ツイートまとめ テーマ:日猶同祖論批判


〇米国のカバラ学者ピンカス・ギラー猶太教では「神」は分化して多になる事も半分に割れる事もなく常に「一」である事を強調すると指摘。「太極、両儀(陰 陽)を生ず」といい根源の一気が陰陽に分化するとする陰陽思想と全く違う。「陰陽道=カバラ」があり得ない事がカバラ学者の指摘からも分かる。

〇ピンカス・ギラーは「西洋の宗教は東洋のモデルとは基本的神学を異にしている。実在の裏に空があるのではなく、実在の頂点に神が存在しているのだ」と書いている。猶太人学者自身がこのように言っている。仏耶一元論や仏教とカバラの習合などは基本的な世界観が相違している故にあり得ないのである。

〇秦河勝を祭る大避神社であるが、大避→大闢→ダビデという事で、「ダビデを祭る神社。だから秦氏は猶太人」という主張がある。だが、猶太教徒がダビデを「神」として祭るだろうか?猶太教徒にとって「神」はヤハウェだけであり、モーセでもダビデでもソロモンでも「神」として祭ることはご法度である。

日猶相互の精神文化の基本的構造の違いを無視してコジツケで無媒介に結びつける、というのが日猶同祖論者の「手口」である。広隆寺の近くにある大酒神社では秦始皇帝を祭っている。外国の皇帝を堂々と祭っているのだ。同じく外国の王であるダビデを祭っているのならもっとはっきり祭ったのではないか。

大酒神社で秦始皇帝が祭られているのなら、ダビデが御祭神の神社があるならばはっきりそれとして祭ったのではないだろうか。大陸から仏教を始め、儒教や道教も流入していた古代の事であり、キリシタンが禁制で隠れキリシタンが密かに神仏に偽装してマリアを信仰していた江戸時代とは違うのである。

〇キリシタン禁制下の江戸時代なら、神仏に偽装したイエスやマリアを信仰していても不思議はないが、大っぴらに大陸文化を導入していた古代に景教や猶太教が流入していたら、神仏や祖先崇拝に偽装して猶太の神やダビデを祭る必然性が無いのではないか。金毘羅宮のようにヒンズーの神を祭る神社もある。

改めて言うまでもないが「日猶同祖論」とは「憑依型戦術」の代表的かつ典型的なものである。「日本文化とは猶太文化」という事にして乗っ取るのである。「手口」としては何でも多少なりとも類似性があれば針小棒大に取り上げ、違いはどんなに決定的なものでも無視する、というシンプルなものである。

〇日猶同祖論の手口として「多少なりとも類似性があれば針小棒大に取り上げる」「違いはどんなに決定的なものでも無視する」というのがある。前者は、猶太教ラビと修験者の服装の類似点、17世紀にダビデの星として制定された六芒星が日本にもある等。後者は一神教と多神教・アニミズムの違いの無視等。

左翼の自虐史観を嫌う各種「保守」層で、日猶同祖論を信じている者が結構いる模様だが、日本を猶太の風下に立たせる日猶同祖論を自虐史観と思わないのが不思議である。これは従米やネオコンに抵抗が無い心性とも通底するが、日猶同祖論者は「反米保守」層にも多い。「憑依型戦術」の根深さを痛感する。

〇清和会一味があからさまな例だが、「自虐」や「反日」は左翼だけに限らない。一見すると愛国者とか保守派を標榜する者の中に巧みに浸透し根を張っている。左翼の「反日」はあからさまだから分かり易い。「愛国保守」派の中の「反日」は「愛国」として遂行されるので分かりにくく、病巣がより深いのだ。

〇秦氏の創建と言う事で日猶同祖論者が何かと猶太と結びつけたがる神社の一つに松尾大社がある。松尾大社の御祭神は大山咋神。松尾山だけではなく比叡山でも祭られる山の神である。酒造の神でもある。山に宿るアニミズム的な神であり、多神教的な職能神でもある神を猶太教徒や景教徒が祭る訳がない。

〇松尾大社には御祭神である大山咋神市杵島姫命の神像がある。一方、猶太教や景教では神像を作ることは「偶像崇拝」として禁じられている。日本で神像が作られたのはもちろん仏教の仏像の影響である。こういう決定的な日本文化と猶太文化の違いを無視するのが日猶同祖論者のいつものパターンである。

〇日本の原神道=アニミズムでは神像は作らない。神像を作るようになったのは仏教の影響である。ここで同祖論者は「偶像崇拝をしない神道と猶太教の類似性」と言う。だが原神道では自然物やそこに漂う雰囲気を「カミ」として祭ったのあって、人格的な唯一神の信仰から偶像を拒否した猶太とは意味が違う。

〇「神道」という名がまだ無かった原神道は仏教と出会う事で影響を受け、固定的な社(やしろ)や中世には神像を作る様になった。基本的に自然崇拝なので、カミ=自然を拝む場所は固定されていなかった。万象がカミなので神像を作る必要が無かった原神道と唯一の人格神の信仰から神像を禁じた猶太の違い。

〇「景教徒はともかく北イスラエル王国で偶像崇拝をしてヤハウェに追放されたという設定の多神教徒のイスラエル十支族の渡来ならありえるのでは?」という反論も想定できるが、それだと現在の一神教としての猶太教とは全く違うのに敢えて日猶同祖論を主張する意図は何か?と増々怪しくなる訳である。

〇大山咋神は鏑矢に化身するともされる。一神教では神が物体に化身する事はあり得ない。この点でも松尾大社が猶太教や景教ではありえない傍証となるであろう。松尾大社の信仰はどう見ても多神教やアニミズムである。「秦氏」と関係しているだけで猶太や景教とこじつけたがる同祖論者の熱意には恐れ入る。

〇日猶同祖論は歴史学的なアプローチだと論証するのも反証するのも大変である。だが「常識」特に日本と猶太の精神文化の基本的違いに着目すれば簡単に反証する事ができる。日猶同祖論は日猶の文化の構造の違いを故意に無視して初めて成立する。一言に集約すれば一神教と多神教、アニミズムの違いである。

〇秦氏と関わりが深い松尾大社の御祭神・大山咋神は比叡山延暦寺を守護する護法の神として日枝大社で祭られている。ヤハウェが山の神で酒造の神で仏教の護衛を司る神、と猶太教徒や景教徒が考えたとは思えない。やはり、秦氏は猶太教徒や景教徒ではないと考えるのが自然である。普通に仏教徒である。

〇大山咋神は比叡山の地主神として最澄入山以来天台宗と関係が深い。山王一実神道という天台宗系の習合神道で崇敬される神仏習合と縁が深い神である。猶太教や景教ではなく、明らかに仏教と縁が深い神と分かる。この神を崇敬した秦氏。この単純な事実を無視して猶太教や景教と結びつけるのは無理がある。

https://twitter.com/kikuchi_8/status/709770962783219713

(了)

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by kokusai_seikei | 2016-04-13 07:30 | ツイートまとめ | Trackback | Comments(0)
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