察してみた次第である。「合理主義」中村元著を参考にした。東洋にこそ本当の合理主義の伝統がある事を論じた名著である。今年やり残しの「破NWO思想」=年末大掃除完了。

〇とかく理性主義者は勝手に拵えた独断を「客観法則」だと僭称しがちである。これは一神教徒や神秘主義者が独断的ドグマを作り上げるのと何ら変わらない。「弱者は淘汰されるべきだ」「人口削減は不可避だ」「ワンワールドは歴史の必然だ」など、全て「客観的な法則」を僭称するドグマである。

〇理性主義について考察したが、一方の一神教は「反理性主義」「反知性主義」である。キリスト教は知性や理性を徹底的に嫌悪し抑圧した。大東社系の理性至上主義はその反動として現れた。理性を至高のものとして崇拝するか、全く無意味なものとして全否定するか。西洋文明は両極端で二元論的傾向が強い。

〇理性を万能視したり崇拝するのも、全否定するのも両極端である。理性とはいわば推論の能力。推論能力は人間にとって不可欠だが、過つ事も多い心の機能である。よって、慎重に懐疑的な視点(「間違っている可能性は無いか?」など)も持つ事で初めてまともに機能する。「崇拝」などもっての外である。

〇理性は唯識の心理論で言うと「尋」「伺」である。「不定」の心所に分類される。「不定」とされるのは善にも悪にも働くからである。「理性=絶対善」と見る見方より冷静な定義である。この定義なら理性崇拝には陥らない。国際秘密力が謀略や陰謀の為に働かせる悪知恵は悪く働いた「尋」「伺」と言える。

〇「理」に二つの意味。①人の踏み行なうべき道理としての「理」②客観的な法則性としての「理」。「魔術」とは②を利用して力を生み出す技術であり、近代科学もその延長上にある。法則性自体は客観的だが、それを利用する人間の行為が道理に適っているとは限らない。秘密力の場合は①は完全に無視する。

〇②客観的な法則性を利用して「力」を生み出す国際秘密力に圧倒されて幻惑される者もいる。被幻惑者は自然法則などを利用して力を行使する国際秘密力を「合理的」だと思うのだろうか?だが、①道理を完全に無視して破壊と殺戮を繰り返す国際秘密力には「理に合致する=合理性」は微塵もありはしない。

〇前述した「尋」「伺」」について説明する。尋は対象の全体をおおまかに推求する心理作用である。伺は対象をより細かく詳しく推求する心理作用である。「不定」の心所に分類されるのは善にも悪にも働くからである。例えば、病を治す方法を研究するのも、大量殺戮兵器の研究開発も尋・伺の働きである。

〇五感と思考(見る・聞く・嗅ぐ・味わう・触れる・考える=眼耳鼻舌身意)に気を付ける、というのが洗脳対策の基本だと考える。五感のみならず思考にも気を付ける必要があるのは五感から入った情報は当の五感が途切れても表象=イメージや概念、記憶として残り思考によって反芻され刷り込まれるからだ。

〇五感には当然「色・形」「音」などの対象があるが、五感のみならず思考にも対象がある。「思考対象」がなければ「思考」も無い。「思考対象」を五感の対象と同列に見て気を付けておく事は重要である。NWO征略の思想ツールもまず五感から入り、次に思考対象となる事で心理に刷り込まれるからである。

〇シンボルや音声、文字情報はまず五感から受容されるが、それは単に瞬間的な五感では終わらず何らかの表象=イメージとして印象を残し、文字情報は概念的思考の対象となって五感が途切れても思考対象として心理に影響を与え続ける。これで思考対象にも気を付ける必要性が分かる。だから「六識」である。

〇感官と対象の接触から認識作用、さらに対象に対する「欲望」が生じる。よって「欲望」も必ず「対象」を持つ。見(眼識=視覚)た事も触れ(身識=触覚)た事もない「1億円」を「欲しい」と思う事ができるのは「1億円」という表象=イメージ、言葉、概念が思考(意識)の対象になっているからである。

〇現代人の欲望の対象の多くは五感より思考の対象ではないだろうか。電子マネーなどが最たるものだが。五感で認識されなくても「金」への欲望は際限がない。あるいは物体的な商品も実用性よりステータス誇示を目的に購入される場合も多い。このような欲望の対象の本質は観念や表象=イメージにある。

〇物体的な実態を持たない欲望の対象は無際限に作り出す事ができる。例えば「ポケモンGO」はただのデータを欲望の対象として作り出す事で多くの人間を動かせる事を示した。欲望が人を動かすなら欲望の対象を操る者が人を動かす。国際秘密力は欲望の対象を次々に作り出す事で人々を洗脳・誘導している。

〇結局現実に人の生きる世界は認識された世界である。見る・聞く・嗅ぐ・味わう・触れる・考える=眼耳鼻舌身意=六識(六境=色声香味触法を対象とする。六根・六識・六境)。この六つの認識領域に気を付ける事が洗脳防御の基本指針になると改めて思う。洗脳の経路はそれ以外にはあり得ないからである。


https://twitter.com/kikuchi_8/status/815038928247865344


(了)

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by kokusai_seikei | 2017-09-27 00:41 | ツイートまとめ | Trackback | Comments(0)

ツイートまとめ テーマ:「イルミナティ」の教義を分析する


〇イルミナティについて。「猶太」と同じく「イルミナティ」も多義的である。主に二義。①世界権力の総体もしくは中枢部を指す呼称。これは吾人が言う「裏権力」「国際秘密力」とほぼ同義。②1776年にアダム・ヴァイスハウプトが創設した秘密結社。これは18世紀の啓蒙主義を奉ずる秘密結社である。

アダム・ヴァイスハウプトはイエズス会士でインゴルシュタット大学で教会法を教えていた学者。古代のストア派の哲学の影響を受けていた。イルミナティ入門者への推奨図書の第一は古代ローマのストア哲学者セネカの書簡集であった。無神論までは行かず理神論者だったようだ。典型的な啓蒙主義者である。

