「種子法と種苗法は違う。種子法廃止は問題ない」という反日右翼の悪辣な詭弁を斬る。壊国・売国を翼賛する反日右翼の正体とは。


〇「種子法種苗法は違う。種苗法で日本の種子は守られるので種子法廃止は問題ない」とするのが反日右翼が捻り出した理屈らしい。反対者が種子法と種苗法を混同した事にする藁人形論法。種子法廃止の問題点は都道府県の種の育成・普及の義務の根拠法が無くなるので予算がつかなくなる可能性がある事。

〇これまでは種子法によって都道府県に米などの種子を育成・生産・普及する義務が課せられていたので必ず予算が付けられた。税金を投入して公共機関が責任を持って主食のコメの種子を育成し農家に安く提供する事ができた。外資はこれを「参入障壁」と見なした訳である。知るか。日本人の食料安全保障だ。

〇種子の開発には物凄い手間とコストがかかる。だからこそ各都道府県が税金を投入して責任を持って研究開発と普及を行なってきた訳である。税金を投入したお蔭で種子を農家に安く提供できたが、種子法廃止で都道府県に「義務」が無くなると予算がつくとは限らなくなる。種子の値段が上がる可能性が高い。

〇税金投入で低く抑えられていた種子の値段が種子法廃止の影響で高くなるような事があれば農家の負担が増大する。逆に種子ビジネスに参入したい民間企業にとっては「参入障壁」が無くなり参入し易くなる訳である。「外資」が参入してはいけないという制限も無い。種子法廃止の直接的な狙いはこれである。

〇反日右翼は「種子法と種苗法は違うので種子法廃止は問題ない」と言うが、種子法廃止と同時に制定された農業競争力強化支援法の第八条第四項は?これまで税金を費やして開発した知見を民間に放出するとしている。これを元に外資などが新たな種子を開発して特許を取れば種苗法は外資の方を守るのである。

〇狂った売国規定→農業競争力強化支援法第八条・第四項「種子その他の種苗について、民間事業者が行う技術開発及び新品種の育成その他の種苗の生産及び供給を促進するとともに、独立行政法人の試験研究機関及び都道府県が有する種苗の生産に関する知見の民間事業者への提供を促進すること。」http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_gian.nsf/html/gian/honbun/houan/g19305021.htm
四 種子その他の種苗について、民間事業者が行う技術開発及び新品種の育成その他の種苗の生産及び供給を促進するとともに、独立行政法人の試験研究機関及び都道府県が有する種苗の生産に関する知見の民間事業者への提供を促進すること。

〇種苗法に「(外国人の権利の享有)第十条 日本国内に住所及び居所(法人にあっては、営業所)を有しない外国人は、次の各号のいずれかに該当する場合を除き、育成者権その他育成者権に関する権利を享有することができない。」とあるので原則外国法人も保護対象だと分かる。
http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_housei.nsf/html/housei/h142083.htm
(外国人の権利の享有)

第十条 日本国内に住所及び居所(法人にあっては、営業所)を有しない外国人は、次の各号のいずれかに該当する場合を除き、育成者権その他育成者権に関する権利を享有することができない。


種子法廃止は間違いなく外資による日本での種子ビジネスへの参入に好都合である。反日右翼は食料安全保障を憂う人々が「種子法廃止のみで食料が支配される」と騒いでいると単純化しているが、様々な法律や政策が重なって壊国が進んでいくのである。種子法廃止は間違いなく外資の利益に適う売国政策だ。

安倍を擁護する為ならどんな売国政策でも壊国政策でもなんとか詭弁を捻り出して正当化しようとするのが反日右翼である。反日右翼は「愛国保守」を偽装しているが、その中身は単なるネオリベである。「愛国保守」を偽装しつつ国際金融資本・多国籍企業の利益を代弁し壊国政策を翼賛するのが「仕事」だ。

種苗法は日本人だけではなく原則日本に住所や居所を持つ外国人や外国法人も適用対象としている。日本に営業所を持つ外国資本なら種苗に関する特許の取得が可能という事では。例えば各都道府県が農業競争力強化支援法に基づき蓄積した種苗の知見を外資に提供し、それに基づき新開発すれば外資の特許に。

〇安倍を擁護する為ならどんな売国的詭弁も弄する反日右翼はかなり悪質な工作員一派と言える。彼らが横文字左翼(パヨク)ら反日左翼と喧嘩しているのは単なる工作員同士の内ゲバ、両建抗争に過ぎない。CFRが国際主義者としてお墨付きを与えた安倍を翼賛する反日右翼は国家解体勢力の末端工作員である。

〇反日右翼は種苗法は日本人の特許だけを保護するかのような印象操作をした上で「種苗法は廃止されてないので問題ない」とするが、種苗法は日本に居所や住所を持つ外国人や外国法人にも適用されるので、外資が都道府県から「提供」された知見を利用して新ブランドを開発すれば外資の特許が保護される。

反日右翼は反日左翼と同列に見るべきである。彼らを「愛国保守」と誤解すべからず。反日左翼が正面から破壊を仕掛けるのに対し、反日右翼は「愛国保守」を偽装し権力の中枢に潜り込む事で国家の内側から破壊しようとする。要するに戦略の違いに過ぎない。国際主義者・安倍を翼賛する時点で察するべき。

〇反日右翼がしばしば「コミンテルン」を強調するのは彼ら自身が偽装転向を得意としたコミンテルン工作員と同質の存在だからだと推測する。コミンテルンの赤化主義者は右翼や国家主義者に偽装するのが得意中の得意であった。現代で言うと安倍を翼賛する反日右翼に相当する。「コミンテルン」は自己紹介。

〇ロックフェラーやモルガンなどの財閥がアメリカン・インターナショナル・コーポレーションという会社を通じてロシア革命の資金を提供した。その資金がコミンテルンの設立にも使われた可能性は高い。赤化主義者の資金源は金融資本家。反日右翼も金融資本家の利益を代弁。コミンテルンと反日右翼は同根。

〇再度言うが、種苗法は日本人の育種権だけを保護しているのではない。日本に住所や居所を持つ外国人や外国法人にも適用される法律である。よって「種苗法は廃止されないので大丈夫」という事にはならない。前述のように「種子法廃止+農業競争力強化支援法」で逆に外資の方が種苗法で保護される可能性。

〇読みをまとめる。種子法廃止で民間企業の種子ビジネスへの参入を促し、農業競争力強化支援法で公共機関が税金を投入して長年かけて蓄積してきた知見を民間企業に放出する。民間企業はその知見を利用して独自ブランド等を作り種苗法で育種権を保護。「民間企業」に外資が含まれていない保証は何も無い。

〇「種苗法で日本の種子は守られるので種子法廃止は問題ない」という詭弁は種苗法が外国人や外国法人の育種権も保護対象にしている事を無視。「外資が農業競争力強化支援法第八条第四項の規定により放出された公共の知見を利用して新種を開発すればそれが種苗法によって保護される」という事もあり得る。

〇安倍を擁護する為にはどんな詭弁も捻り出す反日右翼にはある意味「感心」する。まさに「売国奴の鑑」と言えるだろう。反日右翼系工作員にとっては日本人の生命や財産の保護、国益より安倍ひいては安倍の背後にいるCFRやCSISに参集する国際金融資本家や多国籍企業の利益を擁護する事が第一なのである。

〇外資の意向は規制改革推進会議を通じて政府に伝わる。種子法廃止も規制改革推進会議の「提案」に基づいて実行された。規制改革推進会議とは言わば国際資本の対日出先機関である。在野には「愛国保守」を称して安倍を翼賛する工作員が跳梁跋扈している。朝野に売国奴というより対日工作員が溢れている。

〇種子法廃止なんかをアクロバティック擁護する事に余念がない連中は「売国奴」というよりは「(職業的)工作員」と考える方が辻褄が合う。日本ではなく安倍を擁護する為だけに何故そこまで「努力」するのか?反日右翼(特にプロ)の中核は売国奴は売国奴だが、スパイや工作員と捉えた方が整合性がある。

〇規制改革推進会議(選挙で選ばれた訳でもないのにこの連中は何様か?)の如き露骨な国際金融資本の手先から、「愛国保守」を偽装して欺きつつ壊国政策を擁護する屁理屈をせっせと考案している反日右翼まで、朝野に売国奴や工作員が溢れかえっている。「ネットだから真実」とは限らず。罠だらけである。

「コミンテルン」を強調する安倍応援団ほどコミンテルン臭がする。というのも、コミンテルンは政府中枢に潜り込んだり国家主義者に偽装するのが得意だったからだ。今で言うと本当は国際主義者なのに「愛国保守」を偽装している連中の事である。つまり反日右翼である。彼等こそコミンテルンそのもの

〇種子法廃止で考えられる事態①都道府県に種子の生産・普及の義務が無くなるので予算がつかなくなる可能性(どの自治体も財政難)②種子の値段が上がり農家の負担増③外資が参入可能に④農業競争力強化支援法で公共機関の種苗の知見を外資に放出➄外資がその知見を利用し新種を開発し種苗法で育成権保護

〇反日右翼は「種子法廃止しても遺伝子組み換え食品が入ってくる訳ではない」と言うが、TPPの事を忘れている。種子法廃止は外資が種子ビジネスに参入できる条件を作ったという事である。その上で多国籍企業がISD条項に基づいて「非関税障壁」と訴えてくれば規制を撤廃せざるを得なくなる可能性がある。

〇反日右翼は種子法廃止への批判者が「種子法廃止だけで日本の食料安全保障が脅かされる」と言っている事にする藁人形論法を使う。種子法廃止は外資の種子ビジネスへの参入の条件を作る事が直接的狙い。TPPなど各種「自由貿易協定」のISD条項と合わせると遺伝子組み換え食品の流入に繋がる危険性がある。

〇売国勢力は一つの法律だけではなく様々な政策や法律を組み合わせて「壊国」という結果に誘導している。安倍一味が実行している「政策」は規制改革推進会議という外資の出先機関の「提言」に従って行われている。外資の意向に沿う政策や法律の一つ一つが組み合わさって売国と壊国に導いているのである。

種子法廃止も農業競争力強化支援法制定も外資の要求を政府に伝達する規制改革推進会議の「提言」に従って安倍一味が実行したものである。種子法廃止は結局TPP推進の一環である。TPPは多国籍企業による国家支配の枠組み。彼らは国民の食糧の支配をも狙っているのである。その手始めが種子法廃止である。

