ツイートまとめ テーマ:国際秘密力とは「魔道」の者の集まり


〇国際秘密力の連中は本当に悪知恵だけはよく働く。支配欲の為に莫大なコストをかけ、高度な知識や技術をつぎ込む。なんであの連中はそこまでして人を支配したいのか?「我欲に支配されている」のは己らだと気付かない愚者の集まりである。馬鹿に世界をいい様にさせてたまるか。破国際秘密力あるのみ。

〇そういえば、国際秘密力が東洋の思想を換骨奪胎する場合、欲、中でも「支配欲」と抵触する倫理的教えを除去する。例えば、仏教で説く「無我」とは実践的には「執着しない」「我執に囚われない」という意味だが、秘密力が憑依すると「意識を拡張する」(LSDなど薬物も使用)という逆の方向性になる。

国際秘密力が伝統思想を改竄する場合、「世界を支配する」という過大な欲望と抵触する「無我」「少欲知足」など、過剰な欲望を自制する東洋の伝統的な教えを除去する傾向がある。「霊性が進化する」とか「意識が拡張する」とか「神と合一する」とか、どこまでも自意識を肥大化させる方向性である。

「妄執」という毒矢に心を射られ欲望を求めてやむことが無い者は不自由である。「妄執」という毒矢を心から引き抜いた者は自由である。と考える。国際秘密力は全てを「自由」にせんと我欲に突き動かされているが、実は不自由な者達。こういう単純な道理が分からない以上、思想哲学を極めても無意味だ。

〇俗に「天狗になる」というがこれは深い意味がある。天狗とは知識を修めるが慢心を生じ魔道に落ちた僧や修験者のこと。深く学問を修めるが、驕慢心を生じ、仏道からそれた者の姿を中世の日本人はそう呼んだのだ。「知を極めた無道者」という人物像は道理を欠いた西洋の魔術師、秘密結社員の姿と重なる。

「無道な知恵者」これ程危険な存在はない。知識や技術つまり力を持ちながら倫理的に縛るものが無いのである。謂わば抜身の刀に等しい。昔の僧は単なる宗教者ではない。高度な知識や技術を保持した知識人技術者でもあった。だからこそ仏道という倫理的縛りがなければ厄災をもたらす「天狗」と言われた。

〇西洋の秘密結社の魔術師は人間の心理を操るなど高度な知識や技術を持っている。しかし、彼らには倫理的縛りが無い。こういう連中が蠢いて世の中を裏から支配している状況がいかに危険なことか。彼らは日本中世の「天狗」と同じだが「魔道に堕ちた」というより最初から「魔道に棲む」「天狗」と言える。

〇「膨大な知識を修めるものの驕慢心を生じ魔道に落ちた無道の者」という「天狗」の人物像は、無限の知識を追い求め「魔」に魅入られたファウスト博士の人物像に似ている。ファウスト博士は西洋の秘密結社員の理想像である。彼らは知的好奇心や知への飽くなき欲求はある。しかし、モラルが無いのである。

〇中世の日本人は膨大な知識を持ちながら驕慢の為に魔道に落ちた僧や修験者を「天狗」と呼んだ。高度な知識や技術は道理に沿って世の為人の為に使ってこそ価値がある。だが、高度な知識や技術を持ちながら我欲を満たす為や他者を傷つける為に使っている連中がいる。道理を欠いた知識・技術は凶器である。

〇高度な心理戦術による洗脳支配、環境の兵器化など国際秘密力による科学技術を悪用した蛮行を考えるにつけ、「道義無き技術は凶器」だと痛感する。能の演目に「車僧」というのがある。知に驕った愛宕山に棲む太郎坊という天狗が車僧と呼ばれる名僧に戦いを挑み退治される話である。日本人が車僧になる。

原始仏典を見ると、難しい哲学を学ぶことより、とにかく貪欲や憎悪、驕慢など妄執を無くせと言う事が中心的に説かれている。つまり、本来仏教は倫理が中心の教えなのである。高度な思想や哲学、技術を学んでも、それに固執するだけで、真っ当な倫理道徳がなおざりになれば、それは本末転倒なのである。

〇「知識はあるが、煩悩に憑りつかれていれば天狗」という日本人の観念は、日本人が仏教を正確に受容していたことを証明している。仏教の知識や思想哲学上の知識、高度な技術があっても、煩悩に憑りつかれ「妄執の克服」という実践がなされていないなら、無道者とされたのである。

〇結局何が言いたいかというと、「人の道に反しながら高度な知識や技術を悪用する国際秘密力の連中よ、貴様たちは本当の知恵者でも何でもないのだ、驕るな、いい加減にしろ」という事である。日本人の基準ではあの連中は「天狗」なのである。そして車僧の様な正道を歩む者に退治されるピエロなのである。

〇【 車僧(くるまぞう) 中世社会のダークサイド“魔道”。世界の背後に潜む天狗たちの、しかし惨めで間抜けな失敗譚。】
http://www.tessen.org/dictionary/explain/kurumazoh

東洋では一般的に倫理道徳と宗教、学問が一体となっている。倫理道徳の実践そのものが宗教や学問だったりする。江戸時代の学問とは倫理学が中心だった。西洋では基本的にこれらが分かれている。だから倫理道徳に反する宗教的大量虐殺や知識技術を悪用した非人道的な支配戦術等が出てくるのではないか。

〇神道の正直・清浄の実践、仏教の法=ダルマの実践、儒学の仁義道徳の実践、道家の無為自然による無欲の実践、等々。東洋の思想は単なる知的学問ではなく、倫理的実践と切り離せない。思想学問が倫理道徳と切り離されると「魔道」に落ちる、と中世の日本人は考えた。これが西洋魔術師と同類の「天狗」。

〇華厳の事事無礙法界という難解な哲学なども結局は実践に帰する。つまり「我も人なり、彼も人なり」と彼我に「人」という共通項(理)を見つけ(理事無礙)、他者に対して思いやりをもって接する事で現成する調和した状態=和、という事だと考える。東洋思想では複雑な哲学も日常倫理の実践に帰する。

〇我と他人の共通点は「人」、我と人以外の生物の共通点は「生命」、我とモノの共通点は「存在している事」、と共通項=共相を突き詰めていくと存在の原理である「無常」「空」などに辿り着く。我と万有は根本の理で共通点があるから、自分を大事にする様に他も尊重しよう、という日常倫理が導かれる。

〇「空」という哲学も、「執着を離れる」「我執の克服」「他者に慈悲を持つ」という倫理道徳的実践と離れたものではない。倫理道徳から切り離された単なる形而上学的観想というものは東洋思想の性質ではない。中世の日本人が言ったように、難しいだけの思想哲学で倫理道徳が欠如すれば「天狗道」である。

〇忍者の「忍」という字は「心に刃を当てる」という意味だと何かで読んだことがある。つまり、忍術とは強力だが、実質的に偸盗の術(盗賊の術)と変わらないから、忍びの者の心に仏道によって錠前を掛けたのだと。この錠前を解除したのが「天狗」と言える。大本系の丹波忍者が天狗と近しいのも頷ける。


https://twitter.com/kikuchi_8/statuses/725457408890277888


(了)


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by kokusai_seikei | 2016-06-20 07:47 | ツイートまとめ | Trackback | Comments(0)
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