〇ヴァイスハウプトはイエズス会士なのでイルミナティの組織構成はイエズス会の軍隊組織の影響を受けたと思われる。イエズス会が近代の秘密結社の原型たる所以である。イエズス会創設者のイグナチウス・デ・ロヨラはスペインのイルミナティ組織とされる「アルンブラドス派」に傾倒していたと言われる。

〇ヴァイスハウプトの近代イルミナティはざっくり言うと啓蒙主義の結社(仏蘭西の大東社と同じ思想傾向)なので明治初期に福沢諭吉森有礼らが集っていた「明六社」もイルミナティ組織と言えるだろう。福沢は「文明開化」を唱える啓蒙主義者であり、森は英語を公用語にせんとした欧化主義者である。

〇キリスト教系陰謀論ではイルミナティを「悪魔崇拝」「ルシファー崇拝」の一点張りだが、悪魔教そのものがキリスト教文化の一部である事は以前述べた通りである。「悪魔」とは非キリスト教の神々や古代猶太部族の敵対者の事。ルシファーはまさに後者でバビロニア帝国の王を指す「明けの明星」である。

〇「アスタロテ」という「悪魔」は本来はメソポタミア神話の「イシュタル」という「女神」である。イシュタルはシュメール神話の「イナンナ」のメソポタミア神話版である。豊穣を司る地母神。メソポタミア神話と類似する旧約聖書も「悪魔」のネタ元も古代中東の神話・伝説・宗教に由来するものが多い。

〇以上「イルミナティ」の二義「①世界権力の総体・中枢アダム・ヴァイスハウプトが創設した近代イルミナティ」について検証したが最近では「グノーシス派イルミナティ」なるものの存在が主張されている。ロマノフ王家の末裔を名乗る人物などが宣伝している。大本系陰謀論派閥と近い関係にあるようだ。

〇グノーシス主義は宇宙は「デミウルゴス」という悪神が創造した悪なる世界と考え人間は善なる霊魂と悪なる肉体で構成されるという霊肉二元論=反宇宙的二元論を信じる地中海オリエント世界の古代神秘思想の一つである。近代の啓蒙思想とは大分違うが「グノーシス=知恵≒理性」を重視する点は共通する。

〇では「グノーシス派イルミナティ」とは何なのか?以前分析した事がある。
【自称イルミナティのアレクサンダー・ロマノフの著書を参考に「イルミナティ」の教義の主な特徴を抽出する。①人間中心主義。「人間は神になる」という発想。霊性進化論と類似。②歴史に目的を設定するヘーゲル史観理性と知識の重視。知識を持つ事で人間は神に至る、という教義。グノーシス思想。】
https://twitter.com/kikuchi_8/status/846127100075503616

〇自称イルミナティの記述によれば世界を悪と見る反宇宙論をグノーシス思想から引き継ぎヘーゲル弁証法を取り入れているようだ。「人間が神に進化する」という神智学と同じ霊性進化論。「理性と知識」を重視する理性主義の一方「密教が真の宗教形態」だとする神秘主義志向。理性主義と神秘主義の混合体。

〇「グノーシス派イルミナティ」を名乗る一派は一神教勢力や既成の世界権力を「オールドワールドオーダー(OWO)」と呼び、自分達こそ能力本位の世界「ニューワールドオーダー(NWO)」を創出する善なる革命勢力だとする。世界権力と対立しているように見せて世界統一に誘導する両建戦術だろう。

「グノーシス派イルミナティ」の周辺にいるのは大本教系陰謀論派閥。北朝鮮主導の朝鮮半島統一及び東亜細亜の統一(東亜連邦)を主張する勢力とも重なる。米国系のネオコン、シオニスト、キリスト教原理主義勢力と両建を演じつつNWOに誘導する欧州系(親ロス系)の勢力と分析する。両建の根は一つ。

〇「イルミナティの教義に触れていない」という事実と異なるご指摘を受けたので、これまでの「イルミナティ」についての分析や考察をまとめてみた次第である。(了)


以下は補論です。

〇補足。グノーシス思想では物質そのものが悪とされるが、原始仏教では物質には善悪は無く(無記)物質に執着する精神作用が悪とされる。こういう根本的な違いを無視してグノーシスと東洋思想を付会する憑依型戦術の類は多い。認識主体にとっては物質は五感の知覚作用と「物質」という概念で成り立つ。

〇唯識の説明でよく「心の外に物はない」と言われるが、この説明では「心の外と内」「心と物」という西洋哲学的な二元論(グノーシス思想もその一つ)に陥っているのではあるまいか。この点では大森荘蔵の立ち現れ一元論や廣松哲学の主客一体的な四肢的構造連関の認識論の方が論理的整合性が高いと思う。

〇大森荘蔵の「立ち現れ一元論」ではカント的な物自体=実物と認識された現象=コピーという二元論を否定して(つまり実体と現象の区別を否定して)、認識された「立ち現れ」を実物そのものだと考える認識論である。四肢的構造連関は以前説明した。
【廣松渉哲学まとめ。対象の二肢性。人間にとって意識に立ち現われてくる現相世界は所与と所識の二肢成態。主体も「として」の構造で二肢。所識たるものも主体の側の共同主観の体系によって決まる。認識の四肢的構造連関。四肢たるそれぞれも関数の項にすぎず自存的なものではない。徹底した実体の否定。】
https://twitter.com/kikuchi_8/status/457188867435540480

〇西洋哲学では主観と客観の二元論だが、四肢的構造連関では主観も客観も二肢に分かれ合計して四肢の関係の項が緊密に連関しあって認識が成立すると考える。主客はそれぞれ関係の項に過ぎず実体とはされない(主観も客観も縁起したもの)。「縁起」を認識論に適用したような発想である(事的世界観)。

〇以前述べた説明。
【「所与が所識として能識としての能知に対してある」を具体的に「私はリンゴを見る」という事で言うと。知覚的に現前する赤い、ざらざらした、まるいそれ(所与)を、日本語の名詞「リンゴ」(所識)として、日本語を使用する主体(能識)として自己形成を遂げている、特定の誰某(能知)が認識する。】
https://twitter.com/kikuchi_8/status/606843567143677953