〇反日右翼が種子法廃止批判をかわす為に編み出した論法は批判者が「種子法廃止だけで即座に食料を支配される」と言っていると単純化する藁人形論法である。種子法廃止は農業競争力強化支援法や種苗法(外国法人も権利享有主体)、TPPなど他の要素と組み合わせる事で食糧支配が進行してしまうのである。

種子法廃止はTPPなどの国際資本による国家支配戦略の中に位置付けて初めてその性質が見えてくる壊国政策である。それ単体だけでは本質が見えず「種苗法があるから種子法廃止は問題ない」などという工作員の詭弁に騙される危険あり。「国際資本VS国」という現今の国際情勢の構図を頭に入れておくべき。

〇種子法廃止の影響で種子の値段が上がった場合、外資が提供するより安い種子によって国産の種子が駆逐されてしまう事態に陥る可能性もある。しかも農業競争力強化支援法により国産種子の知見が外資に渡りよりおいしい種子を開発し育成権が種苗法で保護されるような事になれば増々国産種子が不利になる。

〇反日右翼はさすがに種子法廃止自体を「国益に適う」と積極的に正当化できない為「種子法廃止は別に問題ない」と言う戦略を取っている。売国奴を必死にアクロバティック擁護するのも大変である。ここまで来ると騙されているだけの人は無理に無理を重ねる工作員の詭弁の不自然さにいい加減気づくはず。

〇反日右翼は「種子法廃止で遺伝子組み換え食品が流入する事は無い」と言うが、元々は官僚の国会答弁だと思われる。種子法廃止をTPPなどの全体の動きから切り離して「問題なし」とする詭弁である。TPPなどのISD条項の圧力で規制撤廃に追い込まれる可能性を無視している。種子法廃止はTPPの一環である。

種子法廃止はTPP(さらにはRCEP、FTAAPなど各種「自由貿易協定」=国際資本が国家を支配する枠組み)の中に位置付けないとその本質が見えない。売国官僚や反日右翼は種子法廃止をTPPという全体像から切り離して「問題ない」と正当化する詭弁を使うので注意。種子法廃止はTPPが前提の国内法改悪の一つ。

〇種子法廃止はTPPを見越して「非関税障壁」(この場合は国産種子を農家に安く提供する仕組み)を予め除去するという国内法改悪の一つである。TPPの弊害は既に出始めている。韓国では日米FTA締結後にISD条項を恐れて独自の規制や法律を制定する事が不可能になっている由。種子法廃止はそれと同質の現象。

〇安倍一味のTPP推進を翼賛している反日右翼は日本を韓国のようにしたがっている。彼らは「嫌韓」を売りにしているが実は日本の韓国化を推進している。国家主義者のように見せてソ連を模倣していた戦前の革新官僚や尾崎秀実らコミンテルンの工作員に酷似する。安倍の祖父岸信介革新官僚の一人である。

安倍応援団や反日右翼には「コミンテルン黒幕説」を強調する者が多いが、彼らこそコミンテルンそのもののあり方をしている。その「あり方」とは「国家主義者や右翼を偽装する無国境主義者・国際主義者」である。権力の中枢に潜り込んで国家を内側から解体するという手法もコミンテルンに酷似している。

〇韓国を罵倒しながらも日本を韓国と同じようにしようとしている反日右翼は昭和研究会メンバーとして中国との戦争を熱心に進めながら中国共産党の利益と日中の統一を図っていた尾崎秀実と似ていまいか。安倍が推進するRCEPは韓国との経済統合でもある。米韓FTAで主権を失った韓国を反面教師とすべき。

〇安倍擁護が自己目的化している安倍信者は「水道民営化や種子法廃止への批判が反安倍になってはいけない」などと言う。「日本を破壊しても安倍だけは守らないといけない」とは狂っている。カルトの狂信者と同じである。この連中は「保守」でも「愛国」でもない。意識的無意識的な対日破壊工作員である。

〇水道民営化と種子法廃止によって「水と食料」という日本人の生存に欠かせない二大要素を国際資本に支配される危険にさらし、TPPのISD条項で国家主権まで売り渡そうとしている安倍一味及びその翼賛者は意識的無意識的な対日破壊工作員である。これくらい強い非難をしても足らない程の酷い事をしている。

〇安倍の売国行為を「中韓に対抗する為」と言って正当化するのが反日右翼の常套手段だがこれも成り立たない。安倍はTPPと同時にRCEPを推進している。RCEPは中国や韓国との経済統合である。その先にFTAAPを想定。TPPはRCEPやFTAAPへの入り口と位置付けられている。「TPPは中韓への対抗策」は大嘘である。

安倍一味は「中国に対抗する」と見せて実はRCEPやFTAAPを推進し中国との経済統合を目論んでいる。中国の「一帯一路」構想にも協力を表明している。中国との戦争を推進しつつ中国との統合(東亜連邦)を図った昭和研究会や反ソ連に見せつつソ連の計画経済を模倣した岸信介ら革新官僚とそっくりである。

〇「①対抗するように見せて②統合を図る」(対立から統合へ)という戦略は弁証法的である。昭和研究会のイデオローグだった三木清は哲学者だったので当然ヘーゲルマルクスの事を知悉していた。「①中国に対抗と見せつつ②中国との統合を図る」という弁証法的戦略は今の安倍一味に受け継がれている。

安倍一味以下の偽装保守は昭和研究会と革新官僚の思想的遺伝子を受け継いでいるとしか思えない。安倍の祖父岸信介は革新官僚の中心人物である。昭和研究会のメンバーや革新官僚らは中身は国際主義的だったが表向きは国家主義者だった。中身はグローバリストの今の偽装保守・反日右翼とそっくりである。

「コミンテルン黒幕説」には「革新官僚」は出てくるが「岸信介」は一行も出て来なかったりする。岸信介が安倍の祖父だからだろう。「戦時中の日本はコミンテルンのスパイとその影響を受けた者に支配されていた」という「コミンテルン黒幕説」は安倍応援団にとってはまさにブーメランである訳である。

〇竹中平蔵の如き主張を「保守派」向けに「保守」の言説として刷込む係が配置されているようだ。中身はネオリベと何ら変わらないので注意が必要である。騙された「保守派」は「愛国保守」のつもりでどんどん壊国に加担するという仕掛けである。戦前で言うと「国体の衣を纏った赤化主義者」の如きもの。

〇革新官僚・岸信介の孫である安倍晋三の応援団はソ連を模倣した革新官僚や昭和研究会メンバーのような偽装右翼の類が揃っている。しかし、こういう連中に限って戦前の「コミンテルン」や「偽装右翼」について連呼する。自分達こそが現代の「それ」だから「先に言って誤魔化してしまえ」という事だろう。

〇ネオリベの政策を推進すると生産手段(のみならず金融資産などの富)が少数の巨大多国籍企業に集中する。この「独占資本主義」の形態を昔の社会主義者は社会主義化一歩手前の段階と考えた。多国籍企業が政府を支配する仕掛けがISDS。これで集産主義化が完成。ネオリベは実は社会主義化を推進している。

ロックフェラーの如き大富豪は実は集産主義者である。少数の富豪が富を独占して政府も支配するとなると、その体制は結局「社会主義」である。だからこそ彼らはAICという会社を作りロシア革命を支援した。「世界政府」とは全世界の富と権力を少数者に集中する究極の集産主義体制である。「貪」の極み。

〇全体の流れを見るとネオリベは「世界社会主義化」の露払い役となっている。①ネオリベ政策の推進で生産手段をはじめとする資本が少数の多国籍企業に集中。②TPPなどの各種「自由貿易協定」にISD条項を入れ込む事で私企業による政府支配の仕掛けを作る。③多国籍企業群が政府を支配する④集産化の完成。


https://twitter.com/kikuchi_8/status/957282161308020736


(了)


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# by kokusai_seikei | 2018-02-11 12:34 | ツイートまとめ | Trackback | Comments(0)

欧米の「積極思考」思想と仏教・唯識の違いについての考察及び「魔術」を無効化する最強の心理防御術について。


願望を達成しようとする方向性と渇愛を捨棄しようという方向性なのでニューソートや引き寄せの法則と仏教・唯識では方向性が真逆である。マインドフルネスも渇愛や執着の克服は除外する。初期仏教や上座部仏教でも「潜在煩悩」という事を言うのでこれは実質的に唯識の「種子(しゅうじ)」と同じ。

〇「欲望達成に執着するから苦(dukkha)が生じる。よって執着・渇愛を制御すれば苦が軽減する。」が「四諦」であるし、老子は「(天地は)故意に生きようとしないから長生する」という事を言っている。願望達成に執着し過ぎる新約聖書、ニューソート、引き寄せの法則とは発想の根底が全く異なると思う。

〇ニューソート等では「良い考えやイメージを持つ」事を主張するが、仏教では「想(イメージ・表象)」は「受(感受)」と同様に渇愛を引き起こす原因になるので警戒する。仮に良いイメージでも、それによって貪りが生じるなら苦の結果を招くので良いイメージだろうとそれに執着する事を戒めると思う。

〇眼耳鼻舌身意(認識器官)が色声香味触法(認識対象)に接触(触)する事で感受作用(受)又は表象作用・思考作用(想・識)が生じ、そこに「渇愛」や「執著」が生じ「苦」に帰結する。「よい思考」でも「よいイメージ」でも、ましてや「願望達成のイメージ」でも執着する事自体を戒めると思われる。

〇仏教では「良い思考」も「良いイメージ」も「意」が「法」に接触して生じる認識作用として「眼耳鼻舌身・色声香味触」という五感の感受作用と同様の構造として捉え、「渇愛」「執著」が生じる原因と分析するのが特徴である。良い(悪い)思考・イメージもモノと同じく渇愛(貪欲・憎悪)の対象となる。

〇連続リプライになってしまったので、せっかくなので一本のスレッドとしてまとめてみた。憑依型戦術で付会される事がある「ニューソート」や「引き寄せの法則」と仏教や唯識の違いについては前々から言及しようとは思っていたが、きっかけがなかったので、そのきっかけを頂き感謝致しますm(_ _)m

〇考察の続き。「悪いイメージ」は勿論だが「良いイメージ」も故意に持とうとすると思考と妄想が膨れ上がって「貪り」「怒り」「不安」等の感情が制御しきれないくらい増幅する可能性がある。執着し計らいをするから不安や動揺が生じる。執着しなければ不安も動揺もない。有心と無心の違いと言えよう。

