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国際秘密力が国家攻略に使う二つの戦術

 国際秘密力が侵略戦争以外の方法である国家を攻略する場合、二つの方法があると思う。「革命型」と「憑依型」である。


 まず「革命型」であるが、これは標的とした国の内部に反体制分子を育成して、正面から国家を破壊する場合である。仏蘭西革命や社会・共産主義革命がその典型である。おそらく原型は、バチカン・イエズス会が行った、キリスト教宣教師を送り込み改宗者を増やして軍隊を組織し現地政府を転覆させる、というやり方であろう。これは戦国期に我が国も仕掛けられた。アダム・ヴァイスハウプトはイエズス会の出身者で、イルミナティの組織構成はイエズス会の軍隊組織(創設者のイグナチウス・デ・ロヨラは元々軍人)を模したようなのでイルミナティやそれが浸透した大東社の革命戦術路線はイエズス会に原型があるように思う。しかしこの「革命型」は標的になった国家が脆弱であるとか、多様な勢力に分散して相互に争っているとか、為政者の悪政によって民衆の不満が極度に鬱積しているとか、そういう諸条件が無い、もしくは作り出さないと成功しにくいであろう。しかも革命理論の製造及びプロパガンダ、暴力を集約的に行使するための反体制分子の組織化等々、大きな手間がかかる。もともと正面から、ある一つの文化共同体の成員の思想を改変し国体(伝来の国家社会の形態)を破壊することは難しいことなのだ。


 だからもう一つの「憑依型」戦術が出てくる。これは、現地国家に元からある伝統や文化に憑りついて別の物に変貌させる、という形で行われる。これは、革命のようにあからさまには行われず、徐々に進行されるため気付かれにくく、現地人からの警戒や反発を最小限に回避しつつ、いつの間にか占領された状態が現出している、という恐るべきものである。歴史を観察すると日猶同祖論のように「お前達のルーツは我々だよ」と精神的に屈服させるやり方(○猶同祖論は世界各地にある)や伝統的思想を換骨奪胎して別のものに変えてしまうやり方などがあることがわかる。特に後者についてであるが、文化を構成する主な因子は言語だと思うが、その言語で表されるさまざまな文化的概念を改変することで、現地の文化を別のものに変えてしまうわけである。「神」という表記、「カミ」という音声、が示す概念内容をキリスト教的な造物主概念で置き換えるようなことである。文化はそれを構成する重要な要素である言語の概念内容が変われば変貌してしまう。自生的に生成してきた伝来の文化が外国勢力によって変改されることは、外国勢力による人為的な文化支配が完成することを意味する。そして文化のあり方と密接不可分な思考言動の習慣が変えられ、それによって形成される国家社会の構造が変貌し、いつの間にかもとからあった独自の文化・国体は消滅している。


 日本が中国や印度の文物・思想を移入しながら、独自性を失わなかったのは、もともと日中印の文化に汎神論の伝統という共通した大枠がありそれによってスムーズな文化移入が行われたからだと考えている。平田派のキリシタン神学密輸はその大枠そのものから逸脱した。がこれはまた別の話である。


 正面から向ってくる「革命型」の場合は、その国家や文化共同体がある程度安定していれば、防ぐことはたやすい。今やマルクス・レーニン主義者、左翼過激派の言い分をまともに受け取るのは少数派の中の少数派である。だから左翼は偽装転向したり、エコロジーや人権運動、「歴史認識問題」の形を取らざるを得ないのである。(とり憑く対象が伝統ではないとはいえ、一般的に受け入れられているエコや人権擁護を利用するという点で「憑依型」と言える。人間の「良心」を利用するわけである。)

 しかし、ステルス戦術で徐々に内部破壊を遂行する「憑依型」戦術は、伝統を重んじる心や愛国心すら利用するので、きわめて巧妙である。本来は伝統を護持し愛国心を持って国を守ろうと志すはずの保守愛国勢力は親米派と反米派に分かれつつ統一・大本というカルトの影響下に組み込まれている。統一、大本というのは一神教がベースのカルトであり、日本の伝統思想とは絶対に相容れないはずなのに、一神教カルトのお先棒を担ぎつつ日本主義を呼号するという矛盾である。そして戦前から意図的に流布されたおかしな日猶同祖論が罷り通っている。保守層を標的にした一連の思想ギミックである。保守陣営の一部には熱烈な親イスラエル一派がいる。渡部悌治先生の御著書によると日猶同祖論の資金源の一つが大本教だそうである。そのような工作の結果、共産中国に長年武器援助してきたイスラエルを翼賛しつつ反中国の主張をする、という両建マッチポンプが実際に起こっている。


 このように、自分は愛国者のつもりでいるのに、いつの間にか国家を破壊することに手を貸していた、そんなことが起こるのである。左翼の国家破壊行動を批判するのは大事だが、伝統保守の側にも魔の手が浸食していることを自覚しないと危ない。正面から来る「革命型」戦術は見えやすいので反左翼は多い。しかしステルスに遂行される「憑依型」戦術は見えにくい。だから偽装保守・カルト保守の批判はあまり多くないのが現状である。その結果が安倍極悪犯罪者仁風林ニセ内閣の横暴である。愛国心を利用した誘導の結果である。


 己の意思を強制し人間や自然を操作する技術体系が魔術だと思うが、愛国心をも利用して国家を破壊する戦術というのはまさに魔術以外の何物でもない。かかる発想は西洋の底知れない闇の中枢からしか出てこない発想である。まさに悪知恵も極まれりである。(了)

 

by kokusai_seikei | 2014-08-06 00:41 | 陰謀解析 | Trackback | Comments(0)


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