〇これも以前述べた説明。以上、グノーシス思想をはじめとする西洋的二元論とは対照的な日本の哲学者の認識論を紹介する事で「イルミナティ」らが信奉する西洋思想を相対化する為の一資料とした次第である。
【廣松渉四肢的構造連関「所与が所識として能識としての能知に対してある」について。感性で捉えた所与(視覚や触覚等)に知性で言葉を当てはめることで概念的に認識(所識)。そして知性(場合によっては感性も)はその認識主体(能知)が属する文化共同体のあり方で規定(能識:例 日本語を使う主体)】
https://twitter.com/kikuchi_8/status/606843787613044737

〇四肢的構造連関は「所与が所識として能識としての能知に対してある」と公式化される。「私がりんごを見る」を四肢的構造連関で説明する。「赤い丸いそれ」という知覚像(所与)を「りんご」(日本語の概念)として(所識)、「日本語話者」(能識)として自己形成を遂げている私(能知)が見る。

〇四肢的構造連関の考え方によれば「私がりんごを見る」という認識は、「赤い丸いそれ」という知覚像=所与、「りんご」という概念=所識、「日本語話者」としての私=能識、個別具体的なこの私=能知、という合計四肢で成り立っている。四つの項は自存する実体ではなく関係の項として存在するとされる。

「金星崇拝」は結社系の思想において重要な要素の一つである。旧約聖書においてバビロニア帝国の王が「明けの明星」と言われている。これが「ルシファー」の典拠らしい。ロスチャイルドはニムロドの子孫を名乗っているという説がある。いずれにしろメソポタミア文明と関係が深い概念なのは確かだろう。

〇裏権力人脈の「金星崇拝」の例。キリスト教圏の悪魔教におけるルシファー崇拝、神智学における「サナト・クマラ」崇拝(ヒンドゥー教由来。鞍馬寺に「魔王尊」として祭られる)、米国フリーメイソンの「黒い教皇」ことアルバート・パイクのルシファー一神教、金光教や大本教の「艮の金神」崇拝など。

〇近代イルミナティも金星崇拝と無関係ではない。近代イルミナティが信奉する「理性」の象徴表現の一つが「ルシファー=光をもたらす者」だからである。西洋では理性は「光」と関連付けてイメージされる事が多い。啓蒙=Enlightenment。近代イルミナティは「光明結社」などと和訳される。

〇「ルシファー」について考察する。元々は旧約聖書でバビロン王を指す「明けの明星」を意味した。それがペルシャ的な善悪二元論の影響を受けた後期猶太教の延長たる基督教に取り入れられて「悪魔」の一つとなった。基督教における「悪魔」なる表象はゾロアスター教に由来するペルシャ的な発想である。

富永仲基の加上説は仲基が研究対象とした仏典のみならずあらゆる宗教や思想に適用できると思う。地中海・オリエント世界の宗教の形成史にも当てはまる。猶太教・基督教・悪魔教などはシュメール文化・メソポタミア文化を根源とし、エジプト文化やペルシャ文化が積み重なる事で形成されていると考える。

〇東洋史学者の津田左右吉氏は神話や伝承の類は歴史資料とは考えず古代の人々が「何を考えたか」を表す資料と捉えたようだ。この考え方は参考になる。例えどんな迷信や宗教でもそれを作り出し信奉している人々の思考や行動原理を究明する資料になる。裏権力の「金星崇拝」「悪魔崇拝」の類もそれである。

〇神話や伝承の類をそのまま史実の反映と考えるのは一見合理的なようだが、実は迷妄に陥る陥穽も潜んでいる。例えば超古代史の類は大抵神話を史実として牽強付会する事で作り上げられる。神話は神話であり古代の人々がいかに自己や世界を表象したかを表す資料と捉える津田左右吉氏の指摘は示唆に富む。

国際秘密力研究における宗教の分析の意義はまさに「国際秘密力の行動原理の解明」である。津田左右吉氏が指摘したように神話の解析が古代人の「頭の中」を知る為の資料になり得るように、国際秘密力の連中が信奉している宗教や思想を分析する事は彼らの思考や行動原理を解明する事に繋がるのである。

〇裏権力人脈の金星崇拝の意味を推測する。①裏権力の思想(旧約聖書はバビロニアの影響下で編纂)や支配モデルの原型は古代バビロニア帝国。旧約聖書ではバビロニア王が「明けの明星」と表現されたので「世界帝国の象徴」として金星に執着しているのでは。②「光」のイメージを伴う「理性」の象徴表現。

〇西洋人の世界観の根本はバビロニア文化の影響下で編纂された旧約聖書だが、裏権力支配の原型もメソポタミアのバビロニア帝国だと思う。バビロニア王を指す「明けの明星」という呼称に西洋の権力者が憧れを抱いたとしても不思議はない。ロスチャイルドはニムロドの末裔を名乗っているという説がある。

〇バビロニアの帝王が裏権力者の憧れだとすれば彼らがバビロニア帝王を指す「明けの明星=金星=ルシフェル=ルシファー」というシンボルに執着するのも頷ける。加えて近代イルミナティは「理性」(西洋では「光」で表現する)を崇拝するので「光をもたらす者=ルシファー」を理性の象徴にしたのだろう。

〇「猶太文化はメソポタミアやエジプトの剽窃」という究極の猶太批判はかえってある種の「猶太陰謀論者」からは評判が悪い。キリスト教系陰謀論者からすると猶太神話とメソポタミア神話との比較など旧約聖書を相対化する指摘はキリスト教の相対化に繋がるからだろう。しかり。猶太と耶蘇の破両建である。

〇アッシリアの遺跡で出土した粘土板を解読して旧約聖書の洪水物語に酷似したギルガメッシュ叙事詩の洪水物語を発見したジョージ・スミスという学者の名はあまり知られていない。西洋文明の根本に関わる重大な発見をした人物としては知名度が低いと思う。https://ja.wikipedia.org/wiki/ジョージ・スミス_(考古学者)


https://twitter.com/kikuchi_8/status/901835846910803968

(了)