〇「積極思考」思想では「良いイメージ」が事を成就させるとするが、「良いイメージ」に執着せずとも事を為す原因と条件を整えれば自ずと結果は生じる。生じなければその時にできる事をすればよい。表象に拘り過ぎると執着や妄想が増大する。宗教的熱狂が厄介なのは膨れ上がった表象の体系だからである。

〇ニューソートや引き寄せ、マインドフルネスに共通するのは功利主義性。西洋近代思想は功利主義や欲望の拡大志向と骨絡みになっているのである。「少欲知足」という発想はない。プロテスタントの「世俗内禁欲」にしても、それによって金を儲けて、それを「救済の証」とし「死後に救済される為」である。

思想ツールは「表象や概念で感情を煽る」という単純な仕掛けである。「良いイメージ」で欲望を喚起するか「悪いイメージ」で憎悪を喚起するかである。後者には不安や動揺、恐怖なども含まれる。謂わば「嫌なものを拒絶する感情」である。工作員が絵図を多用するのも効果的に感情を煽れるからだろう。

〇何かを認識すればそこに感情が生じる。感情が生じれば何らかの反応を示す。思想工作者は何かを認識させ意図する感情を生じさせて反応・行動を操作しようとする。よって何かを認識した時にはその認識自体と認識から生じる感情に気を付ける。「怒り」等は客観的に観察しただけで弱まり、消える事もある。

「気付いている事」は五感及び表象・思考から侵入してくる情報に対して、その影響を自分に受け入れるか否かをチェックする門番の如きものである。仏教で言う「念(sati)」。眼耳鼻舌身意という六つの門・関所を守る門番である。これが機能していれば感情に飲まれる事も他人から洗脳される事も無い。

〇西洋の「積極思考」思想では「成功や欲望達成のイメージ」を持つと成功や達成を「引き寄せる」とするが、東洋では老子(無為自然無欲を強調)のように固執したり作為的な計らいをしない方が事は上手くいくという考え方が伝統的に根強い。どちらが理に適っているかは個々人が自ら確かめる他はない。

〇魔術が「五感・表象・思考を通じて他者を支配する技術」だとすると、眼耳鼻舌身意から侵入する情報をチェックする「気づいている事」は最強の魔術防御法だと言える。「魔術師」と言えども標的の五感を通してしか影響を与える事はできないので侵入経路を門番によってガードされていれば何もできない。

〇「魔術師」がハッカーだとすると「気づいている事」は「ファイアーウォール」みたいなものである。それのみならず一端誘導的に生じた「憎悪」などの悪感情を「気づく」事で弱め消してしまうので「ウィルス対策ソフト」の役割も果たす。「魔術・魔法」を防御するには「心術・心法」が有効だと考える。

〇仏教の八正道の中に「正思惟」(正しい思考)というのがある。具体的に言うと出離思惟無瞋思惟無害思惟。つまり、貪欲と怒りと害意のない思考である。「悪い思考を持たない事が正しい思考」という引き算的発想である。積極的に「良い思考」を規定しようとする西洋の足し算的発想とは性質が異なる。

「慈悲」はまずもって「憎悪や害意を持たない事」と規定される。積極的に慈悲を発揮するにしても憎悪や害意を制する事が前提となる。そういう基礎が無い「愛」は押し付けになりがちで相手から期待した反応が得られないと容易に憎悪に転化する事もある。慈悲は憎悪の制圧が前提なのでそうはならない。

「引き算」系と「足し算」系の違いについては以前言及した。参考まで。
「このように東洋思想と西洋神秘主義の発想の違いを判別する指標の一つとして「引き算か、足し算か」がある。グノーシスは「神を知る=認識する」事即ち「神の知識を得る」事が最大の目標である(神秘的主知主義)。仏教の「智慧」は「渇愛を滅する事」である。足し算と引き算の違いが明瞭だと言えよう。」
https://twitter.com/kikuchi_8/status/957667808782856193

〇何故思考や感情に気づき観察すると弱まるのかと言うと心理のメカニズム上2つの事に同時に集中する事はできないからだと思われる。思考や感情の観察に集中すると、思考や感情自体には集中する事が出来ず、弱まったり消えたりするのだろう。この心理のメカニズムは洗脳防御法として応用できると考える。

〇「認識を認識する」作用を唯識では「自証分」と言うようだ。主観(見分)が客観(相分)を認識する事を認識するのが「自証分」で自証分をさらに認識するのが「証自証分」とされる。現代の心理学で言うと認知を認知する「メタ認知」に相当する。己の思考や感情を観察する事もメタ認知の一種だと言える。

〇「自証分」とほぼ同義。対洗脳防御でも重要な能力。引用:メタ認知(メタにんち)とは認知を認知すること。人間が自分自身を認識する場合において、自分の思考や行動そのものを対象として客観的に把握し認識すること。それをおこなう能力をメタ認知能力という。【メタ認知】https://ja.wikipedia.org/wiki/メタ認知

〇千数百年も前に「メタ認知」を「自証分」として取り出していた瑜伽行唯識派の洞察力に驚く。古いからと言って神秘主義などでは全くない。古代の実践的な心理学である。古代的限界もあるが、現代でも十分活用できる学問と言える。あまり知られていない日本の伝統知の一つでもある(法相学と言われる)。

〇原始仏教などで言う「(欲望・感情を)制する」とは単に抑圧する事ではない。それだと反動が来る可能性がある。欲望・感情を抑圧して深層心理に押し込めるのではなく、欲望・感情の対象と欲望・感情そのものを対象的に観察し「執着するに値しない」と洞察し「厭離」「遠離」し「離貪」する事である。

〇だから欲望・感情の制御には「観察」が重要になってくる訳である。これも対洗脳防御法に応用できる考え方・心理的な技術である。五感で感受した情報とそれに伴う表象・思考を客観的に観察し悪影響を遮断する。影響が深層心理に定着するほど除去が困難になるので弱く小さい内に遮断する事が重要である。

〇唯識の「阿頼耶識縁起」のモデルで考えると整理し易いと思う。阿頼耶識縁起とは「表層心理での認識や行為が深層心理に影響し、深層心理に定着した影響力(種子)が機縁を得て表層心理に現れ再び現実の作用を為す」という循環的な相互因果関係の事である。悪影響は深層心理に刷込まれる前に遮断すべき。

〇戦国武士が常在戦場の心構えで油断なく身を守るように、眼耳鼻舌身意・色声香味触法という「六つの門」から悪影響が侵入しないように常に自らの心を守る事が「気づく事」である。戦国武士だった鈴木正三が言ったのはまさにこれだと思われる。洗脳科学などの「魔術」を無効化する技術として活用できる。

〇眼耳鼻舌身意が色声香味触法に接触し認識作用が起ってから妄執や執着が生じる。妄執や執着は主に「貪欲」「憎悪」である。「魔術師」も標的に何かを認識させ欲しがらせるか・憎ませるかして反応・行動を誘発させる。認識作用で止めて妄執や執着が生じないように気を付ければ操作・誘導されない。

〇戦国時代の「伴天連の魔術」とは当時の西欧の科学技術や宣教師が身に着けていた論理学・修辞学・詭弁術などと解釈できる。キリシタン大名は鉄砲の火薬の原料である硝石や貿易の利など「貪欲」を煽る宣教師の「魔術」に篭絡された。宣教師は「異教徒」への「憎悪」を煽り寺社の破壊などの蛮行を唆した。

〇謂わばキリシタン大名は宣教師の心理操作術に篭絡された。イエズス会宣教師やマラーノ商人が運んでくる南蛮の品々に目がくらみ(眼が色と接触し渇愛が生じた)、キリシタンの教義を刷り込まれて日本の伝統への「憎悪」を抱き(意が法(宗教教義も含む)と接触し渇愛が生じた)領内の寺社を破壊した。

〇「眼耳鼻舌身意・色声香味触法を通じて他者に影響を与え支配する技術=魔術」と定義したので、その具体例として戦国時代の宣教師とキリシタン大名を挙げてみた。キリシタン大名が宣教師に洗脳される過程も「六つの門」を通してなのが分かる。具体的には南蛮の品々は眼・色で、基督教義は意・法である。

何かを認識させて「欲しい」「憎い」「怖い」「不安だ」等々の感情を生起させて行動を操るのが「魔術」の基本パターンだと分析する。※「欲しい」だけではなく「破壊したい」も「渇愛」なので「渇愛」には「貪欲」も「憎悪」も含まれる。「恐怖」なども憎悪と同じく「嫌な対象を拒絶する感情」である。

〇「悪影響は深層心理に刷込まれる前に遮断すべき」と書いたが、「遮断」とは感覚そのものを遮断する事ではなく(感覚そのものは感覚の対象があって感覚器官が機能していれば意思に関係なく働く)、感覚から生じる「貪り」「憎しみ」「恐怖」などの感情を増大化しないように気を付けるという意味である。

以下は補論。

〇眼耳鼻舌身意・色声香味触法と便宜上分けられているが、眼耳鼻舌身という五感が働いている時は意という思考作用も同時に働いている。意が機能してないと注意が向かないので「見れども見えず」という事になる。また意は五感の対象を概念的に把握する。例えば「丸い赤いそれ」を「りんご」として認識。

〇人間は感覚の対象を大抵概念的に認識している。見たもの聞いたものについて「これは〇〇だ」と概念的に判断している。これを廣松渉という哲学者は「対象の二肢的二重性」と呼んだ。感覚的所与(眼耳鼻舌身の対象)と概念(意の対象)で二肢である。認識対象はこの二肢が不可分の二重構造になっている。

〇以上のように認識対象の面で二肢的二重性があるが、認識主体の面でも二肢的二重性がある。眼耳鼻舌身意の意はそれが置かれた環境の影響を被る。例えば日本人の意と米国人の意では使う言語も文化的環境も違うので、全く同じ働きをする訳ではない。日本語話者と英語話者では当然「意」の働き方が異なる。

〇認識主体の二肢的二重性とはある具体的な個人AがいるとしてAが置かれた環境による影響でその環境特有の自己形成をしているという事である。日本人である太郎が日本語話者として自己形成している場合は「太郎+日本語話者」という二重構造になっている訳である。これが認識主体の二肢的二重性である。

〇認識主体の二肢的二重性と認識対象の二肢的二重性の計四肢による連関構造が「四肢的構造連関」という廣松の認識論である。謂わば主体も二重、客体も二重であり、その各々の項はそれ自体で成り立っているのではなく、あくまで関係の項としてのみ存立できる関数的構造である。関数と縁起は意味が重なる。

