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韓国における反日教とキリスト教と朱子学の関係

神社仏閣に対する器物損害容疑でキリスト教系の宗教団体幹部に逮捕状。何が「日本の寺社を油で清め、日本人の心を古い慣習から解放する」だ。同じような野蛮で独善的で排他的な態度で戦国時代キリシタンは神社仏閣を破壊した。来日した宣教師が日本の神社仏閣を「悪魔の棲家」とわめくと聞いたことがあるが、排他独善ぶりが公害レベル。この油まき犯は「悪霊の巣窟清めた」などとほざいたそうであるが、「悪魔」を見たければ鏡を見たらいいと思う。



この容疑者は福音主義派だそうだ。米国のネオコンの支持母体が福音派。親シオニズムでイスラエルを支持している。こういう危ない連中が政治を動かしているのが米国。一方、韓国人が反日に凝り固まるのは形骸化した朱子学の残滓とキリスト教の影響ではないだろうか。韓国の頑迷な反日教と耶蘇原理主義は相性がいい。反日韓国人とキリスト教が合わさると、反日行動に全く抑制が効かない凶悪な反日本敵性勢力が出来上がる。韓国にはキリスト教徒が多いと聞く。公にキリスト教批判をすることが難しいそうだ。もしやればものすごい圧力が掛かると韓国の仏僧が中村元先生の訳書の後書きに書いていた。朱子学一尊の事大主義からキリスト教へ。反日意識が強く、かつキリスト教化した韓国人は、まさに国際秘密力の対日侵略にとって最適のコマだ。


とはいえ朱子学はどちらかと言えば汎神論であって、一神教ではないのだが。気=現象と理=法則という基本概念のうち、「理」を優越的なものとして考える「理先気後論」なので、「理」への固執が大きく、行き過ぎると排他独善的姿勢も出てくる。李氏朝鮮がまさにそれ。この延長に耶蘇教の受容があったのかも。儒学の解釈は日本と中国と朝鮮で其々特徴があるように思う。日本は「気一元論」が強い。陽明学や古学派が其である。伊藤仁斎に見られる様に日本の気一元論はアニミズム的。中国も最終的には気一元論だった模様だが、こちらは唯物論的(共産主義受容の土壌?)朝鮮は理先気語論。(耶蘇教需要の土壌?)



一口に儒教文化圏とか言われるが、儒学の受容の仕方(発生国の中国含め)は日本・中国・朝鮮で其々特徴がある。日本は生気論的な気一元論でアニミズム的。中国は「怪力乱神を語らず」唯物論的気一元論。朝鮮は「理」なる観念を優先させる朱子学由来のイデア論又は一神教的。三国の特質が出ている気がする。


日本と朝鮮は基層となる文化的特質にそもそも相違があると思う。日本は仏教にしろ儒学にしろ、外来思想を受容する場合アニミズム的に受け取る(仏性論が中心等)。一方朝鮮は朱子学の影響か理という観念優先の傾向が強い。理→造物主と変換すれば耶蘇教もすんなり受容。反日原理主義もその延長にある。朱子学重視だと「理」が優先なので、観念論的になりがちだが、陽明学は「気一元論」なので、現実重視の姿勢になる。日本人には朱子学より陽明学の方がマッチする傾向がある。江戸後期の大塩中斎もそうであるが、幕末の志士は陽明学徒多い。


韓国が独善的に原理原則という「理」を優先させ、絶対に妥協しないのは、朱子学の「理先気後」論とそこを土壌に受容されたキリスト教の排他独善性から来ていると考える。現実を重視する「気一元論」の方がフィットする日本人の感性と原理原則をごり押しする「理先気後論」の韓国人の感性の違い。


本居国学は「事」重視。支那で言う「理」(法則を理念化した表現)を仮構と見なし現実に存在する事物事象=事のみの存在を認める「事的世界観」。ここがキリシタンの天主概念を導入した平田国学との違いだろう。儒学に於ける気一元論と理先気後論とに対比できる。恐らく漢意の本体は理重視の思惟方式。唯識や華厳等の仏教では識=事とか現象=事と考える。国学では、文献実証主義的に「事」を探求する。それが仮に神話だとしても、そこに書かれている具体的事物として解釈する。これはこれで一つの「事的世界観」である。理念を現実であれ神話であれ具体的事象に着陸させようという傾向が日本には強い。


儒教から色々考えてみた。儒学はカビの生えた古臭い道徳思想だと思われがちだが、特に易経、あるいは宋学以後の儒学は華厳や老荘の影響を受けていたり、哲学として結構優れていると思う。時代を経るにつれて形骸化していったが(特に朱子学)。それでも東亜の優れた知的な遺産だと思う次第である。


(了)


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by kokusai_seikei | 2015-06-07 22:35 | 思想哲学解析 | Trackback | Comments(0)

「悪魔主義」について考察

太田龍氏の本を再読した。色々考えるヒントになった。所謂「悪魔主義」について考察した。悪魔主義とは「自然界の破壊エネルギー」を「悪魔」と見立てて拝む宗教ではないかというのが太田龍氏の見解のようだ。自然界には創造作用と破壊作用があり、其々を独立のものとして実体化すると二元論となる。


自然界には万物万象を生み出す生成・創造作用とそれが壊れゆく衰滅・破壊作用があり、其々を実体化させて「神と悪魔」という概念を作ったのだろう。しかし、創造作用も破壊作用も自然界が持つ作用であり、どちらかを実体化させて独存のものとして取り出すのは誤謬。


一神教も、それと対となる悪魔教も、自然界の創造作用と破壊作用を其々実体視した上(ここでとどまれば哲学)人格化して崇拝する宗教だと言える。「実体視」と「人格化」が重なるところに「一神教」が形成さる。一神教で言う「神」は常に「悪魔」と対になっている。一神教も悪魔教も実体思想の一類型。

(了)





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by kokusai_seikei | 2015-06-05 11:08 | 思想哲学解析 | Trackback | Comments(0)