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by kokusai_seikei | 2017-09-24 11:51 | ツイートまとめ | Trackback | Comments(0)

ツイートまとめ テーマ:宗教法人法の改正はカルト支配ひいてはカルトを走狗とする裏権力の対日支配の終焉をもたらす

米国では宗教組織が政治活動に関与した場合、免税特権を剥奪できる仕組みらしい。米国は日本に様々な制度改変の要求をしてくるが、宗教法人法改正は要求してこない。カルトが対日間接支配の道具になっているからか。組織として政治活動をした宗教団体の非課税特権を剥奪できればカルト支配が終焉する。

米国は財閥が財団を組織し、財団を通じてシンクタンクを支援、シンクタンクから連邦政府にスタッフを送り込むという支配構造なので、宗教団体を介した間接支配という日本の支配システムと違い、より直接的である。従って政治活動に関与した宗教団体の免税特権剥奪の仕組みを許しているのだと推測する。

米国の支配構造は「財閥→財団→シンクタンク→連邦政府」。対日支配構造は「財閥→財団→シンクタンク→ジャパンハンドラーズ→カルト→傀儡政治屋」。米国の場合、宗教団体よりシンクタンクの方が権力を持っていると分析する。前者は思想工作や手足となる動員力担当という面では日米共同じだろう。

宗教活動をする団体という事で免税特権が与えられているなら、政治活動に関与したら免税特権を剥奪するという仕組みは合理的。カルトが対日間接支配の道具として機能しているが、カルトを宗教活動に封じ込めるだけでもこの構造をかなり崩せると思う。問題は法律を作る国会議員がカルトの手先である事。


https://twitter.com/kikuchi_8/status/712038412958752770


(了)

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by kokusai_seikei | 2017-09-22 00:07 | ツイートまとめ | Trackback | Comments(0)

ツイートまとめ テーマ:日本及び東洋の精神文化の特質を考察する

〇仏教を初め東洋思想の特徴の一つが「大事なのは信仰より心法」だと思う。いざという場合に大事なのはいかにその時の心理状態を制御できるかだという洞察である。「傲り、貪り、怒りなど負の感情に囚われ過ぎるとろくな事が無い」という経験則でもある。信仰を第一とする西洋思想との大きな違いである。

〇西洋思想では信仰が何より大切とされるが、東洋思想では心法が核心となる。東洋思想の考えからすれば、仮に何かを熱烈に信仰していても、それによって貪りや怒りに囚われるなら本末転倒である。逆に特に信仰は持たなくても貪りや怒り、傲りを制した人は立派な人物なのである。後者の考えに理を感じる。

〇東洋思想は大体以下の立場と思う。何かを信仰する事の反射的効果で負の感情が制せられるなら、それはそれでよいとするが、それは信仰自体より負の感情が制せられている結果に価値を見る訳である。逆に、負の感情が制せられ人の道に適うなら無信仰で一向に構わず。だが信仰故に悪に走るのは許されない。

〇恐らく原始仏教などでは、熱烈な信仰故に怒りや貪りに満ちているなら、その信仰は否定される。信仰が一切なくても怒りや貪りを制しているなら、それは称賛される。信仰の良しあしなど形而上学的問題は「無記」とする。大事なのは現実の心や行為をいかにするか、のみとなる。東洋では心法・道義>信仰。

〇支那思想の学者が書いていたが、ヨーロッパが「神」を巡る系譜なら、支那では「道」を巡る系譜だと。「道」とは、原理、法則、規範等々様々なニュアンスがあると思うが、印度の「法=ダルマ」と近い概念だと思う。だから「道」を巡る支那の思想史は信仰ではなく倫理とか道義道徳が主題となっている。

〇信仰熱心だが内に深く恨みを抱き殺伐として事ある毎に他人に絡みつく人間と、信仰は持たないが己の怒りを制し他者に対する思いやりを常に忘れない人間がいるとしたら吾人は後者を尊敬する。西洋では信仰を持つ事自体を価値とするが、東洋では「道」即ち道理に適うを価値とする。東洋では道理>信仰。

〇西洋の「宗教」、東洋の「道」。「宗教」(この概念自体キリスト教をモデルとした西洋伝来のもの)は人間性を向上させるとは限らない。固定化された教義や世界観を絶対のものとして奉じるとむしろ人間性を歪めてしまう場合が多い。怒りや貪りを制する事、思いやりを持つ事。「道」はそれで十分と思う。

〇カルトやスピの妄信者が憎悪に満ちた攻撃を仕掛けてくる度に思うが「この者達にとって信仰が何の意味をなしているのか?」である。憎悪を制する事ができない、どころかたき火に薪をくべる様にさらに燃え立たせる信仰とは?憎悪を持つと苦しむ。無くすと苦は消える。信仰より道理の観察が重要と考える。

〇欲をかいたり、憎んだりすると心が苦しむ。欲や怒りを制御すると苦が減る。この「道理」に信仰が入り込む余地はない。何を信じようが個々の自由だが、己の中にある貪り、傲慢、怒り、恨みつらみ・怨念、そう言った負の感情を制する事が出来ない、逆に増長するような「信仰」は無意味で有害だと考える。

〇信仰など持たずとも貪りや憎しみを制する事ができるなら有意味である。信仰より道理の観察が重要である。日本及び東洋の伝統では、「宗教」「信仰」より「道」「法」「道理」を重視する。怒りを制する事が「和」の前提である。「怒り」は徳の全てを吹き飛ばす。よって思いやり、仁、慈悲の前提は忍耐。

〇古来日本においては特定の思想を教義的に固定化し絶対化するのを邪教化と見なしたのではあるまいか。神道にしろ仏教にしろ、どれか一つの宗派や流派が全体を制圧した事はついぞなかった。相互横断的ですらあった。日本人は宗教の奴隷にはならない。思想哲学は活用するもの。そう見なしてきたと思う。

〇日本では「宗教は怖い」というイメージがあるが、これは戦後の風潮ではなく元々日本人が持っていた感覚ではなかろうか。ここでいう「宗教」とは一神教的な絶対的な教義や世界観を固持して他を排斥する体系の事である。日本人はかかる意味での宗教は忌避するが神社にもお寺にもお参りする。普通の事だ。