〇「魔術」と言っているが、これは勿論一般にイメージされるような超常的な意味ではない。「何らかの法則性を発見・利用して人間や自然に意思を強制する技術体系」という程の意味である。そういう意味ではタヴィストックの洗脳科学なども魔術である。元々近代科学自体が魔術や錬金術の延長に誕生した。

〇タヴィストック絡みで言うとタヴィストック研究所の心理学者クルト・レヴィンの考えに基づきソ連のブルーマ・ツァイガルニクという心理学者が発見した「ツァイガルニク効果」という心理法則がある。「未完了課題についての記憶は、完了課題についての記憶に比べて想起されやすい」という法則である。

〇ツァイガルニク効果を利用している代表例がTV番組でよくやる「いい所で一端CMです」「いい所で次週」という手法である。中途半端な所で終わるので続きが気になって仕方が無くなり、CM後や次週になると続きを見てしまう訳である。怪しい情報商材やニュースサイトでも「続きは有料版」とかやっている。

〇このように「何らかの法則性を発見・利用して人間や自然に意思を強制する技術=魔術」は至る所で使われている。見破り防御する技を体得しておかないと心理誘導されてしまう恐れがある。その為には「気づく事」「気をつける事」が有効だと考える。「は?そんな単純な」という事が一番威力があると思う。
https://twitter.com/kikuchi_8/status/962726041922895873


https://twitter.com/kikuchi_8/status/960568569967734784


(了)

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# by kokusai_seikei | 2018-02-11 12:32 | ツイートまとめ | Trackback | Comments(0)

「何かの思想や教義に執着している者が自らが好む対象が批判されるとその批判者を敵対派閥の人間だと決めつける(思い込みたがる)心理及びその思想的背景」についての解析。


ニューエイジ神智学を批判したらスピ信者がバチカンのニューエイジ批判本を出して「バチカン側」と印象操作してきた事があったが、バチカンやキリスト教を批判しない※G・インタは「ゆだや側」と印象操作してきた。今やその両者が合流中。面白い現象だ。スピのバチカン批判は「希釈」と捉えないのか。

何かの思想や教義に執着している者は自らが好む対象が批判されるとその批判者を敵対派閥の人間だと決めつける癖がある。妄執がしからしめる盲目的態度である。例えば神秘主義者が神秘主義批判者を基督教徒だと決めつけたりする。批判者が神秘主義批判と同時に基督教批判をしていても目に入らないのだ。

〇ニューエイジの淵源の一つであるグノーシス主義は元々基督教の一派。「全知全能の善なる神が世界を創造したのなら何故世界には悪があるのか」という解き難い問題を解決する為に生まれた教義である。グノーシスでは「物質世界の創造主は悪。物質世界も悪。霊魂こそが善なる真の神に由来する」とした。

基督教批判はバチカンやプロテスタントのような「正統派」もグノーシスのような「異端派」も全部批判する事である(プロテスタントは石屋との関係が深いが)。その全てを批判する以上、例えば「異端派」を批判するからといって「正統派」という事にはならない。逆もまたしかり。まらない言い掛かり。

一神教とグノーシス思想と新プラトン主義などの神秘主義思想は同根である。根底にあるのは「実体観」である。実体観とは無常な現象を超えた領域に常住不変の本体の如き形而上学的実在=実体を設定する発想である。一神教の「造物主」、グノーシスの「霊魂と物質」、新プラトン主義の「一者」等である。

バチカンが一神教とグノーシス主義と新プラトン主義の根底に潜む実体観を批判する訳がない。一神教の一派であるバチカンには不可能。ヘブライ一神教の元祖である猶太教にも勿論不可能である。猶太人哲学者のフィロンがプラトンを猶太教に導入し、それが新プラトン主義や基督教に繋がった可能性がある。

〇「一神教とグノーシス主義と新プラトン主義の根底に潜む実体観」と書いたが、これは近代思想も同様。啓蒙主義に於ける「理性」や、近代哲学の「自我」「精神」「物質」「物自体」「世界精神」等々、表現は変わっても何らかの「実体」を想定するというあり方は同じである。実体思想の変奏に過ぎない。

〇五感で捉える形・音・臭い・味・感触、思考の対象である概念などは原因・条件に依存して生滅する無常な現象である。「常住不変の実体」などではない。一神教、神秘主義、理性主義等々様々に変奏しつつ継承されてきた実体思想とは無常な現象の範囲を超えて「実体」を想定する独断論の系譜だと言えよう。

〇認識可能な現象に関しては「常住不変の実体」はないと確認できる。一方、認識可能な現象を超えた領域(が仮にあるとして)に関しては「ある」とも「ない」とも断定する事はできない。断定する材料がないからである。それを押して「ある」と断定するのが実体思想である。断定しない態度は無記と言う。

〇実体思想はドグマティズムドグマティストは偏った断定をして、その見解に執着するので争いを起こしがちである。根拠のない一方的な断定は同じく根拠のない他の断定と必然的に確執を起こすのである。一神教徒や神秘主義者の方から争いを仕掛ける。無記の姿勢を保つとこちらから争いを起こす事は無い。

〇実体論者・独断論者に送る言葉。実際にこの通りの有様である。スッタニパータ894 一方的に決定した立場に立ってみずから考え量りつつ、さらにかれは世の中で論争をなすに至る。一切の(哲学的)断定を捨てたならば、人は世の中で確執を起こすことがない。

原始仏教の要諦は渇愛・執著を無くす事であるが、神秘主義の要諦は「実在」を渇望し渇愛しそこに「合一」せんとする事である。全く方向性が違う。よって仏教が神秘主義である事はあり得ない。何かに合一する事ではなく、何かを感受し認識した所で生じる貪りや怒りなどの煩悩を制する事を目的とする。

神智学とは「神的叡智」によって「神」を認識する「接神体験」を求める神秘主義思想である。中世ヨーロッパだとエックハルトなどが代表例。遡ると新プラトン主義である。「根源の神」を想定するので一神教的神観が前提。神秘主義と一神教の違いは「神」と合一できるとするか断絶があるとするかである。

「根源の一者」を渇愛し渇望し合一せんとするのが新プラトン主義に淵源を持つ西洋神秘主義の基本的思考パターン。認識対象への渇愛が苦を引き起こすと観察する原始仏教とは全く方向性が異なる。究極的実在への渇愛と執着はその批判者に対する憎悪と表裏一体なのは神秘主義者の激昂ぶりを見ると分かる。

人を「ゆだや側」「バチカン側」と決めつけた者同士が合流。「基督教は乗っ取られた」「基督教が諸悪の根源」と相互に矛盾する思想的立場の者同士が何の矛盾も感じる事無く呉越同舟とはいかに彼らの主義主張がいい加減なものかが分かる。何でもいいから言い掛かりをつける事が目的だと考える他はない。

基督教批判を「猶太を希釈する」と言っていたのにスピリチュアルの立場から「基督教が諸悪の根源」と主張する事は「希釈」に当たらないらしい。論理矛盾も甚だしいと言えよう。要するにその筋では猶太教か基督教か神秘主義かいずれかの立場を取れば許容されるのだと分析。全部批判がタブーなのだろう。

「基督教が諸悪の根源。神智学は基督教批判」としつつ「悪の根源は基督教ではなく猶太」「基督教は猶太に敵対」「基督教は猶太に乗っ取られた」「基督教批判は猶太を希釈」という主張の者と組むのは論理矛盾。敵視する対象が共通しているので「憎しみ」という一点で連合を組んだという事情が見える。

一神教・神秘主義・理性主義という全思想派閥批判はタブー。それをやると本来は思想的対立のある基督教シンパと神秘主義シンパが組んだりする。猶太教も基督教も神秘主義も批判する者に対しては彼らは連合を組んで結束する。猶太、貴族、教会、石屋等が内部抗争もするが部外者には結束するのと同じだ。

ドグマに執着する者は憎しみを抱きがちである。ドグマを批判する者に対して憎悪を燃え滾らせる。必ず確執を起こす。ドグマへの批判者を攻撃する為ならドグマと矛盾する思想者とも組む。それ程ドグマに対する妄執というものは強いのである。金とか物への執着以上に「見解」への執着は極めて強力である。

特定の思想やイデオロギーに凝り固まっている者はその思想への批判者が全部同じに見えるようだ。例えばスターリン主義を批判する者を全員トロツキー主義者だと言うようなものである。重要なのは批判の具体的中身である。「神智学批判」と言ってもバチカンのそれと西洋圏外のそれでは全く異なるのだ。

中東以西には主に一神教・神秘主義・理性主義の三大思想派閥がある。これらの思想派閥は抗争を繰り広げてきた(横断も融合もある)。だが、この思想の圏外から批判を受けると一致団結する。基督教と神秘主義の両方を批判していると基督教シンパ(基督教徒とは限らない)と神秘主義シンパが連合する。

猶太にも一神教・神秘主義・理性主義の三派がある。一神教は言うまでも無くラビの猶太教である。パリサイ派の系譜。神秘主義はカバラ新プラトン主義の流出説の影響を受けている。理性主義はスピノザの合理論やモーゼス・メンデルスゾーンの啓蒙思想がある。モーゼス・ヘスシオニズムは理性主義系。

特定の思想に執着する者は理解力が曇る。批判者の指摘を正確に読み取る事も出来ず感情的に反発するのみである。一方で、批判者を攻撃する為には、その批判者を攻撃している者であれば誰とでも組む。全ては自我防衛の為である。怒りを制御できないのはその「思想」が何の役にも立っていない証拠である。

陰謀追及は情勢論的と学究的の二種類ある。「錯綜した議論で混乱させる」と言うが、情勢論的陰謀追及では明確な分かりやすい指摘をしている(例えば「水利権はロスチャイルド」など)。一方の歴史や思想的背景を詳細に分析する学究的陰謀追及は単純ではない。後者で混乱するのは予備知識の不足が原因。

陰謀追及者は①情勢論的陰謀追及に特化したタイプ学究的陰謀追及に特化したタイプ両方を同時並行的に行うタイプの三種類がいる。①は即効性があり拡散力がある。②は即効性は無いが、深く掘り下げられる。当方は③のタイプである。「小難しい議論」が混乱するなら情勢論だけお読み頂いても嬉しい。

当方は情勢論的陰謀追及と学究的陰謀追及を同時並行的に行っている。「錯綜した議論で混乱する」という感想は後者に関するものだと思われる。事の性質上考察が複雑になりがちなのはやむを得ない。前者はズバリ明確な主張をしている。この二種を分けて、前者だけをお読み頂けるだけでもありがたいです。

