仏教への西洋的神秘思想の混入を破すために仏教とグノーシス主義の違いを指摘する。グノーシスでは物質と精神の二元論で、物質は悪とされそこから文字通り脱却して純粋な霊の世界に至ることを目標とする。仏教では、渇愛とともに嫌悪も執着とされるので、物質を嫌悪し憎み悪と断じることはしない。仏教では物質を悪と断じるのではなく、物質を含む万物への執着という精神作用を問題とする。(唯識では物質も識の相分だが)例えば、物を盗むという行為は物の側ではなく物に執着し盗むという行為をする心の方が問題なのだ。執着を断つために不浄観が修されるが、それはあくまでも修行上の方便。
執着心のある者とそうでない者では同じ物に相対しても全く異なる反応をすることが、物そのものに悪があるわけではない証拠である。物質に問題があるのではなく執着という精神作用に苦の根源を見、その克服を目標とする。これは伝統的に六根清浄と呼ばれてきた。従って、仏教からすると、グノーシス主義における物質への嫌悪も執着という煩悩ということになる。「無上の清らかな行いの究極を現世においてみずからさとり、証し、具現して、日を送った。」と最古の仏典スッタニパータに何度も出てくるが執着を制し生きたまま苦を克服することを目指すのが仏教。 グノーシス思想と仏教の違いを例えで説明。たとえばりんごを盗んだ泥棒がいたとする。りんごという悪なる物質がこの悪行の原因であり、この悪を克服するにはりんごという悪なる物質から離れよ、と説くのがグノーシス思想である。この悪行の原因はりんごという対象に執着する泥棒の心であり、この悪を克服するには執着を自制し心を修めよ、と説くのが仏教である。グノーシスと仏教、どちらが理にかなっているかは明らかである。神智学徒や神智学の影響を受けたカルトはグノーシスと仏教を意図的に混同するから注意が必要。 (了)
by kokusai_seikei
| 2015-09-15 00:29
| 思想哲学
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