〇西洋では宗教の土台の上に道徳が乗っているので、宗教や信仰を否定すると危険人物扱いをされがちな様だが、東洋では道=道理が根本なので宗教や信仰を否定しても虚無主義にはならない。また「道とは何なのか」についても決して一義的に固定化せず、神・儒・仏・道で自由に論議して思索・検討する風土。

〇印度でも支那でも自由思想家や諸子百家が百家争鳴。我が江戸時代においては「道」について、国学者、儒学者、仏僧などの間で活発な論議がなされていた。学問の方法論として実証主義が広く共有された。本居宣長の方法論は徂徠学を学んだ堀景山の影響。仏僧では慈雲が実証的方法で梵語や仏教学を研究。

〇日本や東洋では「道理>宗教」という土壌。その上、道理=道とは何たるか?についても一義的に固定化されず様々な見解があり相互に論議し合って検討した。絶対的な「宗教」が無いが故にこのような状況を可能とした。宗教や信仰をやかましく言うのはキリスト教徒の口吻を真似た西洋かぶれと思われる。

〇昔の日本人の心(古心)は固定化された宗教教義や思想哲学ではなく古人が詠んだ和歌や俳句などの中に見つかるのでは、というのが吾人の考え。自然や人事に接して喚起される情趣即ち「もののあはれ」をそのまま言葉として造形化した伝統文学。固定化した教義でも思想でもない「古人の心=古心」である。

〇西洋人は己の原点を聖書に求め、思惟形式の根源はギリシャ哲学にある。永遠の実在世界と現実の現象世界の二世界観に基づき現実の背後に想定するイデア(永遠の美など)を造形化するという志向の西洋伝統芸術。具体的な自然や人事の賛美や詠嘆ではなく、神やイデア又は抽象化された「人間」の賛美が主。

〇西洋では宗教が道徳や価値の土台なので宗教や信仰が否定されるとニヒリズムの危機が訪れる。ニーチェが突いた「神の死」の状況とはこの事。一方で西洋文明では反宗教の場合も徹底している。大東社・イルミナティ→共産主義の流れでは宗教を徹底破壊し、新たな宗教としての理性崇拝や共産主義を絶対化。

〇宗教原理主義者と反宗教原理主義者は酷似しているが両建である。後者は「宗教」という体裁をとっていないだけで特定の思想哲学や世界観を絶対化しているので「宗教」と同質である。革命仏蘭西は「理性教」、ソ連は「マルクス・レーニン教」の宗教原理主義国家だったと言えよう。「反宗教という宗教」。

〇この様に西洋文明は何事も両極端であり中庸とか中道が極めて希薄である。「両極の中間」という意味での中庸(アリストテレスが説いた中庸はこれ)はあるが、これも一つの固定的な断定である点で変わりない。東洋における中庸・中道は「中間」ではなく「適切」という意味。要するにバランス感覚である。

〇「破両建」の極意を「中道」だと考えるのは端的に両建(両極端)の反対が中道(適切)だからである。両極端(まさに両建)を避け、状況毎(ここで重要)に適切な判断を下す事が中道(道に中る)の原意。「適切な判断」とは「適切なポイントを見抜く」つまり「急所を突く」と言い換える事が出来る。

〇中道の中身は状況によるので固定化は厳禁。「両極の間の中間」という判断すら固定化の産物である。例えば火事の時の消火作業は「急ぐでもなくゆっくりでもなく中間」などと言ってられない。その状況では「冷静さを保ちつつ急ぐ」が適切な判断。その状況において最も適切な判断を下すのが中道である。

〇 陰謀追及では固定化は両建に取り込まれる危険を意味する。先ほどの例で言うと、火事の時に「冷静さは必要ない。とにかく急げ」「冷静にゆっくりとやれ」という両極端な判断に固執するのと同じである。どちらも適切ではないから結局火が燃え広がってしまう。両建とは不適切な両極に人々を二分する事だ。

〇両建戦術とは。火事の例で言うと、消火作業をする人たちに対して傍から「冷静さは要らない。とにかく急げ」とか、「冷静に慎重にじっくりゆるりとやれ」とか、両極端な指示を与えて「冷静さを保ちつつ急ぐ」というその状況での適切な判断を晦ませて鎮火を妨げる放火魔の手口、と言えるかもしれない。

〇印度では「ヒンドゥー教」と一口に言っても様々な流派があり教義内容は全く一定していない。だが、印度では形而上学的世界観の一致よりダルマ=行為規範(謂わば印度人が考える道理)の一致を重視するそうだ。だからダルマに従うなら無神論者をもヒンドゥー教徒として許容するとの事。道理>宗教の例。

〇ここでいう「宗教」とは西洋における猶太・基督教のように「絶対的な教義や世界観の体系」の意味。その点、印度人はかなり寛容である。印度人は歴史的に哲学的思弁が大変発達しているが、かといって特定の形而上学的世界観を絶対化する事はしていない。むしろダルマ=行為規範の順守を重視するようだ。

〇支那では知識人ほど西洋的な意味での「宗教」を軽蔑した。読書人たる士大夫たるものは他力的な「宗教」に依るを潔しとせず、という態度が強かったようだ。例えば章炳麟などは「依自不依他」と言った。だから支那知識人の間では禅が受け入れられた。その影響下に生まれたのが朱子学であり陽明学である。

〇日本では「宗教」より「道理」(=道)が中心である事は富永仲基の例で分かる。仲基は大乗仏典の研究において「加上説」を打ち出した事で有名だが、仏教だけでなく神道も儒教も否定し「誠の道」を唱えた。「道」の考察が中心。特定の宗教教義が絶対の社会なら仲基のような思想家は許容しえないだろう。


https://twitter.com/kikuchi_8/status/781176498380087296


(了)

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by kokusai_seikei | 2017-09-22 00:00 | ツイートまとめ | Trackback | Comments(0)