「明確な事実ははっきり指摘する」「分からない部分は保留しつつ探求を続ける」事は矛盾しない。科学的な探求の原則である。「誰が黒幕か」はインサイダーでもない限り簡単には断定できないので、裏権力の全派閥を批判すると何度も言っている。ここまで説明しても特定ドグマの盲信者には伝わらない。

「藁人形論法」には意識的なものと無意識的なものがある。前者は相手の主張を理解した上でわざと曲解して叩く事である。これが正式な意味での藁人形論法である。後者は相手の主張を正確に理解する事が出来ず結果として曲解してしまう事である。古代印度の論争のルールではその時点で敗北になった由。

Gインタに合流したスピ派は理解力が不足しているとしか思えない。論争をしていると藁人形論法に数多く遭遇するが、故意にというより本当にこちらの言説を理解していないのではと思う瞬間もある。自らの理解力不足を人のせいにすべきではない。「情」ではなく「怒り」に囚われないようにすべきである。

盲信者は他者の言説をきちんと理解する力を持っていない。きちんと理解する努力もしていない。ドグマを批判されて激昂しているだけである。そのような状態ではまともな理解力が機能しないのも無理はない。感情的にならず決めつけず分からない部分は冷静に相手に問うか調べるべきである。盲信の弊害。

他人の言説を見て「心が暗くなる」などと言う前に、何か不快な対象を認識して怒りが生じても、その怒りを自覚して怒りを大きくしないように気を付ければよい。己の怒りを認識対象のせいにすべきではない。自分で自分を苦しめている。思想に執着するあまり怒りで心を汚し乱しているとしたら本末転倒。

怒りの生起プロセス解析①不快な対象を認識する。②怒りを生じる。③認識対象について怒りを伴いつつ思考する。④考えれば考える程怒りが増幅する。➄怒りが纏わりつく憎しみに変わる。ここまで来ると容易に拭い去れない。怒りを払うには①か②の段階で気づくのがよい。火は小さいうちに消すのが基本。

「思想」が伴った憎悪は強力である。思考する度に雪だるま式に怒りが増幅する。常時続けると容易に抜け出せないレベルになると思われる。まさに洗脳。形而上学的概念ばかり頭に詰め込んで執着するより、怒りの生起のプロセスを観察・考察し怒りや憎しみに囚われないように工夫する方が有意義であろう。

当方のツイートは情勢論的陰謀追及と学究的陰謀追及の両方がある。「複雑で分かりにくい」というご感想を持つ方はまずは両者を判別し、後者は無視して前者だけお読み頂く事をお勧めする。後者はある程度予備知識や素養が無いとややこしいかもしれない。前者は明確である。RT数が多いのは圧倒的に前者。

情勢論的陰謀追及も学究的陰謀追及も事実を調べて発信する活動である事には変わりはないが、前者は刻々と変化する時事情勢をリアルタイムで追い分析する追及なので比較的明解な断定が可能なのに対し、後者は裏権力の思想的歴史的背景などをより深く理論的に掘り下げる追及なので簡単には結論が出ない。

学究的陰謀追及は思想的歴史的背景などをより深く掘り下げる追及である故に、幾つも仮説を立てたり様々な説を紹介したり、それについて逐一考察をしたりなど、スピーディな情勢論的陰謀追及に比べると迂遠に見えるかもしれない。しかし、陰謀の総体を解明するには不可欠な作業である。両者は車の両輪。

「複雑で錯綜した議論で混乱させている」という「言い掛かり」(中には真摯にそのような感想をお持ちの方もいるかもしれない)に対する応答は「情勢論的追及と学究的追及を区別し、取りあえず前者のみをお読み頂いてはどうか」というものである。余程悪意のある者でない限りこれで納得されると思う。

学究的陰謀追及でじっくり腰を据えた探求をしつつ、情勢論的陰謀追及でガンガン明解な追及を行なう事は可能。前者は事の性質上あれこれ細かく分析するので複雑になるのはやむをえない。しかし後者は比較的単純で明快である。前者だけを見て「混乱する」と決めつけるのは後者を無視しているからである。

特定の思想や見解に執着する者の憎しみが強いのは以下のような機制によると分析している。要するに「思考」(「この思想は正しい」「この思想を批判する奴は許せん」など)によって怒りを増幅させている訳である。工作員や各種盲信者の皆様が執拗なのはこれが原因であろう。
「「思想」が伴った憎悪は強力である。思考する度に雪だるま式に怒りが増幅する。常時続けると容易に抜け出せないレベルになると思われる。まさに洗脳。形而上学的概念ばかり頭に詰め込んで執着するより、怒りの生起のプロセスを観察・考察し怒りや憎しみに囚われないように工夫する方が有意義であろう。」
https://twitter.com/kikuchi_8/status/956560827053629440

思想は表象(イメージ)や言葉(≒概念)で成り立っている。思想に執着する事は分析して言えば表象や言葉に執着する事である。怒りを増幅させるのも表象や言葉である。例えば常時「憎い相手」をイメージし、「許せん」という言葉を伴って思考し続けると憎悪が凝り固まってくる。思想と同じ構造である。

「思想」への執着が「憎悪」を強化し増幅する仕組みになっている。執拗に特定の対象をイメージし言葉(≒概念)で思考するとその対象に対して持つ憎悪の感情も増幅する。逆に特定の対象をイメージせず思考もしなければ対象が無いので怒りも生じない。特定の思想に執着し過ぎない人はさっぱりしている。

原始仏教と西洋神秘主義の違いについてもう一つ書くべき事があった。前者は「引き算」後者は「足し算」という違いである。前者では煩悩や渇愛を無くしていきそれらを完全に消した又は制御した状態(涅槃)をゴールとする。後者では「一者」「神」という究極的実在との「合一=極大化」をゴールとする。

「引き算」の原始仏教では消すべき煩悩のリストが明確で具体的である。例えば貪瞋癡(貪り・怒り・無知)、五蓋(貪り・怒り・心の沈みと浮つき・疑い)、五下分結五上分結などを列挙。「足し算」の神秘主義では「合一」する対象が「ブラフマン」「一者」「(一神教的)神」など抽象的で曖昧である。

神智学の「霊性進化論」やニューエイジ系でよく言われる「意識の拡張」という発想は勿論西洋神秘主義の系譜である。何かを己に足す事によって、より完全な存在=神になろうとする発想である。知識の蓄積で「グノーシス」を手に入れんとする発想も同系統。この延長に近代の理性主義が出現したと言える。

仏教や儒学など東洋思想でも知識を軽視する訳ではないが、知識を蓄積したからと言ってそれでよしとはしない。知識ましてや神秘体験より道理の実践を重んじる傾向がある。例えば論語学而篇では孔子は道理を実践する者について「未だ学ばずと曰うと雖も、吾は必ずこれを学びたりと謂わん」と言っている。

儒学に「克己復礼」(論語顔淵篇)という考えがある。文字通り「己に克って、礼に復する」つまり己の邪欲や悪感情を制して「礼」という規範・道理に則るという事である。「克己」という考え方も「引き算」系の発想と言えるだろう。礼を行なうには己の中にある邪な要素に克たなければならないのである。

このように東洋思想と西洋神秘主義の発想の違いを判別する指標の一つとして「引き算か、足し算か」がある。グノーシスは「神を知る=認識する」事即ち「神の知識を得る」事が最大の目標である(神秘的主知主義)。仏教の「智慧」は「渇愛を滅する事」である。足し算と引き算の違いが明瞭だと言えよう。

「足し算」系の発想は作為的だったり、非日常的で異常な状態を好む傾向がある。「神秘体験」がそれであるし、知識を集積して自己を拡張し人間や自然を統制するという発想にもなる。トランス・ヒューマニズムなどは足し算系の思想の帰結と言えるだろう。テクネトロニックエージの根底にある発想である。

※注記。「G・インタ」とは「GOY・インターナショナル」の略。GOY・インターナショナルとは自ら「GOY」と称し猶太以外の各民族を「GOY」と一まとめにして各民族が持つ固有性を無視ないし軽視する「共産主義インターナショナル」(第三インターナショナルがソ連のコミンテルン)に類似する論理を展開する思想勢力の事(コミンテルンの「労働者階級」を「GOY」に付け替えただけの国際主義的な論理)。G・インタは猶太以外の民族の個性を無化するので「猶太批判」に見せているが実は極めて猶太に有利な論理である。各民族が固有性を保持してこそ世界統一妄想に対抗できる。各国各民族がそれぞれの固有性を保持した上での共闘とかかる固有性を無化する国際主義的なG・インタは全く異なるので注意が必要である。G・インタは論敵を「親猶太」「名誉猶太人」「ハズバラ(イスラエルで使われている政治用語らしい)」と決めつけるのが特徴だが、その様は朝鮮右翼が論敵を「在日認定」するが如し(所謂「自己紹介」ないし「ブーメラン」)。


https://twitter.com/kikuchi_8/status/955476480112209920


(了)

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# by kokusai_seikei | 2018-02-11 12:23 | ツイートまとめ | Trackback | Comments(0)

ツイートまとめ テーマ:国家の中枢に巣食い内鍵を開け続ける国賊一味の正体を暴き、ロスチャイルド利権に奉仕する究極の売国政策「水道民営化」に断固反対する。

〇水道事業に関しては「民営化」ではなく「再・公営化」が「世界の流れ」。「水道民営化は世界の流れ」とか言う嘘つきメディアに注意。小泉の郵政民営化の時も「郵政民営化は世界の流れ」みたいに喧伝していたが、実際には郵便事業の民営化は世界中で失敗し再公営化の流れにあった。嘘つき売国奴だらけ。

〇国民のライフラインである水道事業は営利目的の私企業にはなじまない。中でも安全管理は運営の中核部分である。海外の事例では例えば米国アトランタ市では「配水管損傷で水が出ない」「泥水が地上に噴出」等のトラブルが続出した。「民営化=正義」「民営化=効率化」はネオリベが刷込んできたドグマ。

〇アトランタ市は水道事業を民営化したものの「配水管損傷で水が出ない」「泥水が地上に噴出」等のトラブルが続出したために再公営化した。水道事業の株式を買い戻す為に巨額の費用がかかった。勿論市民が払った税金だろう。「民営化=効率化」どころか大損だった訳である。水道民営化はろくな事が無い。

