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サンカ人脈における偽史勢力の両建構造についての分析

〇サンカの秘密結社「シノガラ」。八切止夫氏によると、大東亜戦争末期米諜報機関がサンカに反乱させ「天皇制」を打倒し、日系米人を中心とするサンカ政権を樹立させる工作があったと。サンカにはどうも反天皇派と南朝派がいるようだ。前者が八切止夫的な史観に依拠し、南朝派は酒井勝軍的な史観である。

〇南朝派と反天皇派。サンカのこの両義性は、国際秘密力の、英国メーソン系の憑依型戦術と仏蘭西メーソン系の革命戦術型にピタリと対応。南朝派は英国メーソン系の、反天皇派は仏蘭西メーソン系の走狗にか。現に新左翼は八切史観を採用し、
南朝派周辺は下からのワンワールドは否定し、王室ワンワールドを肯定。

〇赤軍派の爆弾魔・梅内恒夫が八切止夫を「日本初の人民歴史家」と称賛。左翼エコロジスト時代の太田龍氏(左翼時代は太田竜)も八切説に依拠しておられたと思われる。70年全共闘運動に挫折した新左翼の多くが所謂偽史運動に流れる。月刊ムーの創刊もこの流れの内にあるようだ。

〇「天皇家、大和朝廷は侵略的外来勢力である」とし、「日本原住民」の決起を促す歴史観は、マルクス主義革命に挫折した新左翼が活路を求めて飛びついた理論であった。共産主義者がある段階まで民族主義を利用するのは第二次大戦末期から冷戦時代にかけてよく見られる。

〇八切は新左翼ではないが、マルクス革命に行き詰った赤軍派の梅内恒夫のような新左翼が革命理論を構築する上に於いて八切史観を利用した。「労働者vs資本家」というマルクス主義的な階級闘争史観を「日本原住民vs弥生侵略王朝=天皇家」という図式に置き換えたのである。

〇梅内恒夫は「共産主義者同盟赤軍派より日帝打倒を志すすべての人々へ」という手記を発表。その中で八切止夫史観に触れる。この文書がマルクス主義凋落後の新左翼の反日思想に大きな影響を及ぼす。連続企業爆破事件を起こした「東アジア反日武装戦線」もその一つ。

〇同時に八切止夫はサンカ研究家でもある。八切は大東亜戦争末期に米諜報機関がサンカの決起を促し、「天皇制」を打倒して日系米人を中心としたサンカ政権を打ち立てようとする工作があったと戦後日系四世の米人から聞いたと証言。真偽は分からないが興味深い話である。

〇所謂サンカには「シノガラ」という秘密結社があるという説がある。そのようなものが実在するのかはわからない。しかし大本教周辺等にそれらしき人脈がありそうなのを強く感じる。南朝派はサンカ人脈とかなり重なる気が。同時に「天皇制」という枠組みそのものを敵視する一派もいるようだ。

〇大本教や天津教(教祖の竹内巨麿は御嶽教の出身。御嶽教は修験の流れを汲むが仏教色は薄い)、竹内文書の周辺はある種の皇道思想と不敬思想が同居しており、これらの思想傾向は、ある種体制に近い所に居たり、徹底的に反体制的だったりするサンカ人脈の両義性に対応している気がしてならない。

〇このサンカの両義性はちょうど英仏メーソンの侵略戦術の違いに対応している。マイノリティを手先に使うというのは英仏どちらにも共通しているが、サンカ人脈が英仏メーソンの両系列に分かれて走狗として機能した、という仮説を立てた。ニューカマーの朝鮮人脈より古いマイノリティ人脈である。

〇所謂「偽史」の世界では、酒井勝軍的な「世界天皇論」と八切止夫的な「天皇渡来説」が両建をなすと見る。酒井勝軍が右派に、八切止夫が左派に其々受け入れられる。前者が英国系メーソン的な憑依型戦術であるのに対し、後者が仏蘭西系メーソン的な革命型戦術の、歴史観における現れである。

〇酒井勝軍の影響を受けつつ、それを八切的な天皇渡来説によって論じ右派的な酒井イズムを左派的に転回させたのが大本系の武田崇元氏であり、そこから80年代以後のオカルト運動が勃興、ムーの創刊、オウムの台頭が陸続と続く。陰謀論界も大体この酒井派と八切派の二派に分類されると見ている。

〇サンカの主要産業は歴史的に竹細工製作だが、偶然かもしれないが竹細工職人である鬼塚英昭氏の反天皇史観と南朝派の落合莞爾氏の堀川史観はサンカの反天皇と親南朝という両義的なあり方と対応している気が。単なる仮説なので今後とも探求してみたい。この両派陰謀論界でも両建的対立があるので。


(了)

by kokusai_seikei | 2015-09-19 01:36 | 陰謀解析 | Trackback | Comments(0)


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