ツイートまとめ テーマ:両建を破る=破両建の極意は「中道」にあり


〇「両建」への対処法は「中道」が答えだと思う。中道とは「どっちつかずの中途半端」ではない。「道に中る(あたる)」である。破両建の場合は両建の双方と背後者、構造そのものの急所を突く事である。中途半端どころか、ズバリ急所を突く徹底的な批判追及こそが破両建における「中道」である。

〇「両建」という分析がかなり広まってきたと感じる。両建分析の次に必要なのは「両建にいかに対処するか」の検討である。「巻き込まれるのを避ける為両建から距離を置き静観する」という選択肢がありえる。しかし、これでは単なる「分析」「評論」に終わり、「陰謀追及」になっていないと思う。

〇「両建の両肢(右と左等)から距離を置き静観する」だけとなれば、例えば「共産党も反対しているからTPPに反対するな」とか「安倍信者も横文字左翼を批判しているから人工芝批判するな」となり、結局「何も言うな」という結論になりかねない。 両建分析はかかる結論に導くものであってはならない。

〇両建への対処=破両建の正しい方針は「両建の両肢のどちらにも急所を抉る本質的な批判をし、両建構造そのものとそれを操作する背後者をまとめて叩く」だと考える。前述の例で言えば「安倍一味も横文字左翼もウヨサヨ茶番構造も背後にいるジャパンハンドラーズなどもまとめて徹底批判する」となる。

〇「両建だから」を逆手にとって「利用されるから、どっちも批判しないようにしよう」という誘導もありえる。「両建」という知見に乗じての趣旨のすり替えである。今後はそういう誘導もありうると想定し警戒しておきたい。「両建」ならあくまで全力で全方位を徹底批判追及あるのみだ。これ以外にない。

〇特定の言説に忍び込んで内部から趣旨をすり替える、というやり方はジャック・デリダの「脱構築」の手法を連想する。コンピュータ・ウィルスの様なやり方である。憑依型戦術による伝統破壊工作もそうだが、「両建」という知見の趣旨のすり替えについても警戒しておくに越したことはないと思う。

〇「両建を見抜き、巻き込まれない様にする」という観点のみでは次の二つの態度が導出され得る。①両建だからどちらも批判すべきではない②両建だからどっちも批判すべきだ〇まさに天地の差。両建を分析するのは何のためか?を常に問うておかないと①の様な思考誘導に嵌る恐れも無きにしも非ずと思う。

両建分析は陰謀追及の為である。静観する為ではない。陰謀追及とは祖国日本と世界に害悪をもたらす真の要因を見極め、摘出し、改善する事に貢献する為の営為である。ここを等閑に付すと両建の分析は「どうせ両建だから」と高所から論評するシニシズムに。両建の根源を叩く事に繋げないと意味がない。

〇「両建」というのは既に戦前の陰謀研究の文献にあった概念だが、Twitterの陰謀論界隈でこの言葉を広めたのはどうも自分のようだから、責任を持ってその趣旨を説明しておきたかった。両建の分析が「どうせ両建」というシニカルな態度を導くとしたらそれは不本意極まりないので原点を再確認した。

「中道」は「中ほど」「ほどほど」「中途半端」ではなく、「道に中る」「急所を突く」という意味である。破両建の指針はまさに「中道」だと思う。右だろうと左だろうと、西洋の各種思想派閥だろうと、ズバリ急所を突く。そして両建構造自体も主宰する背後者の急所をも突き、貫く。破両建のイメージだ。

〇単に距離を取って静観するだけなら両建戦術に嵌められる事は無いが陰謀を放置するだけの結果になる。全方位追及すれば両建戦術に乗せられるのを防止しつつ裏権力を叩く事が出来る。「両建に乗せられない」という消極的観点と「陰謀を追求する」という積極的観点が同時に必要である。車の両輪である。

〇両建への対処法として「中道=道に中る(あたる)=急所を突く」を挙げた。「急所を突く」為にはまずは急所を探さねばならない。ここが陰謀分析の要。例えば清和会一味なら朝鮮カルトやCSIS、ジャパンハンドラーズとの関係、横文字左翼なら海外の人工芝運動、NEDやソロス財団との接点等である。

〇「急所」とは両建の走狗達が世界全体の権力構造の中でどのような位置を占め、いかなる「役割」を担っているか、という点である。ISなら「欧米支配層が敵対国の倒壊に使うコマであり、また戦争惹起を正当化する敵役」という立ち位置がある。急所を突いたIS批判とはここをガンガン指摘する事である。

〇安倍一味批判の場合も同様である。「安倍は危険な極右政治家であり軍国主義者だ」という批判は完全に急所を外している。「安倍は愛国保守を偽装して保守層を騙し、あくまでTPPを推進するグローバリストでありTPPの先にFTAAPを見越しているワンワールド側の走狗」が急所を突いた批判である。

〇横文字左翼批判の場合は「拳マーク」が急所だろう。人工芝運動、オトポール、CANVAS、ジーン・シャープ、アインシュタイン研究所、色の革命、全米民主主義基金(NED)、ジョージ・ソロス、オープンソサイエティ財団等々がキーワードになる。ここに触らず「パヨク」を連呼しても無意味である。

〇右にも左にも本質的な急所がある。それを分析して探り当て、そこを徹底して突く。これが「両建の両肢を叩く」の意味である。そして、それらの急所から必然的に背後者との関係が視野に入ってくる。TPP推進にしろ、人工芝にしろ背後者抜きにはありえないからだ。ここで背後者への追及に踏み込む訳だ。

両建の走狗の急所を突く事は同時に走狗の背後者の追及に直結する。何故なら、両建の走狗の「急所」とは「走狗と背後者の関係」を意味する場合がほとんどだからである。例えば、ISの急所は「欧米支配層の傭兵であり、戦争マッチポンプ用の敵役」という事だが、これはもろに欧米支配層との関係を示す。

〇共産中国や北朝鮮の急所はイスラエルや英国との関係だろう。中国はイスラエルと長年軍事協力関係にあるし、英国は経済的に中朝と結びつきが強い。両建の走狗の急所はそのまま「背後者との関係」を意味している場合が多い。中朝を口を極めて罵倒してもこのマッチポンプ構造に触れなければ寸止めである。