〇アメリカ・アトランタ市の事例を見ても分かるように私企業には公益性の高い水道事業の運営は困難である。水が無ければ人間は生きていけない。水道事業は「採算が取れなければ撤退すればいい」という事業ではない。恒常的・安定的に安全な水を供給し続ける必要がある。極めて公益性の高い事業である。

〇コンセッション方式=施設は公が保有し、運営は民間が担う事。引用:日本では、「水道事業は公から民の流れにある」という考え方が一般的だが、1990年代、2000年代を通じてコンセッションが成功した例はない。【必ずや失敗する「水道民営化」100兆円の水ビジネス参入】https://smart-flash.jp/sociopolitics/17619

〇極悪売国一味が水道民営化を推進する為の支援法案の提出を決めたらしい。世界ではコンセッション方式で水道民営化が成功した事例はないとの事である。「世界の流れ」が大好きな売国一味は売国に関しては「世界の流れ」に逆らう。

〇国民の生存に関わる水道事業は公営で行うべき。公金は外国にばら撒くのではなく水道の老朽化の整備等に使うべきだ。事は国民の生命に直結する事柄である。政治家は本来国民の生命財産を守るのが使命。水道という不可欠のライフラインについてコストカットばかりが優先して語られる事に違和感を覚える。

〇売国一味は「国民を守り抜く」と言いながら国民が頼んでもいない水道民営化を推進して国民の命を危険にさらしている。水道民営化は世界中で失敗している。大手マスコミはろくに報道もしないのでほとんどの国民が与り知らない内に実行しようとしている。マスコミも売国のグルである。極めて悪質である。

〇保守言論人は消費増税に反対したり、デフレの克服を主張したり、TPPに反対した(ふ)り、財務省の緊縮財政を批判したり、時には猶太の事まで指摘するが、結論は「安倍さんを支持しよう」となる。各論ではなく結論に真の意図があると考えるべき。これで大概の保守層は安倍支持に誘導される。実に巧妙。

〇民間企業の効率性は「採算が取れなければ撤退する」事も含んでいる。しかし住民の生命に直結する水道事業は採算が取れないからと言って撤退する事はできない。必ず誰かがやらなければならない公益性の高い事業である。元から民営には向かない。公営で行うべきである。効率化も公営の枠組みで図るべき。

〇水道事業は「水」という生命の維持に欠かせない資源に関わるという事を前提に考えるべき。水道事業についても経済的合理性を第一とする新自由主義的な発想で論じられる事が多くて違和感を覚える。効率性は重要でないという事ではない。「国民の命を守る」という原点に基づいて論じられるべきという事。

〇「命を守る」という事を根底に据えた上で「効率性」についても考えるべきだと思う。物事には順序や優先順位があり。ここが狂うとおかしな事になる。「効率性の為には人間を大量虐殺してもよい」という「人口削減計画」のような優生学的発想は「効率性」優先の発想の極端な形である。人の道理>効率性。

〇江戸時代の学問は人間のあり方、道理や道義を学ぶ事が中心に据えられていた。かかる原理原則があるから本末転倒することなく効率性や合理性を重んじる実学なども吸収する事ができた。ところが明治以後は功利主義的な風潮が一般的となり、特に知識人にその傾向が強い。昨今のネオリベ蔓延の土壌だろう。

〇「哲学などどうでもいい」の反対が江戸時代の学問のあり方だった。哲学を「世界をどう解釈するか」「人間どう生きるべきか」「道理とは何か」を学ぶ事だとするなら江戸時代の学問はまさに哲学が中心だったと言えよう。例えば儒学は仁義を修める学問。道理を基礎に据えた上で実学や情勢論が学ばれた。

〇江戸時代の学問は「道」(原理原則)を探求する事即ち「哲学」(西洋哲学とは異なる)が中心であった。だが、明治以後は伝統的な哲学が学問の中心命題ではなくなった結果、表では欲望を煽る功利主義思想が蔓延し裏では精神の空洞を埋めようとカルトや各種思想ツール(オカルト等)に走る者が増大した。

〇明治のエリートは西洋の模倣を優先し「哲学(伝統的な学問)などどうでもいい」と考えた。その結果知識層から精神的「軸」が失われた。軸が失われた結果、社会進化論の如き功利主義的思想が蔓延し、一方では西洋伝来のキリスト教や社会主義等の各種イデオロギー、伝統思想を改竄したカルトが蔓延った。

〇明治以後は一見伝統的に見える思想でも西洋的に改竄されている場合が多い。神道も仏教もキリスト教や神智学と付会して改釈する者が多かったり(神道では折口信夫、仏教では鈴木大拙等)、伝統思想に立脚しているように見える思想家でも何らかの新興宗教(大本教が筆頭)の背景を持っている場合が多い。

〇明治時代は社会進化論が流行したが、今だと新自由主義(ネオリベ)である。各種カルトや思想ツールが蔓延っている状況も同じである。これは明治以後に伝統的学問を軽視し軸が失われた必然的結果だと思う。道理を軽視するから功利主義が蔓延し、伝統的学問を知らないから伝統偽装を見破る事もできない。

〇伝統的学問という「軸」が失われた結果は「功利主義の蔓延による道理と道義の失墜」と「精神の空洞化によるカルトや思想ツールの蔓延」である。これらは表裏一体。前者を受け入れるか、後者に走るか。両者が結びついている場合も多い(朝鮮カルトとネオリベ勢力は一体)。大本系ネオリベ批判者は後者。

〇伝統的学問はドグマではなくあくまで「学問」である。江戸時代には多様な学派が存在し相互の自由な討論も活発であった。「信じるか、信じないか」で最初から結論が決まっていて非常に不寛容な空気のある今の思想界との大きな違いである。これは思想界がカルトに支配されている事が関係していると思う。

〇プロの陰謀追及者や表面的には「伝統」を標榜する「保守」言論人の中で新興宗教と接点のない者を探すのは困難である。これは戦前も同じである。それ程明治以後の思想界はカルト(裏権力の走狗)の強力な影響下に置かれていると言える。江戸期の学者・思想家のように独立独歩の個である事が必要である。

〇新興宗教の影響から無縁でいられるプロの言論人は殆どいないと見ている。プロの言説は意見毎に部分的に参考にするだけでよい。全面的に信用すると誘導される可能性が高い。例えば保守言論人はどんなに反ネオリベ的な事を言っても、猶太批判すらしながらも最終的には「安倍さんを支持しよう」となる。

〇菅官房長官が産経新聞主催のシンポジウムに出席し水道民営化について「安倍内閣の考え方」を話した由。同シンポジウムには竹中平蔵も出席したようだ。ネオリベ勢力がいよいよ水道民営化に本格的に動き出したようだ。水と食料は安全保障の基本。言うまでも無く安倍一味の「日本を守り抜く」は大嘘だ。

〇水道事業は国民の生命に直結する公益性の高い事業なので「いかに安全な水を安く安定的に供給するか」を第一に考えるべきである。その上でコストや効率性を考えるというのがあるべき順序である。「国民を守り抜く」と言うなら当然の事である。水道は冷血冷酷なネオリベに最も触らせてはいけない分野だ。

〇種子法廃止と水道民営化。国民の生存に不可欠な二大要素「水」と「食料」の両方を危険にさらしている安倍一味は究極の売国奴一味。こんな連中を「愛国保守」扱いしている者は本当にどうかしている。在野のサヨクだけを叩いて溜飲を下げている間に国が内側から解体される。真のスパイは権力中枢にいる。

〇尾崎秀実の如く真のスパイは権力の中枢にいる。戦前に共産党が壊滅状態にあった時、偽装転向者は政府中枢に潜り込んでいた。国の内鍵を開け続けている安倍一味は近衛政権の昭和研究会にも匹敵する対日工作者集団であるとしか思えない。でなければ日本国民の命綱である水と食料を危険にさらす訳がない。

〇在野にも反日集団がいるが、本当に国を解体する事が出来る位置にいる反日集団は権力の中枢にいる。TPPや日欧EPAでISD条項導入を強行しようとし、種子法を廃止して食料安全保障を脅かし、目下水道民営化を推進しようとしている者達こそそれである。国家の中枢に潜り込んでいる反日集団を摘発すべきだ。

〇反日右翼は在野の反日勢力(反日左翼)を叩く事で「愛国者」と思わせて国家中枢から日本解体を策す戦術を取っている。安倍応援団の言論人もそういう線の論調を張っている。これで大抵の「保守層」が騙される。本当に日本を守り抜く為にはかかる巧妙なる術策を見破る必要がある。左右両建を見抜くべき。

〇昔コミンテルン、今CSIS。共通点は背後にロックフェラーがいる(いた)事。今も昔も対日工作の背後に国際金融資本の影あり。ソ連・コミンテルンと日米のキリスト教人脈の寄り合い所帯だったのがIPR(太平洋問題調査会)である。尾崎秀実もIPRの会合に出席していた。IPRはRIIA・CFRの太平洋支部である。

〇反日右翼が批判者に「左翼」のレッテルを貼りつつ無国境化や国家解体を推進するやり方は陸軍統制派や革新官僚らが支配する政府が共産党など在野の共産主義者を弾圧しつつもソ連の五か年計画を模倣して統制経済と計画経済を推進していた事に似ている。共産主義者を叩きつつ実はソ連の影響を受けていた。

〇反日右翼は反日左翼を売国奴として叩きつつも自らも国家を内側から解体しようとしている。反日左翼は総じて在野の勢力なので「外から」解体しようとしているのに対し、反日右翼は政府の中枢を占拠して国家の「内から」解体しようとしている訳である。役人の人事権を握っているので官僚も逆らえない。

〇「コミンテルン黒幕説」を唱える論者は「戦前の日本政府はソ連の影響を受けた共産主義者によって牛耳られていた」と言うが、その筆頭である革新官僚の岸信介の系譜を引く安倍晋三を熱烈に支持するという矛盾をさらしている。コミンテルンとCSISの背後者が同じである事を巧みに無視する寸止め論である。

〇かつてのコミンテルンによる日本政府への浸透工作を論じながら、革新官僚・岸信介の系譜を引く安倍一味を支持する矛盾。岸信介のソ連模倣の統制経済推進の如く政府は「Society 5.0」などと称し中国のデジタル・レーニン主義を模倣して日本を中国のような「ビッグデータ独裁」の国にしようとしている。

〇Society 5.0と類似の計画として独逸のインダストリー4.0や米国のインダストリアルインターネットというのがあるようだが、後2者は生産性の向上に特化した計画だが、Society 5.0は社会そのものを変えてしまう事を目的とする点が根本的に違う。中国にはインターネット+という計画がある。これに近い。

〇独逸のインダストリー4.0や米国のインダストリアルインターネットが生産性の向上を目的としているのに対して日本政府のSociety 5.0は社会の在り方そのものを変えてしまう事を目的としている。超監視社会「ビッグデータ独裁」を急速に発展させてきた中国のデジタル・レーニン主義に近い方向性である。

〇岸信介は若い頃に北一輝の日本改造法案を読み、その国家社会主義思想に共感したと言われるが、革新官僚としてソ連の五か年計画を模倣した統制経済・計画経済を強力に推進した。孫の安倍は中国のビッグデータを利用した社会変革→統制策に類似したSociety 5.0を推進している。やっぱりよく似ている。

〇政府と産業界が一体となって社会構造を変えてしまおうとするのは極めて社会主義的な発想と言えるだろう。新自由主義と社会主義は両建。以前書いたが、新自由主義政策によって少数の多国籍企業に生産手段が集中化する集産主義化は社会主義一歩手前の段階である。ネオリベと社会主義は実は近いのである。

〇Society 5.0はかつてのソ連の五か年計画にも類似する社会主義的な発想である。もっと言えばイルミナティ的である。歴史に由来する社会の伝来の慣習や秩序、自生的な発展を待つのではなく、設計図を描いて急速に国家社会を建設せんとする発想はイルミナティ的な理性主義の発想である。NWO計画そのもの。

〇新自由主義と集産主義体制の関係についての考察は以下のブログ記事にまとめました。【ツイートまとめ テーマ:新自由主義の帰結は巨大私企業群による集産主義体制である】
http://kokuhiken.exblog.jp/27768045/

〇安倍一味を支持する一般保守層の心理を分析するに以下のようなものだと思われる。「安倍さんがサヨクから攻撃されているのは安倍さんが愛国者だからだ。保守言論人の先生方の言説やネットで真実に目覚めた我々が愛国宰相である安倍さんを守らないといけない。安倍さんを攻撃するサヨクを叩き潰そう!」

〇しかし左翼メディアの「安倍批判」はわざと急所を外している。彼らはISD条項や種子法廃止、水道民営化等の肝心要の売国政策を批判する事は無い。ひたすら「モリカケ」等に集中して安倍の売国政策を側面擁護しているのである。「サヨクから安倍さんを守れ!」は八百長試合で一喜一憂しているに等しい。

〇サヨクは安倍の味方である。急所を外した「安倍批判」を繰り広げる事で争点を逸らし安倍一味の売国政策を援護しているのである。そんな事にも気づかずに毎度の左右両建抗争に乗せられて「安倍さんをサヨクから守ろう!」と興奮しきりなのは実に馬鹿々々しい事である。この構図にそろそろ気付くべきだ。

〇的確な情勢認識が伴わない愛国心は逆に壊国に利用される恐れがある。「愛国心」のエネルギーを浪費している自称愛国者がとても多い。プロ言論人やカルト工作員のような確信犯は別として「愛国者」を自認する一般人があらぬ方向に誘導されているとしたら実に歯がゆい事である。
「適切な情勢認識を欠いた「愛国心」は誤った方向に誘導される。誘導された愛国心は裏権力の道具。「愛国心」が国を破壊する場合もある。安倍支持の自称愛国者はその「愛国心」で持って種子法廃止、水道民営化、移民政策、TPP、RCEP、日欧EPA、FTAAPなど数々の壊国政策に加担する結果に。」https://twitter.com/kikuchi_8/status/923592655715500032

〇「『安倍さんをサヨクから守れ!』とばかりにピントも急所も外した『安倍批判』を繰り広げて争点を逸らしまくっている、本当は安倍の味方のサヨクを叩いて溜飲を下げているだけ」というのが大抵の一般保守層の姿ではないだろうか。「愛国心」を浪費しているだけの残念至極で無残な有様と言えるだろう。

〇「真実」はネットにそのまま転がっている訳ではないし、プロの言論人の「先生方」には大抵紐がついている。ネットや言論人の言説を参考にしても結局自分で考えて咀嚼しないと「真実」は見つからない。そしてその「真実」が正しい保証もない。だから常に自己懐疑心を持って考え続ける事が重要だと思う。

〇ヴェオリアはロスチャイルド系の多国籍企業と言われているが、水道料金の徴収業務を各自治体から請け負うようになっている。ロスチャイルドも含む宮廷猶太人は西欧の王侯貴族から徴税権を獲得する事から台頭していった。料金徴収から徐々に食い込んでいくやり方はそれを彷彿とさせる。要注意である。

〇「下請け業務くらい外資に任せても問題ない」というのは甘いと思う。そこから外資が徐々に我が国の公益事業に食い込んでくる可能性がある。水と食料は日本国民の生存と独立の為の生命線である。食料自給率をできる限り上げて外国への依存度を減らし水道事業には外資の手を触れさせない事が重要である。

〇売国勢力は水道民営化を「効率化」という言葉で正当化するが、誰にとっての効率化かが重要である。多国籍企業にとっては掛かるコストに見合うように料金を上げる事が「効率的」で「合理的」な事である。水道運営は独占事業なので住民は値上げされたら払うしかない。住民にとっては非効率そのものだ。

〇水道民営化しても公的独占が私的独占に変わるだけの事なので当然「市場原理」など働かない。つまり「この水道運営会社の料金は高いから他社と契約しよう」とはいかない。一方、生命維持に欠かせない水を握っている私企業は自由に料金を値上げする事ができる。住民にとっては非効率非合理そのものだ。

〇「水道民営化は効率的で合理的だ」は国民の視点ではなく多国籍企業の視点に立った主張である。一端水道事業の運営権を獲得すれば独占事業なので水道料金を高めに設定しても顧客(住民)は逃げないので競争にさらされる事無く儲ける事が可能。確かに多国籍企業にとっては「効率的」な(悪どい)儲け話。

〇水道事業は「住民に恒常的に安定的に安全な質の良い安い水を供給する」という公益性の高い事業なので営利企業には向かない。ネオリベは何でもかんでも市場原理を導入すればいいと思い込んでいるが、市場原理に馴染まない分野もある。そもそも水道事業は民営化しても市場原理が働かない可能性が高い。

〇「市場原理主義」は多国籍企業群が市場をこじ開ける為の方便に過ぎず、彼らが本当に好んでいるのは「競争」ではなく「独占」である。新自由主義の推進で世界中の資産や生産手段が少数の独占企業に集中する(集産主義化)。その独占企業群が「世界政府」を作るとそのまま「世界社会主義体制」になる。

〇「新自由主義がそのまま社会主義に転化する」という逆説である。ロックフェラー1世が「競争は悪だ」と言ったそうだが、国際金融資本家が国際共産主義運動を支援したのは「独占」が目的だと見る。ある国を社会主義化しその地の財産を国有化すると、自動的に政府を裏で支配する金融資本家の所有になる。

〇水道法改正案が再提出される模様である。法案では水道事業者に施設の維持・修繕の実施を例外なく義務付けるとの事である。老朽化が進んでいる以上、維持・修繕には莫大な費用がかかると思われる。営利企業である以上、そのコストは水道料金に転嫁されるのではないか。https://www.decn.co.jp/?p=97018

〇水道法改正案が水道事業者に施設の維持・修繕を「例外なく」義務付ける事の意味。営利事業である以上維持費は水道料金に転嫁される可能性大。施設の維持について「例外なく」義務付けるが「水道料金の設定は自由」という事では。「安く安全な水」を供給しなくてはならない水道事業は公が担うべきだ。

〇維持・修繕を「例外なく」義務付ける、と言ってもそれが実行されるかどうかは別の話である。営利企業である以上義務を履行できない場合もあり得る。現に米国アトランタ市の場合は民間企業に任せた結果「配水管損傷で水が出ない」などのトラブルが続出し結局莫大な公費で運営権を買い戻したそうである。

〇アトランタ市はスエズの子会社UWS社とコンセッション契約を締結したが、トラブル続出で上手くいかなかった。UWS社は「アトランタ市が施設の現状を十分に情報開示しなかったため、想定外の作業負担を強いられた」などと主張したらしい。そして市が運営権を買い戻した。結局公費で決着をつける結果に。

〇全国の水道施設の「老朽化がどの程度進んでおり維持・修繕の費用はどのくらいかかるのか」を正確に把握した上で水道事業者に「施設の維持・修繕を例外なく義務付ける」水道法改正案を作ったとは思えない。「現状を十分に情報開示しなかったため、想定外の作業負担を強いられた」というトラブルは必至。

〇水道施設の老朽化の程度が正確に分からない状態で水道事業の運営権を民間に売却し事業者に「施設の維持・修繕を例外なく義務付ける」とは行政の責任放棄に等しいと言えよう。いくら罰則を設けても義務を履行できなければ同じ事である。国民にとっては「安く安全な水」が供給される事が第一なのである。

〇ヴェオリアと言い、ユナイテッド・ウオーター・サービス(UWS)社と言い、水ビジネスはロスチャイルドの利権だと思われる。ロスチャイルドの傀儡である英国首相ベンジャミン・ディズレーリがスエズ運河会社の株式を買収した。UWSはスエズ運河会社とリヨン水道が合併してできたスエズ社の子会社である。

〇歴史的経緯から見てもスエズ社はロスチャイルド系である。その子会社がアトランタ市で水道運営を行なったUWS社。水利権はロスチャイルドが押さえている。引用:イギリスのディズレーリ首相は、急きょロスチャイルド家から融資を受けてスエズ運河会社株の買収に踏み切った http://www.y-history.net/appendix/wh1202-068.html


https://twitter.com/kikuchi_8/status/950036061660463104


(了)

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# by kokusai_seikei | 2018-01-21 07:55 | ツイートまとめ | Trackback | Comments(0)

ツイートまとめ テーマ:西洋神秘主義者(神智学徒等)の伝統思想への憑依型戦術を破る。及び洗脳に対する心理防御法について。

〇「般若」と「グノーシス」が同じく「認識」を意味するから「同じ」だというのは神道の「神」とキリスト教の「ゴッド」を同じだとするくらい粗雑な議論である。問題は「認識」の中身である。般若の認識内容な「空=実体の否定」である。グノーシスの場合は実体論が前提の霊肉二元論である。相容れない。