〇米国の急所は実際に力を持っているのは米国という国家ではなく国際金融資本や多国籍企業、シオニストやネオコン、CSISなどシンクタンク、イエズス会人脈など複雑に入組んだ国際的な権力ネットワーク=国際秘密力だという事だろう。海兵隊将軍スメドリー・バトラーは米軍は資本家の用心棒だと証言。

〇国際秘密力の国家侵略手段は最近は主に2種類ある。直接軍事的に攻めるネオコン路線と、現地で反体制運動を組織して革命・クーデターを引き起こす人工芝路線である。この二つの路線は対立を偽装したり(ソロスのネオコン批判など)、複合的に組み合わせたりしている。リビア侵略は民衆デモ→軍事侵攻。

〇ネオコン路線の拠点はCSISやアメリカン・エンタープライズ研究所、ヘリテージ財団などのシンクタンクである。人工芝路線の拠点は全米民主主義基金(NED)やジーン・シャープが開設したアインシュタイン研究所、オトポール!の後身である「革命輸出企業」CANVAS、ソロス財団などである。

〇ジョージ・ソロスがブッシュ政権のネオコン政策を批判したように、ネオコン路線と人工芝路線は対立を偽装する事がある。「安倍一味VS横文字左翼」は「ネオコン路線VS人工芝路線」両建対立の日本における反映だと考える。国際秘密力の対日侵略の「両手」が安倍一味と横文字左翼ではないだろうか。


https://twitter.com/kikuchi_8/status/783352671516319744


(了)

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by kokusai_seikei | 2017-09-21 23:53 | ツイートまとめ | Trackback | Comments(0)

ツイートまとめ テーマ:反日右翼系工作員や北朝鮮系走狗人脈について

興味深いデータである。ネトサポやカルトら反日右翼系工作員の「お仕事」というやつであろう。引用:今回の分析では1週間で100回以上コメントを投稿した人が全体の1%いた。この1%の人たちの投稿で全体のコメントの20%が形成されていた。http://www.asahi.com/articles/ASK4W63LTK4WUTIL060.html

ヤフーニュースのコメント欄は妙にネトサポぽい書き込みが多いとは思っていたが、1週間で100回以上コメントを投稿したのがコメント者全体の1%で、この1%よるコメントが全体の20%を占めているとは驚きである。ネトサポやカルト、工作員会社の雇われ要員らが組織的に書き込んでいるのだろう。

「プーチンはレッドチームのラスボス」という統一協会丸出しのコメントを見た事がある。今のロシアをソ連と混同するのが冷戦の構図に固執する統一協会系言説の特徴である。「コミンテルン陰謀論」もしかりである。コミンテルンの背後の国際金融資本には絶対に言及しない保守派向けの寸止め誘導言説だ。

コメント欄があるネット記事は「記事の本文+コメント」の全体で読む者の印象を構成する。組織的にコメント欄に書き込む事で読む者の印象を操作する事を狙っていると思われる。裏権力はマスコミを押さえる一方「ネット上のマスコミ批判者」をも組織し両建を演じさせ事態を管理統制していると分析する。

例えば反日右翼系工作員はメディア(専ら左翼系)批判をするが、この連中もまた左翼メディアと同じく情報操作要員である。「水道民営化」など右も左も言及しない話題こそ真に国の根幹に関わる重要問題である場合が多い。メディアだけではなくネットでも情報操作が行われているとの認識が重要だと思う。

反日右翼は「反日左翼は反戦を主張するのにミサイルを飛ばしたり核実験をする北朝鮮を非難しない」と言うが、これは「北朝鮮を非難しろ」ではなく「安倍を非難するな」に力点がある。反日右翼もまた北朝鮮をあまり非難しない傾向があるのである。北朝鮮は左右の陣営、オウムなどカルトとも密接である。

安倍擁護を至上命令とする反日右翼は安倍批判かわす為だけに「北朝鮮を批判しろ」と言っているだけで彼らが日頃から北朝鮮批判に力を入れている訳ではない。むしろあまり北朝鮮批判をしない傾向がある。安倍一味も金一味も裏権力の走狗なので両方批判=破両建すべきだ。北朝鮮の背後関係の追及が重要。

訂正 ×安倍批判かわす為だけに → ○安倍批判をかわす為だけに

またもや北朝鮮が「ミサイル発射」との事。だが落下する「ミサイル」の映像や写真がある訳でもない。マスコミなどが「そう言っている」のみ。「ミサイル発射」はクライシスターも必要ないのでフェイクテロよりフェイクがやりやすいとも言える。本当に発射したかもしれないがそういう視点も必要である。

北朝鮮の「ミサイル発射」や「核実験」はISの「(偽旗)テロ」と同質である。「脅威」を演出する事が狙いだと思われる。よってフェイクでも「脅威」さえ演出できればそれで目的は達成である。欧米の「テロ」には常にフェイク疑惑があるが、それと同質の北朝鮮の所業にも同じ疑いを持つべきであろう。

北朝鮮は「テロ国家」と言われるが、しかり。「偽旗テロ国家」である。ISと同じ立ち位置である。欧米支配層から支援を受けていながら「敵」を演じ「脅威」を演出する「役割」である。そうでないなら英国当局が北朝鮮への投資を目的としたファンドの設立許可をするはずがない。北朝鮮を育成した欧米。

裏権力はISを「世界の脅威」として演出しつつシリア政府倒壊工作などのコマとして使ってきたが、世界中でISの正体がばれて中東でも風前の灯である。先日フランスの国防相が「欧州への北朝鮮ミサイルの脅威」を煽っていたのはISの勢力が減衰した分北朝鮮で「脅威」演出を補う魂胆ではと見ている。

フランス国防相ひいてはマクロン政権(ロスチャイルドの傀儡)は自国を拠点とするラファージュ社が北朝鮮で事業展開していささかならず北朝鮮の外貨獲得に「貢献」したであろうにも関わらず「北朝鮮ミサイルの脅威」を煽るとはマッチポンプもいいところである。ロスの重要拠点スイスも北朝鮮と密接だ。