〇「空の認識」とは実践的に言うと「無執着」と同義である。仏教は「心から渇愛を除き苦を滅する」という事に尽きる。どこまでも現実の心のあり方がテーマである。一方のグノーシスはどこまでも形而上学である。霊肉二元論を前提に物質という「牢獄」から霊魂を解放させるという形而上学がテーマである。

〇ブッダが答えなかった形而上学的命題を「十難無記」などというが、その中に「霊魂と肉体は同じであるか。別であるか」という命題がある。グノーシス思想は明確に「霊魂と肉体は別である」という立場に立っている。これはれっきとした一つの形而上学的立場だ。仏教の無記とは相容れない事が明白である。

〇「毒矢の喩え」にあるように、仏教は「精神と肉体が同じか。別か」など形而上学的命題を考える事よりも、現実の心をどう修練して苦を滅するかという実践を重視する。ブッダは形而上学的命題には断定を下さず。「苦・苦の原因・苦の滅・苦の滅に至る道」を断定した。四諦である。全て心の問題である。

〇グノーシスは霊肉二元論という形而上学的前提に立った上で「邪悪な物質世界からの霊魂の解放」という形而上学的目標を目指すのに対し、仏教は終始現実の執著にまみれて苦しんでいる「心」を問題としており、「霊魂と物質」が云々等の形而上学的思索は思考経済の観点から深入りを避けていると思われる。

〇物質観も仏教とグノーシスでは異なる。仏教の物質観では物質は善でも悪でもなく無記(価値中立)である。善悪はあくまで心(識。厳密には識に伴う思の心所=意志による。つまり意志の善悪であり心の問題)にしか言われない。グノーシスでは物質は悪とする。だから物質から善なる霊魂を解放せんとする。

〇憑依型戦術は基本的に「嘘も百回言えば」方式で繰り返し刷込む手口である。よって憑依型戦術を破るコツは「具体的な中身や内容を検討する事」。これに尽きる。憑依型戦術では名称など表面的な類似をあげつらって同一視するやり方をする。これは少し詳しく検討すれば到底維持できる類のものではない。

〇スピリチュアル系の方から「般若とグノーシスは同じ『認識』を意味するのにスルーする」みたいなエアリプライを頂いていたようなので、その事について応答する意味を込めて、仏教とグノーシスの基本的違いについて書かせて頂いた次第である。TPPなど喫緊の問題が山積なので後回しになってしまった。

〇神智学なども到底相容れないものを混合している。ブラバッキーなどはチベットを神秘化し、そこに「グル」が存在するという設定にしていたようだが、チベットの中観哲学と神智学のベースである新プラトン主義は到底相容れないものである。「具体的な中身を検討する」。これが憑依型戦術を破る鍵である。

〇西洋人の発想の基本はキリスト教である。キリスト教を肯定するにしろ否定するにしろ彼らの判断基準はあくまでキリスト教である。従ってキリスト教を否定する立場にしろ、キリスト教以外の思想は全部同じだと見てしまう傾向がある。しかも否定しながら発想の根にキリスト教を引きずっている場合が多い。

〇グノーシス主義者が「物質は悪」とするのは、「物質」という対象への執著が生み出す「物質欲」そこから生まれる不都合=悪を己の心の外部に投影した結果であろうと思う。唯識的に言うと遍計所執性、廣松渉風に言うと「物象化的錯視」である。己の心の悪を「悪魔」として外部化するのと同じ機制である。

〇「鬼」と「悪魔」の違い。「鬼」は具体的な心や行動のあり方による。憎悪や怨念に囚われて悪行為をなすようになった者が「鬼」となったという日本の昔話は多い。逆に言えば改心すれば鬼は鬼でなくなる。一方、「悪魔」は常住不変の本体を持つ「悪」そのものとされ、改心して善になる事はないとされる。

〇原始仏典に「行為によってバラモンなのである。行為によってバラモンならざる者なのである。」(「バラモン」はここでは立派な人の意味)とある。「鬼」もこれと同じである。行為によって鬼となり、行為によって鬼ならざる者となる。「悪魔」は具体的な行為に関わらず本性として実体として悪とされる。

〇鬼と悪魔の違いは日本と西洋の悪への対処の仕方にも現れてくる。「鬼退治」は「懲らしめ」で終わる事も多いが、「悪魔退治」は「絶滅戦」「やるかやられるか」になる。「鬼」かどうかは結局「行為」によるので悪行為を止めれば退治する理由は無い。「悪魔」は絶対悪なので「絶滅するしかない」となる。

〇原始仏教の要点。①何かを認識する。②認識した対象に対して好き・嫌いの感情が生じる。③好き・嫌いが増長すると貪り・憎しみ等の執着が生じる。④貪り・憎しみ等の執着が苦を生じる。➄苦の原因である執着を制すれば苦が消える。〇どこにも神秘な所は無い。梵我一如を説くバラモン教とは全く異なる。

〇鴨長明の方丈記にある「事にふれて執心なかれとなり」はまさに「認識した対象に執着するな」という原始仏教のエッセンスの簡潔な表現。LSDの如き薬物で再現できる神秘体験などより物事に執着しない・貪らない・憎まない・動じない・冷静に対処できる・慈しみを持つ事などの方が値打ちありとする考え。

〇神智学からバラモン教など神秘思想と原始仏教の違いなどが話題になったので若干考察してみた次第である。神秘体験をしたからと言ってそれで人間的に立派になる訳ではない。ティモシー・リアリーらサイケデリックの連中が立派か。神秘体験より例えば毀誉褒貶に動じない心などの方が値打ちがあると思う。

〇特別な教義を極めたり特殊な体験をすると「自分は特別だ」という「傲り」が生じがちである。仏陀が特殊な苦行を否定した趣旨も苦行を経る事で心に傲りを生じる場合があるからだと思われる。特殊な形而上学や神秘体験、苦行等に執着すると傲りが生じる。傲りはその人を損なう。今も昔も変わらない事実。

〇原始仏教の目的は「貪欲」「憎悪」「傲慢」「嫉妬」「迷妄」等の心の働きを妨げる諸々の「煩悩」「執着」「渇愛(tanha)」を取り除く事で「苦」を滅する事である。どんなに形而上学を極めても、神秘体験や苦行を経験しても、それらに執着して煩悩が心から除去されていなければ何の意味も無いとする。

〇各種形而上学に囚われて他者と争いを起こす人は今も昔もたくさんいる。
スッタニパータ847に「想いと偏見とに固執した人々は、互いに衝突しながら、世の中をうろつく。」とあり。「想い」とは形而上学を形作る表象作用であり、「偏見」とは形而上学的断定に基づく特殊な見解を指していると思われる。

〇論争は避けられないがせめて慢心を生じないようにしたい。スッタニパータ830 心の高ぶりというものは、かれの害われる場所である。しかるにかれは慢心・増上慢心の言をなす。このことわりを見て、論争してはならない。諸々の熟達せる人々は、「それによって清浄が達成される」とは説かないからである。

〇要は「神秘体験」でも苦行でも論争でもその他諸々何かをやる事で「心の高ぶり=傲慢・高慢」が生じるなら何の意味も無い、有害だという趣旨だと思われる。特殊な形而上学やら神秘体験やらを引っ提げて好んで他者に争いを仕掛けるような行為はその人自身を害っている訳である。各種盲信者は猛省を要す。

〇印度の所謂不可触民の指導者で仏教に改宗したアンベードカルの本に「欲望を制した者が阿羅漢だ」という趣旨の定義が書いてあったと記憶する。「梵我一如は梵の存在が証明できないので無意味」とも。感情や欲望を統御し物事に動じない人間になるという趣旨だろう。武士の心にも通じる。神秘主義に非ず。

〇神秘体験などに固執する者は昔からいた事が分かる。スッタニパータ876「この世において或る賢者たちは、『霊の最上の清浄の境地はこれだけのものである』と語る。さらにかれらのうちの或る人々は断滅を説き、(精神も肉体も)残りなく消滅することのうち(最上の清浄の境地がある)と、巧みに語っている。

〇「空」の概念は基本的に主語ではなく述語である。「〇〇は空」という風に何らかの事物(主語)に関しての述定。その「何らかの事物」は「認識され(確認され)た現象」である。ここで認識論的観点が出て唯識に繋がる。唯識では空は「円成実性」と言う。大森荘蔵や廣松渉の認識論は唯識に通じると思う。

〇物凄いスピードで次々に生起する感情や雑念・妄想にその都度気づいておく事は有効な心理防御術だと思う。例えば何かを認識し「怒り」という感情が生じたら「怒りだ」と気づいている。気づいている間は「怒り」に心が占領されない。洗脳も結局は何かを認識し感情が生起する認識論的な構造は同じである。

〇「何かを認識させ影響を与える」が洗脳の基本構造である。各種思想工作、映画や音楽に埋め込まれたシンボル等も全て「五感+思考」で認識し感情を生じ深層心理に影響が刷り込まれる。「①認識→②感情の生起→③影響を残す」という順序。①と②に気づいているだけで影響を大幅に遮断できると考える。

〇プロパガンダは視覚的聴覚的な要素を多用する。ネット上の宣伝戦でも対象を醜く印象操作し見た者の感情を煽る効果が高い画像や動画などの視覚的素材が使われる。プロパガンダを認識した時に「怒り」「嫌悪」等の感情が瞬時に生起する。その瞬間的動きに気づいているだけで影響を大幅に遮断できるはず。

〇原始仏典に「煩悩の流れをせき止めるものは、気をつけることである」「見聞きしたことに汚されない」とある。つまり何かを認識して「貪り」や「怒り」等の感情が生起してもそれに気づいていれば悪影響を遮断できるし、そうやって鍛えた心は何かを認識しても悪影響を受けないという意味だと解釈できる。

〇南方仏教の「ヴィッパサナー」北方仏教の「観」も憑依型戦術の標的。マインドフルネスだ。前者から「煩悩を制する」という倫理性や平静な心境から自ずと生じる独立的思考(智慧)を抜いたもので「ストレスを軽減する事で文句を言わず命令に従うロボット」とする事が狙いの可能性あり。似て非なるもの。

〇「煩悩を制する事」を「智慧」とするのは一見論理的な連関がよく分からないが、「煩悩に惑わされない平静な心境になると自ずと明晰な思考能力が発揮される」という事だと解釈できる。欲をかいたり怒り狂っている者に冷静な独立的思考は期待できない。強い情念は思考を歪める。ごく当然の理路であった。


https://twitter.com/kikuchi_8/status/794215603615604736


(了)

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# by kokusai_seikei | 2018-01-21 07:50 | ツイートまとめ | Trackback | Comments(0)