2007年と言えば北朝鮮の第一回「核実験」の翌年。北朝鮮の「軍拡」と欧州系企業の投資拡大は平行している。引用:2007年7月、フランスの大手セメント会社ラファージは北朝鮮のサンウォン・セメントに対する1億1,500万ドルの投資を実行。https://moneyzine.jp/article/detail/24865

北朝鮮への投資拡大を目論む欧米や中韓の企業。引用:今後10年以内にこれまで閉ざされたマーケットに向け、慎重だが、徐々に投資を拡大しようと考えている企業は、シーメンス、ゼネラル・エレクトリック、ヒュンダイ、ハイアールなどhttps://moneyzine.jp/article/detail/24865 

国際政治は直接の当事者以外にとってはマスコミや政府が流す「情報」によって構成されている。本当か否かを直接知覚によって確かめる事が困難だ。それだけに情報の出所を押さえた者が人心を支配する事にもなる。それを防ぐにはまずは情報を疑ってみる必要がある。様々な情報を参照し比較・検証すべき。

欧米や中韓の多国籍企業が北朝鮮への投資を拡大させてきたが日本からは朝鮮総連の上納金やパチンコ献金は言うに及ばずカルトマネーなどもあると推測する。清和会はパチンコ業界と密接。このように日本を含む世界中の裏権力人脈が北朝鮮を存続させてきた。「北朝鮮の脅威」をマッチポンプと見る所以だ。

民進党代表の前原が1999年に訪朝し「ハニートラップ」を仕掛けられていたという「疑惑」が報道されている。そもそも我が国と北朝鮮は国交がないのに訪朝できるのは余程のツテがあるシンパくらいではないか。おまけに前原はネオコンである。ネオコンと北朝鮮の密接な関係がよく分かるというもの。

それにしても前原は裏権力傀儡の中でも有力候補だったはず。それが普通なら表のメディアでは報道されないような事柄が表に出てきたという事は何を意味するのだろうか。裏権力はいよいよ民進党を解体して小泉一派である小池新党を新たな傀儡野党として立てる「政界再編」を企てているのかもしれない。

前原の北朝鮮との関係を見ても分かるようにネオコンと北朝鮮は密接な関係。前原は共産党との「共闘」を拒否していたが、アーヴィング・クリストルらネオコンの始祖は元々トロツキー主義者だった。反ソ連のトロツキー主義の系譜を引くネオコンがスターリン主義の系譜を引く共産党と対立する構図である。

トロツキー主義派の流れであるネオコンと、KCIAとの関係から反共団体化し共産党を敵視してきた統一協会系の勢力が結合した。反日右翼勢力の中枢はこれである。横文字左翼(パヨク)は共産党と密接な関係にあるので左右両建とは実は「トロツキー派VSスターリン派」両建構造と見る事も可能である。

ただし横文字左翼が共産党系勢力でしかないとするのは事態の矮小化である。共産党と密接なのは確かだと思うが、ニューエイジ系人脈とも密接だと思われるからである。「拳マーク」を掲げている事から見ても世界的な人工芝運動の日本支部と捉えるべき。人工芝はソロス一味やルシストラストの領分である。

ソロス財団が人工芝運動を組織している事はよく知られているが、ルシストラストと人工芝運動の関係を説明する。ルシストラストとは神智学協会の中でアリス・ベイリーの一派の団体である。ウォール街占拠デモのポータルサイトのドメイン登録者の住所が国連ビル内のルシストラストだったと言われている。

ルシス・トラストとウォール街占拠デモの関係を見ると横文字左翼の周辺にオカルトやニューエイジ風の人脈がいるのも不思議ではないと分かる。つまり人工芝運動は神智学協会らオカルト一派とも密接なのである。これを指摘すると実際に「逆五芒星」アイコンのニューエイジャーが絡んできたりするのだ。

「前原と北朝鮮」という一つのテーマからネオコン、トロツキー主義、スターリン主義、共産党、人工芝運動、ソロス財団、神智学協会、ルシス・トラストなど多数の要素が芋づる式に連想された。かくの如く「裏権力」「国際秘密力」とはあらゆる思想派閥や政治党派が集合体をなす権力ネットワークである。

前原の妻は創価信者で元パソナ社員と言われている。パソナと言えば安倍一味と密接な仁風林。裏権力人脈は全部繋がっているようだ。北朝鮮もその一角。池田大作と前原、ウィンスロップ・ロックフェラーとビル・クリントン、笹川良一と鳩山由紀夫など、裏権力人脈における「そっくりさん」の事例は多い。

安倍信者は前原を敵視する(フリ?)が、創価やパソナの人脈に連なる前原は公明と連立を組み仁風林に出入りする安倍一味のお仲間だろう。日本国内のネオコン一派である。左右や与野党に分かれて繰り広げられる「政治抗争」の類は全て茶番である。裏権力人脈の仲間同士の内ゲバ、両建抗争に過ぎない。

紐付き系陰謀論の中で「ロスチャイルドは善玉」説がある。ロックフェラーなど米国筋だけを批判し、欧州系人脈は善玉として持ち上げる訳である。主に欧州寄りの大本系勢力が唱えている。この類の論者は何故か北朝鮮シンパである場合が多い。この事によってもロスチャイルドと北朝鮮の関係が窺がわれる。

ロスチャイルドとロックフェラーは資産運用事業での提携を見ても対立していないと思われる。ロス・ロックの対立を強調する言説には注意が必要であろう。バチカンや石屋、英王室など他の組織も血縁や金融のネットワークで結合している。裏権力は各種陰謀主体の集合体と見る。こう見ておけば遺漏はない。

裏権力=国際秘密力は総体的なネットワークだと見ている。特定の一つの組織や集団だけに注目すると誘導される恐れがある。例えばロックフェラーだけに注目する人はロスチャイルド系人脈に乗ぜられがちである。バチカンや石屋(英仏両建あり)なども同様である。全方位に目を配って追及すべきである。


https://twitter.com/kikuchi_8/status/907281785599307777


(了)

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by kokusai_seikei | 2017-09-21 00:55 | ツイートまとめ | Trackback | Comments(0)